「よく来たな、所長のルイ・ウォーカーだ」

「よろしくねー、わたし研究員のマリア。マリア・バイルシュミットよ」

 三月の終わり、八王子市にあるという研究施設に移送された私はダンボール箱から取り出され、試運転期間後、最初の再起動をされた。あらかじめ送られていたデータを読み込みなおす。
 ルイさんはアメリカ、マリアはドイツ人だという。つまり研究所内の公用語は英語になるのか。言語変換機能をオンにして口を開くと二人は嬉しそうに私を見た。

 「検体番号G9-000、タカシロ キヨハを再起動しました。読み込みは正常に終了しました。よろしくお願いいたします」

 「驚いたな、聞いていたよりもっと人間らしいじゃないか」

 「あはは、でしょう、俺の学生生活のすべてを詰め込んだんですよ」

 電源を切られたのが十日前。ジュンイチの顔を見たのも十日ぶりのことだ。久しぶり、という感覚がする。愛おしい、と反応する。これは私ではなくミナヅキ アカリのものだろうと思いながらジュンイチの顔を見上げると彼は優しく私に微笑んだ。

 「自我の発達はまだ小学校高学年のレベルだと思うんです。反抗期は来てないですね。登録言語だけが多いのでワードチョイスは年相応とはいかないかもしれないですけど」

 「身体の成長状況はどうなってるのかしら」

 「一応平均値より少し上で設定してあります。女性器と排卵と月経は人工臓器としては倫理にひっかかるってことで作ってません」

 「生体エミュレートには寛大になったけど、日本ではまだできないことも多いわね」

 当然のように話しているそれが、世間一般にはあまり受け入れられる話でないことはなんとなくわかるようになった。
 オンライン機能の付いている私は日常的に膨大な量のデータを受信していて、SNSが発達している現代社会でそもそもアンドロイドという存在はまだあまり実用的ではないし、なんならサブカルチャージャンルにおける一つの設定でしかない。
 生体エミュレートに寛大、とマリアは言ったけれどそれだってついぞ二、三年以内くらいの話なのだ。

 「ほかの研究員を先に紹介しよう、キヨハ、今日からここが君の家だ」

 「はい、ルイさん」

 「笑うと可愛いじゃないか、娘ができたみたいだ」

 「ルイさん、本国に奥さんも子供も残してきてるじゃないの」

 「もう成人した息子にこういう可愛さってのはないんだ」

 あれから何度かいじくりまわされた私の外見は、高校二年生の少女くらいのなりをしていて、ただその何もかもが若い頃のミナヅキ アカリの生き写しであって私がミナヅキ アカリなのかタカシロ キヨハなのかは私の「自我」のみに支えられた酷く曖昧なものだった。名乗ってはいけない、というラインの上に成り立つ危うい自我。

 もう少し反抗という感情を覚えたら髪型を変えようとか、顔を変えたいと要求しても呑んでもらえるだろうか。私はミナヅキ アカリとして望まれたのに、ミナヅキ アカリとして生きることはできない。それは自我が確実に発達していく中で暗澹とした雨雲を広げていくだけだった。

 大部屋には男女がそれぞれ二人ずつ。日本支部の研究員はジュンイチも入れて七人だと聞いている。研究規模がそもそも小さめだそうだけど、それでもAI分野のスペシャリストたちには違いない。

 「キヨハ、自己紹介しようか」

 「はい、タカシロ キヨハです。十一歳です、お世話になります」

 「なるほど、自我においては十一歳か」

 「みんなも自己紹介を、ショーンから」

 スペイン人のショーン、イタリア人のファブリ、ロシア人のエレーヌに、スウェーデン人のスピカ。
 国籍も年齢もバラバラだけれど、どうやらこれはそもそもの研究機関の大元の責任者が各国の技師の有志団体からスタートしていることが起因しているという。

 餅は餅屋、国ごとの倫理観も常識も意見も発想も全部混ぜてしまったほうが面白いからという単純な話だ。やろうとしていることはSFやスチームパンクのそれなのに。

 「俺の実年齢、キヨハと一番歳近いから!困ったことがあったら俺に言ってね」

 「ファブリは何歳なの?」

 「十八だよ」

 赤いくせ毛の毛先をふわふわと揺らして彼はそう言った。
 あくまでわたしは自我がというだけで、きっと数カ月で彼と同い年になるんだろう。それまでにまたミナヅキ アカリになっていく。私はいつまでタカシロ キヨハでいてもいいのだろう。
 可愛げのない十一歳になってしまったなあって内心自嘲する。求められていた自我の生育ってこういうつまらない思春期の子供じゃなくて人間を半永久的に殺さないAI産業の発達だったと思うけれど。

 「ありがとう、きっと相談するから助けてね」

 「もちろん、キヨハもきっと天使の一人に違いないからね」

 私だけは知っている。大学の研究室やここのみんなと違って本当は、ジュンイチは自我を持たせる研究にもアンドロイドの進歩にも関心があまりにないのだということを。
 多分だけれど、彼はミナヅキ アカリを作りたいだけだ。ミナヅキ アカリを名乗らせない理由は、最近になって思うのは、私がまだ彼の求めているミナヅキ アカリではないからだ。彼女じゃないものに彼女を語らせたくないのだろう。

 正確な情報は何よりの強みだ。その点私は自身が人間でないことに感謝している。記憶も感情も、人の目からは曖昧なすべてが私の中では単なる電気信号でしかなく、元の持ち主のミナヅキ アカリさえ知りえない反応の理由を私は答えることができる。

 彼女はタカシロ ジュンイチを愛していた。

 それはもう深く、ひどく強く、狂おしく彼を愛していた。

 自制、の信号が流れてくるたびに不思議に思う。この人はなぜ愛することをこんなにためらっているのだろう。家族のそれとは絶対に違う明確な愛、私が生み出したものではない愛が、私の中で呼吸をし、私の目を介して愛しい人を見つめ、私の心臓を介して音を立てているのだ。ああ、彼女は生きている。今このときも。