◆
「ねええファブリ、人格形成って何歳頃に起きるものなの?」
「どうしたの突然」
「なんとなく気になって」
ファブリはコーヒーカップを傾けたままこちらを見た。うーん、とこもった音で返される。
「第二次成長期なんかがよくイメージされるけど、幼少期の出来事がそのまま根付くパターンは珍しくないよ。日本語でも「三つ子の魂百まで」って言うだろ」
ここでいう三つ子は三歳の子供という意味を指す。じゃあ早ければ極端な話三歳ころには大まかな人格が出来上がっているわけか。人間の子供も自我の発達に伴って個人の性格を積み重ねていくわけだけど予想よりも大分若かった。もっと幼稚園とかそんなのを想定していたのに。
「いきなりなんでそんな話に?」
「私の人格形成について考えてたから」
いわゆる三歳児の精神年齢に該当していたとき、私はなにを考えていたっけ。まだアカリのことだってちゃんとわかっていないはずだ、エミュレートが始まったのは五歳になってからだった。空っぽで、なんのデータも情報も持っていなくて、あの狭い研究室が私の世界のすべてだった時。ジュンイチとアキトさん、それから研究室のメンバーがいて、ちょくちょくルイさんが視察に来ていた。
あの頃の私はまだ機械の域を出ていなかったし、名前だってついてなかった。G9という識別番号で呼ばれていたあいだ、私は何度も居もしない母親を探していた気がする。母親、というか私の基盤は研究室のパソコンがメインになっていて漠然とした不安を解消するためにそのデータに意識を没入させるのが好きだった。
人間にはない感覚だろうから言葉にしてみるのは難しいけど、要はマザーに意識を没入させること自体が抱っこされてお昼寝をしてるって感覚に近い。ゆりかご的なものを求めていたらなんとなくそうなった。
不安だった。自分が何なのかもよくわからず、愛されているとわかるように誰かが行動しているわけでもなく、アンドロイドだという自覚もなく、ただ人間じゃないんだということだけが何となくわかってた。
目の前のこれと自分は何かが違う。まだ私の目は義眼でも何でもないただのレンズで、瞳孔も光彩も角膜もない。視界に入った自分の手足は今とは違うもっとゴムのような素材でできていて見るからに人形めいていた。
「私、見た目は人間になったと思うの。会話の水準も、自我の精神年齢も」
「そうだねえ、街中にいたら馴染むと思うよ」
「でも中身がないのよ」
「中身? データの破損でも起きたの? だったらすぐに」
「あっ、ちがうちがう! 趣味とか、なんかそういう話だよ」
「ああ、そういう中身ね」
焦ったじゃん、とため息をついてファブリは座りなおす。
「中身って、キヨはなにが足りないと思ってる? そんでそれをどうしたいの?」
どうしたい。足りないと思ってることなんていくらでもある。眠くなる感覚、おなかがすく感覚、好きなこと、趣味、得意なこと、嫌いなこと、できないこと、スイーツを食べに行きたいとはしゃぐ少女たちの心理、アイドルを可愛いと思う少年たちの気持ち。なにもわからないじゃないか、って教室で自分自身にひどく失望した。
見た目とか愛とか、そんなことばっかり考えて自分自身を示すためのものがなにもない。プロフィールを埋めるように紙を渡されたら、名前と生年月日と身長体重以外になにが書けるんだろう。見た目は同い年でも私には生きてきた実績がないから、あのアニメなつかしいね、このゲーム流行ったよねって会話すら難しい。
「足りないことは、たくさんあって、それを…埋めたいかな」
「じゃあ、それを学校で実践するのが当面の課題だね」
「実践って? なにをしたらいいの?」
「難しく考えすぎ、好きなものも嫌いなものもそんなのはフィーリングなんだから。なんだっけ、マユ? のことは好きだなって思ったんだろ?」
「うん」
「じゃあそういうことじゃん」
社会で生きてる時間が短いから困惑してるだけなんじゃない? とファブリは言った。そりゃあ知識はあっても実際に体験したり触れたりしたことがないものほうが圧倒的に多いからそうなのかもしれないけれど。極端な話、私は猫だって触ったことがない。
「オッケー、ルイさんのとこ行こう」
「へ? ルイさん?」
手招きされておとなしくついていく。研究所の中にもだいぶ慣れてきた。ここは、生活をする場でもあるからって、床や壁は真っ白じゃなくて薄く暖色がかった色をしている。視覚情報が精神衛生に作用するからだって言っていた。小児科と同じ理屈だ。色がポップなだけで人間はワクワクできるらしい。そうだ、ワクワクするとかそういう感情もわたしには足りていない気がする。
「ルーイさーん」
「騒がしいぞ」
「二人とも、なにしてたのです?」
「あ? ああ、キヨがいんのか」
マザーコンピューターのある部屋に行けばルイさんとスピカとショーンがいた。呆れたようにルイさんが眉間にしわを寄せているけれどこれは怒ってるわけじゃないって最近わかるようになった。人の表情っていうのもちょっと複雑だと思う。
「ねええファブリ、人格形成って何歳頃に起きるものなの?」
「どうしたの突然」
「なんとなく気になって」
ファブリはコーヒーカップを傾けたままこちらを見た。うーん、とこもった音で返される。
「第二次成長期なんかがよくイメージされるけど、幼少期の出来事がそのまま根付くパターンは珍しくないよ。日本語でも「三つ子の魂百まで」って言うだろ」
ここでいう三つ子は三歳の子供という意味を指す。じゃあ早ければ極端な話三歳ころには大まかな人格が出来上がっているわけか。人間の子供も自我の発達に伴って個人の性格を積み重ねていくわけだけど予想よりも大分若かった。もっと幼稚園とかそんなのを想定していたのに。
「いきなりなんでそんな話に?」
「私の人格形成について考えてたから」
いわゆる三歳児の精神年齢に該当していたとき、私はなにを考えていたっけ。まだアカリのことだってちゃんとわかっていないはずだ、エミュレートが始まったのは五歳になってからだった。空っぽで、なんのデータも情報も持っていなくて、あの狭い研究室が私の世界のすべてだった時。ジュンイチとアキトさん、それから研究室のメンバーがいて、ちょくちょくルイさんが視察に来ていた。
あの頃の私はまだ機械の域を出ていなかったし、名前だってついてなかった。G9という識別番号で呼ばれていたあいだ、私は何度も居もしない母親を探していた気がする。母親、というか私の基盤は研究室のパソコンがメインになっていて漠然とした不安を解消するためにそのデータに意識を没入させるのが好きだった。
人間にはない感覚だろうから言葉にしてみるのは難しいけど、要はマザーに意識を没入させること自体が抱っこされてお昼寝をしてるって感覚に近い。ゆりかご的なものを求めていたらなんとなくそうなった。
不安だった。自分が何なのかもよくわからず、愛されているとわかるように誰かが行動しているわけでもなく、アンドロイドだという自覚もなく、ただ人間じゃないんだということだけが何となくわかってた。
目の前のこれと自分は何かが違う。まだ私の目は義眼でも何でもないただのレンズで、瞳孔も光彩も角膜もない。視界に入った自分の手足は今とは違うもっとゴムのような素材でできていて見るからに人形めいていた。
「私、見た目は人間になったと思うの。会話の水準も、自我の精神年齢も」
「そうだねえ、街中にいたら馴染むと思うよ」
「でも中身がないのよ」
「中身? データの破損でも起きたの? だったらすぐに」
「あっ、ちがうちがう! 趣味とか、なんかそういう話だよ」
「ああ、そういう中身ね」
焦ったじゃん、とため息をついてファブリは座りなおす。
「中身って、キヨはなにが足りないと思ってる? そんでそれをどうしたいの?」
どうしたい。足りないと思ってることなんていくらでもある。眠くなる感覚、おなかがすく感覚、好きなこと、趣味、得意なこと、嫌いなこと、できないこと、スイーツを食べに行きたいとはしゃぐ少女たちの心理、アイドルを可愛いと思う少年たちの気持ち。なにもわからないじゃないか、って教室で自分自身にひどく失望した。
見た目とか愛とか、そんなことばっかり考えて自分自身を示すためのものがなにもない。プロフィールを埋めるように紙を渡されたら、名前と生年月日と身長体重以外になにが書けるんだろう。見た目は同い年でも私には生きてきた実績がないから、あのアニメなつかしいね、このゲーム流行ったよねって会話すら難しい。
「足りないことは、たくさんあって、それを…埋めたいかな」
「じゃあ、それを学校で実践するのが当面の課題だね」
「実践って? なにをしたらいいの?」
「難しく考えすぎ、好きなものも嫌いなものもそんなのはフィーリングなんだから。なんだっけ、マユ? のことは好きだなって思ったんだろ?」
「うん」
「じゃあそういうことじゃん」
社会で生きてる時間が短いから困惑してるだけなんじゃない? とファブリは言った。そりゃあ知識はあっても実際に体験したり触れたりしたことがないものほうが圧倒的に多いからそうなのかもしれないけれど。極端な話、私は猫だって触ったことがない。
「オッケー、ルイさんのとこ行こう」
「へ? ルイさん?」
手招きされておとなしくついていく。研究所の中にもだいぶ慣れてきた。ここは、生活をする場でもあるからって、床や壁は真っ白じゃなくて薄く暖色がかった色をしている。視覚情報が精神衛生に作用するからだって言っていた。小児科と同じ理屈だ。色がポップなだけで人間はワクワクできるらしい。そうだ、ワクワクするとかそういう感情もわたしには足りていない気がする。
「ルーイさーん」
「騒がしいぞ」
「二人とも、なにしてたのです?」
「あ? ああ、キヨがいんのか」
マザーコンピューターのある部屋に行けばルイさんとスピカとショーンがいた。呆れたようにルイさんが眉間にしわを寄せているけれどこれは怒ってるわけじゃないって最近わかるようになった。人の表情っていうのもちょっと複雑だと思う。