保健室のベッドは寝にくい。
 パイプ式のせいで少し動くだけでギイギイ鳴るし、なによりも狭すぎる。
 何分くらい寝たのだろう。まさか何日も経ってはいないと思うけど、と体を起こすと、カレンダーはまだ四月三十日のままだった。

 時計を見ると午前三時。いつの間に帰ったのか、クロとシロの姿はなかった。
 体を起こせば、閉めたカーテンの隙間から光が入ってきている。やけにまぶしくてそっとカーテンを開くと、斜め上に少し欠けた月が浮かんでいた。

 さらさらと降る銀色の光が校庭を照らしている。
 その真ん中にクロとシロが立っていた。スポットライトのような光に照らされたふたりは、なにやら真剣に話をしているようだ。
 口だけじゃなく、身振り手振りで必死になにか訴えるシロに対し、クロはポケットに両手を入れたままで動かない。

 外に通じるドアを開けると、風はまだ冷たかった。

「なにしてるの?」

 土を踏みしめて近づくと、シロが「おはよう」と挨拶をしてきた。

「こんばんは」

 言い直すと、きょとんとしている。

「挨拶言葉って難しいね」
「お前が下手なだけだ。俺様クラスになると日本語だけじゃなく地球語全般を操れる」

 胸を()らして自慢げなクロ。
 月の光に照らされた私たちが、なんだか夢のなかの世界にいるように思えた。

「眠れないのか?」

 クロが尋ねたので「ううん」と答えた。

「ちょっとは寝たよ。ふたりこそなにしてるの?」
「作戦会議ってやつだ。これからどうするか新人なりの意見を聞いてやってたところ。まあろくな意見は出ないけどな」
「そんな言いかたひどいじゃないですか。僕だっていろんなアイデアを出していますよ」

 すでに涙目になっているシロを小バカにしたような目をするクロ。

「どこがアイデアだ。お前が出しているのは愚かな案ばかりだ」
「でも、でもっ」
「あーうるさい。泣くな。だいたい『七海に有希子の未練解消を手伝ってもらう』ってののどこがアイデアなんだ。遠回りしているようにしか思えん」
「だって七海ちゃんの性格だと、有希子さんの未練解消をしてからじゃないと、てこでも動きませんよ」
頑固(がんこ)だからな」
「ええ。だから、やりましょうよ」

 本人を目の前にしてひどい言われようだけど、シロの予想は間違ってはいない。
 うう、と泣くシロの肩に手を置いた。

「私はシロの意見に賛成」
「なんでそうなるんだよ。いいか、お前の未練解消の相手は吉野じゃないし、有希子でも凛でもない。そもそも有希子は自分の未練がなにかわかっている。お前はどうだ? 有希子を手伝うなんて何様のつもりだ」
「でも、有希子さん悲しそうだったじゃん」
「だからお前はアホなんだ。人のことより自分のことを心配しろ」

 売り言葉に買い言葉とはよく言ったもので、
「なによ、クロのバカ」
 つい言い返していた。シロの腕をつかんで歩きだす。

「え、七海ちゃん?」
「私たちだけで有希子さんの未練を解消しよう。反対ばかりするどこかの誰かさんは放っておこう」

 シロに、というよりクロに向けて言ってやる。

「勝手にしろ」
「勝手にします。ていうかクロってほんと――」

 振り返るともうクロはいなかった。
 薄い煙だけがうっすらと漂っている。どうやら行ってしまったみたい。

「まずいですよ。怒らせちゃった……」

 しょげるシロの背中をぱしんとたたいた。

「放っておけばいいよ。でも、有希子さんの手伝いをするのは正しいと思う。あのままじゃ有希子さん、吉野さんに危害を与えるかもしれない」
「……ですね。でも、どうやって止めればいいんだろう」

 不安そうな声のシロ。

「大丈夫。とりあえず無理やりでも凛さんの前に連れていけばいいんだよ」
「そんな強引な……」
「とにかく吉野さんのアパートに行ってみようよ。有希子さんを止めないと」
「七海ちゃんは、もう吉野さんへの恨みはなくなったの?」

 シロの質問にうなずきながら、果たしてそうだろうかと自問した。
 この行動が正しいかどうかはわからない。なぜ、自分を殺した犯人を助けようとしているのか……。

 ひょっとしたら、私はまた、自分の未練解消から逃げているのかもしれない。
 遠くの空が少し色を薄めている。
 それでもまだ、月は追いかけてきている。