「ごめんね。七海さんには関係ないのに」
「いえ」
「心配して見に来てくれたんだよね? すごくうれしかった」
「これから、どうするんですか?」

 有希子さんはしばらく黙ってから、
「そうね」
 と口にして立ちあがった。

「この一カ月、なんとか吉野にとり憑いてやろうと努力したけれど、やっぱり無理みたいなの」

 階段をおりていく有希子さんについていく。下までおりると、周りの建物のせいで太陽の光は見えなくなった。

「毎日、凛のことだけを考えている。私が死んだあとあの子がどうしているのか、ずっと気になっていた。だから、会いに行こうと思う」
「それがいいですよ」

 私と違って、未練の相手がわかっているんだもの。

「吉野のことは私とシロでちゃんと見張っておきますから。といっても、私もあまり時間がないですけど」
「やさしいのね、ありがとう。でも、安心して。私、凛に会いに行っても姿は見せないつもりだから」
「え!?」

 有希子さんが吉野の部屋のドアを見あげた。その目にはさっきまでのやさしさはなく、憎しみが宿っている。

「凛を守るために未練解消をしないことにしたの。あの子のためなら、地縛霊にだってなるわ。地縛霊としてあいつにとり憑いてやるの」
「ダメですよ」

 私より先に、それまで黙っていたシロが言った。

「そんなこと、凛ちゃんは望んでいないと思います」

 涙声のシロに、「ええ」と有希子さんはうなずく。

「だけど、それしか方法がないの。あなたたちも、いつか子供を持つようになったらわかること。どんな手を使ってでも、自分の子は守りたいって親なら思うものよ」

 決意が言葉にこめられている、と思った。でも、私はもう死んでいるから、そんな未来は永遠に訪れない。

「でも……。地縛霊になったら、凛ちゃんにまで悪い影響が起きるかもしれません」
「大丈夫。そうなりそうだったら、案内人さんが私をやっつけてくれるって約束しているから。ね、そうでしょう?」

 有希子さんが私のうしろに声をかけた。いつの間にいたのか、電柱にもたれたクロが右手を挙げた。

「ああ、もちろんそうさせてもらう」
「クロ!」
「だから余計な心配はするな。これは有希子と七海、ふたりに言っているんだぞ。いい加減、七海も自分の未練解消をしろ」

 なんだ……。もうそこまで話をしているのか……。
 私にできることはなにもない、ってそういう意味だったんだね。

「わかった。じゃあ、有希子さんがんばってくださいね」
「七海さんも」

 ほほ笑みを交わしたときだった。アパートの二階からドアを開閉する音が聞こえたのだ。
 鼻歌交じりに出てきたのは、吉野だった。
 スマホで会話をしながら階段をおりてくる。

「でさ、とりあえず現金でいくらか工面してもらうつもり。昔から凛の名義で貯金してたのは知ってるしな」

 サッと有希子さんの顔色が変わった。