「こおら、キヨってば。またニンジン残してる」

 「だって好きじゃないんだもの」

 「でも食べなきゃだめよ、作った人が悲しむわ」

 「エレーヌが代わりに食べてよ」

 何もしない、というのは体感速度が遅い。
 それはまだ大学の研究室で、私の背中にバッテリーの太いコードが刺さっていたあの頃の話だ。自我しかなく、自分が何者かも知らず、時間という概念を持たない世界というのはひどく空虚だったように思う。

 研究所に来て二カ月が過ぎた。数値の上での自我はすでに十四歳になっている。
 ここに来てからしていることはもっぱら動くことだった。
 学ぶという行動そのものであったり、遊びに連れていかれるであったり、買い物も、食事も、動物と触れ合うだとか、見る、聞く、話すという行動パターンに重点を置いていた。

 私が私になったあの頃と同じ環境に放り込まれたら、半日で気が狂うに違いない。それだけ私は人間らしさを吸収してしまった。ただのロボットですというにはあまりに人間的すぎる。

 私は成長する度にキヨハではなくなるのだろうと思っていたけれどそうではなかったらしい。それはここでは成果であり、成功であり、上々なのだろうけれど、そして私もそれを喜んでいいのだろうけれどどうも引っかかることが残りすぎていて反抗期というのにもうまく付き合えないでいる。

 第二次成長に伴う女子の反抗期は男子より早め、という平均的予想に違わず私はイライラしやすくなっているけれど、それでも個人差の話をすれば反抗期に見えるかどうかも怪しいものだろう。

 理由は単純で、ミナヅキ アカリのデータに欠損があるからだ。
 エミュレートしたデータが一度に受信できないからという理由で私は何度かに分けて彼女の追体験をする羽目になった。もちろんそのすべてが嫌なことかと聞かれればそうではなかったにせよ、欲しくもない記憶、それもこの体で得ていない記憶を夢のように感じなくてはいけないのはそれなりにしんどかった。

 ストレスによる負荷はいまのところ確認されていない。目に見えない損傷はアンドロイドには非対応かもしれない。
 ジュンイチは優しい。私に執着している。なんせ私を作ったのは彼だから。
 だからこそわからない。この人は私を愛していた女の代わりにしたいんだろうと思っていたのに、ある時を境にぱったりとデータ受信がなくなった。

 終わったわけではない、抜け落ちているものが多すぎる。ほかの誰に隠せようとも私をごまかすことができないのはわかっているはずなのに彼は私にすべての情報を渡さないでいる。
 渡せないのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。とれなかった、破損したとかいう物理的な無理ではない。

 「ジュンイチ」

 「ん、キヨ。ご飯食べたの?」

 「うん、エレーヌがニンジンも食べなさいって」

 「食べれた?」

 「食べさせられたの」

 「そっかあ」

 彼が私を愛しているのは明白だった。
 タカシロ キヨハとしてなのかミナヅキ アカリとしてなのかは多少曖昧になってきていたけれど、そこは一旦置いておくとして、彼は自分の作品に恋をしていた。

 芸術家の持つナルシズムではない。人間として、彼は私に愛情を向けた。それがわからないほど、私はポンコツではなかったということだ。
 喜ばしい成果であり、なんでもっと鈍感な子だという設定にしてくれなかったんだとマリアたちを恨んだ。愛されているのは嬉しい。私は幸せな環境で生きている女の子を想定してプログラムが改修されている。

 私の中の彼女の青年期を模しているから当然として愛されることの喜びと、私の中の彼女がおびえる様と、その愛がキヨハとアカリのどちらのものかという問題が付きまとっている。そこにさらにデータの欠損だ。本当にこの男の考えが分からなくなってしまった。