そのときだった。
 急にけたたましく電子音が響いた。見ると机の上に置かれた電話の子機が鳴っている。
 すぐに音は消えた。下でお父さんが電話に出たのだろう。

「七海、ちゃんと集中しろ。いいか、お前は――」
「待って!」

 そう言ったのは、悲鳴のような声が一階から聞こえたから。
 瞬時に立ちあがりクロをよけて部屋を出た。
 すごい足音を立てて、お父さんがリビングから飛び出てくる。靴を()こうとしてバランスを崩して壁に体をたたきつけた。

「お父さん!」

 急いで階段をおりる足が、途中で勝手に止まっていた。

 それは、
「ああ……」
 お父さんが泣いていたから。

 ずるずると上がりかまちに(くず)れ、お父さんは声を押し殺して泣いている。

「お父さん……?」

 そばに行くけれどお父さんはうめき声をあげ、靴を履きなおしている。

「お父さん、私が見えないの? ここにいるんだよ?」

 歯を食いしばり立ちあがったお父さんが、ドアを開けて外に出ていく。
 目の前で鍵が外から閉められた。
 ガチャンという音がやけに大きく聞こえた。

「これでわかっただろ? いい加減認めろ、お前は死んだんだよ」

 ゆっくり振り返ると階段の途中にクロが立っていた。シロはいちばん上の段で、悲しげな瞳でこちらを見ている。

 私、死んじゃったんだ……。
 そう思うと同時に、常にかたわらにあった頭痛は波が引くように消えていった。
 急に視界がクリアになったみたいで、照明がまぶしい。

「あなたたちは……誰なの?」

 カラカラの喉で尋ねると、クロは肩をすくめた。

「俺は死んだ人間に未練解消をさせる役割を(にな)っている。それが終わればあっちの世界に連れていく。いわば、案内人ってところだ」
「あっちの世界?」
「あっちの世界はあっちの世界だ。ほかに形容できない」
「天国ってこと?」

 質問する私に「ハッ」とクロが鼻で笑ったのでムカッとしてしまう。

「天国とか地獄ってやつは人間が考えたものだろ。似ているようでまったく違う。まあ、間もなく行くんだから、自分の目でたしかめろ」

 下までおりてくるとクロは両腕を組んだ。
 彼が悪魔なら、シロは天使なのかな。だとしたら、二度も天使を突き飛ばしてしまっている。

 私の視線を追ったクロが、「ああ」と肩をすくめた。

「そいつは部外者だ。俺とは関係ない」
「ひどいですよ、そんな言いかた」

 慌てて階段を駆けおりてきたシロが文句を言う。

「別に間違ったことは言っていない」
「約束したじゃないですか。ちゃんと面倒を見てくれるって」
「そんな覚えはない」
「ひどい」
「お前はお荷物以外のなんでもないんだ。何度もそう言ったろ」

 冷たく言い放つクロに、一瞬でシロの大きな瞳に涙が浮かんだから驚いてしまう。
 みるみる涙はたまり、コップから水があふれるかのようにボロボロとこぼれ落ちた。