三泊目♨黒い昔話と、海鮮丼
「おい、ブス! 大浴場の掃除は終わったぞ!」
季節が梅雨に入ると、美しい紫陽花がつくもの庭を彩った。
家将と駒代の一件から早二週間。
あれ以来、政宗は心を入れ替えた──とまではいかないが、これまでのことが嘘のように真面目に仕事をするようになった。
「ありがとう! 今日も早いね」
「ケッ。この宿の風呂は広さが神成苑の半分以下だからな」
この通り、悪態をつくのは相変わらずだ。
それでも以前に比べれば、ほんの少しだけ回数は減ったので良しとしている。
「ああ、そういや前から気になってたんだが、なんでこの宿は大浴場にタオルを常備してねぇんだよ」
と、不意に政宗が花に尋ねた。
「え……。だってタオルは客室にご用意してるし、お客さんはみんなそれを持って大浴場に行ってるよ?」
それに花は大した疑問も抱かずに答えたのだが、答えを聞いた政宗は得意の人を見下したような顔をすると、今度は呆れ混じりの溜め息を吐いた。
「ハァ〜、これだからブスは使えねぇな。いいか、客の中にはタオルを何枚も使いたいってやつもいるし、客室からタオルを持っていくのを忘れるやつもいるんだよ。選ぶ権利は客にあるんだ。そもそも、タオルは無きゃ困るが、ある分には何枚あっても困らねぇだろうが」
断言されて、花は続く言葉が出てこなかった。
政宗の言い分は尤もだ。
客の立場になって考えれば、大浴場にもタオルが置いてあったほうが単純に便利に決まっているのに、客として宿に泊まった経験がほぼゼロに等しい花は気づけなかった。
「いいか。"もてなし"なんてもんは、そういう小さなことからやってかねぇと意味ねぇんだよ。ブス!」
厳しい口調で言い捨てた政宗は、フン!と鼻を鳴らすと踵を返して、今度は客室の準備に向かった。
「……なんなのよ、ほんとに」
風を切って歩く姿を見送ってから、花は思わず脱力する。
確かに、政宗の言ったことは間違っていない。
大浴場にタオルが置いてあれば、お客様もわざわざ客室からタオルを持っていく必要はないし、何枚でもタオルが使えるというのは単純に喜びにも繋がるだろう。
「悔しい……。そんな当たり前のことも、政宗に言われるまで気づけなかったなんて……」
「ふぅむ。政宗はスッカリ心を入れ替えたようじゃのぅ」
「わっ! ぽん太さん、聞いてたんですか!?」
つい独り言を溢した花の前に、今日もドロン!と現れたのはぽん太だ。
思わず溜め息をついた花は、ブスっと唇を尖らせながら、政宗が消えた廊下へと再び視線を滑らせた。
「あれは、心を入れ替えたっていうんですかね? 何故か私のこと、"ブス"呼び固定なんですけど」
口をへの字に曲げた花は、この二週間のことを思い返した。
政宗は、確かに仕事に対する姿勢を変えた。
今のように花に良い意味で意見をすることも増えたし、何よりひとつひとつの仕事が迅速かつ丁寧になった。
そしてお客様の前でも、当初のような口の悪さや態度の悪さを見せることはなくなったし、まるでベテランの仲居のように仕事もスムーズだ。
それなのに、相変わらず花に対する口調だけはキツい。
あの啖呵事件のことを思えば、仕方がないと諦めるしかないのかもしれないが、こうも毎日ブスブス言われ続けると、怒りを通り越して悲しくなってくるというものだ。
「まぁ……花をブスと呼ぶことについては置いておくとしてじゃ」
「……置いておかないでくださいよ」
「政宗は元々、神成苑の跡取りである若旦那ともなる男じゃからのぅ。宿の仕事に関しては、幼少期から仕込まれとるはずじゃし、慣れたもんに違いない」
「え……。それってつまり、つくもでも最初からやろうと思えば、仕事はできるはずだったってことですか?」
「まぁ、そういうことじゃな」
飄々と答えたぽん太の返答に花は呆れた。
つまるところ、ここに来たばかりの頃、政宗は敢えて手を抜いて仕事をしていたということだ。
「でも、なんでそんなこと……。あ、もしかして、私への嫌がらせで手を抜いてたってことですか?」
「まぁ……そりゃ、政宗本人にしかわからんことじゃろうなぁ」
「それは確かにそうかもしれないですけど、もし嫌がらせで手を抜いてたなら最悪なんですけど」
「うむ、しかし、宿はこれから繁忙期じゃ。今の心を入れ替えた政宗がいてくれるのは有り難いことじゃと、今後はプラスに捉えることもできるら」
(でも私はずっと、ブス呼ばわりされるんだ……)
花は返事の代わりに心の中で悪態と溜め息をついた。
色々納得のいかないことはあるが、確かにこの先、つくもは一番の繁忙期である夏を迎えるため、これまでになく忙しくなる予定だ。
「熱海海上花火大会のある日なんて、満室ですもんね」
「ああ、それも毎年のことじゃが、夏の熱海はサンビーチの海開きもあるしのぅ。そして何より、熱海が一年で最も熱くなるイベント、"こがし祭り"もある!」
「こがし祭り?」
花が聞き返したと同時に、今度は白い煙とともにドロン!と黒桜が現れた。
「こがし祭りとは、熱海に住む住人や、熱海の地を訪れる人々を守る神々に、日頃の感謝を伝える神事なのですよ」
「感謝を伝える神事ですか……」
「はい。なんでも、その昔、海辺で神に"麦こがし"を供えたという話から、"こがし祭り"と呼ばれるようになったということです」
"麦こがし"に聞き覚えのある花は、「へぇ!」と感嘆の声を上げた。
花は以前、八雲とふたりで熱海の大楠神社を訪れた際に、茶屋で麦こがしにちなんだロールケーキを食べたのだ。
「毎年、七月の十五日、十六日に開催される山車コンクールは熱海の夏の風物詩ともなっています」
「賑やかで豪華絢爛な山車と神輿が、それぞれ約三十基以上は熱海の町を練り歩き、祭りを大いに盛り上げるんじゃ」
黒桜とぽん太の説明してくれたこがし祭りは、花にもとても魅力的なものに思えた。
熱海の人々が一年で一番熱くなる、熱海最大の催し。
伝統の木彫り山車や、町民のアイデアを形にした装飾山車、祭りの華である神輿が、見物客を魅了する。
熱海の各町内の人々は、この日のために準備を重ね、年に一度の山車コンクールで優勝するために心血を注ぐということだ。
「こがし祭りの日は店を休みにするという商売屋もあるくらいでのぅ。熱海から別の地に出たものも、こがし祭りの日だけは必ず帰ってくるというものもいるほどじゃ」
「それくらい、熱海の町の人々はこがし祭りに本気ということです」
当日は、熱海の町も人も祭り一色になるという。
熱海のこがし祭り……花は初めて聞く名前だったが、今のふたりの話を聞いたら俄然、実際の山車を見てみたくなった。
「そんなにすごいお祭りが熱海であるなんて、知りませんでした」
興奮気味につぶやいた花は、ふとあることを思いついて、思わずといった様子で身を乗り出した。
「あ! それじゃあ、もしかして、こがし祭りの日はつくもでも何か特別なことをやったりするんですか?」
けれど花のその質問に、ふたりは曖昧に笑ってから小さく首を横に振る。
「いやいや、祭りはあくまで現世でのことじゃ。つくもに泊まりに来るものが人に化けて山車を見に行くことはあるが、わしらはいつも通り、ここで粛々と客神のおもてなしをするだけじゃよ」
「え……そうなんですか?」
「はい。なんせ、その日は毎年必ず満室なので、つくもは朝から晩まで、とても慌ただしいのです」
つまり、花自身もこがし祭りを見学に行く暇などないということだ。
つくもでの催しがないことに加えて、こがし祭りも見に行けないとわかった花は、思わずガックリと肩を落とした。
(こがし祭りが見られないなら、せめてつくもで、それらしいことができたらいいのに……)
しかしふたりの言うとおり、目の回るような忙しさで難しいと言われたら、諦めるしかない。
「おい、客室の掃除も終わったぞ。次は何をすりゃいい」
と、そのとき、背後からぶっきらぼうな声がかけられた。
花が弾かれたように振り向くと、つい先ほど客室の掃除に向かったばかりの政宗が、偉そうに仁王立ちしていた。
「え、もう掃除終わったの!?」
「はいっ! ニャン吉もお手伝いさせていただきました!」
嬉々とした表情で答えたのはニャン吉だ。
ニャン吉は政宗の足元に立ち、小さな両手を力いっぱい上げていた。
「そもそも、こんな小さな宿の掃除なんかすぐ終わって当然なんだよ」
フンッ!と鼻を鳴らした政宗は、腕を組んで相変わらず眉間にシワを寄せている。
「政宗が若旦那を務める神成苑は、そんなに大きな旅館なの?」
「……まぁ、客室数は一〇八か」
「ひゃ、一○八!?」
「ああ。神成苑の庭園には滝も流れている上に、龍神を祀った社もあって、宿自体も数年前に建て直したばかりで新しい」
どこか自慢気にも聞こえた政宗の返事に、花は唖然として固まった。
(客室数が一〇八室に、庭園に滝が流れてるって……)
つくもの三部屋という客室数とは雲泥の差だ。
政宗がここに来てから何度もつくもを小さな宿だとか、古い宿だと言っていたことにも、ようやく納得ができた気がした。
「そういえば、神成苑でも八月に祭りがあったのぅ」
「はいっ、そうです! 昨年は政宗しゃまが神楽を舞われて、それはそれは大変素晴らしく、好評だったのですよ〜」
キラキラと瞳を輝かせたニャン吉は、頬に手を添え恍惚とした表情で宙を見上げた。
聞けば政宗たち神楽家は、祭りの日に神楽を舞う役割を代々担っているのだという。
「神楽って、神様の前で踊ったりするあれだよね? 政宗、神楽が踊れるなんてすごいね!」
花は声を弾ませると、改めて政宗へと目を向けた。
政宗が来てからというもの、花は驚かされることばかりだ。
「なんだかんだ政宗って、ご両親にとっては自慢の息子なんじゃない?」
宿の仕事もそつ無くこなし、実は細かな気が利いて、神楽も舞える。
しかし花の賛辞を聞いた政宗は、カッ!と目を見開くと何故か野良犬が威嚇するように声を荒げた。
「うるせぇ! 俺は舞いたくて舞ったんじゃねぇ! テメェに俺の、何がわかるっていうんだ!」
「え……」
ビリビリと空気を震わせるような叫びに、その場にいる全員が思わずといった様子で口をつぐんで押し黙る。
「あんな奴に、自慢だなんて思われてたまるかよ! 親父はくだらねぇ仕来りに縛られて、本当に大切なものすら見えなくなっているような馬鹿な男だ!」
続けて放たれた政宗の主張には、政宗の抱える苦しみの片鱗が垣間見えた気がした。
「俺はあの親父が許せなくて今、ここにいる! バカなテメェは、そういう俺の想いなんてまるでわかってないくせに、くだらねぇことを簡単に言いやがって……っ」
「ま、政宗……?」
咆哮と同時に、またザワザワと政宗の髪と瞳が赤く色づき始めた。
花はすぐに、政宗の身体が以前と同じように龍神の姿に変貌しようとしているのだと察した。
同時に、思わず後ろに足を引こうとしたが、震えのせいで思うように動くことができなかった。
「ぐるルルルルル………ッ」
「政宗坊、怒りに心を囚われてはなりません! どうか落ち着いてください!」
咄嗟に止めに入ったのは黒桜だ。
けれど政宗は、そんな黒桜の身体を鋭い爪の生えた手で勢い良く薙ぎ払った。
「ぐ……っ」
「きゃっ……黒桜さん!?」
政宗の爪が、黒桜の黒い着物の袖を僅かに裂く。
間一髪、ひらりと後ろに飛んだ黒桜は政宗から傷を受けずに済んだが、同時に前に出ることもできなくなった。
「政宗坊、いけません……っ。このままでは、何ひとつとして良い方向には進みませんっ」
「黙れ、黒桜! テメェも本当は俺と同じように、こんなところにはいたくねぇと思ってんだろうが⁉ 冷静な顔して、良い子ぶってんじゃあねぇぞ!」
「……っ、」
政宗の叫びに、今度は黒桜の瞳がハッキリと揺らいだ。
(黒桜さん……?)
何かを堪え、迷い苦しむその様子に、花は思わず黒桜のそばに寄ろうと足を前へと踏み出した。
「──何事だ」
しかし、既のところで凜とした声が響いて、花はその場に踏みとどまる。
振り返れば、そこには八雲が立っていた。
つくもの料理長であり、包丁の付喪神であるちょう助も一緒だ。
「八雲……テメェ……っ」
「政宗……お前はまた、怒りに我を忘れているのか。いい加減、大人になったらどうだ」
政宗を鋭く睨みつけた八雲は、低く地を這うような声で政宗を牽制した。
しかし当の政宗は、そんな八雲を鼻で嘲笑って一蹴すると、小さく唸った。
「グルルッ。八雲……テメェは結局、俺の親父と同じ、仕来りに縛られた側の人間だ。だから俺は、お前に何を言われたところで、何ひとつ響かねぇよ」
「なんだと……?」
「そうだろう? 何故なら、そこの女を嫁に娶る気なんだからなぁ。ハッ! 所詮、親父もテメェも臆病者だ。常世の神の言いなりになり、大切なものは何ひとつだって守れねぇ」
次の瞬間、政宗の血が燃えたような赤い瞳が、呆然としていた花の目を鋭く射抜いた。
花はまた金縛りにあったかのように動けず、政宗から目を逸らすことができなくなった。
「ブス。テメェも、不幸な女だ。こんな奴に目をつけられたばかりに、この先、地獄を見ることになるんだからなぁ」
ドクン!と、花の胸の鼓動が不穏に跳ねた。
地獄を見ることになる──。
花は死んだあとの地獄行きを避けるために、つくもで八雲の嫁候補兼仲居として働くことになった身だ。
それなのにまさかまた、ここで"地獄"という言葉を耳にするとは思わなかった。
「だが……八雲や他の奴らはともかく、テメェは本当はこんなところで働くなんてごめんだと思ってるんじゃないのか。なぁ、黒桜?」
誰もが言葉を発せずにいる中で、政宗は再び静かに黒桜を見やって嘲った。
「なぜなら、テメェがここで働いてるのは、贖罪みたいなもんだもんなぁ。だからお前は、この俺の怒りがよくわかるだろう? なぁ、黒桜?」
吐き出された言葉に、花はまた心臓が不穏な音を立てるのを聞いた。
黒桜がつくもで働いているのは、"贖罪"。
贖罪とは、自分が犯した罪を償うために善行を積んだりする行動のことだ。
信じられない気持ちで花が黒桜へと目をやれば、黒桜は眉根を寄せて下唇を噛み締め、俯いていた。
「何が神のための宿だ、もてなしだ。人も、ものも、神さえも、都合のいいときだけいいように使われて、役に立たなくなったら捨てられる。黒桜。テメェはそれを、誰より一番良くわかってるはずじゃないのか! なぁ⁉」
また玄関ホールの空気が、ビリビリと痺れるように震えた。
「ぐっ……ぐぅ……ハッ、グルルルルルル……ッ」
そうして政宗は苦しげに呻いたあと、みるみるうちに身体を赤い龍に変化させ、あちこちに尻尾をぶつけながらつくもを飛び出していった。
「ま、政宗しゃま! お待ちください!」
灰色の空の彼方へ消えゆく政宗を、ニャン吉が悲痛な声を上げて追いかける。
ふたりがいなくなり、静寂に包まれた空気とは裏腹に荒れ果てた玄関ホールを見た花は、ようやく息を大きく吸い込んだあと、狼狽した。
「ど、どうしよう……っ。私が余計なことを言ったせいで……」
神楽が踊れるなんてすごい、政宗は両親にとって自慢の息子だと、軽口を叩いたせいだ。
もちろん花に悪気など一切なかった。
(だけど、そもそも私は政宗に嫌われてたのに……)
馴れ馴れしいことを言えば政宗が気分を害すのは当然だったと、花は浅慮な自分自身を強く責めた。
「ふぅ……。まぁまぁ、とりあえず落ち着くんじゃ。とにもかくにも、今日も宿泊予約が入っておるし、まずはこの荒れた玄関ホールを片付けにゃならん」
「で、でも、政宗を追いかけなくてもいいんですか?」
「あやつは神術を使えるし、ニャン吉も追いかけていったしどうにかなるじゃろ。そもそも、今我々が追いかけたところで、それこそ花の言うとおり、政宗の神経を逆なでするだけじゃろう」
落ち着いた声で花を諭したぽん太は、ふよふよと宙に浮きながら倒れた壺を静かに起こした。
けれど、黙り込んでしまっている八雲、ちょう助、そして顔色を青くしている黒桜は立ち尽くしたまま動かない。
「……うーむ。やはり、こちらでも、こうなってしまいましたか」
「え──?」
と、そのとき。
最早、お馴染みのドロン!という効果音と共に、神成苑の大旦那補佐を務める黒百合が現れた。
「黒、百合さん……?」
「お久しぶりでございますわいな、つくもの皆々様。お元気そうで何よりだわさ」
皮肉めいた口調と優雅な仕草で頭を下げた黒百合は、黒い着物の袖で口元を隠すと今日も妖艶に目を細めた。
「なんじゃ、黒百合。見ておったんか」
「あい。うちの若がご迷惑をお掛けしまして、大変申し訳ございません」
飄々と答えた黒百合は、言葉とは裏腹に目元は静かに笑っている。
「黒百合……。政宗は、なぜあのように心が荒れているんだ」
そんな黒百合に声をかけたのは八雲だ。
八雲の問いに、黒百合は数秒考え込む仕草を見せたあと、「ふぅ」と小さく息を吐いてから言葉を続けた。
「こうなってしまえば、事情を話さぬわけにも参りますまい。きっかけは、昨年、政宗坊の母上であられる大女将様が亡くなられたことだったわさ」
「大女将が?」
どこか遠くを見るように空を見上げた黒百合の話はこうだ。
──そもそもの事の発端は、約一年前。政宗の母が亡くなる少し前に遡る。
政宗の母は花と同じ、ごく普通の人間だったのだが、龍神である政宗の父と恋に落ちて、箱根の現世と常世の狭間にある温泉宿、神成苑に嫁いだ。
その後、跡取りとなる政宗が産まれ、しばらくは幸せな時間を過ごしていた。
ところが晩年、政宗の母は密かに自分が生まれ育った故郷である現世に帰りたいと願うようになっていたという。
そして病に倒れ、いよいよ現世が恋しくなった政宗の母は、『自分の死後は現世にある自分の両親が眠る墓に骨を納めてほしい』と、政宗の父と政宗に懇願したということだ。
『どういうことだよ、親父!』
ところが政宗の父は、政宗の母の願いを聞き届けず、結局、政宗の母の死後も骨を現世に戻してくれることはなかった。
それに対して政宗は、父に激しく抗議したという。
そもそも政宗の母は身体を壊す前から現世に帰りたがっていた。
しかし政宗の父はその願いを聞き入れなかったばかりか、遺言ですら叶えてやらず、『それではあまりにも酷すぎる』というのが、政宗の主張だった。
対して政宗の父の回答は、『一度、こちらの世界で生きると決めたのはアイツだ。それを大女将たるものが途中で投げ出すようなことがあれば、神成苑で働くものたちにも示しがつかない。何より、代々この場所を守ってきた先祖にも恥をかかせることになる』と、いうことだった。
結果として、その答えを聞いた政宗は大激怒。
何度か互いに主張をぶつけ合ってはきたが、最終的に今の有様が出来上がったということらしい。
「政宗坊が神成苑の若旦那を辞めると言い出したのも、その一件があってからだわいな」
「で、でも……。今の話を聞く限りでは、政宗は間違ってない気がするんですけど……。謝るべきは、政宗のお父さんの光秀さんではないんですか?」
黒百合の話を聞き終えた花は、抱いた感想を素直に口にした。
(政宗のお母さんの願いは一切聞き届けずに、自分たちの都合だけを押し付けるなんておかしいし……)
花はようやく、政宗があそこまで仕来りを嫌っている理由に納得がいった気がした。
けれど花の言葉を聞いた黒百合は、花を見やるとフッと黒い笑みを浮かべて再び静かに口を開く。
「ほほぅ。つまり八雲坊のお嫁様は、現世に帰りたいと願った大女将様のお気持ちがよくわかるということだわいな?」
「そ、それは別に、そういう意味で言ったんじゃ……」
「お嫁様は今はまだ、花嫁修業中の身だと聞いてるわいな。けれど、今からそのように中途半端なお気持ちでおられるようでは、いずれ、うちの大女将様と同じ末路を辿ることになるんじゃあないかと、ワイは心配しているだけだわさ」
黒百合の静かながらも圧のある物言いに、花は思わず口をつぐんだ。
中途半端な気持ちでいたら、政宗の母と同じ末路を辿る──。
花はまるで、自分にそこまでの覚悟がないことを見透かされたような気分になって、反論ができなくなった。