「彼氏って言ったのは間違い。これから彼氏になるはずだった人なの」

 頭を押さえているシロに訂正すると、よくわからない顔をした。
 そうだろうな、自分でもまだ整理できていない。
 恋人になるはずだった侑弥。恋人になるはずだった私。

 それなのに……。

「自分がすごく冷たい人に思える」

 そう口にすると、クロが口をへの字に結んだ。

「なんで?」
「だって、すごく好きな人だったのに忘れていたんだよ?」

 彼の笑顔が好きだった。
 最初は無口であまりしゃべらない人だったのに、会うたびに話をしてくれるようになっていった彼。
 片想いの期間が長かったぶん、恋人になれることがうれしかった。

 そう、まだ〝はじまってもいない恋人〟だったんだ。

「好きとか嫌いとか、そういう感情は俺にはわからない」

 そうだろうな、とクロの答えに納得しながら体を起こした。ひどく体が重く、節々(ふしぶし)が痛い。
 カレンダーの日付は五月十日を示している。

「また眠っちゃったんだ……」
「でも思い出せたなら意味がある眠りだ。さ、行くぞ」

 せっかちなクロは、もう保健室の扉へ足を進めている。

「侑弥が未練解消の相手なの?」
「知らん。ただ、可能性は高い。おい、さっさとしろ」

 最後の言葉は、まだ驚きの表情で固まっているシロに向けられたみたい。
 ぶうと膨れたシロが、のそのそとベッドからおりた。

「僕は好きになる気持ち、わかるよ」
「そうなの?」
「ワクワクしてたまらなくて、ものすごくお腹が空くんだよね」
「……ちょっと違うかも」

 ますます膨れるシロを見ないフリで歩きだすと、やっぱり体が重い。
 外に出ると、今日は曇り空みたい。梅雨にはまだ早いけれど、そのころにはもう私はこの世にいないんだ……。
 なんだか悪いことばかり考えてしまう。
 やっと好きな人のことを思い出せたのに、どうしてこんなに苦しいのだろう。

 校門を出たところでクロが足を止めた。

「で、どっちに行くんだ?」
「えっと……」
「そいつ……侑弥の家は?」
「知らない」
「は?」

 拳でも入りそうなくらい大きく口を開けるクロに、私は必死で手を横に振った。

「だから、まだ正式にはつき合ってないんだよ。でも、最初に会ったのはもう何年も前なんだよ」
「友達から恋人になったとか、そういうやつか?」
「それともちょっと違う」
「わけがわからん」

 やっと口を閉じたクロが、やれやれという表情になった。なんだか恥ずかしくなり、私は足を右へ進めた。

「いつも会う場所は決まっているの。こっち」
 誰も信じないだろうな。私と侑弥が固い(きずな)で結ばれているなんて。

 ――そう、あれは三年前。私が中学二年生になる直前の春休みのことだった。