「殿!二撃目、いつでも放てまする!!」

 背後で部下の声。

「合図を待て!」

 そう応えるのとほぼ同時に、軍配に重い衝撃が伝わってきた。斬撃。夜叉の正面きっての攻めに、三成の身体は半歩、後ろへ退がる。

「ほれほれ、そんなものか優男が!」

 夜叉は更に太刀に力を加える。上からのしかかるように圧を加えられ、軍配を支えている両腕が徐々に下がっていく。腕が下がりきれば、敵の刃はたちまち三成の額を割ってしまうだろう。
 三成は軍配の心得はあっても、武芸者ではない。武器と武器を突き合わせての力比べに勝てるような腕力は持ち合わせていない。まして相手は人外の夜叉だ。

「はあっ!!」

 三成は手首をひねるようにして軍配に力を加える。再び炎が吹き出し、夜叉の太刀を襲う。

「ハハハッ! 来ると思っておったぞ、三流め!!」

 しかし今度は、夜叉は怯まなかった。炎を包まれても、涼しい顔をしたままだ。

「先程は、とっさの事に身を翻したがのう。本来、炎はわらわの驚異ではない!! 貴様の放った炎を両断した時に気づかなんだか!?」

 夜叉はそのまま斬圧を加え続ける。ガクリと膝が折れて、三成の身体が沈み込んだ。

「その涼やかな顔を断ち割って、脳髄をすすってくれよう!!」

 青く光る太刀の切っ先は、三成の眼前に迫っていた。が、その時。

「放て!!」

 三成が叫ぶと、パパパパァッと火縄銃の砲声が轟いた。橋の左右の部下たちが、二撃目の一斉射を放ったのである。

「グアアアアッッ!!?」

 今度は全弾夜叉に命中した。身体の各所に、赤い花が咲いたように血が吹き出し、彼女が見につけている戦装束が粉々に砕け散った。

「なるほど……やるのう。わらわをここに釘付けするために、自らオトリとなったのか……!?」
「何だ、やっと気づいたのか?」

 三成は、沈んだ身体を引き起こす。銃撃で体勢を崩した夜叉を見下ろすように、仁王立ちになった。
「ぐ……しかもこの銃弾は…………」
「フハハ、痛かろう?」

 夜叉の肩に咲いた血の花。そこに三成は中指と人差し指を突っ込んだ。

「ウギャアァァアアアアッ!!!」

 夜叉の叫びが夜の川にこだまする。それを全く意に介さず、三成は二本の指を夜叉の肩の中で動かした。

「おっ、あったあった」
「ぐ……ぎぃ……き、貴様なにを……」
「ほら見たまえ」

 三成は銃創から指を引き抜いた。その間には半分潰れた金属の破片が挟まれている。

「本来、鉄砲の弾は鉛を使うのだが、これは石見(いわみ)の銀を用いた特別製だ。伴天連の退魔師が銀の剣や弾を使うと聞いて、私も試したのだ。もちろん仕掛けはそれだけではない」

 夜叉の顔に潰れた弾丸を近づける。

「ほらわかるか? 弾にはこの寺の僧に、経文を書き込ませておる。この寺の本尊は弘法大師に縁があってな。その法力は折り紙付きというわけだ」

 三成は得意げに語り続けた。

「東西の退魔の技術融合!これこそが石田流軍配術の真髄なり。もともと貴様は、"木"を拠り所とする物の怪、"金"より産み出した鉄砲玉が有効だと踏んでいたけど、この特製銀弾の効果はてきめんだったようだな」
「……気づいておったのか?」

 愕然とする夜叉の顔を見て三成はニヤリと笑う。

「当たり前だろ。その程度のこと、ハナから承知さ。炎に強いことも含めてな!」
 五行――「木」「火」「土」「金」「水」五つの元素で万物は形作られているという宇宙論である。これらの元素に「陰」と「陽」二つの性質が備わっており、それらの組み合わせによって、天地人の三界は存在する。
 この元素を自在に操るのが、軍配師の初歩の心得だ。

「貴様は毎夜、この橋の上に現れると聞いた。なぜ、橋の上なのか? 考えられることはふたつ。この川、すなわち『水』。この橋、すなわち『木』。どちらかが貴様の属性だということだ」

 えぐられた肩を押さえて、夜叉は三成を睨みつけている。

「そして水を拠り所とし、川全体から力を得ることが出来るはずだ。ゆえに私は、鉄砲隊の初撃を広範囲に渡って放った。しかし貴様は、橋の上から一切動かなかった。その刀で打ち返すだけの反射速度だ。橋から離脱することも出来たはず。そこで確信したよ。貴様が木の物の怪であるとな」
「奇襲に対する、わらわの反応を伺った、というわけか……?」

 あのとき、初撃で夜叉に集中砲火を浴びせていれば、それで勝てたのかも知れない。だが、この夜叉が水の属性を持つ物の怪であったなら、その集中砲火は逆効果となっただろう。

 相生(そうしょう)相剋(そうこく)。五行の均衡を保つふたつの相互作用がある。
 金と水の関係は相生。金属の表面には水が生じる。ゆえに、銀の銃弾は水の物の怪に力を与える。
 金と木の関係は相克。金属で作られた刃は樹木を断ち切る。ゆえに、銀の銃弾は木の物の怪の肉に深く食い込み、破壊する。

「ならば、わらわの太刀を二度とも炎で受け止めたのも……」
「当然、観測のためさ。私の本気はあんな弱火ではない」

 木と火は相生の関係にあり、水と火は相剋の関係にある。木は火を生み出し、水は火を消し去る。どちらの元素であっても炎は驚異ではない。しかし、その反応は微妙に異なってくる。

「貴様が水ならば、私の炎を見たときに勝利を確信してより苛烈な攻撃に転じたはずだ。だが貴様の攻め手は変わらなかった。二度目の太刀に重みこそ加わったが、炎に対しては平然と受け流すだけだった」
「ハハッ、(さか)しいのう。わらわがこのような若造に遅れを取るとは……じゃが」

 夜叉は大きく両足を持ち上げるとダンッと橋の板を踏み鳴らして立ち上がった。その音が合図になったかのように、何本ものツタが板の表面に生え、すさまじい速度で成長して三成の足に絡みつき、その自由を奪った。

「なっ!?」
「はははっ! 調子に乗って喋りすぎだ若造め! おかげで出血を止めるだけの休息がとれたわ!!」
 立ち上がった夜叉は後ろに大きく跳躍し、三成から距離を取る。

「この橋はもともと、わらわが宿っていた老木を切り倒して作ったもの。住み心地の良い木じゃったのだが、こうなっては仕方あるまい。新しい家を探しに行くかのう」

 そう言って、夜叉は対岸の闇へと消えようとした。

「さらばじゃ」

 しかし……

「ふっ、馬鹿め」

 橋を離れ、地面を足をつけたその刹那。

「ギャアアッッ!?」

 夜叉の身体に食い込んでいた弾丸が爆ぜ、その体内で暴れまわった。止まりかえかけていた血は再び吹き出し、骨を砕き、肉を切り裂く。

「な……なにを……した?」

 夜叉の身体は、再び崩れ落ちた。三成は、脚を動かしてブチブチと絡みついたツタをちぎる。自由を取り戻すと、橋の上をゆうゆうと歩き出す。

「初撃の弾丸が、無駄打ちだったと思ってるのか? あれで結界を作っていたんだよ。貴様がこの橋から逃げ出さないようにな!」
「なっ? しかし貴様、初撃は様子見だと言ったではないか?」
「一つの手に、いくつもの意味をもたせる。軍配師として当たり前のことだ」
「……貴様。本当に忍城でヘマこいた三流軍配師なのか?」

 チッと三成は舌打ちをする。

「ああ、そうだよ。理屈は完璧でも、無能に足を引っ張られると、たちまち三流の烙印が押される。だから大軍を使っての合戦は嫌いなんだ!!」

 吐き捨てるように言った。忍城での敗因には、三成の判断の誤りが含まれている。仕方あるまい、それは認めよう。しかし、全てが私の責任か? 私の指令通りに動かない無能連中に責は無いのか?

「その点、物の怪退治は良い。すべてが私の思うようにいくからな。政務で溜まった鬱憤を晴らすのに最適だ!」

 三成は橋の最端まで来た。地面に伏した夜叉を、ほぼ真上から見下ろす。

「友軍や民からの嘲りの声は無視するしかない。それに怒っても誰も得しない。デキる奉行は受け流す」

 夜叉は、自分を見下ろす男の瞳を覗き込み……そして震えた。

「ヒッ!?」
「だが……物の怪なら話は別だ。貴様にどう怒りをぶつけても不満を言うものは誰もいない」

 これまでの自分を見ていた瞳とは違う。そこに歓喜の色が出ていた。

「私を散々三流呼ばわりしたこと、後悔させてやるよ……!」

 これまでの銃声や叫び声などとは、比較にならないほど大きな夜叉の悲鳴。これまで耐えに耐え続けていた三成の我慢は、ついに暴発した。夜叉は不幸にもそれを一人で受け止めなければならなかった。

 霧は、いつしか腫れ上がり、天には月が輝いている。月は無感情に、橋のたもとで行われている惨劇を、ただただ見下ろしていた。
 完膚なきまでに叩きのめされた夜叉に、抵抗する術は残されていなかった。三成が体得している、あらゆる退魔術の練習台となり、起き上がることすらままならない。

「これが……抵抗する意思もない、かよわき女子(おなご)にする仕打ちか……この変態野郎」

 残された力を振り絞って出来ることは、せいぜい悪態をつくことくらいだ。その言葉すら、かすれるようなか細い声にしかならない。

「人聞きの悪い事言うなよ、物の怪風情が。人外に油断なぞ禁物。持てる全ての力で貴様を制圧しただけだ」
「ハッ 楽しげに銀の刀を振り回しておきながら、よく言うわ…… くそ、わらわにもヤキが回ったのう」

 夜叉は、ぼんやりと月を見上げながら言った。

「これでもわらわは、かつては東国でも一、二を争う暴れ神として名を馳せたものじゃ。それがこのような惨めな最期を迎えるとはのう」
「東国で一、二ときたか。まだそのような世迷い言をほざく余裕があったとはな」
「信じぬならそれでもいいが……坂東太郎に、赤城のムカデ、日光の大蛇、香取や鹿島の剣神ともしのぎを削ったものよ……」

 いずれも東国で信仰の対象となっている神々だ。これらと覇を競ったとは、夜叉ごときには大言壮語が過ぎる。

「本来のわらわであれば、貴様らなぞひと睨みで殺せたぞ?」
「仮にそれが真実だとして、それほどの霊力の持ち主が、なぜここまで弱くなった?」
「ハハハッ 全くじゃ!! ……都の陰陽師に捕まり、下僕にされたのが運のツキよ」
「ほう? 貴様は式神だったのか?」

 式神は陰陽師が使役する神や鬼の類だ。三成は使っていないが、軍配師の中にも式神を持つ者がいる。彼の師である竹中半兵衛は、鳥獣の形をした式神を何体も使役し、敵情偵察や戦場での連絡に活用した。羽柴秀吉の数々の武勲はこの式神たちに支えられたと言ってもいい。
「それももう600年ほど前の話じゃ。陰陽師がくたばって自由になったが、式神として酷使された数十年でわらわの霊力の殆どが奪われてしまった。なんとか東国へ戻ってきたが、わらわがいないうちに他の神々や物の怪、それに人間の武士共がのさばっていてな。わらわの居場所は消えておった」
「で、名もなき老木に宿って、ひっそりと暮らしていた。その木すら、村人に切り倒され、橋の材料となったわけか……」

 三成は川にかかる橋を見た。どこにでもある何の変哲もない橋。こんなものを作るのに、霊力あふれる神木を切ったわけでもあるまい。何の変哲もない老木に、この夜叉は宿っていたことになる。

「絵に描いたような転落ぶりだな。貴様が本当に、東国有数の暴れ神だったとしたなら、だが」
「まったくじゃ……」

 夜叉の目から一筋の涙がこぼれ落ちる。月の光がそこに反射し、白く輝く軌跡を描いた。

「あの頃に帰りたいのう……。人間も神も、東国の誰しもがわらわを畏れ、わらわに霊力を捧げたあの頃に。せめて、せめて(やしろ)の一つでもあれば。わらわだけの神域を持っていれば、ここまで落ちぶれる事もなかったのにのう……」

 夜叉は声を震わせながら嘆きの言葉を吐き続けた。時折、子供のようにしゃくりあげて鼻をすする。先程まで、三成に太刀を振りかざしていた妖魔とは思えない姿だった。

「……じゃが、若造にいたぶられて、ようやく未練も絶てたわ。さあ、殺せ。夜叉ごときの首一つで何か変わるとも思えぬが、三流成り上がりの汚名をほんの少しでも返上するがいい」

 夜叉は三成の目を見た。三成はつまらなそうに首を振ってから、言った。

「言いたいことはそれだけか、この負け犬が!」

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