「そうそう。伊藤くんに頼まれたんです。加賀見さんが働いている蔵にある酒。土産に買って来てくれって」

「伊藤くんは知ってるんだな」

「知ってるも何も。すっげーファンだって言ってました。特にアイツの親父が」

「食通の親父さんか。確か料理も得意だって伊藤くんから聞いたことある」

「そうなんですよ。で、親父さんのリクエストがえっと…”神の剣(かみのつるぎ)”の…大吟醸…と、斗瓶囲い?」

折原がメモらしきものを見ながらたどたどしく話す。
”神の剣”とは。中上酒造が誇る銘酒だ。
兵庫県産の山田錦を百パーセント使用し、精米歩合は三十五パーセント。
日本酒度がプラス三という少し辛口の酒。
俺が携わった斗瓶囲いは神の剣シリーズの中で最高峰の酒だ。

一度の搾りで僅かな量しか取れないこともあり、特別数量限定の逸品。

それだけに値段も恐ろしく高価だ。
一升瓶で一万三千円。七百二十ミリリットルで六千五百円する。

「うちの蔵で一番人気の銘酒だ。けど値段もかなりするぞ。それに…この気温だからな。冷蔵ケースを持参していないと売らない」

「えぇ…?」

「わかったよ…。伊藤くん宛に冷蔵便で送ってやる」

「えっ…でも…」

「わざわざこんな遠いとこまで来てくれたからな。送料はサービスしといてやるよ」

「マジですか?じゃあ遠慮なく…。あっ、伊藤くんの住所と…電話番号は…」

「電話番号は登録したままになってるから大丈夫だ。時間帯の希望は…あるか?」

「念のため夜間にしといてください。仕事終わってから何時ごろ帰宅してるのかわかんないんで」

「了解」

「けど加賀見さん。ほんと…変わりましたね…」

「え?」

「会社にいたころは…感情のないロボットみたいな…サイボーグみたいなトコ、ありましたよ。それが今は…。怒鳴ったりする加賀見さんなんて想像できませんでしたし」

「あれは…ほんと悪かった…」

「いえ!謝って欲しいわけじゃないんです!なんていうか…今の加賀見さんのほうが人間臭くて…いいですよ…」

人間臭い、か。会社にいた頃の俺は人とは相容れない雰囲気を敢えて身に纏っていた。でも…雪穂に出会って。蔵で修行を始めて。
自分の想像を遥かに超えた出来事に遭遇する度。
感情が表に出るようになった。
それは俺が…人間らしくなった、ともいえるかもしれない。