はっきりと口にしたあと、奏太さんは志穂さんの細い両手を握った。

「もうこの世にはいないと知っていたのに、好きになる気持ちが(おさ)えられなかった。雨の日にだけ現れる君のことばかり考え、毎日雨が降るように祈っていたんだ」

 気づくと志穂さんの体から出ている黒い炎は、雨に負けるように弱くなっていた。

「……私が霊だと知ってて傘を?」
「好きになった人に泣いてほしくなかった。だけど、それが君をこの世に縛りつけてしまったんだね」

 ザーッという音は、桜の花びらのせいか雨のせいか。
 言葉をかみしめるようにうつむいていた志穂さんがゆっくりと顔をあげた。

「私も、だよ」

 その声はやわらかく、口元には笑みが浮かんでいた。さっきまでの悲しみや怒りはもうそこになかった。

「私も雨の日を待っていた。ずっと好きだったの。幸せだったの」
「でも、間違いだった。君にちゃんと成仏してほしかった。だから、会わないように決めたんだ」

 奏太さんの瞳から涙がこぼれるのが見えた。志穂さんは(はな)をすすって、だけどまだほほ笑んでいた。

「奏太さんはやさしい人。だから私、後悔してないよ。永遠にこの場所にいても、幸せなの」

 嘘じゃない、と思った。
 泣き虫だった志穂さんは、すべてを受け入れている。

「それは俺が困る」

 ザッと砂埃を立てたクロがふたりに近寄った。

「案内人さん……」

 志穂の声に奏太が目を丸くした。

「案内人って?」
「あっちの世界に連れていってくれる人。私に早く未練解消をしろって言ってたのに、私はできなかった。ああ、そうだ。私の本当の未練って……なんだったのだろう」

 逡巡するように雨を見る志穂さんに、クロがふんと鼻を鳴らした。

「やっぱり忘れてたか。お前の未練は『笑い虫になる』だ」

 クロの言葉に、
「笑い虫? それってどういう意味?」
 私も会話に加わった。志穂さんが「ああ」と小さく笑う。

「ずっと泣き虫だって言われてたから。いつか、泣き虫じゃなくて笑い虫になりたいって思ってたの。それが最後の瞬間の願いなんて、最悪だよね。だってあんな状況で笑えるはずが……ない」

 奏太との出会いをきっかけに、自分のなかの未練を彼に置き換えていたんだ。

「ねえクロ、なんとかならないの?」

 スーツの(ひじ)を引っ張ると、
「ならん」
 あからさまに嫌な顔をするクロ。

「でも、地縛霊になるところをクロが助けてあげてたんでしょう?」
「知らん」

 プイと横を向くクロに、志穂さんがゆっくりうなずいた。

「案内人さんはやさしい人。私の邪気(じゃき)をたまに吸い取ってくれていたんです」
「お前は余計なことを……」

 くわっと歯を見せたクロが、あきらめたように腰に手を当てた。