「はい、しばらく保健室で休んでいたら息苦しさも落ち着いたんですけど、念のために親に連れられて行きました。そしたら、この前話したとおり、お医者さんも首を捻って……」
「あぁ……」
「術後の原因不明の発作は、小学5、6年のときにバスケの試合で数回、中学に上がったらバスケはやめたけど、その中3のとき含めて、体育とか球技大会、運動会で2、3回ありました」
そのときのお医者さんの顔が脳裏によみがえる。小さいときからずっと担当してくれていて、小学4年生のときに手術をしてくれたお医者さん。完全に成功したし、健康体にしてくれたはずなのにそんなことが続いて、少し不機嫌そうにも見えたことを覚えている。
まるで私が嘘をついているかのような目で見られて嫌だったし、お母さんもバツが悪そうで申し訳なかった。
「じゃあ、とりあえず3年近くは大丈夫だったんだ?」
「大丈夫というか……中3までのことがあって両親とも話し合い、もう無理しなくてもいいんじゃないか、って結論を出したんです。また同じことが起こるといけないから、体育では激しい運動を避けて、部活動ももしやりたければ、文化系とかマネージャーをすればいいね、って。それで、バスケのマネージャーを選びました」
そこまで話すと、バスケットボールが小さな弧を描いてふわりとパスされた。キャッチして先輩を見ると、
「了解。ありがと」
と言われる。
「じゃあ、まずはこの前と同じように1対1でゲームしよう」
「え……」
「苦しくなったら自分で言って。俺は澪佳じゃないし、苦しさを判断できないから」
「あ……はい……」
少し拍子抜けしてしまった。今の話を聞いてなにかしら意見されるかと思っていたからだ。でも、先輩は過去の事実だけを聞いただけで、同情もしなければ、喝を入れることもしなかった。
「昨日は3割の力で点を取られてやったけど、今日は4割の力で完封する」
そんな大人げないことを言って、ディフェンスの体勢を取っている。私はそんな先輩に少し噴きだしてしまい、
「5割は出してくださいよ」
とドリブルをはじめた。
20分ほど続けてプレイした私は、「ちょっと休憩を」と息を切らして座りこむ。結局、1点も取れていなかった。昨日短時間やったときとは比べものにならない疲労感だ。
「出ないじゃん、発作」
九条先輩も、私の隣に座って体育館の壁にもたれる。
「……はい。ていうか先輩も本当に膝を痛めてるんですか?」
「こんなハンデだらけの動きじゃ、平気に決まってる」
「すごい嫌味ですね、それ」
持ってきていた水筒の麦茶を半分ほどがぶ飲みした私は、まだ整わない息を大きく吐く。たしかに先輩は、汗ひとつかいていない。私はしっとりと濡れてしまった額と前髪をタオルで拭きながら、
「はー……でも、楽しい」
と笑った。
そう、めちゃくちゃ楽しかった。発作が出るような予兆なんて感じず、途中はそんな心配が頭をよぎることもなかった。ボールを取りたい、シュートしたい、点を取りたいが心の中を満たしていた。
もちろん体は思うようには動かなかったけれど、床から伝わるドリブルの振動、キュッキュッと響くバッシュのスキール音、先輩との間合いや駆け引き、それら全部がコート外で感じるものとは段違いで、当たり前だけれどリアルだ。ちゃんと、自分が主人公だと感じられた20分だった。
「出る? 試合」
「いえ、それとこれとは別問題で……」
「なんで?」
「こんなんじゃ、ただみんなの足を引っ張るだけだし」
「たぶん、そんなに求めないし期待しないよ」
その言葉に少しムッとしてしまった私は、
「わかってますけど、出るからにはちょっとでも貢献したいというか、役に立ちたいんです」
と言い返す。
「やっぱり、真面目。いや、ちょっと違うか」
「なんですか?」
「うーん、スタートラインで無駄な足踏みしてる感じ?」
「よくわかりません」
少し口を尖らしてそう言うと、先輩は鼻で笑ってペットボトルのスポーツドリンクを飲んだ。ゴクゴクと音が響いて聞こえ、私は先輩の喉元を見る。そこから体全体を見て、急にまた男の人とふたりきりだということを意識してしまった。九条先輩が大きいのは、今始まったことじゃないというのに。
「えっと……それに長時間試合しても大丈夫かどうか、まだ判断できないし」
目を前に戻した私は、話を続ける。
「まぁ、それはそうだな」
「そうです」
ペットボトルを置いた先輩の手が、偶然ちょんと私の小指をかすめた。私は、それに気付かなかったふりをして、体育座りをしている膝の上に手を置く。ようやく落ち着いてきた心拍が、また跳ね上がった気がしたからだ。
バス停では当たり前のように手をつないでいるというのに、土曜日の昼下がりという時間帯のせいだろうか。
「先輩は……なんでうちの部のコーチを引き受けたんですか?」
間が持たなくて、新たな話題を振ってみる。すると、先輩は「あぁ」と体を後ろに倒して手で支えながら天井を見た。
「あれだね、やっぱり膝の故障」
「……ごめんなさい、また迂闊に」
「あのさ、そういうふうにすぐ謝る癖やめたほうがいいよ? 言ったじゃん、気を使うことで気を使わせてるって」
「すみま……はい、わかりました」
また謝りそうになり、唇をキュッと結ぶ。仕方がない、こういうタチなんだから。
「実を言うと、怪我をして医者にバスケは遊び程度までしかできないって言われたんだけど、でもそれでも信じきれなくて、周囲にはそれを内緒にしたまま、ひと月後に無理して試合に出たんだ」
「……え?」
向こうのコートではおばちゃんたちが盛り上がっているけれど、ここだけ音が消えたようになった。先輩は、天井を見上げたままだ。
「それで、全力出したら結局ダメで、痛すぎて途中退場してまた病院行って、案の定医者に怒られた。親も来て、無茶なことをするなって泣かれた。そこから、あぁ本当に無理なんだなってわかって、自暴自棄期間突入」
「…………」
それはどんな期間だったのか、なんて聞けなかった。私は小さく相槌を打つと同時に、生唾を飲む。
「でも、それを聞きつけた千早が、俺のひとり暮らしのマンションを親に聞いて、訪ねてきたんだ」
先輩は、そのときのことを思い出したのか、ふっと笑った。
「そんで、喝を入れられた。腐るな、って。バスケ以外にもいろんな選択肢があるし、バスケから離れたくなければ、それに関われる仕事でもボランティアでも、探せば何だってあるって」
「…………」
「で、ちょっと考えて、できればバスケとはこれからも関わっていきたいって話をしたら、とりあえずうちの高校のバスケ部のコーチしろ、って半ば強制的に言われて今に至る」
「そうだったん……ですね」
先輩の顔は、切なげにも優しく見えた。そのときの彼の気持ちが伝わってくるようだ。
「高校卒業して以来全然会ってなかったのに、千早のやつあいかわらずだった。強引だわ、大口開けて笑うわ、中身は男で熱血だわで」
「ハハ、たしかにそうですね」
そういうところが好きなんだ、と聞こえてきそうだった。九条先輩は、藍川先生の明るさと前向きさに励まされ、引っ張り上げられたのだろう。
先輩は顔を戻し、まっすぐに前を向いていた。正面の一番奥の壁には、バスケットボールのリングゴールが見える。
「今は……先生とかコーチとか指導する立場の仕事や、スポーツ医学関係の仕事に就きたい、ともちょっと思ってる。千早に少しそんな話をしたら、いろんな関連本を貸してくれて、なんか俺より張り切ってる」
「そうなんだ……」
本の貸し借りをしていたのは、それだったのか。
「体のメンテナンスとか、そのスポーツに対する効率的な体の鍛え方とか、あと、本番で十分力を出せるような脳科学的なものとか栄養学、精神面のバックアップなんかも学んでいきたいし、資格も取れるものは取りたいと思ってる」
すごい……具体的にしっかり将来設計を考えてて、しかも人の役に立とうとしてて……なんか、かっこいい。
「お……応援します!」
思わず拳に力が入り、私は翻った声でそう言ってしまった。すると、先輩が目を丸くして、「ハハッ」と笑った。その爽やかな声と顔が、私の脳にしっかりと刻まれる。
「ていうか、なんか熱く語りすぎた。澪佳にだけしか言ってないから、これ、内緒で」
“内緒”という響きも、昨日から呼ばれている私の下の名前も、なんだか特別な響きを持って聞こえた。いつの間にか乾いていた汗。風がサアッと体育館内を駆け抜け、私と先輩の前髪が揺れる。
「母校のバスケ部も澪佳も、俺の職場体験ということで」
立ち上がって伸びをした先輩。ただでさえ高身長なのに、伸びをして大きくなった影にすっぽりはまってしまう。
先輩は、そんな私に手を伸ばし、
「よろしく」
と上から言った。
「よ、よろしくお願いします……わっ!」
おずおずと手を伸ばした私は、ぎゅっと掴まれたかと思うと、引っ張り上げられて立ち上がる。ふわっと浮いたような感覚に瞬きをしていると、
「てことで、練習再開」
と先輩が笑った。
土曜日の先輩は、よく笑う気がする。そんなことを思いながら、私は、
「はいっ」
と返事をしたのだった。
「ねぇねぇ、荘原さんて、九条先輩とどんな感じなの?」
月曜日の部活中、体育館の外の水道で洗い物をしていると、珍しく根津さんが話しかけてきた。今、女バスは休憩中らしい。
「どんな感じって……」
「ほら、火曜日と金曜日に先輩来てくれてるけど、やっぱり部活中だしみんなの目があるから、ふたりでそんなに喋ってないでしょ? それに、九条先輩の指導は的確だけど厳しいし、あんまり笑ったところ見たことないから、ふたりのときはどんな感じなのかなーって思って」
たしかにそうだ。もともとクールなイメージだし、少し物腰が柔らかくなったものの、みんなの前であまり多くを語ったり笑顔を見せたりする感じでもない。この前の土曜日は、ちょっと違ったけれど……。
「けっこう話もするし、笑ったり……してくれる、よ?」
なぜか大いに照れてしまい、しどろもどろになってしまう。けれど、根津さんは顔をほころばせて、
「わー! そうなんだ、やっぱり彼女には優しいんだね。なんか、噂だけ大きくなって、本当のところどうなんだろうって思ってたけど、ちゃんと付き合ってる感じで素敵」
と、褒められてるのか失礼なのか、よくわからないことを言った。
「ハ……ハハ」
北見さんとはまた違う性格の根津さんは、ちょっと恋愛脳というか、ロマンチストっぽいところがある。顔も中身も“女の子”という感じで、こういう子がモテるんだろうな、と思ってしまう。
「デートとかもしてるの?」
「あぁ、うん。この前は総合体育館に行って……」
そこまで言って、ハッとして手を止める。案の定、根津さんは、
「体育館? ……で、なにしたの?」
と尋ねてきた。まだ、後藤さんの転校のことも、私が代打をして大丈夫か先輩とバスケをして確認していることも、誰にも言っていない。だから、慌てて誤魔化す。
「先輩のバスケを見てただけ」
「そうなんだー、すごいね! 休みの日までバスケなんて。そりゃ、あんなに上手なわけだよね」
根津さんは感心したように深く頷く。九条先輩は、膝を故障したことを公には言っていない。男バスの何人かにはもしかしたら気付かれているのかもしれないけれど、根津さんたちは知らないようだ。
土曜日に先輩に聞いた話がよみがえってきて、少しだけ胸が痛んだ気がした。
「ボトル、半分持つよ」
洗い物が終わると、根津さんが、いくつものボトルが入ったカゴのひとつを持ってくれる。私はハンドタオルで手を拭き、
「ありがとう」
と微笑んだ。
「あれ? なにか落ちたよ? キーホルダーかな?」
すると、ポケットから一緒にハリネズミのストラップが落ちたことに気付き、私は慌ててそれを拾った。
「かわいいね」
「あ……ありがと」
「1年のときから思ってたけど、荘原さん、いつもそれポケットに入れてるよね? かなり気に入ってるか、お守り的な何かかなーって思ってたんだけど」
気付かれていたんだ、と内心焦りながらも、
「あぁ、うん、そう。小さい頃から持ってる、お守りなんだよね」
と答える。
「へー、何のご利益があるの?」
「えーと……心を落ち着かせてくれる、的な?」
「そうなんだー。もしかして名前とかあるの?」
「ハリネズミだから、ハリッチ。なんか幼稚でしょ?」
「ううん、名前もかわいいね」
たいして盛り上がりもしない話題は、その後一緒にカゴを運びながら、すぐにバスケ話へと移った。けれど、私はまだソワソワした気持ちが抜けなかった。
心を落ち着かせてくれるお守り、そのことに嘘はない。けれど、私にとっては、逆にそれがないと落ち着かないものになっていた。緊張したときや恥ずかしいときや怖いとき、そういう動揺して心が乱れてしまっているときに、このハリッチが手元にないと、子どもみたいに泣きだしてしまいそうになる。
そもそもは、手術前によく発作が出ていたときに、落ち着くおまじないとして、お母さんが買ってきてくれたものだ。
『このハリッチが、澪佳の苦しいのを全部取っ払ってくれるからね』
幼稚園の年長さんのときにそう言われて以降、お守りとして、心の拠り所として、肌身離さず持っていた。フェルトの柔らかいトゲが手に気持ちよく、ニギニギするのが癖になり、汚しては洗濯し、ほつれては縫ってもらっていた。
手術が終わってからも、手放せなかった。なぜなら、その後も原因不明の発作が起こるたび、それを握って心を落ち着かせていたからだ。中学校に上がってからは、お母さんにほつれを直してもらうのがはばかられて自分で縫うようになり、裁縫もそれで興味を持つようになった。
この歳になったまで、こんな子供じみたものに依存しているなんて、自分でもどうかしているとわかっている。しかも、発作だけじゃなく、あらゆる場面でそれに頼っていることが、なんとも情けなく思ってしまう。根津さんに聞かれてうろたえてしまったのも、そのためだ。
……でも、やっぱり、ないと心許なくなるのだ。
「おつかれ、荘原!」
翌日火曜日の放課後、体育館へ続く廊下で、また背後から声をかけられた。振り返らなくてもわかっている。政本君だ。
「おつかれ。今日も早いね」
「九条先輩からの個別レッスン、10分でもとても貴重だからな」
政本君は本当にバスケが好きみたいだ。ちょっと前まで中弛みしていた部員たちにも明るく発破をかけ、頑張って盛り上げようとしていたし。
「なぁ、荘原。彼女だから、たぶん知ってるとは思うけどさ」
隣を歩きながら、政本君が急に小声になった。そして、手でメガホンを作り、
「九条先輩、足怪我して、大学ではもうバスケやってないって聞いた?」
と、私の耳に近付けて尋ねてきた。周りには誰もいないというのに。
「あー……」
なんて答えようか間延びした声を出していると、
「こんちは」
と、体育館の入口から声がした。見ると、九条先輩が裏門ルートから体育館に着いたところだった。
「わ! こんにちは、九条先輩!」
そして、気を使ったのか、跳ねたように私から離れた政本君。先輩に駆け寄り、
「今日も、ちょっと個人的に指導してほしいところがあるんですけど」
と拝んでいる。
「また?」
「そう言わずに、お願いします」
「ウソ、いいよ」
先輩がそう言うと、政本君は「すぐ準備します!」と言って私から鍵を受け取り、部室へ走っていく。
「仲いいね」
政本君がいなくなると、体育館の入口前で、先輩がわずかに微笑む。
「そんなことないです。たまたまです」
「やっぱり、アイツにだけ本当のこと話せば?」
「……いいんです」
中へ入ってすぐのところでシューズを履くためにしゃがみこむと、先輩もすぐ横で履きはじめ、互いの目線の高さが一緒になる。距離の近さに一瞬ひるんでしまい、続けて、
「成就させなくてもいい恋っていうのもあるんです。先輩と同じで」
と靴紐へ目を落としながら言った。
「俺はともかく、そっちは同い年なのにもったいない」
「歳は関係なくないですか?」
「あるよ」
顔を上げると、先輩と目が合った。アップの顔と、その目に滲んだ憂いにドキリとした私は、すくっと立ち上がる。なんだろう、胸がざわざわする。
「先輩、よろしくお願いします!」
着替えを終えて体育館に入ってきた政本君の声に、空気の色が一瞬で変わった。すぐに倉庫へ向かいボールを手に取った彼は、コート下からこちらへぶんぶんと手を振る。
「早……」
そう言って歩いていった先輩の後ろ姿、そしてその奥の政本君を見て、私は思い出していた。そういえばさっき政本君に耳打ちされたときに、そこまでドキドキしなかったな、ということを。
バス停に着くと、九条先輩が定位置に座っていた。金曜日は先生に送ってもらったからだろうか、ここで会うのが久しぶりに感じる。そして、土曜日もふたりきりだったというのに、隣に座るこの空気に戸惑ってしまう。
「おつかれ」
「おつかれさまです」
「はい、手」
腰を下ろすと同時に、先輩が手を差し出してきた。いつもと変わらない流れだ。
「……はい」
けれど、これもやはり1週間ぶりだからか、緊張している気がする。きゅっと緩く握られ、あれ?いつも握り返していたっけ?そのままだったっけ?と、よくわからなくなった。それに、手汗が気になる。
「土曜日、合計1時間しかしなかったけど、日曜に筋肉痛なかった?」
「ちょっと太ももが痛くなったけど、ほぼ大丈夫です」
「あそ。よかった」
行き交う人や車をぼんやり見て、そして空へと目を向ける。梅雨に入ったからだろう、朝からずっと低い雲が空を覆っていて、19時の暗さもいつもより深い気がする。
「結局土曜日大丈夫だったけど、まだ千早には何も言わないの?」
「……はい。月末に後藤さんが転校するまでに代わりが見つからなくて、それで、私が引き続き大丈夫そうだったら、判断しようかと。先生に言うのは、それからでいいかなって」
引き続き、というのは、先輩に『土曜日の総合体育館での練習、続けるから』と言われているからだ。試合云々のことを考えると複雑だけれど、正直言って、九条先輩にバスケを教わるのは楽しい。だから、『わかりました』と素直に答えてしまっていた。
「あ! そうだ」
私は、つないでいた手を離し、バッグを開けてゴソゴソと準備していたものを探す。そして、中から小さな袋を出し、先輩へ差し出した。
「なに? これ」
「リストバンドです。みんなと同じ赤で、藍川先生ともおそろいです」
「あぁ」
先輩はクスリと笑った。冗談で言ったのに、という顔だ。
「いくらだったっけ? 500円?」
「あれは冗談です。お金はいらないです」
「じゃあ部費で出したの?」
「いえ、個人的な財布から」
そう言うと、先輩がぎょっとする。
「それじゃ俺、めちゃくちゃ図々しいだろ。払うよ」
「気持ちです! 受け取ってください」
「なに、そのバレンタインみたいな言い方。何の気持ち?」
先輩が吹きだし、私は確かにそうだと恥ずかしくなる。
「や、あの……部でお世話になってるので……」
「逆じゃない? 澪佳はマネージャーで部全体の世話をしてるわけだし、あと俺の疑似交際にも付き合わせてるわけだし」
そう言われれば、そうとも言える。でも、そういうのじゃなくて、私は……。
「というか……バスケ、久しぶりにできて楽しかったっていうのもあるし、あと……先輩の夢を応援したいなとも思っていて、そういう諸々の気持ちで……」
「夢って、この前話したやつ?」
「……はい」
先輩は包みからリストバンドを取り出し、片手でクルリと回して見ている。そして、刺繍に気付いて口を開いた。
「あ、イニシャル」
「はい、入れました」
「プロってるね、あんた」
先輩は感心した声でそう言って、そのリストバンドを手首につけ、ちょうどイニシャルの刺繍を上にした。
ちょうど土曜日に家に帰ると、ネットで頼んでいたものが届いていた。だから、その日の気持ちを込めて、刺繍を施したのだ。まじまじと見られると、少し恥ずかしい。
「俺のもだけど、部員みんなの分って、すごい根性と手間だな」
「いえ、ショップで入れてもらうと割高だったし、ただ私の趣味で勝手にやっただけなので……」
「相当好きじゃなきゃできないだろ、バスケもバスケ部も。顧問にもマネージャーにも愛されて、あいつらはホント感謝しなきゃだな」
「…………」
その言葉で、ちょっと胸が熱くなった私は、ためらいがちに口を開く。
「あの……最初は、バスケが好きだけどできないから、って理由でマネージャー始めたんですけど」
「うん」
「なんていうか、みんなをよく観察したり、みんなを応援したり、みんなをバックアップしたりできるマネージャーの仕事、本当にやりがいがあって。感謝されたらそりゃあ嬉しいですけど、それだけじゃなくて、勝ったときのみんなの笑顔を見たとき、一緒に感動できる喜びがあるんです」
「ハ……本当にマネージャーの鏡だな」
「だから、このマネージャー最後の年に、みんなのためにも自分のためにも、1試合でも多く勝ちたいんです。勝たせたいんです、男子も女子も」