翌日は、S高の体育館に現地集合だった。乗り合わせで行く人たちもいれば、それぞれで行く人もいる。いろいろな道具運びは藍川先生がしてくれるということで、私はお母さんに車で送ってもらった。
「マネージャーも大変ね」
「ううん。私はそこまでじゃないよ」
 お母さんには、私が今日選手として出ることは伝えていない。迷うこともなく、最初から伝える気がなかった。
「応援頑張ってね。迎えの時間が早まったら連絡ちょうだい」
「わかった」
 そう言って笑顔で助手席のドアを閉めた私は、S高の門を入り、体育館へと向かう。S高とは半年に一回くらい練習試合をするので、わりと勝手はわかっていた。
「あ! 荘原さん、ちょうどよかった」
 駐車場からの声に振り返ると、車を停めたばかりの藍川先生が、中から手を振っていた。すぐに運転席から降りてきて、そして、助手席からは九条先輩が出てくる。
 晴天をバックに目にするその光景に、妙な眩しさを感じ、私は目を瞬かせた。ちょっとした立ち眩みもする。
「救急箱とか持ってくれる? ごめん、今日はマネージャーじゃないのに」
「いえ、もちろん持ちますよ」
 そう言って走り寄り、道具が入っているバッグを預かる。すると、九条先輩が、私をじっと見下ろしてきた。
「顔色悪い」
「そんなことないです。それより、先輩、足は……」
「全然」
 私の二倍の荷物を持った九条先輩と、並んで歩きだす。藍川先生は、S高の先生に挨拶に行くということで、一旦校舎の方へと向かうようだ。
「ハリネズミ、家にあった?」
「いえ、ないです」
「へぇ」
「すみません、昨日はそんなただのお守りごときで騒いじゃって。もう、大丈夫ですので」
「そう」
 そんな話をしていると、後ろから小走りで近付いてきた足音。藍川先生かと思って見ると、政本君だった。
「おはよ、荘原。おはようございます、先輩」
「おはよう」
「はよう」
 政本君はあいかわらずの爽やかな顔で、腕をこちらへ見せてくる。
「荘原、これ、ちゃんとつけてるから。勝つよ、今日」
 そして、リストバンドのイニシャル部分を、ずいと私の目の前まで寄せた。私はちょっと恥ずかしくなって、
「……うん、頑張って」
 と控えめに頷いて笑う。
「ていうか、聞いたんだけど、荘原も今日ピンチヒッターで試合するって本当?」
「あー……そうなんだ」
「荘原、大丈夫なの?」
「うん……」
「無理は禁物だぞ?」
 昨日から、“無理するな”という言葉ばかりをかけられている。そして、そのたびに、複雑な気持ちになってしまう。自信を持つ方向とはまた逆のベクトルが働いているかのようだ。
「大丈夫だから」
 そんな私に気付いたのか、先輩が私の背中をパンッと勢いよく叩いた。
「いったー……」
「先輩、女の子にそんなことしちゃダメですよ」
「いいの。この人は肩に力入れすぎてるから」
 九条先輩はそう言って、ふん、と鼻を鳴らす。すると、政本君が、
「本当の彼氏ではないんだし、そんな決めつけたような言い方しないほうがいいと思います」
 と反論する。
「べつにそういう問題じゃない」
「いやいや、なんか荘原のことを全部わかってる的な言い方に聞こえますし」
 なんだか不穏な空気になって、その発端が自分であることが申し訳なくなってくる。すると、九条先輩がまた鼻を鳴らした。そして、
「脈ありじゃん」
 と、こっそり耳打ちしてくる。その声が温度を伴って耳に流れこんできたようで、私の耳は途端に熱くなった。
「あー! セクハラですよ、それ」
「ていうか、試合前にごちゃごちゃうるさい、政本。集中欠いてケガするなよ? 今日は」
「しないですよ!」
 なんだかんだで、九条先輩に懐いている政本君は楽しそうだ。ちょっとヒヤヒヤした私は、胸をなでおろす。
けれど、体育館に着くと、やはりまた不安に飲みこまれ、ため息が出てしまう。
「おはようございます。よろしくお願いします」
 中に入り、そう言って下げた頭が、鉛のように重たく感じた。

「すごいじゃん、荘原さん! ちゃんと動けてるし」
 ウォーミングアップや、ドリブル練習シュート練習が終わり、さあ休憩後は試合をしようというとき、根津さんが、ドリンクを飲む私の横にやってきた。
「ていうか、スリーポイントシュートのフォームがすごくきれい。マネージャーとしていろいろ研究してくれてたからかな? お手本になるくらいだよ」
「言い過ぎだよ」
「でもさ、あんまりバテてなさそうだし、試合も大丈夫そうだね」
「そうかな」
「即席女子バスケ部だけど、勝てちゃったりして」
 根津さんはいい子だ。私が緊張しないように、明るく気持ちを持ち上げてくれようとしている。
「あ、そういえばさ、荘原さんはリストバンドしないの?」
「え? あぁ……うん。だってマネージャーだし、頼んでなくて」
「えー、普通頼むでしょ。だって、先生の分もあって、今日見たら、九条先輩もつけてるしさ。マネージャーだけないっておかしいじゃん、立派な一員なのに」
「…………」
 そう言われればそうだけど、全然思い至らなかった。
 “立派な一員”……。嬉しいけど、あまり実感もわかないし。
「注文しないの?」
「ハハ……ただのピンチヒッターだし、私はいいかな」
「はーい! 試合します」
 話をしていると、S校の男の先生が大きな声で呼びかけ、男子たちがわらわらと集まっていく。そして、女子のほうは藍川先生が笛を鳴らして集めた。男子と女子分かれて、それぞれで練習試合を始めるのだ。
 すぐにコートの中に入らせられた。S高の女バスは、私たちの人数の倍だ。だから、ベンチにはあと5人スタンバイしている。そして、さっきよりもけたたましい笛の音で、いよいよゲームが始まった。
 ……あれ? S高の動きがいつもより……ぎこちない?
 始まってすぐに思ったのが、それだった。どちらかというと、私たちのチーム、とくに北見さんと根津さんの動きが明らかに速くて軽やかだ。
 あ……そっか。
 そして、すぐに思い至る。今ゲームに出ているS高の子たちは、1年生の新入部員たちと2年生がひとりかふたりなのだと。経験を積んだ3年生がいない分、うちのチームの方が有利だ。
 けれど、こちらも北見さんと根津さんを除けば、1年生と2年生と私。戦力としては、お互い五分五分というところだ。
「声出していこう!」
 北見さんが私たちを引っ張り、どんどん攻めていく。私にも何回かパスが回ってきて、得点力のある根津さんへとつないだ。思ったより自分が動けていて、これは九条先輩と土曜日に練習したからだと思った。
「いける! いけるよー!」
「荘原さん、今のフェイント、ナイス!」
 北見さんと根津さんが、私の背中を優しく叩き、次いで後輩たちにも発破をかけている。女子バスケは人数こそ少ないけれど、このふたりのおかげでいい雰囲気を保ててきたんだと再確認した。
 点を取っては取られ、後半まで接戦が続く。ずっと走っているから息が切れてきて、みんな汗が滲みだしてきた。
 まだ……できる。
 そんな自信のようなものを感じていた私は、ディフェンスに徹し、パスを受けては仲間につなぐ。
そして、その繰り返しの果てに、残り1分となったときだった。ふたつのチームの点数は僅差で、私たちのチームが1点だけ負けている状態になった。
「あと1点! 集中だよー」
「最後まであきらめないでー」
もちろん北見さんたちが盛り立て、逆転を決めようと最後の力を振り絞る。相手チームに3年の主力選手が出ていないのなんて関係ない。ただの練習試合だとしても、勝つ喜びを共有したい気持ちが、語気を強めていた。
 もう、時間がなかった。あと数秒で試合終了の笛がなるというとき。
「荘原さん! スリー!」
 根津さんから鋭角のパスがきて、私はボールを受け取った。ちょうど、スリーポイントシュートのラインにいた私は、その瞬間ドクンと心臓が跳ねる。そして、一瞬のはずなのに、ほぼ全員の応援の声が耳に入った気がした。
「シュート決めて!」
「お願い! 入れ!」
「逆転!」
 それらの言葉が耳に届くと同時に、記憶の奥からも懐かしい声がよみがえる。6年生まで一緒のバスケクラブチームだった、茉莉(まつり)ちゃんの声だ。
『あーあ、澪佳ちゃんのせいで、また負けた』
「…………」
 その声で、時間と空間が固まる。頭が真っ白になり、体温も奪われたような気がした。まったく……動けない。
「荘原さん!」
「……え?」
 ピーッと、笛の音が響いたことで、私は我に返る。手には、べっとりと糊でくっつけられたかのようにボールがおさまったままだった。
「あ……」
 私の斜め後ろから、そんな声が聞こえた。うちの1年生の声だ。
「はい! 1試合目終了。S高の勝ちです。集まって挨拶!」
 藍川先生が咥えていた笛を取り、試合をした計10人を集める。私は、頭が真っ白になったままだった。指からボールがするりと抜けて、ポンポンと2、3度バウンドして転がっていく。
「あ……」
 その途端、急に胸が苦しくなり、私はその場にうずくまった。息がうまく吐けない。吸うだけを短く繰り返し、息苦しさに涙目になる。
「え? 嘘? 大丈夫? 荘原さん」
「荘原マネ? どうしたの?」
「先輩? 大丈夫ですか?」
 チームの仲間の声が近付いてくる。そして、それが過去の記憶と混濁していく。
『澪佳ちゃん、大丈夫?』
『またー?』
『もしかして、嘘なんじゃない?』
『もう少しで勝てたのに』
 落ち着け。みんなが変に思っちゃう。女バスの仲間が心配してしまう。笑え。笑うんだ。笑って“大丈夫”って言って立ち上がればいい。そして、“私のせいで負けちゃって、ごめんなさい”って言って……。
「だ……大丈……」
「おい、喋るな」
 そのときだった。うずくまってうつむいた顔の前に影ができたかと思うと、腕を取られて引っ張られる。視線を上げると大きな背中が眼前に広がり、その肩にしがみつかせる体勢で、無理やり体を預けさせられた。
「休ませてくるので、この人抜きで続けててください」
 そして、ふわりと浮いた私の体。これが九条先輩の声だとわかったときには、すでに背負われながら移動していた。
「くじょ……」
「更衣室横に小さな畳の部屋があったから、そこに行く」
「……先輩……あ、足……」
「人の心配してる場合か」
 体育館のざわついた声が遠くなっていく。私は先輩の襟足に顔をうずめたままで、下唇を噛んだ。
 ……やっぱり、ダメなんだ、私は。
そう思いながら。

 その部屋は4畳ほどの本当に小さな部屋で、畳が一段上がったところに2畳分くらい、そして折り畳み椅子が1脚だけ置かれていた。私は畳に寝かされ、先輩はその椅子を開いて座る。
「かけるもの、ないから」
 そう言って、自分の羽織っていたジャージを私の上にかけてくれた。それは、私が身動きするたびに、シャカシャカとした音を立てる。
「まだ苦しい?」
 そう聞かれ、私は、
「ちょっと……」
 と返した。さっき『大丈夫』だとみんなに言おうとした口が、先輩の前では正直だ。
「何か温かい飲み物でも買ってこようか?」
「いいです。それより……私のバッグを……」
「なんで?」
「ハリッチ……」
 そう言いかけて、そういえばなくしていたんだったと思い出す。
「……いえ、よかったです」
 そして、私は先輩と反対方向へと寝返りを打った。さっきの試合終了間近の空気がよみがえってきて、私はきつく目をつむる。心拍の乱れがまだ整わず、私は胸の前でぎゅっとこぶしを握った。
「もう……出ません。やっぱり試合とか……無理でした」
「…………」
「みんなに迷惑かけることになるし、私も体がしんどいし、責任取ってもうひとり新入部員かピンチヒッター見つけます」
 ギッと、折り畳み椅子の軋む音が響く。そして、九条先輩が息をついた音が聞こえた。それが呆れのため息みたいで、私はいっそう縮こまる。
「……あのさ」
 先輩の声に、私は返事をしなかった。
「その発作っていうか過呼吸みたいなやつ、本当に体だけが原因?」
「…………」
「ていうか、そうじゃないって、自分でもわかってない?」
 私は、コンクリートの壁を見つめたまま、微動だにしない。ただ、先輩の言うことを聞いていた。
「ハリネズミに助けを求めるのいつまで続けるつもりか知らないけど、人間相手にはソレできないの? 周りの人間はハリネズミ以下? 信頼するに値しない?」
「…………」
「まぁ、言いたくないなら無理には聞かないけど。今後もずっとそれ放置したままでいくなら、それはそれで澪佳の人生だろうし……」
「先輩にはわからないっ!」
 気付けば、半身を起こして先輩の上着をぎゅっと握っていた。唇が震えている。発作のせいじゃない、自分の中の憤りがそうさせているんだ。
「小さいときからやりたいことを我慢させられて、内緒で遊んでは発作を起こして両親を泣かせて」
「うん」
「苦しさと、親の心配した顔……それがフラッシュバックになって消えないんです。そのせいで、手術が成功してからも満足に運動できたためしがなくて」
「本当にそう? ひとりのときとか、俺とだけのときは大丈夫なのに?」
「え……?」
「団体競技に限った話だろ、発作が出るのは」
 狭い部屋から、急に音が失われた。体育館で試合をするボールの音やバッシュの音、そして歓声。それらが、遠く響いてくるだけだ。
「……なにを……」
 何を言っているんだ、先輩は。そんなの、おかしい。
「私はただ……フラッシュバックのせいで……」
「何のフラッシュバックかもう一度よく考えてみろよ。本当に手術前に体が弱くて起こした発作のフラッシュバックなのか。頭に浮かぶのは、親の顔だけなのか」
「…………」
 心臓の鼓動が、また激しくなってきた。どうも落ち着かず、喉が渇いて生唾を大きく飲む。手元が心許なく感じ、私は膝の上の先輩のジャージをまた握った。でも、違う。これじゃない。
「ハリッチ……」
「ないよ」
「あれがないと……私は……」
「おい」
 おもむろに立ち上がった先輩が、私の目の前にしゃがみこんだ。指が白くなるほど握っているジャージを剥がし、代わりに先輩の手が私の手を握る。
 つなぎ慣れた先輩の手に、私の心はゆっくり落ち着きを取り戻していく。いつもは先輩のほうが手の温度が低いのに、その熱さに自分の手があまりにも冷たくなっていたことを知る。
「だから、人間を頼れって」
「…………」
 その瞬間、私の片目からひと筋の涙が伝った。
「……ハ、キレーに流れた」
 すると、まるで他人事のように、九条先輩は微笑んだ。親指でその涙を拭ってくれたときに、目と目がしっかりと合う。そして、顔と顔がこんなにも近かったのだと気付かされる。
「…………」
「…………」
 先輩の目の中に、自分を見つけた。きょとんとした顔の私は、さっきまで苦しくてたまらなかったはずだった。先輩がよくわからないことを言って、頭も心もぐちゃぐちゃになって、余裕をなくしていたはずだった。
 それなのに、今、先輩をまっすぐに見ている自分。先輩の目の中にいる私に目を奪われている自分。いくつかの何かに、気付きかけている自分。
「あ……」
 何秒経っただろうか、それすらわからなくなってきたとき、
「大丈夫?」
 ノック無しで、藍川先生がドアを開いた。
「おわ、こんなとこで、しかも具合悪い人にキスするなよ、敦也」
「してねーよ」
 驚いた先生に、九条先輩はパッと私の手を離して言った。そのまま立ち上がり、先生へと場所を譲る。私も心底驚いたことで顔が真っ赤になり、それを見られないようにうつむいた。
「苦しくない? 落ち着いた? 荘原さん」
「は……はい」
「今日はもういいから、帰っていいよ。親御さんに連絡つく? つかなければ、私が送っていってもいいし」
「いえ、電話したら来てくれるはずです」
 心配そうな顔の先生と会話しながら、私は手櫛で髪を整え、立ち上がろうとする。すると、バランスを崩してしまい、九条先輩が伸ばした腕に支えられた。
「立ち眩み?」
「いえ……」
 なぜか、先輩の顔を見ることができない。そして、もっと顔が熱くなる。
「荘原さん、ごめんね」
 腕組みをしながら壁に寄りかかって私を見ていた藍川先生が、背中を離してそう言った。
「教師として、顧問として、ちょっと無責任だったわ。一度できないって断られたのにもかかわらず……。本当は止めるべきだったのに」
「いえ……あの」
「荘原さんはマネージャーとして精一杯やってくれてるし、大変なことも率先してやってくれてる。だからみんな、荘原さんに甘えてたんだと思う。私自身もそうだった」
 そして、再度「ごめんなさい」と言って頭を下げた先生。
驚いた私は、
「あのっ、承諾したのは私なので、みんなも先生も悪くないです」
 と訴える。
顔を上げた先生は、力なく首を横に振った。こちらが申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「……でも、次の試合は出なくていいからね」
「……あ……」
 私の体を支えていた九条先輩の腕がスッと下げられ、私は無意識で先輩を見上げた。先輩は私と視線を交錯させた後で、ふいっとその目を逸らす。まるで、自分で考えろ、とでも言われているかのような気持ちになった。
「か……」
 私は乾いた喉から、絞り出すように声を出す。
「考えさせて……ください」
 小さな部屋に響いたその弱々しい声は、自分の自信の無さを物語っていて、先生が「わかった」と言った返事も表情も、すでに諦めをまとっているように見えた。



 日曜日、私は、手を洗うついでに洗面台の鏡を見て、そのままたたずんでいた。映っているのは、当たり前だけれど、私の顔。けれど、まるで生気を失ったような、くすんだ顔色の私だった。
「はぁ……」
 昨日のことを思い出すと、消えてしまいたい。そして、その感情は苦い記憶の中にもたしかにある、懐かしいものでもあった。
 それを認めた私は、再度鏡を見る。そこには、幼い私が映っていた。

 ……苦しい。息ができない。みんな普通にしているのに、自分だけ水の中で溺れているみたいだ。
 小学1年生の頃、昼休み時間に思いきり鬼ごっこをしてしまった。体育でも激しい運動は見学し、休み時間にも走るなと言われていたのに、ついつい友達と遊ぶのに夢中になってしまったのだ。グラウンドに膝をついてうずくまった私は、涙目で『助けて』と言うも声が出せなかった。
 慌てて駆け寄ってくる友達と、先生。私はポケットに入れておいたハリッチを懸命に握り、“大丈夫、すぐなおる”と繰り返し呪文のように心の中で唱えた。
 あれは、たしかに発作だった。小さい頃からたびたび繰り返していた、私にとって恐怖でしかない怪物だったんだ。
 時期を待ち小学4年生で手術をした私は、親やお医者さんに言われて、念のため1年間は控えめに運動をしていた。そして5年生になり、術後も良好で問題なしと言われたため、もともと興味のあったバスケットボールのクラブチームに入る。
 最初はよかった。思いきり走っても大丈夫で、みんなと一緒に精一杯汗をかける喜びに、舞い上がっていた。
 けれど、初めての試合の日。緊張していた私は、ここぞという場面でゴールを何度も外してしまう。それでも仲間たちが点を獲られては奪い返してくれて、最後の最後、これで逆転だというラストチャンスで回ってきたボール。
 私は、それをまた、外してしまったんだ。
『うそー……』
『負けちゃったー』
 試合終了のブザーが鳴り、そんな仲間の声が耳に届いた。私は、その空気に耐えられなくなる。
『……あ……』
 スポーツの汗とは違う、罪悪感の冷や汗がこめかみを伝う。こんなはずじゃなかった。そう思う気持ちが、私の膝をゆっくりと曲げさせる。
『うっ……』
 私は胸を押さえ、顔をしかめて、苦しさを演出した。ゴールを外して試合に負けたショックから、自然と涙が出てくる。それが、周囲に真実として目に映った。
『澪佳ちゃんっ?』
『えっ! 大丈夫? どうしたの?』
『もしかして……ほら、澪佳ちゃんってさ……』
『じゃあ、発作? 大変!』
 私はしゃがみながら、ポケットのハリッチを取り出し、強く握りしめた。それは、発作をおさめるためにじゃない。ボールを外してしまった罪悪感と、この、新たに生まれたもうひとつの罪悪感、それらに押しつぶされそうな自分の弱さに耐えるためだ。
 大丈夫。私は、大丈夫。悪くない。私は、悪くない。
 ……それは、1回きりの嘘だった。自分で自分を守るための、悪者にならないための嘘だった。親や先生や友達から本気で心配されたことで、自分で自分が嫌いになりそうになり、もうこんなことはしないと胸に誓ったからだ。
 でも、次の試合も。
『大丈夫? 澪佳ちゃん!』
 その次の試合も。
『コーチ! 澪佳ちゃんが倒れました!』
 そのまた次の試合も。
『息できる?』
『いったんコート脇で休もう』