あんなに晴れていたのに、畳屋を出るころに空を覆いだした厚い雲は、その色を濃くし、学校へ戻るころには小雨が降りだしていた。
 霧のような雨が、髪に、肩に落ちてくる。

 志穂さんはまた木と話でもするかのように、細くて白い手のひらを幹に当てていた。離れていてもわかるくらい、顔がまだ青白い。
 桜の木がひとしきり大きく葉を揺らすと、ピンク色の花が音もなく舞い降りた。

 クロが私の肩をつかんだので足を止めた。わかってる、と小さくうなずく。
 ここからは、私は見ていることしかできない。

 私の横を通り過ぎるとき、
「ありがとう」
 奏太さんは小さな声でそう言ってくれた。

 やがて、志穂さんが足音に気づく。
 ずっと待っていた、ずっと聞きたかった足音に。

「え……嘘……」

 振り向いた彼女の顔がぱあっと明るくなったかと思うと、次の瞬間には涙にゆがんでいる。

 不思議だった。ふたりともその場にたたずみ、お互いを静かに見つめている。

 すぐうしろにいるシロが、
「ね……ふたりとも光っていない」
 違和感の正体を教えてくれた。
 そうだ、未練解消のはずなのに光っていない。

「いいんだよ、光らなくて正解だ」

 そっけなくクロが言った。

「もう未練解消の期間を過ぎてしまったから?」

 私の問いにクロはうなずく。

「それもあるが、理由はほかにもある」

 奏太が「あの、さ」と(おのれ)(ふる)い立たせるように大きな声で言った。

「全然来られなくてごめん……」
「ううん。大丈夫、だよ」

 やさしくほほ笑む志穂さん。あいまいに首を振り、奏太さんは地面に視線を落とした。
 志穂さんは涙をこぼしながら、なんとか笑おうとしているみたい。だけど、やっぱり笑えなくて必死で歯を食いしばっている。

「奏太さん。あの、ね……言わなくちゃいけないことがあるの」
「……うん」

 奏太さんはギュッと目を閉じてから息を吐いた。

「私……死んじゃったの。だから、会えなかったのは私のせいだったの。未練解消をしなくちゃいけなかったのに、どうしてもできなかった。だって奏太さんに会えば、あっちの世界に連れていかれるからっ」

 じっと耐えるように奏太さんは目を閉じている。そうだよね、好きだった人が亡くなったんだもんね……。その痛みや悲しみはどれくらいなのだろう。

 未練の解消ができなかった志穂さんを責めることなんてできない。
 残した人、残された人はそれぞれに想像もつかないほどの悲しみを抱いてしまうから。
 息ができないほど胸が苦しかった。

「未練解消をしていれば、こんな姿にならなかったのに。とっくにこの世界から消えられたのに!」

 泣き叫ぶ志穂さんに、
「違うんだよ」
 奏太さんが口にした言葉はやわらかく耳に届いた。