「未練の解消をまだしていないんです」

 私の思考を読むように有希子さんは言った。

「最近亡くなられたのですか?」
「四月一日です。もう一カ月になるんですね」

 私より少し前だ。クロに視線を送るけれど、退屈そうにあくびをしているだけ。

「あの」と有希子さんの横顔を見た。

「未練の内容がわからないのですか?」

 もしそうなら私と同じだと思った。けれど有希子さんはすぐに「いえ」と否定した。

「死ぬ瞬間に自分がなにを願ったかは覚えています。娘のこと、それ以外にはないんです」
「娘さん……」
(りん)という名前です。あなたと同じくらいの歳かしら。今年高校三年生になったの。でも、まだ会いに行っていないの」

 ふふ、と笑ってから寒そうに有希子さんは細い腕をさすった。

「え……どうして?」
「会いに行く前にどうしてもしたいことがあって……。案内人さんは反対するけれど、どうしてもしなくてはいけないの」

 さっきまでのやわらかい雰囲気はなく、宙をにらむような鋭い横顔。自分でも気づいたのか、有希子さんは背筋を伸ばした。

「吉野は私の元旦那なんです。といっても離婚したのは十年も前のことですけど」
「そうだったのですか……」

 ふたりの苗字が違うことに今さらながら気づいた。

「もう何年も会ってなかったのに、最近急に姿を見せるようになったんです。そのころには私はもう病気が発覚していて……」

 ぶるりと体を震わせた有希子さんが立ちあがった。

「ごめんなさいね。こんな関係のない話をしちゃって。それより、七海さんはどうして吉野のアパートにいたの? ひょっとして、吉野とつき合っているとか?」
「まさか!?」
「だよね。あの人、ほんとろくでもない人だから、こんなにかわいい彼女ができるわけないしね」

 クスクス笑う有希子さんの頬は白く、やせている。

「有希子さんは病気で?」
「ええ。気づいたときは手遅れだったの。あなたは?」

 今度は私が話をする番だろう。

「私……たぶんあの男の人に車で撥ねられたと思うんです」
「え!」

 悲鳴のように叫んだあと、有希子さんは目を大きく開いた。

「あの人がよく弁護士さんに電話してたのは……。そう、そうだったのね」

 涙声になる有希子さんはやさしい人だと思った。

「確実じゃないです。ただ、そう思っただけで」
「いや、確実だ」

 クロがそっけなく言った。シロが隣でまた青ざめている。

「そう、だった、んだ」

 片言で答えながら、鳥肌が全身に広がるような感覚があった。
 やっぱり吉野が私を……。

 ユルセナイ

 怒りが燃えあがるのを感じた瞬間、
「七海さん」
 有希子さんが私の肩をギュッとつかんだのだ。

「あ、はい」
「あなたと私の願いは同じことかもしれない」
「……え?」

 言っている意味がわからず戸惑う私に、有希子さんは顔を近づけた。

「一緒に吉野を殺しましょう」

 はっきりとした口調で有希子さんはそう言った。