その日から破滅が始まった。キャラデザの決定権はディレクターである高野に移り、塩谷は彼のOKが出るまで何度もリテイクを重ねることになった。そのセンスを信頼し、全てを塩谷に任せていた前任ディレクターとは真逆のディレクションだ。

『見てわからない? こんなクソデザイン通ると思ってる?』

『リテイクの理由がわからない? 自分で考えろよそんくらい』

『ダメ。全然ダメ。今日中に全部やり直せ』

『誰かのせいで、オレの仕事が止まるんだよな。勘弁してほしいわ』

『あー、出た出た。知識ひけらかし。ユーザーはそんな所見てないし気にしてないんだよ! いい加減オナニーやめろよな』

 かつて由良の違和感に、根気よく耳を傾けていた塩谷だ。筋の通ったリテイクなら反発することはなかったろうし、すぐにより良いものを提示したに違いない。けど高野の修正指示はお世辞にも質の高いものではなかった。
 ダメ出しの仕方は非常に曖昧かつ感覚的で、代替案を出すような事もない。その上、高圧的、攻撃的な言葉で反論の余地がないくらいに相手を叩きのめす。おかげで塩谷は何をどう直せばいいのかもわからず、自信作を描いては貶されるというのを何度も何度も繰り返すことになった。

 そんな状況で良い仕事など出来るはずもない。次第に塩谷の筆は荒れていった。ばかりか、小さなミスを連発するようになる。それが、高野や彼のもとで動くプランナーやプログラマー達の不信を招くという悪循環が始まる。

 遅々として進まない自分の仕事に焦る塩谷は、連日日付が変わる時刻まで残業するようになり、その一方で始業時刻に遅刻するような事もしばしば起きるようになった。
 不規則な勤務態度が会社からの評価を下落に繋がる。最初こそ、高野が厳しすぎるのではという擁護もあった。が、塩谷の仕事の劣化によって、次第にそう言った声も小さくなっていった。

 塩谷にとってさらに不幸だったのが、高野がディレクターになって以来、フェンリスヴォルフの売上が上昇したことだ。
 スタッフを支配するような高野の采配が功を奏したのだとしたらやるせない話だが、実際に前任が成し遂げられなかった月間売上目標を達成し、そこから4カ月連続で記録を更新したから誰も文句が言えない。

 MODEL-ABCはゲームの制作のみを行うデベロッパーだ。実際にサービスを運営し、商品を販売するパブリッシャーから依頼を受けて、開発を行っている。
 フェンリスヴォルフの場合、キャラクタービジネスの大手『アナナス』がパブリッシャーである。このアナナスの担当者たちも、高野の手腕を高く評価していたため、気がつけば社内に高野を諌める事ができる人間は皆無となっていた。

 そして極めつけが、1年前の事件だ。ヒロインのキャラデザを巡って、高野の方針とアナナスの意向に齟齬が生じたことがあった。アナナス側のイメージは、ボツにされた塩谷案に近いものだったらしい。その時、高野はあろう事かこう言ってのけた。

「俺は別にお前の案を否定したつもりはないぜ」

 さらにアナナスの指示書ちゃんと読んでれば、こんな事になってない。全面的にお前のミスなのに、被害者ヅラするな、と付け加えられた

 これで塩谷案が復活したのなら、まだ救いがある。が、イメージ共有もできない奴に重要キャラのデザインは任せられないとして、塩谷はキャラデザから外されてしまった。

 すでに孤立無援となっていた塩谷にとって、その人事は耐え難いものだったのだろう。精神的な均衡を崩し、救急車で搬送されたと言うニュースが入ったのは、事件があった翌週の月曜日だった。