しばらく小さく呼吸をくり返したあと、ありったけの勇気を出して口を開いた。

「未練解消……やってみる」
「ほんと!?」

 ぱあっと顔を輝かせるシロ。

「できるかどうかわからないけど、やってみる」
「やった! 僕もできる限り協力するから、一緒にがんばろうね」

 まるで自分のことのようによろこんでいる。
 あまりにもうれしそうな笑顔に、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。

「……まあ」とクロが鼻の頭をかいた。

「七海に両親への未練がないわけではない。ただ、最後に願ったのがそれじゃないだけだ」

 彼なりにフォローしてくれているのだろうか?
 そこでふと気づく。

「そういえば、ハチには私の姿が見えていたよ」

 家に帰ってからのことを思い出して言う。

「ハチ? ああ、あのかわいくない犬か」

 吐き捨てるように言うクロに、シロが「クロさん」と顔をあげた。

「七海ちゃんのことが見えていたってことは、ハチが未練解消の相手ということですよね?」
「まあ、未練のうちのひとつだろうな。でも、あいつの体からの光はそれほど大きくなかったし、七海の体も光ってはいなかった。本命が別にいるのは間違いない」

 ふたりの会話についていけず「光?」と尋ねた。さっきもそんなことを言っていたような気がする。

「未練解消の相手の前に行くと相手の体が光る。体を包みこむような光だ。相手からお前の姿は見えるようになるが、未練を解消したらそいつの記憶からお前のことは消えてしまう。本当の未練解消ならば、そのときにはお前の体も光るだろう」

 さっきハチは光っていたっけ? 私の体はどうだったのだろう?
 ついさっきのことなのにもう覚えていない。
 霊は記憶を失いやすいのだろうか……。

「ハチとの未練についても考えてみながら、ほかの人にも会ってみようよ。きっとすぐに本当の未練解消の相手が見つかるから」

 明るいシロの声に励まされる。

「うん……シロ、ありがとう」
「お前の名前、シロだって」

 茶化すクロ。シロはうれしそうに目を細めてくれた。

「名前をつけてくれるなんてうれしい。七海ちゃん、ありがとう」

 やさしい彼に、凍えた心が温められた気分になった。

「ねえクロ」
「なんだ?」
「おばあちゃんは……元気でいるんだね?」
「今のところはな」
「よかった……」

 安堵(あんど)のため息がこぼれると同時に、なんだか視界がぼやけた。
 目をこすりたくてもなんだか体の力が抜けたみたいに動かない。

「変なやつだな。自分が死んだのに人の心配してる場合かよ。そういうところがお前の弱さであり――」

 あたたかい空気に包まれるのがわかる。どんどん眠気が体に広がっていくみたい。

 その場にぺたんと座ると、ふたりが顔を(のぞ)きこんできた。

「あれ、どうしよう……。すごく眠い」

 そう言いながら、気づくと地面に体を横たえていた。
 土の感触が(ほほ)に冷たくて気持ちがいい。

「疲れたんだろ。あまり体力なさそうだもんな」
「僕たちが家まで運びますから安心してください」

 ふたりはまるで真逆の性格だ。
 どんどん世界が黒く染まっていくみたい。

 ひどく眠い、眠いの。

「ねえ、クロ」
「ん?」と顔を向けたクロが闇に消えていく。

 眠りにつく前にどうしても伝えたいことがあった。

「お願いがあるの。ブランコの女の子、苦しまないように……」

 あの子の幸せをただ願った。

「ああ、俺に任せておけ」


 クロの言葉に安心すると同時に、世界は闇に包まれた。