「ただ、周尚書が直接的な手を使ってきたことに驚いただけです」
秋華はまたうつむいてしまう。しかし、今までずっと心の中にためてきた思いは、一度その口から出始めるともう止まらなかった。
「初めてその話をされた時は、間違ってもそんなことはできないと断るつもりでした。どんなに脅されても、私の命と引き換えになるとしても、私が璃鈴様を裏切るなどできないと……けれど、私が引き受けなければ、周尚書はきっと他の誰かに同じことをやらせるのだと気づいたのです。少なくとも私が周尚書の言うとおりにしている間は、璃鈴様の身は安全かもしれないと……でも、周尚書と璃鈴様の間を行き来している間も、どうしたらいいのか……誰に相談したらいいのか、わからなくて……私は……」
話ていいる間もかたかたと震え続けていた秋華の手を、そっと飛燕が握る。
「あなたは強い人だ。その判断は、正しかったと思います。よく、お一人でがんばりましたね」
思いがけずねぎらわれたことで、秋華の目から我慢できずにぽたぽたと涙が落ちた。
璃鈴を守るために、周尚書たちの話にのせられたふりをして、必死に彼らをだまし続けてきた。だがそうやって自分を偽り続ける日々は、秋華の神経を常にすり減らしていった。
今、飛燕の優しい声を聞いて、ずっと誰にも言えずに胸の中に籠めておいた黒いものが緩やかに溶けだしたのだ。
しばらくの間声もなく涙を落としていた秋華は、しゃくりあげながら一つの可能性を口にする。
「ですが、私がここにいるということは、もしかしたら皇后様にもなにか……」
その言葉に、飛燕は頷く。
「私も問答無用でここへ入れられました。とにかく一度陛下に……」
その時、飛燕がふと何かに気づいたように顔をあげた。
「そうはいかない」
突然、知らない男の声が割り込み、二人は格子に目をやる。薄暗い通路には、複数の影があった。飛燕は、すばやく視線を走らせてその気配を探る。
(全部で……五人、か)
がちゃりと牢の戸が開いて、そのうちの一人が入ってきた。衛兵の服を着たその男は、にやりと笑う。
「お前たちには、ここで死んでもらう」
とっさに飛燕は秋華を背にかばった。
「お前は?」
飛燕の鋭い眼光にひるむことなく、男は続ける。
「知る必要はない」
「周尚書の命令だな」
それには男は答えずに、すらりと腰の刀を抜いた。飛燕も普段は佩刀しているが、牢に入れられる時に剣は取りあげられてしまっていた。
罪人と謁見するときには、不必要な暴力を防ぐために必ず二人以上でという決まりがある。だが牢の外の男たちは、その決まりを守るためにそこにいるわけではなさそうだ。
(ここでどれほど騒いでも、誰も気づかないな)
飛燕は秋華を背にして、牢に入ってきた男を睨む。
「この方は、神族の巫女であるぞ。その巫女に手をあげるか」
「何が雨の巫女、だ。そんなおとぎ話、今どきは子供だって信じないぞ」
男は、ばかにしたように鼻で笑った。
「皇后にしたって、しょせんただの小娘だろう? そんな女をわざわざ皇后になんか据えているから、この国はだめなんだ。陛下だって、ふさわしい地位の妃を持てば目が覚めるだろうさ」
「お前たちは何も知らない」
飛燕はあくまで冷静だ。その様子に、目の前の男は逆に苛立って剣を構えなおした。
「おとなしく死にな」
ぶん、と振り下ろした剣を、飛燕は秋華を背にかばったままよける。だが、満足に立ち上がることもできないせまい牢の中では、思うように動くことができない。
「おいおい、そんな丸腰相手になに遊んでんだ」
「とっとと片付けろよ」
牢の外にいる男たちが野次を飛ばす。
「うるせえ! こいつ、ちょろちょろと……!」
仲間にからかわれた男の剣が、目標を変えて飛燕の背後にいた秋華を狙った。
「!」
とっさに秋華の前に出した飛燕の腕が剣をとめる。同時に、その腕からばっと鮮血が飛んだ。
「飛燕様!」
秋華はまたうつむいてしまう。しかし、今までずっと心の中にためてきた思いは、一度その口から出始めるともう止まらなかった。
「初めてその話をされた時は、間違ってもそんなことはできないと断るつもりでした。どんなに脅されても、私の命と引き換えになるとしても、私が璃鈴様を裏切るなどできないと……けれど、私が引き受けなければ、周尚書はきっと他の誰かに同じことをやらせるのだと気づいたのです。少なくとも私が周尚書の言うとおりにしている間は、璃鈴様の身は安全かもしれないと……でも、周尚書と璃鈴様の間を行き来している間も、どうしたらいいのか……誰に相談したらいいのか、わからなくて……私は……」
話ていいる間もかたかたと震え続けていた秋華の手を、そっと飛燕が握る。
「あなたは強い人だ。その判断は、正しかったと思います。よく、お一人でがんばりましたね」
思いがけずねぎらわれたことで、秋華の目から我慢できずにぽたぽたと涙が落ちた。
璃鈴を守るために、周尚書たちの話にのせられたふりをして、必死に彼らをだまし続けてきた。だがそうやって自分を偽り続ける日々は、秋華の神経を常にすり減らしていった。
今、飛燕の優しい声を聞いて、ずっと誰にも言えずに胸の中に籠めておいた黒いものが緩やかに溶けだしたのだ。
しばらくの間声もなく涙を落としていた秋華は、しゃくりあげながら一つの可能性を口にする。
「ですが、私がここにいるということは、もしかしたら皇后様にもなにか……」
その言葉に、飛燕は頷く。
「私も問答無用でここへ入れられました。とにかく一度陛下に……」
その時、飛燕がふと何かに気づいたように顔をあげた。
「そうはいかない」
突然、知らない男の声が割り込み、二人は格子に目をやる。薄暗い通路には、複数の影があった。飛燕は、すばやく視線を走らせてその気配を探る。
(全部で……五人、か)
がちゃりと牢の戸が開いて、そのうちの一人が入ってきた。衛兵の服を着たその男は、にやりと笑う。
「お前たちには、ここで死んでもらう」
とっさに飛燕は秋華を背にかばった。
「お前は?」
飛燕の鋭い眼光にひるむことなく、男は続ける。
「知る必要はない」
「周尚書の命令だな」
それには男は答えずに、すらりと腰の刀を抜いた。飛燕も普段は佩刀しているが、牢に入れられる時に剣は取りあげられてしまっていた。
罪人と謁見するときには、不必要な暴力を防ぐために必ず二人以上でという決まりがある。だが牢の外の男たちは、その決まりを守るためにそこにいるわけではなさそうだ。
(ここでどれほど騒いでも、誰も気づかないな)
飛燕は秋華を背にして、牢に入ってきた男を睨む。
「この方は、神族の巫女であるぞ。その巫女に手をあげるか」
「何が雨の巫女、だ。そんなおとぎ話、今どきは子供だって信じないぞ」
男は、ばかにしたように鼻で笑った。
「皇后にしたって、しょせんただの小娘だろう? そんな女をわざわざ皇后になんか据えているから、この国はだめなんだ。陛下だって、ふさわしい地位の妃を持てば目が覚めるだろうさ」
「お前たちは何も知らない」
飛燕はあくまで冷静だ。その様子に、目の前の男は逆に苛立って剣を構えなおした。
「おとなしく死にな」
ぶん、と振り下ろした剣を、飛燕は秋華を背にかばったままよける。だが、満足に立ち上がることもできないせまい牢の中では、思うように動くことができない。
「おいおい、そんな丸腰相手になに遊んでんだ」
「とっとと片付けろよ」
牢の外にいる男たちが野次を飛ばす。
「うるせえ! こいつ、ちょろちょろと……!」
仲間にからかわれた男の剣が、目標を変えて飛燕の背後にいた秋華を狙った。
「!」
とっさに秋華の前に出した飛燕の腕が剣をとめる。同時に、その腕からばっと鮮血が飛んだ。
「飛燕様!」