――走る。

 暗い夜道をただ走る。転びそうになっても、信号が赤になってもただ走った。

「待って~」

 シロが叫んでついてきていたけれど、待っていることなんてできない。
 どうして。どうしてなの!?
 読んだばかりの新聞記事を何度もくり返す。

【被害者の飼い犬が死亡した】

 飼い犬、ってハチのこと? ううん、そんなはずがない。
 きっと吉野が飼っていた犬が車に同乗していたんだ。そうに決まっている。
 自分を納得させるそばからこみあげる不安を振り切るように、ただ走った。
 住宅地には私の足音だけがこだましていて、だけど足を止めることができない。

 やっと家の屋根が暗闇のなかに見えてくる。

「ハチ!」

 叫びながら門を通り抜けて庭へ急ぐ。ハチの小屋が見えたとたん違和感で足を止めた。
 それは横たわっているハチの体が光っていなかったから。

「ハチ……」

 あえぎながらハチの体の前でぺたんと膝を地面につけた。
 ハチの口は軽く開き、その目は閉じたまま。

「ねえ、ハチ。ハチ!」

 茶色の頭に手を置くと、氷のように冷たかった。
 毛は重力に負けるように垂れ下がり、どんなに揺さぶっても起きてくれない。

「嘘……。嘘だよね、ハチ」

 視界が潤んでいく。泣きたくないよ。だって、泣いたらハチが死んだことを認めてしまうことになるから。

「お願い、ハチ……。嫌だよ、こんなの嫌だよ!」

 あっけなく頬にこぼれた涙が、ハチを見えなくする。
 泣いても泣いても、涙が止まらない。
 ハチの体の向こうに白い煙が見えた。クロが姿を現すと同時に、その胸に飛びついていた。

「クロ! どうなってるの? ハチが、ハチがっ!」
「すまない」
「それってどういうこと!? ねえ、ハチを助けて。お願いだからハチを助けてよお……」

 黒いシャツに胸をうずめて泣く私に、
「違うんだ」
 クロはそう言った。さみしげな口調に聞こえた。

 体を離す私の肩をクロがつかんだ。

「助けるのはハチじゃない。ハチがお前を助けたんだ」
「ハチ、が……?」
「ちゃんと思い出せ。あの日、なにがあった?」

 じん、としたしびれとともに、あの交通事故が脳裏で再現される。
 そうだ……あの日はいつものようにハチと散歩に出かけていて……。
 横断歩道の信号が青信号になり、足を踏み出したときに車のエンジン音がすぐそばでしたんだ。

「ハチは身を挺してお前を助けた。そのおかげで七海は助かったんだよ」
「え……」

 頭のなかが混乱していて、うまく整理できない。
 気づくとハチの姿はもう消えていた。