産声が聞こえた。
不思議なことに、その声は自分自身の意識にも強く残っている。
喜んでいるのは両親だろうか?
未発達の視界ではボヤけてよく見えないけど、とても嬉しそうに笑っているのは伝わる。
「見たか今の!」
「ええ、間違いないわ」
「赤ん坊でこれ程の魔力を持って生まれるとは! この子は間違いなく神童になる。いや、もしかすると我が一族から百年ぶりに『聖域者』となれる逸材だ!」
赤ん坊の名前はリンテンス。
由緒正しき魔術師の名門、エメロード家の次男として爆誕。
その五年後。
両親の期待に応えるように成長し、神童と呼ばれるようになった。
「リンテンス! 次は炎の魔術だ!」
「はい!」
心臓と同じ高さ、場所は逆。
右胸を起点にして、生成された魔力を循環させる。
循環させた魔力は、術式を介すことで様々な効果を発揮する。
例えばこんな風に――
「炎の檻よ」
燃え盛る炎を生成し、縦横を重ねた檻を形作る。
攻撃と拘束、二つの意味を持つ魔術。
「どうですか? 父上」
タラっと汗を流す父上。
ニコリと笑い、俺に言う。
「完璧だ、リンテンス」
「ありがとうございます!」
五歳になった俺は、父の指導のもと魔術の訓練に勤しんでいた。
初めて魔術を使ったのは三歳の頃。
文字の読み書きや一般教養を習うついでに魔術の基礎を学び、こっそり独学で実践訓練をしていたら、父上にバレてしまった。
怒られたとかはなくて、むしろものすごく褒められた。
三歳で魔術が使えた者など、歴史に名を遺す偉大な魔術師たちでも僅かしかいない。
この頃からだったと思う。
俺、リンテンス・エメロードが神童と呼ばれるようになったのは。
さらに月日は流れ――
「今日からは実践訓練に移るぞ!」
「はい!」
「以前に話した通り、西の森で魔物を狩ってもらう。もちろん私も同行するが、基本的にはお前ひとりでやってもらう」
「……はい」
俺はごくりと息を飲んだ。
魔物とは、異質な魔力によって凶暴化した獣のこと。
発生の原因や特性は、未だ謎に包まれており研究が進められている。
わかっていることは、動物のように繁殖し、狡猾で凶暴な存在だということだ。
「そう心配する必要はない。狙うのは比較的弱い魔物だ。お前ならまず間違いなく勝てる」
「は、はい!」
「いざという時は私もいる。臆さず戦いなさい」
父上は優しく俺の肩をたたいてくれた。
その言葉に勇気づけられ、恐怖が少しずつ和らいでいく。
「よし、では馬車を手配する。準備出来次第出発だ」
「はい!」
場所を移し、西の森に入る。
何度か訪れている場所でも、魔物を意識すると途端に怪しく見えるのは不思議だ。
揺れる木々や葉っぱが怖いなんて、口で言っても伝わらないだろう。
しばらく進むと、ケミの道に差し掛かる。
ここから先は馬車で通り抜けられない。
地面に突き刺さった木の看板には、魔物注意とかすれ文字で書かれていた。
「行くぞ」
「……はい」
緊張するな、と言われても難しい。
周りは自分より大きな木ばかりで、草でも大きなものは肩の高さを超える。
それら全てが敵に見えてしまうのだから、警戒を解くことも出来ない。
父上は毅然とした態度で俺の前を歩いている。
俺も大人になれば、こんな風に堂々としていられるのだろうか。
ガサガサガサ――
明らかに風の揺れではない音が聞こえてきた。
父上が足をピタリと止め、表情を曇らせる。
大きな木をなぎ倒し、姿を現したのは大きなクマの魔物だった。
「グリーンベア! ここで出てくるのか」
父上から舌打ちが聞こえた。
グリーンベア、以前に本で見たことがある。
体長は三メートルを超える巨大なクマで、森を縄張りにしている魔物の一種。
個体によっては一匹で小さな村を全滅させたりなど。
中々凶暴な魔物のはずだ。
でも――
俺ならやれる。
そう言ってくれた父上の期待に応えたい。
心で身体を奮い立たせて、俺は力いっぱいに地面を蹴る。
「――! 待てリンテンス! さすがにお前でも――」
「おおおおおおおおおおお」
父上が静止してくれたと気づいたのは、戦いが終わってからだった。
周囲の木々が斬り倒され、地面には大穴が空いている。
穴を埋めるように横たわっているのは、意識を失ったグリーンベアだった。
「はぁ……はぁ……勝ちました! 父上」
「……驚いたな。まさか倒してしまうとは」
父上は嬉しそうに笑っていた。
そのことが誇らしくて、また頑張ろうと思えた。
後で聞いた話によると、グリーンベアは魔物の中でも中堅くらいの強さを持っているらしい。
熟練の魔術師でも、下手をすれば負けてしまう相手だったとか。
それは確かに、父上も驚くだろうな。
とは言え戦いは無事に終わり、俺と父上は屋敷に戻った。
「聞いてくれ! リンテンスが一人で魔物を倒したんだ! それもかなり凶暴な相手をだ」
「本当? やっぱりすごいわね」
「ああ、自慢の息子だよ」
夕食を囲む席で、父上と母上が楽しそうに話している。
話題に上がっているのは俺のことだ。
褒め殺しをされているようで恥ずかしいけど、やっぱり嬉しさのほうが大きい。
両親の期待に応えられるように、これからも頑張らないと。
さらに五年後――
深き森の中。
暴れまわる大量の魔物たち。
それに立ち向かう魔術師二人は、数に押されて苦戦を強いられていた。
「くそっ! 数が多すぎる」
「予想以上だな。一時撤退するか?」
「馬鹿を言うな。ここで引いたら村まで行くぞ」
「ちっ……とは言え、我々だけでは対処しきれんぞ。増援を呼んだのはついさっきだ。支部から急いで来ても十分以上かかる」
話している二人ににじり寄る魔物の群れ。
一歩一歩と後ずさりながら、刺激しないように注意を払う。
額から頬にかけて流れる汗がポツリと落ちた時、魔物たちが一斉に襲い掛かる。
「くっ……」
もう駄目か。
脳裏によぎったあきらめの気持ちを、天から降った氷の柱が貫く。
「こ、この魔術は……」
「無事ですか?」
空から聞こえた声にひかれ、二人が同時に見上げる。
空気を踏みしめるように立っていたのは、マントを靡かせている俺だ。
「リンテンス君か!」
「増援に来ました。お二人とも伏せてください!」
「あ、ああ!」
ここは森の中。
二人と魔物たちの距離も近い。
広範囲の魔術は二人を巻き込んでしまう。
ならばコンパクトかつ一撃で、全ての魔物を貫く。
「降れ! 氷の雨よ!」
最初に降らせた氷の柱と同系統の魔術。
今度は細く短くして、魔物一匹一匹を正確に貫ていく。
さながら雨にように降り注ぐつららは、魔物を次々と串刺しにしていった。
「お、おぉ……」
「これが神童の力か」
驚き呆然とする二人の前に、俺はゆっくりと降り立つ。
「無事で何よりです」
ニコリと微笑んで二人の身体を見る。
怪我はしていないみたいだし、治療の必要性もなさそうだ。
「ありがとうリンテンス君、助かったよ」
「しかしよくこの短時間で来れたね。君は確か本部にいるはずではなかったかい?」
「はい。ですが支部への救援要請はこちらにも届いていましたから。私は転移魔術が使えますし」
「そうだったな。いやーそれにしても驚いた。訓練では何度か見せてもらったが、実際に戦うとこれほどとは」
「私なんてまだまだです」
「謙遜する必要はないよ。あの大群を一瞬で倒してしまうんだから。むしろ誇って良いと思う」
べた褒めする二人。
彼らは王国の魔術師団に属する魔術師。
サルバーレ王国におけるプロ魔術師のライセンスを持った者だけが入れるエリートだ。
十歳になった俺は、父上の計らいで師団の訓練や任務に混ざらせてもらっている。
特例中の特例らしく、父上も大変苦労したとか。
お陰でさらなる魔術の特訓が出来ているし、父上には感謝してもしたりない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「聞いたぞリンテンス。また大活躍だったようだな」
「いえ、大したことはしていませんよ」
「はっはっは! 魔物の大群を退けたことを、大したことでないというか。さすが我が息子は大物だな」
楽しそうに笑う父上。
食卓を囲むと、いつも笑って俺の自慢をしてくれる。
恥ずかしいのは変わらないけど、やっぱり褒められるのは好きだ。
次もまた頑張ろうと思える。
「五年後の入学が楽しみね」
「ああ。まず間違いなく特待クラスに配属されるだろう」
「同年代の子も不憫ね。リンテンスと比べられたら、みんな劣っているように見えるもの」
「それは仕方がないさ。十以上の属性を扱える魔術師など、師団でもいないのだからな」
父上が属性と言う単語を口にした。
魔術には属性がある。
炎、水、雷、風、大地の五大属性を基本とし、それ以外の特殊属性を含めると、全部で二十七の属性が存在するそうだ。
大抵の魔術師は、この中の一部しか扱えない。
一つは当たり前、二つ持っていれば上々、三つ以上なら天才と言われるレベル。
魔術師の家系であるなら、最低でも三つ以上の属性は有していなくてはならない。
そんな中で俺は、十一の属性を扱うことが出来た。
どれだけ凄いことなのか、幼い俺でも理解できるほどだ。
「まず間違いなく聖域者になれる! 歴史に名を残すのは確実だな!」
「ええ。リンテンスは私たちの誇りね」
二人は俺のことを褒めてくれる。
過度な期待にも聞こえるけど、不思議とプレッシャーには感じていない。
屋敷での好待遇や周囲の人たちの気遣い。
どれも紳士的で、普通じゃ味わえないような優越感。
十歳になっても子供で、俺はそういう雰囲気に酔っていたんだ。
だけど、そんな日々は突然終わってしまう。
それは一年に一度来るレベルの大嵐に見舞われたとき。
俺は師団の手伝いで任務に出ていた。
「すごい雨だな……一旦引き返すぞ、リンテンス」
「はい!」
出発した頃は一滴も降っていなかったのに……
任務地へついてすぐ豪雨に見舞われ、やむなく駐屯地へ戻ることに。
雨と風で前もよく見えない。
普段なら飛行魔術で戻る所だけど、これだけ視界が悪く気候が荒いと、飛んで移動するのはリスキーだ。
加えて空はゴロゴロと音を出し、雷がぴかっと光る。
「おっ、近くに落ちたな」
「さすがに怖いですね」
「だな。まぁでも、ここに落ちることはないだろ」
彼の言う通り、雷が人に落ちる確率は極めて低い。
周りには自分より背の高い木々もたくさんあるし、落ちたとしても自分じゃない。
そう思っていた俺に――
ピカッ!
雷鳴が響き渡り、一筋の光が下る。
視界が真黒く染まった。
いや、一瞬だけは真っ白で、気づけば真っ暗だった。
夜空に光る星のように、小さな光がぽつりぽつりと見える。
「リンテンス! おい聞こえるか!」
俺の名前を呼ぶ声が、かすかに聞こえたような気がする。
だけど今は眠くて、そっと目を閉じた。
パキッ――
何かにひびが入る音がした。
胸が痛い。
全身はもっと痛い。
その音と痛みで目覚めたとき、俺は屋敷のベッドで寝ていた。
「ここは……」
ガタンと扉が開く。
入って来たのは屋敷の使用人。
お盆に何か乗っていたが、確認する前にボトリと落とした。
「坊ちゃま……お目覚めになられたのですね!」
「あ、ああ」
「すぐに旦那様と奥様をお呼びします!」
落とした物など気にせず、使用人は部屋を出て行った。
ひどい慌てようには驚かされる。
というのも、目覚めてすぐの俺は、自分がどうして寝ていたのかわからなかった。
おぼろげに覚えていることを思い出してみる。
「……そうか」
確か任務の途中で、雷に打たれたんだ。
ゴロゴロと音が鳴っていたし、直前までそんな話をしていた記憶がある。
まさか落ちるとは……というより、よく無事だったな。
任務の途中だったし、魔力で肉体を強化していたのが功を奏したのだろう。
そうでなければ今ごろ豚の丸焼きよりこんがり焼かれている。
それにしても、何だろうかこの違和感は……
手や足はよく動く。
肉体的な異常は感じられない。
部屋にある鏡を見て確認しても、ぽっと見では異常は見当たらない。
「髪の色……目も」
いや、見た目の変化はあったようだ。
暗くて見落としていたが、髪と目の色が変わっている。
赤黒かった髪が真っ白になり、ルビーのような赤い瞳も、サファイアのごとく蒼に変化していた。
そして、身体に残った違和感。
あるのは胸の内……いや、右胸の奥。
魔力を生成する起点であり、起源と呼ばれる核がある場所。
「まさか……」
嫌な予感が脳裏をよぎる。
雷撃が俺の身体に与えた影響が、もしもそこに至っているのなら。
漠然とした不安が押し寄せてきて、試さずにはいられない。
俺は右手のひらを広げ、術式を形成し魔力を流す。
いつも通り、当たり前にやってきた動作を反復する。
「リンテンス! 目覚めたのか!」
「良かったわ。一時はどうなることかと……リンテンス?」
「はっ……はははは」
笑ってしまう。
おかしいわけじゃなくて、笑うしかないんだ。
だってそうだろ?
「どうしたんだ? 身体に異常があるのか?」
「異常……しかないよ」
魔力の循環、術式の構築、発動後のコントロール。
何度も練習して、考えなくても出来るようになっていた。
今さら間違えるはずもない。
「使えないんだ」
「え?」
「魔術が……使えない」
「なっ……」
その時に感じた絶望は、俺一人で収まるものではなかった。
異変に気付いた俺は、両親に連れられ王都にある高名な医者を尋ねた。
深夜だったがそこは魔術師家系の名門。
権力とコネを駆使して、誰にも見られないように診断を依頼。
特別な水晶を使った目に見えない異常を確かめてもらった。
「う~ん……」
「どうなんですか? リンテンスの身体に何が!」
「……大変申し上げにくいのですが……」
医者は言葉を詰まらせる。
余程のことなのだろうと、俺を含む全員がごくりと息をのんだ。
それを見た医者は、大きく息を吐いてから言う。
「ふぅ……結論だけ先に申し上げますと、リンテンス君の起源が変化してしまっています」
「なっ、起源が?」
起源とは、魔術師にとっての心臓に近い。
場所は明確にされておらず、形あるものでないが、もっとも重要な器官とされる。
なぜなら起源には、その人が使用できる術式の属性が刻まれているからだ。
魔術師が多彩な属性を使用できるのは、多くの属性が起源に刻まれているから。
一つしか刻まれていない者は、どうあがいても一種しか使えない。
そもそも術式を構築することすら出来ない。
唖然とする両親二人。
医者は眉をひそめて俺に尋ねてくる。
「雷に打たれたと聞きましたが?」
「はい」
「おそらくそれによって、起源が雷属性一種に変質してしまったようですね」
「そ、そんなことがあるんですか?」
信じられないという表情の父上が尋ねた。
医者は悩みながら答える。
「正直私も初めて見ます。ですが、お話を伺う限りそれしか考えられません。現に彼の起源は変わってしまっています」
「じゃ、じゃあ……息子は、雷属性しか使えないということですか?」
「……はい」
十一属性から一属性。
その大きな変化が、俺にとってだけでなく、エメロード家にとってどういう意味を持つのか。
考える必要もないくらい重大な問題だとわかる。
「治す方法はないのですか!」
「……申し訳ありませんが、現在の技術では人の起源に干渉できません。そもそも原理もわからない変化ですので……」
「そ、そんな……」
絶望の音が聞こえた。
音……そう、音だ。
あの時も音が聞こえた。
何かにひびが入ったような音。
あれはたぶん、起源に傷がついたからだ。
いいや、それだけじゃないのだろう。
砕けかけている。
これまで培ってきた自信や自負、両親から向けられる期待。
ガラス細工のように脆くて、ギリギリのバランスで立っていた透明な塔が、バラバラに崩壊していく。
右胸に手を当てて感じられる違和感を、俺は生涯忘れられないだろう。
絶望の味を知っている。
それは苦くて、痛くて、泥水を啜っているような嫌気が残る。
今まで積み上げてきたものが一瞬で崩れ去ったとき、俺の心は絶望で支配された。
その後に医者を何件か回り、高名な魔術師にも協力してもらった。
しかし、はじき出される結論は全て同じ。
「こんな状態は見たことがない。残念ですが手の施しようがありません」
「命があったことを喜ぶべきではありませんか?」
「まずは落ち着いてください。一時的なものかもしれませんよ」
違う、そうじゃない。
俺がほしい言葉は、そんなペラペラな慰めやはぐらかしじゃないんだ。
未来は明るいのだと言ってほしい。
これはただの夢で、明日になれば覚めると何度妄想したことか。
一日、二日、一週間と過ぎていく。
必死になって解決法を探してくれていた両親も、次第に表情が険しくなっていった。
俺に対する態度も、徐々に冷たくなっている。
「父上、明日は師団に行く日ですが……」
「そんなものはなしだ。今の状態で行って何が出来る? これ以上私たちに恥をかかせないでくれ」
「す、すみません」
ついこの間までは褒められるばかりだった。
冷たい言葉と視線は、俺の心にぐさりと突き刺さる。
でも、辛いのは俺だけじゃない。
どこかで情報が漏れてしまったのだろう。
俺の起源が変質したという噂が広がり、各方面から説明を求める声が挙がっていた。
それらに対応する父上の心労は、俺が考えられる範疇を超えている。
母上もあの一件以降、急激に体調を崩されている。
元々体力的に弱い人だったが、精神を強く揺さぶられ、今は一日の大半をベッドで過ごしていた。
お前の所為だ。
言葉にはされなくても、言われている気がしてならない。
俺は不安と後悔を拭い去りたくて、寝る間も惜しんで修行に明け暮れた。
それでも……
「くそっ……くそ! 何で出来ないんだよ!」
今まで当たり前にやれていたことが出来ない。
簡単だった魔術すら、うんともすんとも言ってくれない。
動作、感覚に狂いはなくとも、元の起源がおかしくなってしまっている。
唯一扱えるのは、雷属性の魔術のみ。
たった一属性しか使えないなんて、名門とは名ばかりの落ちこぼれだ。
それも五大属性は、一つくらい使えて当たり前の領域。
「まだ……まだだ!」
俺は諦めずに修行を続けた。
誰に言われたか忘れたけど、一時的なものかもしれない。
ただの運任せに、天へ縋るなんて恥ずかしいことだけど、今はそれしかないと思った。
来る日も来る日も修行して、ボロボロになるまで頑張った。
努力すれば必ず結果が出ていたこれまでとは違う。
どんなに自分を追い込んでも、身体に残るのは疲労と痛みだけだった。
そして……
「やはりもう限界だ。こうなればアクトを連れ戻したほうがマシだろう」
「ええ」
「まったく一からやり直しではないか!」
夜な夜な聞こえてくる会話にも、耳を傾けないようにする。
聞いてしまえば、確定してしまうから。
いいや、すでに決まっていたことなのだろう。
俺の起源が変質し、力を失ってしまった時点で、運命は反転したんだ。
「リンテンス、お前は明日から別宅で移り生活しなさい」
「そ、それは……どうしてですか?」
「わからないのか!」
父上は声を荒げて怒鳴った。
わかっているさ。
それでも、信じたくないと思ってしまう。
「お前に一体どれだけの時間と金をかけたと思っている? 我が一族の悲願……あと少しだったというのに、お前のミスで全て台無しだ!」
「……」
本当なら家を追放したいと思っているのだろう。
俺がまだ十歳と幼くなければ、この時点で追い出されていたはずだ。
父上の目は、今までにないほど怒りに満ちていた。
同時にゴミを見るような冷たい目で、俺のことを見つめている。
怖い。
俺はもう逆らえない。
「わかりました」
翌日には屋敷を出て、王都の外れにある小さめの別荘へ居を移した。
普段は使われない別荘で、手入れこそされているが完全じゃない。
本宅のように使用人もいないから、全て自分でこなさなくてはならないという点も違う。
十歳で一人暮らしなんて、捨てられるのと大差ないだろう。
「ぅ……」
俺は毎晩のようにベッドを濡らした。
自分以外誰もいない家。
やさしい言葉なんて、ここ数週間は聞いていない。
最後に見た人の顔は、俺を人だと思っていない冷たいものだったし。
何よりそれが、実の父親だったから余計につらい。
孤独だ。
一人ぼっちで泣いている。
虹みたいに輝いていた世界が、白黒になってしまったような感覚。
上下も、左右も逆さまで、何もかもが違う世界。
俺はこれからも、この孤独と仲良く暮らしていかなくてはならないのだろうか。
そう思うとやるせなくて、今すぐ消えてしまいたいとさえ思ったんだ。
「ふっふふっふ~ん」
陽気なステップで街を歩く魔術師の男性。
白いローブと薄紫色の髪は、見かける人すべての目をひく。
いや、容姿だけが理由ではない。
彼が持つ称号と名誉、その伝説を知っているからこそ、皆が足を止めて魅入る。
そうして向かったのは、エメロード家本宅。
彼は躊躇なく敷地内に足を踏み入れ、無造作に扉を叩く。
「こんにちはー」
「どちら様で――あ、あなたは!」
「どうもどうも。突然の訪問をお許しください。この屋敷の主はお見えになられますか?」
「は、はい!」
対応した使用人は慌てふためいている。
ニコニコと冷静に待つ魔術師。
「お待たせいたしました」
その後、急ぎ足で姿を現したのは、エメロード家の現当主ガーベルト・エメロード。
由緒正しき魔術師の名門、エメロード家の当主である彼ですら、その魔術師の来訪には驚き慌てていた。
「なぜ貴方様がここへ? 何か重要な要件が?」
「いえいえ、単なる興味の範疇ですよ。神童がいるという噂を耳にしまして」
ガーベルトがピクリと反応する。
表情に出ないギリギリの躊躇を、眉を引くつかせることで見せる。
「一目見ておきたいと思ったのですが、その子はどちらに?」
「いえ……その……リンテンスは……」
「おや? 何やら事情がありそうですね」
ガーベルトは魔術師に事情を話した。
すでに知れ渡っている情報であり、隠すだけ無駄である。
羞恥に耐えながら、偉大なる者に伝え聞かせる。
「なるほど、そういう事情があったのですか」
「……申し訳ありません」
「何を謝る必要があるのです。それで、当の本人はここにはいないのですか?」
「はい。今は別宅に」
「ほうほう。差し支えなければ、別宅の場所を教えて頂けませんか?」
「え、はい。構いませんが……まさかお会いになられるつもりで?」
「ええ、俄然興味が湧いたので」
魔術師は面白がって笑う。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
魔術師なら誰もが目指す頂き――聖域者。
父上はそこに手をかけ、あと一歩のところで届かなかった。
その無念は後悔となって、今でも残っている。
一人になってようやくわかった。
父上は俺を愛していたわけじゃない。
あの人が愛していたのは、俺が持っていた才能だ。
自分では成しえなかった場所に手が届くかもしれない才能。
それをもって生まれ、あの人は期待して、かつての自分を重ねたんだ。
今度こそ、頂きに届かせるために。
金を使った。
時間をさいた。
あらゆる手段を尽くして、俺を成長させようとした。
そうして俺は、全てを失った。
今の俺は、中身のなくなった器に過ぎない。
空っぽの人形なんて、父上にとっては人ですらない。
ぞんざいに扱われ、別荘へ追いやられるのも、今の俺には何の価値もないからだ。
俺はベッドで横になりながら、無気力に呟く。
「このまま……消えちゃいたいなぁ」
「それは残念だな~ 消えた所で何も起こらないよ?」
「へ……なっ!」
ベッドの横に見知らぬ男性が立っている。
ニコッと微笑み俺を見つめている。
突然のことで驚き、飛び上がった俺は距離を取る。
「おぉ~ 速いね」
「あ、あんたは誰だ? どうやって入って来た?」
「おっと失敬、何度も呼んだのだが返答がなくてね? 扉が開いていたし、もう入っちゃえと……不法侵入と言わないでくれよ? 鍵をかけていない君も悪いんだから」
男はニコニコと笑いながら語る。
軽薄で、フラフラとしていて、つかみどころのない話し方。
今まで会ったことのないタイプの人だ。
「結局あんたは誰なんだよ!」
「そうだね、自己紹介がまだだった」
男性はどこからともなく杖を生み出し、トンと床をたたく。
真っ暗だった部屋に明かりがともり、彼の薄紫色の髪と瞳がキラッと輝く。
「初めまして、僕はアルフォース・ギフトレン。見ての通り魔術師のお兄さんだよ」
「アルフォースって……聖域者の!?」
「そうだとも! さすがに知れ渡っているね」
アルフォース・ギフトレン。
現時点で存在する五人の聖域者の内の一人にして、世界最高の魔術師と評される人。
歴代聖域者で唯一、神の試練を経て、その権能の一端を授かった魔術師。
数々の伝説を残す英雄的存在が、どうして俺の前にいる?
「さぁ、僕の自己紹介は終わったよ。次は君の番だ」
「……リンテンス・エメロードです」
「うん、リンテンス君だね。よろしく!」
「よ、よろしくお願いします」
何なのだろう。
偉大な人だとわかっても、なぜだか気が抜ける。
この話し方と飄々とした態度……苦手だ。
アルフォースはじーっと俺を見つめる。
「うんうん、なるほど~ 聞いていた通りだね」
「はい?」
「起源が雷を帯びているよ。こんなのは初めて見るな」
「えっ、見えるんですか?」
「ああ、見えるとも。僕の眼は特別製でね? 本来は見えない起源とかいろんなものがハッキリと見える」
そう言いながら、彼は俺の右胸を指さし触れる。
「な、治す方法はないのですか!」
「うん、ないよ」
キッパリと彼は言った。
縋るような俺の気持ちを、ずばっと斬り裂くように。
「起源は見えても触れられない。それは形あるものではなく、心に近いものだからね。過去未来含めて、人の技術ではたどり着けない」
「そ、そんな……じゃあ俺はこのまま……」
「おや、何だいその顔は? まるで全てを諦めてしまっているような絶望っぷりじゃないか」
「だ、だって……一種類しか使えない魔術師なんて」
「未来がないと? 馬鹿だねぇ君は。そうやって自分の可能性まで殺してしまうのかい?」
「えっ?」
可能性と言ったのか?
この人は一体、何が見えているんだ。
聖域者とは、神へ挑戦しその恩恵を授かった魔術師のこと。
神への挑戦権を得られるのは、一年でたった一人。
試練を受けられたとしても、乗り越えなければ聖域者にはなれない。
過去数百年の間に、聖域者となれた魔術師は、いまだ二桁に留まっている。
その中でも、神の権能を授かった魔術師はアルフォースだけだ。
「リンテンス君、魔術師とは何かな?」
「えっ……それは――」
「魔術を行使する者、と考えるなら間違いだよ」
先に間違いだと否定され、途端に言葉を詰まらせる。
だったら何なのだと、俺は視線で訴えた。
「何だい? もう降参かな? 仕方がない、君はまだ子供だからね。特別に答えを教えてあげようじゃないか」
「……何なんですか? 魔術師って」
「開拓者だよ」
「開拓……者?」
「そう。未知を暴き、文明を発展させ、未来を切り開く者のことだ」
難しい言葉が並んで、俺は半分も理解できない。
ただ伝わるのは、俺が思っている魔術師と言う概念が、大きくずれているということ。
アルフォースは続けて言う。
「歴史を振り返ってごらん? 文明の発展には、必ず魔術師がついているだろう? 今の生活の大半だって、魔術師が造り上げた物の一端。その恩恵にあずかっているだけだ」
「それは……そうですね」
「うん。まぁもっと簡単に言うとね? 魔術師って新しいものをずっと生み出してきたんだ」
新しいもの……
魔術の発展に伴って進化した文明。
俺たちが生活している基盤を作ったのも、昔の偉大な魔術師たちだと、彼は言っている。
「そこに常識はない。囚われていては何も生み出せない。今の君はまさしくそれだ」
「えっ?」
「囚われているじゃないか。才能を失って、何もできなくなってしまったのだと」
「っ……」
現実に引き戻される一言だ。
俺の心に刺さったナイフが、ぐりっと抉られた気がする。
「そうやって限界だと決めつけるから、少し先の未来を掴めなくなるんだよ」
「でも……」
「確かに君は十種の属性を失った。それはハンデだけど、君がこれまでしてきた努力まで消えたわけじゃないだろ?」
彼はそう言いながら、ニコリと微笑んで指をさす。
起源があるとされる右胸から、心臓が鼓動をうつ左胸へ。
「魔力量、コントロールと術式を構築するセンス。それから知識とか、そういうものは消えていない。君はこれまで自分がしてきた努力まで否定するのかい?」
その言葉に、心が動く。
心臓じゃない。
止まっていたのは俺の心で、消えてしまいたいという弱さだ。
そうだ……思い出した。
俺は別に、父上や母上のためだけに魔術を習っていたわけじゃないんだ。
ただ、楽しかったんだ。
新しいことが出来て、いろんな体験に繋がることが、何にも代えがたい幸福だったんだ。
「俺は……まだ、魔術師になれますか?」
「すでになっているよ。君がそうだと心に強く思っているなら、誰が何と言おうと魔術師だ。そして、面白い才能を持っているね」
「えっ……才能?」
「うん。どうかな? 僕の弟子になる気はないかい?」
「で、弟子に!?」
思わず驚いて、流れそうになっていた涙が吹き飛んだ。
目を擦り、耳を叩いて聞きなおす。
「どうして?」
「う~ん、何となくかな? 君が気に入った……ていうのでどうだろう?」
そう言った彼の笑顔は、底抜けに明るくて、無色透明だった。
真意はまったく読み取れない。
だけど、俺の答えなら決まっている。
やりたいことは、ずっと前から変わらない。
「俺も……聖域者になれますか?」
「それは君次第だ。少なくとも僕は、その可能性があると踏んでいる」
「だったら、俺を弟子にしてください!」
「いいとも! ただし僕は厳しいよ? 途中で音を上げたって、止めてあげないからね」
「はい!」
大丈夫だ。
俺はもう、絶望の味を知っている。
深くて暗い海底に沈みこんでしまうような冷たさ。
孤独がどれだけ寂しいのかを、身をもって体験した。
「よーし! じゃあさっそく修行を始めよう」
「今からですか?」
「もちろんさ。善は急げって、どこかの偉い人が残した言葉に従おう」
師匠は俺を屋敷の外へと連れ出した。
敷地内には小さい庭があって、簡単な訓練なら出来る。
向かい合った師匠は、杖をトンと地面に当てた。
次の瞬間――
世界が真っ白な壁に包まれて、一瞬だけ宙に浮く。
浮遊感が終わると、視界一面を覆うような花畑が映し出される。
他にも島が浮いている。
青い空の真ん中で、俺たちは浮遊する大地の上に立っている。
「な、何ですかこれ!」
「僕の夢を具現化した空間だよ。ここなら邪魔も入らないし、どれだけ派手に動いても迷惑もかからないからね」
夢を具現化?
そんなことが可能なのか。
ありえない光景に理解が追いつかない。
それでも確信をもって言える。
これが……世界最高の魔術師か。