昔からの夢。バイトの面接。
芝生の真ん中に小ぢんまりと建つ、理想のお店。
本部への問い合わせ。“向かう人”と、“生ける人”。
 夜のテーブルに灯る、キャンドルの火。
デカフェのメモリーブレンド。頼まれなかった相席カフェラテ。
振り向いたマスターの動揺した顔。
目の前にぽつりと置かれた、水のグラス──。


ここにきてから見聞きしたありとあらゆることが、頭の中を超特急で通り過ぎていく。
「……そういうことだったんだ」
 未桜が呆然と呟くと、マスターが形の綺麗な眉をぴくりと動かした。「……どうした?」と落ち着かない様子で問いかけてきた彼に、はっきりと宣言する。
「私、分かっちゃいました。──自分が、ここに来ることになった理由が」
「えっ、ここって、来世喫茶店にですか? 言ったじゃないですか、あれは確かに僕のミスですけど、元を辿ればパソコンの不具合だって! これでも傷ついてるんですから、蒸し返さないでくださいよぉ」
 アサくんが、見当違いの横槍を入れてきた。「私も、そう思ってたんだけどね」と未桜が含みを持たせて返すと、「へ? 違うんですか⁉」と目を皿のようにする。
 水のグラスには手をつけずに、未桜はマスターの不安げな顔を見上げた。
 さっきは、マスターが、お父さんに関する謎を解き明かしてくれた。緒林老人や、長篠梨沙がお店に来たときだって、未桜の助けになるようなヒントを毎回与えてくれた。
 今度は──未桜の番だ。
「最初にここに来たときに話したと思うんですけど、私はなぜだか、小さい頃からずっと、カフェで働くことを夢見ていました。物心ついたときには『コーヒー屋さんのお姉さん』になりたいと思っていて、高校生OKの喫茶店バイトがなかなかないと知ったときにはショックを受けて。だから結局、大学の受験勉強中もそのことばかり考えていて。親友の明歩に呆れられるくらい、熱望していたんです」
「ああ、そうでしたよねっ! 未桜さんが満を持して面接を受けに向かっていたところに、僕が手違いで姿を現してしまって……。十五年来の夢を台無しにされたって、こっぴどく怒られましたもんね。それで、なし崩し的にここに連れてくることになって──」
「──と、思ってたんだけどね」
 口を挟んできたアサくんの言葉を、未桜は先ほどと同じ言葉で遮った。アサくんがぱちくりと目を瞬く。
「これは、アサくんのミスでも、パソコンの不具合でもない。私が生きている間にこうやって来世喫茶店を訪れることになったのは、運命だったんだよ」
「……運命?」
「そう。最初から決まってたの。濃い(、、)目(、)の(、)メモリーブレンド(、、、、、、、、)の(、)力(、)で(、)ね(、)」
 濃い目──と、アサくんが口の中で復唱する。その不可解そうな反応を見るに、何のことを指しているのか分かっていないようだった。
 一方、マスターは驚いた顔をしていた。
やがてそれが、観念したような表情に変わる。
「アサくんから聞きました。……マスターはずいぶん前に、お客さんとしてここにやっていた女性に恋をしたんですよね。相手の女性も、マスターに対して同じ気持ちを抱いていた。だからその女性は、メモリーブレンドや相席カフェラテといったカフェイン入りの特別ドリンクをすぐに飲まず、水だけで何日も粘って、マスターのそばに残る術を懸命に探した」
 けれど、いい方法は見つからず、彼女は結局生まれ変わらざるをえなかった。
 悲しみに打ちひしがれたマスターは、もう二度と会うことのない恋のお相手のために、とある餞別を用意した。
 ──引き裂かれるときには悲しくて、メモリーブレンドを特別に、いつもより濃い目に淹れてあげたそうです。
「ああ! あのことですか!」
 他でもない自分がそう言ったことを思い出したのか、アサくんがぽんと手を打った。「だけど……それが何か?」という少年の率直な疑問に、未桜はゆっくりと答えていった。
「理由は後で説明するけど……そのとき彼女が選んで再体験した記憶は、生きている間の思い出ではなくて、来世(、、)喫茶店(、、、)に(、)来て(、、)から(、、)の(、)ひととき(、、、、)だったんだと思うの。カウンターでお水を飲みながら、一目惚れ相手のマスターと言葉を交わした記憶、ね。──つまり彼女は、生まれ変わった先の来世で、『喫茶店で何かを飲みながら、カウンター越しに店主と話す』というような経験をすることになる」
 メモリーブレンドの効能は、ある記憶を再体験した上で、来世でもほとんど同じ体験ができることが約束されるというものだ。
 ほとんど同じ、というのはもちろん、登場人物や場所までまったく一緒というわけにはいかないから。生まれた時代が違えば、関わる人間も置かれる環境も、当たり前に変わる。
 だけど──。
「マスターはさっき、私にデカフェのコーヒーを淹れてくれましたよね。『デカフェにすれば、来世に対する効果はなくなる』と言って。だとしたら、反対はどうなんでしょう? 意図的に抽出時間を長くして、カフェイン(、、、、、)成分(、、)の(、)濃い(、、)コーヒー(、、、、)を淹れたとしたら? 来世(、、)へ(、)の(、)影響(、、)が(、)通常(、、)より(、、)強く(、、)なる(、、)、と考えてもいいのではないでしょうか」
 ふんふん、と頷いていたアサくんの動きが、はたと止まる。
 俯き加減で話を聞いているマスターに対し、未桜はさらに畳みかけた。
「だとしたら、生まれ変わった彼女は、非常に強い“来世の条件”に縛られることになりますよね。例えば、『来世(、、)喫茶店(、、、)と(、)いう(、、)特定(、、)の(、)場所(、、)で、水(、)と(、)いう(、、)特定(、、)の(、)飲み物(、、、)を飲みながら、カウンター越しにマスター(、、、、)と(、)いう(、、)特定(、、)の(、)人物(、、)と話す』という体験をするまでは、人生を終えられない、とか。──そういうことになりませんか?」
「まさか……自ら、ね」
 マスターが白旗を上げるように呟く。
それが答えだった。
まさか、自ら(、、)当てるとは──ね。
そのとき、ふと思い出す。お店に二人きりになったとき、未桜に飲み物を用意しようとしたマスターが、「ミネラルウォーターは冷えてなかったかもしれない」と妙に慌てていたことを。
結局持ってきてくれたのは、水ではなくて、未桜が好きでも嫌いでもない、パイナップルジュースだったことを。
「えっ、ちょっと待ってくださいよマスター! 今、未桜さんに水を出した理由って……そうすれば現世に戻れるって……えっ⁉ 濃い目のメモリーブレンドで約束された、思い出の再体験をさせるため……⁉」
アサくんが慌てふためいている。普段の落ち着いた接客態度は見る影もない。
「マスターの恋愛相手の女性が来たのって、ずいぶん昔って言ってませんでした? てっきり僕、五十年とか百年とか、それくらい前なのかと!」
「そんなことはないよ。アサくんがここで働き始めるよりはずいぶん前、というだけで。未桜さんが十九歳になったばかりということは……正確には、十九年と数日前か」
 ようやくマスターが、未桜の目をまっすぐ見返してきた。懐かしさを懸命に押し殺すような視線に、彼の葛藤(かっとう)が表れている。