「どうでもいい話は置いておき、仕事の話をする。ほかに未練解消の相手で思い浮かぶ人はいないのか?」

 ――あ。

 その言葉になにかの感情がくすぶった。
 なにか思い出せそうな気がして、記憶をたどるけれど触れようと手を伸ばすそばから消えていく霞のよう。
 前も同じ感覚があったのに、やっぱりなにも浮かんでこない。

「……思い出せないよ」
「そっか」

 ふん、と鼻を鳴らしたクロが立ちあがった。

「なら探しに行くしかないな」
「探すってどうやって?」
「そりゃこのあたりをウロウロと歩き回るしかない。歩いているうちに記憶が再形成されるだろうし、なんたって時間がないからな。ほら、行くぞ」

 さっさと保健室を出ていくクロ。
 立ちあがってみると、ふらつきもない。少しずつ体も慣れてきたってことかな。
 鏡に姿を映すと、顔はむくんでいるし髪もボサボサ。
 ちょっとくらい待たせてもいいよね。

 顔を洗いながらさっき思い出しかけた記憶をもう一度たぐってみる。
 大切ななにかだということはわかっても、やっぱりなにも思い出せない。
 それなのに、なぜか胸がドキドキと高鳴っている。

「もう、死んでるのにね」

 つぶやけば、窓から忍びこむ夕焼けのオレンジさえ、悲しく思えた。