「熱海海上花火大会のある日なんて、満室ですもんね」

「ああ、それも毎年のことじゃが、夏の熱海はサンビーチの海開きもあるしのぅ。そして何より、熱海が一年で最も熱くなるイベント、"こがし祭り"もある!」

「こがし祭り?」


 花が聞き返したと同時に、今度は白い煙とともにドロン!と黒桜が現れた。


「こがし祭りとは、熱海に住む住人や、熱海の地を訪れる人々を守る神々に、日頃の感謝を伝える神事なのですよ」

「感謝を伝える神事ですか……」

「はい。なんでも、その昔、海辺で神に"麦こがし"を供えたという話から、"こがし祭り"と呼ばれるようになったということです」


 "麦こがし"に聞き覚えのある花は、「へぇ!」と感嘆の声を上げた。

 花は以前、八雲とふたりで熱海の大楠神社を訪れた際に、茶屋で麦こがしにちなんだロールケーキを食べたのだ。


「毎年、七月の十五日、十六日に開催される山車コンクールは熱海の夏の風物詩ともなっています」

「賑やかで豪華絢爛な山車(だし)神輿(みこし)が、それぞれ約三十基以上は熱海の町を練り歩き、祭りを大いに盛り上げるんじゃ」


 黒桜とぽん太の説明してくれたこがし祭りは、花にもとても魅力的なものに思えた。

 熱海の人々が一年で一番熱くなる、熱海最大の催し。

 伝統の木彫り山車や、町民のアイデアを形にした装飾山車、祭りの華である神輿が、見物客を魅了する。

 熱海の各町内の人々は、この日のために準備を重ね、年に一度の山車コンクールで優勝するために心血を注ぐということだ。


「こがし祭りの日は店を休みにするという商売屋もあるくらいでのぅ。熱海から別の地に出たものも、こがし祭りの日だけは必ず帰ってくるというものもいるほどじゃ」

「それくらい、熱海の町の人々はこがし祭りに本気ということです」


 当日は、熱海の町も人も祭り一色になるという。

 熱海のこがし祭り……花は初めて聞く名前だったが、今のふたりの話を聞いたら俄然、実際の山車を見てみたくなった。


「そんなにすごいお祭りが熱海であるなんて、知りませんでした」


 興奮気味につぶやいた花は、ふとあることを思いついて、思わずといった様子で身を乗り出した。


「あ! それじゃあ、もしかして、こがし祭りの日はつくもでも何か特別なことをやったりするんですか?」


 けれど花のその質問に、ふたりは曖昧に笑ってから小さく首を横に振る。


「いやいや、祭りはあくまで現世でのことじゃ。つくもに泊まりに来るものが人に化けて山車を見に行くことはあるが、わしらはいつも通り、ここで粛々と客神のおもてなしをするだけじゃよ」

「え……そうなんですか?」

「はい。なんせ、その日は毎年必ず満室なので、つくもは朝から晩まで、とても慌ただしいのです」


 つまり、花自身もこがし祭りを見学に行く暇などないということだ。

 つくもでの催しがないことに加えて、こがし祭りも見に行けないとわかった花は、思わずガックリと肩を落とした。

(こがし祭りが見られないなら、せめてつくもで、それらしいことができたらいいのに……)

 しかしふたりの言うとおり、目の回るような忙しさで難しいと言われたら、諦めるしかない。