明治四二年、夏。
 蝉の鳴き声と船の汽笛が混ざり合って聞こえてくるここは、神戸にある一軒の喫茶店。その名を『喫茶 ねこまた』と言う。
 明るい店内は今、窓という窓を大きく開けて、潮風になびいている白い透かし模様の窓掛けが涼しげである。
 現在この『喫茶 ねこまた』の店内には、二人の客と一人の女給(じょきゅう)がおり、店主は現在席を外している様子だ。
「ねぇ、クリスティーンさん。一つ質問よろしいかしら?」
 机の上を台拭きで拭きながら声をかけてきた女給はまだ、十代の少女のようだ。袴姿に真っ赤な大きめの髪飾りを頭に付けたその姿は、いかにも今風の若者と言ったハイカラなものだ。
 そんな彼女からクリスティーンさんと声をかけられたのは、ブロンドの髪を後ろで一つに縛り、つば広の帽子に深緑のドレス姿の、いかにも異国の人然としている人物だった。
 クリスティーンは色素の薄い瞳を少女へと向けると、
「何でしょうか? おユキちゃん」
 流暢な日本語で返してくる。『おユキちゃん』と呼ばれた女給は、動かしていた手を止めるとクリスティーンに質問をした。
「クリスティーンさんは、いつからこの喫茶店にいらっしゃっていますの?」
「ちょうど一年前、日本に来たばかりの頃デスネ」
 どうやらこのクリスティーン、昨年からの常連客のようだ。おユキちゃんはクリスティーンの返答に興味を引かれたのか、いよいよ完全に手を休めるとクリスティーンが座っている席の隣へと腰を下ろした。
 それを見ていたもう一人の客である男性が声を投げてくる。
「おユキちゃん、手ぇ、止まってるで? 大丈夫なん?」
「う、うるさいですわ! ナカさん! この後はナカさんにも質問致しますので、覚悟していてくださいですわ!」
 おユキちゃんは関西訛りの男性客であるナカさんへ、焦った様子で返答する。それを聞いたナカさんは、軽く肩をすくめるのだった。
 おユキちゃんは身体ごとクリスティーンに向き直ると、
「どうやって、このお店をお知りになられたんですの?」
 おユキちゃんは常連客がどのようにしてこの『喫茶 ねこまた』を知り得たのか、興味津々の様子だ。
 このおユキちゃん。
 この三人の中ではいちばんの新顔なのだ。
 おユキちゃんは今年の春、父親にこの『喫茶 ねこまた』へと連れてこられた。その時、この店の店主に一目惚れをしてしまったおユキちゃんは、その日から毎日お店に通ったのだ。
 そうして一ヶ月が過ぎた頃、おユキちゃんの財布の中身を心配した店主がおユキちゃんを女給として雇うことに決めたのだった。