ノックの音がした。

「はい、どうぞ」

 おばあちゃんが答えると、姿を見せたのはお母さんだった。
 うしろからお父さんも入ってくる。

「こんにちは。お義母さん、いよいよ退院ですね」
「そうだね。なんだか今すぐにも帰りたいよ」
「あらあら」
「帰ったら庭の手入れをしないとね。夏野菜は無理でも秋のものはまだ間に合うだろうし」

 パタンと本を閉じたおばあちゃんに、お父さんがため息をついた。

「そんなこと言ってるから、すっ転ぶんだよ」
「うるさいね。あれは足が滑ったんだって何度も言ったろ」

 強気なおばあちゃんに思わず笑ってしまった。
 未練解消の相手じゃなかった三人が集まったことにも意味がある気がした。
 まだ楽しそうに話をしているみんなに向かって、私は頭を下げた。

「おばあちゃん、私、全然お見舞いに来れなかったね。本当にごめんなさい」

 気持ちを言葉にするなんて、普段の生活ではできなかった。
 ううん、しようとしなかった。

「お母さん、ワガママばかりでごめんね。でも、お母さんのこと大好きだったよ」

 黙っていても家族なら気持ちは伝わるって思いこんでいた。でも、きっと違う。

「お父さん、いつもかばってくれてありがとう。そっけない態度ばかりしてごめんなさい」

 言葉にすることで伝わることがあるんだ。
 いろんな『ごめんなさい』があふれてくるのがわかる。じんわりと熱くなったお腹から、感情があふれている。

 喉元をとおった悲しみは、顔の温度をあげ、涙になった。

「私、幸せだったよ。先にいなくなってごめんね。そして……ありがとう」

 こんなに悲しい気持ちは感じたことがなかった。いつも強がりばかりで、友達の前でも強がって、いろんなことに興味のないフリをして……。
 私はバカだ。今さら後悔しても仕方ないけれど、涙が止まらないよ。

 自分のために泣いても、いいんだよね?

 私はこの世にいない。もう、二度と『ありがとう』や『ごめんなさい』を伝えられないんだ……。
 床に倒れるように崩れ、声をあげて泣いた。

 どれくらい泣いていたのだろう。

「だからさあ」

 お父さんの声にやっと我に返った。
 そろそろ行かないとクロが怒ってしまいそう。
 立ちあがると、あんなにあった体の重みがすっかり消えていた。

「え……なんで?」

 まるで生きているときのように腕も足も、体ぜんぶが軽い。
 それだけじゃない、モヤモヤしていた気持ちもどこかへ吹き飛んだみたい。
 やっぱり泣くことって大切なんだ……。

「何度も言ってるだろ? うちに来ればいいんだって」
「あーうるさい。そんな話をしに来たなら帰っていいよ」

 おばあちゃんの怒った口調に噴き出しそうになった。
 お父さんがお母さんとアイコンタクトを取るのがわかった。選手交代らしく、お母さんが「でも」と口を開いた。

「やっぱり心配ですから。少しだけ考えてみてください。あ、おまんじゅう買ってきたんですよ」
「食べ物でつろうたってそうはいかないよ。でも、一応いただこうかね」

 ふふ、と笑いながらもう一度頭を下げた。

「行ってきます」

 返事はなくても、これまでとは違う。いつか、また三人に会える日は来る。


 ――あっちの世界で待っているからね。