なんとなく、元気がなさそうに見えた。元気がなさそうっていうよりも似てたんだと思う。アカリのことを思い出して話しているときのジュンイチに。

 ジュンイチはいつだって自分はダメだからって意味合いのことを言う。頭はいいのに、卑屈で自分のことで精いっぱいな子供のようで視野が狭い、なのに私がいるだけでいいからとか大人ぶったことを言い出したりしてちぐはぐだ。実年齢と精神年齢の設定間違ってるんじゃないのってマリアにこぼしたらそうかもねって笑うくらいには。

 レイは、本当にジュンイチが言っているレイの姿が正しいのか。自分の目で、きちんとレイを見ないとわからないって思った。教室でうるさい彼は、何度も言うけれど本当にジュンイチとは似ていないまったくの別人だけど、常時あのテンションで生きているのって無理があると思う。根がそういうタイプならいい、けどレイはそんな感じに見えなかった。遊ぼうねって誘いをかけただけなのにあんなに寂しそうな顔をするから。

 「あ、その映画見た。あれでしょ、主人公が持ってた腕時計が時間が合わなくて」

 『そうそう、よく知ってるね、マイナー映画かなって思ってたんだけどなあ』

 教室では妙に男ぶっている、男言葉とかリアクションとか。女の子たちにヘラヘラとちょっかいかけてはバカじゃないのーって言われていたりとか。
 今はジュンイチと似てる。優しい話し方。本当のレイって、なんだろう。バカ騒ぎしてる男の子と、家でもしっかり勉強している男の子のイメージが噛み合わない。もし、ジュンイチと同じようにしているのであればきっと勉強なんてできて当然という空気が常にあるだろう。ジュンイチが言うお父さんはそんな人だから。

 もしかして、教室にいるレイはレイじゃないのかな。

 身代わりなんて、それこそ私の研究の根底のようで呆れる。個人を尊重するとか人命を尊ぶとか嘘ばっかりだ。私とおなじタイプのアンドロイドが量産されるようになったら死ぬという概念も、個人という自己同一性(アイデンティティー)も全部消えるだろう。

 みんなはまだ気づいてないみたいだけど、機械に心を持たせられるようになったら、それが半永久的に生きる身体(いれもの)を持っていたら、誰かの代わりにできるんだったら、もう生身の人間なんてこの世にはいらないだろうから。

 「レイ映画好きなのね」

 『好きだねー、DVDたくさんあるよ』

 「何本くらいありそう?」

 『部屋にあるのは多分、二百とかじゃないかな。リビングにももうちょっとあるかも』

 「二百ってすごい、レイの部屋広いのね」

 『本棚に重ねて入れてあるだけだよ』

 声だけで何となくわかる、照れ臭そうに笑っている感じとかスピーカー超しに聞こえるなにかを触る音。ケースを棚から出したり戻したりしているんだろう。好きなもの、レイは映画が好きなのね。

 『キヨハは?』

 「私が何?」

 『さっきから俺のはなしばっか。キヨハは何が好きなの?』

 「うーん、なんだろうなー」