「子ども用のレトルトカレーではなかったみたいなんです。昔はそんな感じの甘口のカレールーが売っていたんでしょうか」
『いや……。ルーの種類で言えば今のほうが豊富だと思う。あとは、普通のカレーにはちみつなどを入れて甘くしていた可能性だな』

 私も、それはいちばん最初に考えた。ただ、その可能性を否定したのは母のこの証言だ。

「はちみつを入れても、色は変わりませんよね? バターチキンカレーみたいな、オレンジっぽい色をしていたそうなんです」
『オレンジ色? それで、牛肉が入っていたんだな』
「はい」

少しだけ、電話の向こうの雑音が遠ざかる。一心さんが携帯電話を耳から離して考えているのだとわかった。そして、なにかに気づいたように息をのむ音。

『おむすび、わかったぞ。そのカレーの正体が』
「ほ、ほんとですか!?」
『カレーだと思い込んでいたからわからなかったんだ。いったんカレーから離れてみろ。カレーに似たもので、条件に合う料理があるだろう?』

 オレンジ色で、甘くて、牛肉が入っていて、カレーに似た料理……。

「……あっ」
『気づいたか? 俺は、おばあさんはそれを使っていたんじゃないかと思う』
「確かに、これだったら条件にぴったりです。……でもどうして、お母さんはカレーじゃないことに気づかなかったんでしょう」
『それは疑問だが、子どもだからカレーと言われてそのまま信じていたのかもしれないな』

 親がカレーと言って出してくれたからカレーだと思っていた。それはありそうだ。おばあちゃんがどうしてこの料理を〝カレー〟だと偽って食べさせたのかはわからないけれど……。

「ありがとうございます、一心さん。さっそく明日、母に作ってびっくりさせたいと思います」
『ああ。がんばれ』
「えっと、じゃあ……。お仕事、お疲れさまでした。おやすみなさい」
『……おやすみ』

 一心さんの返事のあと、電話を切った。なんだか、身体が熱い。慣れないことをしたせいか、手に汗までかいていたみたいだ。
 普段退勤するときには使わない、『おやすみ』の一言。その響きが甘くて、特別なキャンディをもらったみたいで。

「おやすみって言ってもらえたのに、なかなか眠れなくなりそう……」

 その夜は、一心さんの声をまどろみの中で何度も反芻していた。眠れそうで眠れない。胸がきゅんと痛むのは、現実の自分なのか夢の中なのかわからない。

 まくらを抱いて何度も寝返りを繰り返すうちに、私はいつの間にか、夢の境界線を越えていた。