「うぇ~、かわいそうに。娘さんまだ小さいでしょ確か?」

 大星(おおほし)由良(ゆら)は耳を疑った。一番言ってはならない人間が一番言ってはならない言葉を吐き出したのだ。思わず、ジョッキを持つ手が止まる。ありえない言葉の数々は、由良の座る長テーブルの上座側から聞こえてくる。そこにはチーフディレクターの高野(こうの)が陣取っている。

「奥さんと娘さんは実家に帰ったそうですよ」
「そりゃあ、一家の大黒柱がそんなザマじゃ、帰るしかないよなぁ……」

 久しぶりの社内飲み会。慢性的な多忙と個人主義によってゲーム会社の社員たちが一堂に会することなどめったに無い。
 由良も、その時間を積んでるアニメの消化や、先週発売した新作ソフトのプレイを充てたほうが有意義だと考えもした。けど、同僚と腹を割った話ができるめったに無い機会でもあったので、出席した。そして今、後悔している。

「で、塩谷(しおや)のバカ野郎は何もしてないの?」
「実家に引きこもり状態だそうです。総務の電話も親御さんが応対してるって」
「ったく、どこまでも情けねえ奴だな!!」

 話題の中心は、一年前に体調不良で休職に入ったデザイナーの塩谷についてだった。なんでも正式に退職が決まったらしい。総務部から聞いた話として彼の家の惨状が、酒の肴として消費されている。

「病人に言いたかないけどよ、無責任すぎるだろ。娘さんまで裏切りやがって……許せねえ……」

 由良のめまいのような感覚を覚えた。アルコールのせいじゃない。怒りで心臓の鼓動が速まり、吐く息が熱っぽくなるのを感じる。

 塩谷さんが休職に入ったのは他でもない。この男、高野のせいだ。この男のパワハラさえなければ、彼は今でもうちの会社でキャラクターデザインのエースとして活躍していただろうし、毎週末に娘さんと一緒に遊んでいたはずだ。
 それを高野が全てぶち壊した。その上、今もなお彼を罵り続けている。

「おおっと、今月いっぱいはあの野郎もうちの社員だ。同僚を悪く言ってパワハラだとか騒がれたらマズイ」

 そう言って高野は下品な笑みを浮かべる。限界だった。由良はジョッキを置くと、足下の箱に入れていたハンドバッグを手にとった。