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 「ジュンくんはどんな子供だったの?」

 「俺?うーん、そうだなあ」

 自分の幼少期も学生時代もあまり明るい思い出はない気がする。母がいて、父がいて、父の仕事や母の出生の関係もあって経済的には余裕のある家だった。広い家には余分な部屋があって、週に一度か二度、ハウスキーパーの人が来て、自分は私立の幼稚園に通っていた。

 外から見たら幸せそうな家なのかもしれない。なんせ両親は外面だけは異常に良かった。近所からは評判のいい母で、父は政治家という立場にも関わらず得票率もよかったからなおさらだ。

 「どっから聞きたいの?」

 「そうだなあ、じゃあ幼稚園からかなあ」

 幸せそうに俺を知りたがるアカリさんは、子供は愛されて幸せな生き物だと疑っていなかった。俺が得られなかった何もかもを持っている彼女がひどく羨ましくて、恐ろしかった。本当の自分のことなんて語れない、この人に伝えてしまったらいままで積み上げてきた自尊心のバランスが全部崩れてしまいそうで。

 「私立の幼稚園に通ってた。習い事とかもたくさんやってたよ、書道に水泳にピアノに、あとは普通に家庭教師がついてた」

 「幼稚園から家庭教師がいたの?」

 「いたけど、それが普通だと思ってたからなあ」

 普通なんてしらない。自分の家が普通じゃないかもしれないって思ったのは中学生になってからだった。

 「かわいげのない子供だよ、耳年増っていうの?」

 「利発ってことでしょ」

 「よく言えばでしょそれ」

 お前も政治家になるんだぞ。言い方はもっとかみ砕いていたけど、結局親父の口癖はそれだった。たまらなく嫌だった、見えない檻に縛られているみたいで、明るい未来なんてものを思い描く暇もないほどに自分の幼少期はいつも予定ばかり詰まっていた気がする。

 「アカリさんは?」

 「うーん、なんも考えてなかったよ。登園して、泥だらけになって、お昼寝して、おやつ食べて、幸せだったなあ」

 彼女の目はいつだって満たされている。それがいつだってたまらなく魅力的だった。自分が絶対に持ちえないもの。これから先一生得られないものを持っていて、そうして彼女の一部であることが叫びたいほど愛おしかった。

 どうして、彼女はアキトさんのものなんだろう。

 「小学校も私立?」

 「うん、お受験させられた。とくになんてことない普通の小学生だったよ」

 「コミック雑誌でげらげら笑うような子供?」

 「まんがはあんまり馴染みがないけど、サッカーとかが好きだった」

 「今こんなにひょろひょろしてるのに!」

 うそだあ、そうやって彼女はまた笑う。雑誌も漫画もゲームもカードも、何一つ縁のない家庭だった。本棚にあったのは定番の童話から小難しい小説や辞典ばかり。娯楽に特化したものはうちにはなかった。

 スポーツは、得意じゃないけれど人並みにはできるし、剣道は問答無用でやらされた。自分の意志で通っていた習い事なんてない。
 なにをするにしても成績が付いて回るそれを楽しめるほど自分には余裕がなかった気がする。やっていて無駄なことはなかったけれど、なければ困るかと言われればそんなことはない。
 小学校半ばくらいにはもう今みたいな性格だった気がするし、おかげで友達はいまだに少ない。

 「部活とかもやったことないなあ、でも中学の時から数学とか理科は好きだった」

 「根っから理系なんだねぇ、私には考えられないや」

 「国語はできなくなかったけど、好きじゃなかったな。心象風景の描写理解とか、文章から雅を感じ取るっていうのがうまくできなくて」

 テストの答えは大体模範解答が存在する。作文も、描写も、スタンダードな答えを書くだけでいいなら簡単だったけれどそこから想像力を働かせてっていうのがあまり得意じゃない。理屈に凝り固まった新しさなら全然平気で理論の証明も、新しいシステムの構築も何も難しいことなんかないのに。

 相手の心なんてわかるわけないじゃないか。

 自分が自分である証明だって難しい。ここにいる俺は親父のエゴが作り上げた勉学にしか機能しないもので、だったら人間である必要なんかない。アンドロイドでよかったじゃないか、血のつながりだけがそんなに大切なのか俺にはわからないけれど。

 「高校のときはもう今の感じだから、改めて話して面白いネタってのはないなあ」

 「彼女はいなかったの?」

 「気になるの?」

 「うん、だって私より頭もよくてかわいい子なんてたくさんいただろうし」

 「彼女っぽいのはいたけど、彼女って言っていいかはわかんないや」

 「なにそれ」

 「毎日メールして、二人ででかけたり、お弁当食べたり、そういうことしてた子はいる。二人かな。でも俺は別にその二人のこと好きじゃなかったから」

 我ながら最低だと思うけれど、好きとか、愛情とかそんなものはいままで縁がなかった。ゲーム以上に自分には関係ないものだと思うほど生活の中に愛おしさとか慈しみとかが欠けていて、ほらやっぱり俺は人間じゃなくていいじゃないか、いっそ機械やAIになれればどれほどよかったかって何度も何度も嘆いた。生まれてきたくなかった。だけど彼女は、それを全部覆して

 「お父さんの話ってあんまり聞いたことないけど、何してる人?」

 「先生かな」

 「へえー、そりゃあジュンくんも賢いわけだよねー」

 アカリさんに、実家が裕福でって言ったところで彼女の態度は変わらないだろう。だけど、政治家だって、それもタカシロ マサチカだって話して、折り合いが悪くてなんて話をしたら彼女は絶対に目を丸くしてこういうだろう。「どうして?」なんの悪意もなく、それは彼女にとっては普通ではないからって理由だけで。

 言えるわけがない。

 レイが生まれたとき、俺はまだ小学生だった。表面上大きな反抗はたぶんまだしていなかったけど、嫌がっていたのはなんとなく親父も気づいていたと思う。期待していなかったんだろう。
 勉強だけはできるから、それしかできないから、教育に偏るのであればと特に文句は言われなかったけれど距離はある。俺はあの人の息子じゃないんだと。

 「兄弟は?」

 「弟がいるよ、十も離れてるけど。俺より優秀な」

 そうだ。レイがいるなら俺はもういらない。でも、ほかの誰に必要とされなくたってアカリさんは、アカリさんがいれば。アカリさんが俺を好きでいてくれるなら。

 「仲はいいの?」

 「ううん、大学入った年から一人暮らししてるからね、あんまり兄弟らしいことはしたことがないんだ」

 「そんなこともあるんだ、私は妹がいるんだけど年子だから仲いいよ」

 「そうなんだ、家族も、仲がいい?」

 「うん、みんなでご飯食べに行ったりねいまだにあるよ。アキトさんにも実家に顔出して来たらって言われるくらいだし」

「そっか」

 羨望や、僻み、妬み、嫉み。俺はアカリさんともアキトさんとも分かり合えないところにいるような気がする。アキトさんは俺とは逆で、家族から院に行くのも研究するのも応援されてるって笑っていた気がする。

 「俺は昔からこんなだよ、ずっとね」

 夢を見ることすら諦めたような子供が、大きくなっても愛されることを渇望しているなんて気持ち悪い話だなと、窓に映る俺の表情はひどく醜い。