「本当に行くんですね」
「そう話しただろう?」
「はい……」

 ドラゴンを討伐した翌日。
 師匠は荷物をまとめて屋敷を出て行くところだ。
 寂しいけど、師匠には師匠の仕事がある。
 それに師匠は、俺のことを信じてくれている。

「師匠……俺、頑張りますから」
「うん。魔術学校の入学試験までにはもどるよ。その時が最終試験だと思って覚悟しておいてね」
「はい!」
「良い返事だ。これを渡しておこう」

 師匠は丸くて赤い宝石のついたイヤリングを一つ渡してきた。

「これは?」
「僕を呼び出す魔道具だよ。本当にピンチのときはこれを使いなさい」
「わかりました」

 イヤリングをぐっと握りしめ、俺は出来るだけ笑顔で堂々とした態度を見せる。

「ねぇリンテンス。僕がどうして君を弟子にしたのかわかるかい?」
「え? それは確か……面白そうだったから?」

 師匠と出会った日に、彼はそう言って俺を弟子にしてくれた。
 俺が答えると、師匠は笑いながら当時のことを思い返す。

「はっはははは、そうだったね。確かにそう言った。でも、あの言葉に意味なんかない。テキトーに言った言葉だからね」
「じゃあ……何で?」

 笑っていた師匠は落ち着いて、改まったように俺を見つめる。

「僕はね? こんなんだけど凄く強いんだ。世界で一番強いかもしれない」
「はい。知ってます」
「はははっ、そうだね。大抵のことは一人で出来たしまう。だからこそ、僕はずっと一人だ。今まではそれでよかった。だけど……この先に待っている未来では、僕一人じゃ駄目なんだ」
「師匠?」
「僕はね? 自分と同じ場所に立って、一緒に戦ってくれる仲間がほしかったんだよ。そして君なら、そうなれると思ったんだ」

 師匠の話は所々抽象的で、何かを悟っているようにも思えた。
 だけど、俺はそんなことどうでも良くて……

「では行くよ。また会おう」
「はい! 次は師匠を驚かせてみせます!」

 俺がそう言うと、師匠は清々しい笑顔で――

「期待しているよ」

 と言い、ふわっと風に舞う花弁のように消えていった。
 二、三年か。
 これから一人で過ごす時間は長いけど、孤独なんて思わない。
 師匠が帰って来た時、ガッカリさせないように頑張ろう。
 
 この時、俺は今さら気づく。
 いつしか聖域者を目指す動機の一つに、師匠の期待に応えたいという想いが加わっていたことを。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 王都郊外にある平たい木造建築。
 荒っぽい雰囲気の男たちが行き交う道と、看板に大きく書かれたギルド会館と言う文字。
 ここは冒険者たちが集う場所。
 依頼を受けたり、情報交換をするために用意された建物だ。
 
 カランカラン――

 扉を開けるとベルが鳴って、中の人たちの視線が向く。
 受付カウンターへ向かう途中にも、ジロジロみられていた。

「依頼完了しました」
「お疲れ様です! 確認いたしますので、そのままお待ちください」

 受付前で待つ間も、周囲ではヒソヒソ話が聞こえてくる。

「おい見ろよ」
「ん? あの仮面の奴がどうかしたか?」
「あいつだよ! ドラゴンの群れを一人で撃退したっていう冒険者」
「えっ、そうなの? じゃああれが噂の……【七色の雷術師】か」

 二人の男冒険者がごくりと息を飲む。
 他の冒険者たちも、こぞって同じ話題を繰り返していた。

「すげぇよな~ 一人でドラゴンだぜ?」
「ああ。体格じゃ強そうに見えないのにな」
「だよな。というか、あのへんな仮面は何なんだ?」
「さぁ? 男なのにリンリンって名前も変だし、二つ名と全然合ってないし」

 全員が口を揃えて言う。

「「「色々と変だな」」」

 ほら、思った通りじゃないですか師匠!
 貴方が変な偽名と格好にするから、周りからずっと変な目で見られてるんですよ?
 俺は羞恥に耐えられず、依頼の報酬だけ受け取ったら、そそくさとギルド会館を後にした。
 バレないようにひっそり路地に隠れて、仮面とローブを脱ぎ捨てる。

「ふぅ……辛い」

 師匠が去って三年と半年。
 俺も今年で十五になり、世の中で言う成人を迎えた。
 日々の修行も習慣化していて、実践訓練のために冒険者としての活動も続けている。
 それにしても、あれ以来師匠からの連絡は一切ない。
 どこで何をしているのかもわからない。
 もうそろそろ入学試験だというのに、帰ってくる気配もないんだが……

「まさか忘れてないよな」

 屋敷に戻ってから荷物を下ろしてベッドに寝転がる。
 音沙汰なしと言えば、俺の両親もここ数年の間、一度も会いにこなかった。
 俺から会いに行くこともないし、四年以上あっていないな。
 それで寂しいとかは感じない。
 むしろバネにして、この野郎という気持ちで頑張れた。
 師匠ならきっと、不誠実とは言わないはずだ。

「師匠……どっかでサボってたりして」
「失敬だな~ 君は師匠を何だと思っているんだい?」

 不意に声が聞こえた。
 心臓の鼓動が高鳴り、勢いよく振り向く。
 部屋の窓を見ると、そこに彼はいた。
 ずっと会いたいと思っていた人が、ようやく戻ってきてくれた。

「久しぶりだね、リンテンス。背も大きくなって、見違えたんじゃないか?」
「お帰りなさい……師匠!」

 師匠の見た目は変わらない。
 たった三年半じゃ、変化には感じられないのか。
 懐かしさで涙がこみ上げてきそうになる。

「さっそくだけど、君がどれだけ成長したか見せてもらえるかな?」
「いきなりですね」
「はははっ、最初からそのつもりだったからね」

 パチンと師匠は指を鳴らす。
 懐かしき天空の世界へ降り立ち、俺たちは向かい合う。

「最初は三秒だったね」
「はい」
「じゃあ今度は十分くらいもつかな?」
「余裕ですよ」
「言うようになったね~ じゃあ見せてもらおうかな? 成長したのは見た目だけじゃないってこと」

 師匠が杖を、俺は拳を構える。
 そういえばあの時、師匠は杖すら持っていなかったな。
 たぶん四年半前より強いはずだ。
 でも、俺だって以前とは違うぞ。

「行きますよ――師匠!」
「ああ、来なさい」

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 激化する戦い。
 崩れ落ち、震えあがり、嘆き憂う。
 いくつもあった浮遊島が綺麗に消え、残された一つに横たわる。

「はぁ……どうですか?」
「うん、いいね」

 寝ているのは俺だが、その隣に師匠もいる。
 お互いボロボロになって、笑いながら師匠が言う。

「今の君なら、僕以外に負けることはありえないかな?」
「当然……ですよ。何たって師匠の弟子なんですから」
「そうか。文句なしの合格だ!」

 苦節四年半。
 師匠の元で修行し、一人になって続けた末。
 俺はようやく、師匠に認められるくらい強くなれたみたいだ。
 涙が出そうになるけど、俺はそれを我慢する。
 だってこれは、ただのスタートラインでしかないのだから。

「一週間後に入学試験だったかな?」
「はい!」
「今の君なら、頑張れという言葉も不要な気もするが……敢えて言わせてもらおう」
 
 師匠が先に起き上がり、俺と向かい合うように立つ。
 伸ばされた手を掴み、俺も立ち上がってから――

「頑張れ!」
「頑張ります!」

 いわゆるプロローグだ。
 ここから始まる物語で、俺は聖域者への階段を駆け上がる。
 全てを失った所から、今度は全てを手に入れるんだ。