一心さんにお返しをもらったホワイトデーから、一週間。私――持田結がこころ食堂で働き始めてから、一年が経った。
 夜営業前の準備時間。パーカーとパンツの上に紺色のエプロンをつけて、玄関の掃き掃除のために外に出る。

 すりガラスの引き戸、入り口にかかった紺色の暖簾。少し後ずさって胸を反らすと、田舎のおばあちゃんちを思わせる木造建築のお店が目に入る。

 この、まごころ通りの突き当たりにある食堂が私の職場だ。店主であるもと寿司職人の味沢一心さんと、従業員の私ふたりだけのこぢんまりとした食堂だけど、ほかの食堂にはない秘密がある。

 それは、常連さんだけが知る〝おまかせ〟の裏メニューがあることだ。『おまかせで』と頼むと、その人の今本当に食べたいものを作ってもらえるのだ。

 鋭い味覚と洞察力を持つ一心さんの手で、お客さまの思い出の料理が再現されるさまを、私はこの一年何度も見てきた。そして、内定先が倒産、二年付き合った彼氏に振られるという不幸のどん底にいた私を救ってくれたのもまた、一心さんの思い出料理だった。一心さんの料理に感動して、私はこころ食堂で働くことになったのだ。

 箒で玄関先を掃いていると、ピンクの色彩が目の端をかすめた。道路脇に植わっている桜の木を見上げると、つぼみがぽつぽつとほころび始めている。開花宣言はまだだけど、もうすっかり春爛漫の気分。