「そういうルールがあるんだよ。願ってもかなわない未練の場合は、あっちの世界に無条件で連れていくっていうルールがな。でも、こいつはそれを拒否した。挙句(あげく)の果てに、生きている人間に恋をしてしまったんだよ」
「邪気を吸い取ってあげるなんて、クロって案外やさしいんだね」

 からかう私に、クロは苦虫をかみつぶしたような顔をしている。

「まあ、そういうことだ。どうする? もう、思い残すことはないだろ?」

 クロの声に、志穂さんは奏太さんを見つめた。
 そして、大きくうなずく。

「行きます。なんだか今なら、本当に笑い虫になれそうな気がするから」

 言うそばから、やっぱり涙が瞳にあふれている。奏太さんは両手を伸ばし、志穂さんの体を包むように抱いた。

「いいんだよ。泣きたいときには泣けばいい。俺はそういう志穂さんが好きだった。そのままでいいんだよ」
「ありがとう、ありがとう」
「それに俺はちょっと満足なんだ」

 そっと体を放すと奏太さんの顔は真っ赤になっていた。

「ずっと君に触れたいと思ってた。だけど、君の体はすり抜けてしまうだろ? 今、こうして触れられたことがなによりうれしい」
「私も、私も……」

 笑いながら泣いている志穂さんを、美しいと思った。
 志穂さんと奏太さんの体から金色の光が燃えるように生まれた。
 それは、永い未練が解消されたことを祝福しているように見えた。

「奏太さん、ありがとう」
「俺がそっちの世界に行ったなら、きっと会おう。出逢いからやり直して、今度こそ幸せになろう」
「うん。うん……」

 必死で涙をこらえながら、志穂さんは木に立てかけてあった傘を手にした。

「これ、ありがとう」
「ああ……」

 傘を受け取る奏太さんの顔はもう涙でぐちゃぐちゃになっている。
 だけど、志穂さんは力強く笑っている。これからの奏太さんを勇気づけるように、強く、強く。

 クロが右手を上にあげると、手のひらに青色の光の玉がおりてきた。

「感動の別れのところ悪いが、そろそろ時間だ」

 クロって、なんていうかデリカシーがない。
 けれど傘を受け取った奏太さんも、志穂さんも晴れやかな笑みを浮かべている。
 ふたりを包む金色の光が弱まるとともに、クロの手のなかにある青い光は大きくなった。

「さようなら、奏太さん」
「また会おう、志穂さん」

 閃光(せんこう)が激しく走り顔を(そむ)けた。

 ゆっくり目を開くと、志穂さんとクロの姿はもうなかった。