「あ、一心さん」

 まごころ通りの向こうから、紺色の春ニットに黒デニム姿の一心さんが歩いてくるのが見えた。今日は商店街の組合があって、店主である一心さんが出席していたのだ。まごころ通りには飲食店も多いので、今のようなアイドルタイムに集まりが開催されることが多い。今日の組合は緊急ということで、なにを話し合うのか一心さんも私もわかっていなかったのだけど……。

 こころ食堂に向かってくる一心さんの表情は、硬い。私が先ほどから見ていることにも気づかず、なにかを考えている様子だ。

「一心さん!」

 名前を呼びながら手を振ると、やっと私に気づいてくれた。先ほどよりも早足で、こちらに向かってくる。

「お帰りなさい。組合、お疲れさまでした」

 箒を動かす手を止めた私の前に、短髪で背の高い男性が少し距離を空けて立つ。今は私服だが、精悍な雰囲気だから白い板前服と三角巾姿がよく似合う。私の三つ上で、去年二十六歳になったはずだが、実年齢よりもずっと落ち着いている。

「ああ。開店準備を任せてすまなかったな」

 朴訥とした口調で、口の端を少しだけ持ち上げてねぎらってくれるのはいつも通りの一心さんだ。先ほどの表情が深刻そうに見えたのは、思い違いだったのだろうか。

「いえ。思ったよりも早いお帰りでよかったです。緊急の話し合いだから、十八時からの夜営業に間に合わないんじゃないかと心配していたのですが」

 そう答えると、一心さんの眉毛がぎゅっと中心に寄り、苦虫を噛みつぶしたような顔になった。