次の日。昼間はスーパーに買い物に行って日持ちする食材を買いだめし、夕方になると『おばあちゃんのカレーを再現したいから』と言ってキッチンにこもった。

 例の料理の材料と、牛肉も買った。炊飯器もセットしてスープとサラダの下ごしらえもして準備万端、なはずなのだが手に迷いがある。

 わからないのは、おばあちゃんがどうしてカレーだと嘘をついていたのかと、母がどうして違う料理だと気づかなかったのか、そのふたつだ。もし私が子どものころにこの料理を『カレーだよ』と言って出されても、食べる前に違うとすぐ気づくだろう。

 どうして母は、わからなかったのだろう。おばあちゃんには、カレーだと思い込ませるための秘策があった……?

 小さいころ作ってもらったおばあちゃんのカレーを思い出す。普通のカレールーを使った、ごくごく一般的なカレーだ。でも私は、給食のカレーより母の作るカレーより、おばあちゃんのカレーのほうが好きだった。その理由は、なんだったっけ。

 いつも私の健康を心配してくれていたおばあちゃん。すくすく成長できるよう、栄養にも気を配ってくれたし、塩分をとりすぎないよう、味噌おにぎりにみりんを混ぜたりもしてくれた。そんなおばあちゃんが作るカレーには、ほかにはない特徴があった。

「そうだった……。いつもおばあちゃんが言っていたセリフがあったっけ」

 結ちゃん。いっぱいお食べ。好き嫌いせずに――もちゃんと食べるんだよ。
 おばあちゃんのカレーと、なつかしい言葉を思い出したとき、おばあちゃんがどうして嘘をついたのかも、母がその嘘に気づかなかった理由も、察することができた。

 スーパーに行ったばかりだから、再現するのに必要な材料もそろっている。材料を調理台に並べて、包丁を手に取る。もう、迷いはなかった。

 材料を洗ったり、切ったり、炒めたりしているうちに、なつかしいような不思議な気持ちになってくる。子どものころ、おばあちゃんが料理をする後ろ姿を、台所の椅子に座って眺めていた自分。そんな幼い私が、今の私の姿を眺めているような、そんな感覚。

「おばあちゃんはいつも、こんな気持ちだったのかな」

 お腹をすかせた大事な人に、早くごはんを食べさせてあげたい。でも、できることならおいしいものを食べさせたいから、焦っちゃダメ。あの子のためのとっておきの工夫と、愛情の隠し味。

 母のためにおばあちゃんのカレーを再現している私の気持ちと、おばあちゃんの記憶がリンクする。私はおばあちゃんが亡くなってから初めて、遠くに行ってしまったおばあちゃんに追いつけた気がした。