その言葉に頷きかけて、私は止まった。本当にそうなのだろうか、と自分を疑ったからだ。
 小学生のときに、嘘をついて発作を装ったときのことがよみがえる。あれは……あのときの私は、なぜ嘘をついたのだろうかと自問する。
「本気を出すこと……それと、本気を出した上でダメだったときのことを考えると……怖いのかもしれません」
 先生の視線を感じる。自分でも自分を探りながら話す私の横顔を、じっと見られている。
「私……ここぞというときに限って、大事なときに限って、いつもダメなんです」
「さっきから言っている“ダメ”っていうのは、失敗のこと?」
「失敗……」
 失敗だけだろうか? その問いは、私にとって、とても重要な課題のように思えた。けれど、深く考えるよりも前に、藍川先生が口を開く。
「敦也がさ、言ってた。もったいない、って」
「それは……自分が足を故障したから、ってことですよね?」
「ううん、荘原さん自身のこと。後悔を先取りしてるって」
 “後悔を先取り”?
「やってもいないうちからダメだったときのことを考えて、先に落ちこむくせがあるって。だから行動できてないって。ポテンシャルもモチベーションも本当はめちゃくちゃあるのに、本気の出し惜しみをしてるとも言ってた」
「あ……」
 そんな話を、藍川先生にしていたんだ……。
「私もさ、同じようなことをつくづく思うんだよね。“一生懸命”はときとしてかっこ悪いとか言われるし、必ずしも結果につながらないかもしれないけどさ、少なくとも自分がここまで頑張れたんだっていう自信になるって。逃げてたら、一生その類の自信を手に入れられずに、どこか独りよがりで肩身の狭い気持ちのままだと思う」
 たしかに……そうかもしれない。私は発作という保険にかこつけて、最後まで頑張り抜く前に戦線離脱しているきらいがある。そう……後悔を前提としているからだ。
「文字どおり、後悔は後からすべきものなんだよ。だから、自分が動きたい方へ動いたほうがいい。動いた先にあるのはやっぱり後悔かもしれないけど、結構な確率でそうじゃない未来が待ってるはずだから」
 そこまで言った先生は、まるで自分で自分の言葉を咀嚼するように、「……うん」と頷く。
 その話は、どこか聞き覚えがあるような話だった。