キュッと口を結ぶと、クロが私に近づくのが視界の端に見えた。
「それなら、なんでこれまでの間にちゃんと話をしなかった?」
「え?」
なんのこと?
固まる私に、これみよがしなため息が聞こえた。
「人間なんていつ死ぬかわからない。たとえば心臓発作が起きれば一瞬でこの世と別れなくちゃならん。毎日、一分一秒を大切にしてきたのか? 親にちゃんと気持ちを伝えてきたのか? 普段できていないくせに、最後だけやろうとするのが間違いなんだよ」
これまでと違い、クロはやけに静かな口調で尋ねてきた。
「毎日の生活のなかで、いちいち気持ちなんて伝えるほうがおかしいよ」
「結局、人間はタイムリミットが設定されないと素直に気持ちを言葉にできない生き物なんだ。だから、未練が残る。俺に言わせると怠慢、怠惰、エゴ、おろか者ってとこだ」
言葉に詰まるのは思い当たることがあるから。
でも、毎日感謝の言葉を言い続ける人なんているわけがない。
そんなの、私だけじゃなくみんなそういうものでしょう?
「言いたいことはわかるよ。でも、やっぱり未練解消なんてできない」
「お前はここまで俺が親切に説明してるのに……」
「そもそもなんで私は死んだの? なにがあったの?」
思い出そうとしても記憶がごちゃごちゃになっている。覚えているのは夕焼けの景色だけ。そのあとは病院にいたわけだし……。
自分が死んだ原因もわからないのに、未練解消なんてしたくない。
「じゃあ勝手にしろ」
「勝手にする」
プイと歩きだす私に、
「七海ちゃん待って!」
シロの声が追いかけてくる。
「お願いだからクロさんの言うことを聞いてください」
「お前までクロって呼ぶな!」
クロが恫喝しても私は足を止めない。嫌だ。絶対に未練解消なんてしない。
シロが私の前に立ちふさがり両手を広げた。彼の白い服の裾がスカートみたいに風にひらめている。
「どいてよ」
「どかない。だって、ちゃんと未練を解消してほしいから」
まっすぐに私を見るシロの目からまた涙があふれている。夜の暗闇でもわかるくらいに大粒の涙がぼとぼと落ちている。
「どうして……泣くの?」
「僕は、未練解消のことはまだわかりません」
「新人だからな」
茶化すようにクロが言うと、シロはまた涙に顔をゆがめた。
「でも、ちゃんと七海ちゃんには未練解消をして旅立ってほしい。そうじゃないと、地縛霊になっちゃう」
「別にいいよ。死んでしまったなら関係ないでしょ」
「違うよ。全然違う。地縛霊になって、お父さんやお母さんに悪い影響を与えてもいいの?」
「悪い影響?」
「そうだよ。ふたりに憑りついたり、悪い出来事をもたらしたりするかもしれないんです」
そっか……、私が地縛霊になったらふたりに迷惑がかかってしまうんだ。
「それは……嫌かも」
張り詰めた空気が緩む。
「クロさんも、ちゃんと未練解消をさせるって約束したじゃないですか」
「だからクロって呼ぶな! いいか、見習い、よく聞け。これは慈善事業じゃない。俺は仕事としてやっているし、情なんて感情は、何百年も前に捨てたんだ」
「でも……」
「うるさい。消すぞ」
「僕はどうなってもいいんです。でもこれ以上、七海ちゃんを苦じませないでぐだばい」
涙でなにを言っているのかわからない。けれど、シロがやさしいことはわかった。それなのに……。
クロをじとーっとにらむと、バツが悪そうな顔に変わった。
「……んだよ。俺が悪者かよ」
「そうじゃない」
気づけばそう言っていた。
「クロが悪いわけじゃない。だけど、非日常すぎて頭がついていかないの」
涙が出れば少しはラクになるのかな。こんなときなのに泣けないなんて、きっと生きているときから感情のバランスがおかしかったんだ。
未練解消なんてしたくないのは変わらない。
でも、お父さんとお母さんが苦しむのは嫌だ。
どっちにしても私が死んじゃったことに変わりがないなら、できることをしなくちゃ……。
「それなら、なんでこれまでの間にちゃんと話をしなかった?」
「え?」
なんのこと?
固まる私に、これみよがしなため息が聞こえた。
「人間なんていつ死ぬかわからない。たとえば心臓発作が起きれば一瞬でこの世と別れなくちゃならん。毎日、一分一秒を大切にしてきたのか? 親にちゃんと気持ちを伝えてきたのか? 普段できていないくせに、最後だけやろうとするのが間違いなんだよ」
これまでと違い、クロはやけに静かな口調で尋ねてきた。
「毎日の生活のなかで、いちいち気持ちなんて伝えるほうがおかしいよ」
「結局、人間はタイムリミットが設定されないと素直に気持ちを言葉にできない生き物なんだ。だから、未練が残る。俺に言わせると怠慢、怠惰、エゴ、おろか者ってとこだ」
言葉に詰まるのは思い当たることがあるから。
でも、毎日感謝の言葉を言い続ける人なんているわけがない。
そんなの、私だけじゃなくみんなそういうものでしょう?
「言いたいことはわかるよ。でも、やっぱり未練解消なんてできない」
「お前はここまで俺が親切に説明してるのに……」
「そもそもなんで私は死んだの? なにがあったの?」
思い出そうとしても記憶がごちゃごちゃになっている。覚えているのは夕焼けの景色だけ。そのあとは病院にいたわけだし……。
自分が死んだ原因もわからないのに、未練解消なんてしたくない。
「じゃあ勝手にしろ」
「勝手にする」
プイと歩きだす私に、
「七海ちゃん待って!」
シロの声が追いかけてくる。
「お願いだからクロさんの言うことを聞いてください」
「お前までクロって呼ぶな!」
クロが恫喝しても私は足を止めない。嫌だ。絶対に未練解消なんてしない。
シロが私の前に立ちふさがり両手を広げた。彼の白い服の裾がスカートみたいに風にひらめている。
「どいてよ」
「どかない。だって、ちゃんと未練を解消してほしいから」
まっすぐに私を見るシロの目からまた涙があふれている。夜の暗闇でもわかるくらいに大粒の涙がぼとぼと落ちている。
「どうして……泣くの?」
「僕は、未練解消のことはまだわかりません」
「新人だからな」
茶化すようにクロが言うと、シロはまた涙に顔をゆがめた。
「でも、ちゃんと七海ちゃんには未練解消をして旅立ってほしい。そうじゃないと、地縛霊になっちゃう」
「別にいいよ。死んでしまったなら関係ないでしょ」
「違うよ。全然違う。地縛霊になって、お父さんやお母さんに悪い影響を与えてもいいの?」
「悪い影響?」
「そうだよ。ふたりに憑りついたり、悪い出来事をもたらしたりするかもしれないんです」
そっか……、私が地縛霊になったらふたりに迷惑がかかってしまうんだ。
「それは……嫌かも」
張り詰めた空気が緩む。
「クロさんも、ちゃんと未練解消をさせるって約束したじゃないですか」
「だからクロって呼ぶな! いいか、見習い、よく聞け。これは慈善事業じゃない。俺は仕事としてやっているし、情なんて感情は、何百年も前に捨てたんだ」
「でも……」
「うるさい。消すぞ」
「僕はどうなってもいいんです。でもこれ以上、七海ちゃんを苦じませないでぐだばい」
涙でなにを言っているのかわからない。けれど、シロがやさしいことはわかった。それなのに……。
クロをじとーっとにらむと、バツが悪そうな顔に変わった。
「……んだよ。俺が悪者かよ」
「そうじゃない」
気づけばそう言っていた。
「クロが悪いわけじゃない。だけど、非日常すぎて頭がついていかないの」
涙が出れば少しはラクになるのかな。こんなときなのに泣けないなんて、きっと生きているときから感情のバランスがおかしかったんだ。
未練解消なんてしたくないのは変わらない。
でも、お父さんとお母さんが苦しむのは嫌だ。
どっちにしても私が死んじゃったことに変わりがないなら、できることをしなくちゃ……。