《二〇二一年四月九日 来店予定者リスト》
・名前:八重樫未桜
・性別:女
・生年月日:二〇〇〇年四月八日(享年二十一歳)
・職業:大学生
・経緯:通学中に急病で倒れて救急搬送される。翌朝、父親に見守られながら、病院で息を引き取る。
・来店予定時刻:八時十一分


未桜が来世喫茶店で働き始めてから、三度目の夜明けがやってきた。
窓の外、遥(はる)か向こうに見える山々の稜線が、金色に輝き始めている。この雄大な景色は、先ほどまでカウンター席でメモリーブレンドを飲んでいた、登山が趣味だったというおじいさんの記憶だろうか。
不思議なことに、来世喫茶店に滞在するお客さんの数には、時間帯ごとに波があった。
どういう理由があるのかは分からないけれど、大抵の場合、真夜中は忙しい。朝が近づくにつれて、だんだんと店内が閑散(かんさん)としてきて、ほっと一息つけるようになる。
今日は、その時間帯が比較的早く訪れたようだった。二時間ほど前にはほとんどの席が埋まっていたのが嘘のように、今は一人もお客さんがいない。
「ねえねえ、未桜さん、未桜さんっ」
 流しに溜まっていたお皿を洗っていると、バックヤードで豆の発注業務を手伝っていたはずのアサくんが、軽やかな足音を立てて戻ってきた。
「朗報ですっ! 僕が一生懸命頼み込んだところ、マスターが、未桜さんのカウンセリングをやってくれることになりました! ねえねえ聞いてます?」
「……えっ?」
 顔を横に向けて初めて、得意げな顔をしているアサくんが、背の高いマスターの手を引いていることに気づく。バックヤードから無理やり連れてこられたらしく、マスターは気まずそうに苦笑していた。
 お皿洗いを中断し、タオルで手を拭きながら二人に向き直る。動揺を隠せないまま「か、カウンセリングって?」と尋ねると、アサくんが堂々と胸を張って答えた。
「ほら、未桜さん、『あんまり家には帰りたくない』って言ってたじゃないですか! 来世喫茶店でのアルバイトが楽しいからっていうのは建前で、本当は何か事情があるんでしょう? マスターはものすごく聞き上手ですから、悩み事を洗いざらい打ち明けたら、きっとすっきりしますよ。ほら、早くカウンター席に座ってくださぁい」
「ちょ……ちょっと待ってよ!」
 事情があるというのは図星だった。だからこそ、アサくんに何度か探りを入れられても、はぐらかし続けていたのだ。
 マスターの視線を意識しながら、未桜はしどろもどろに抵抗した。
「私のことは、気にしなくていいってば! 私はまだ、ここのお客さんじゃないし……ほら、カウンセリングティーを注文したわけでもないし……」
「それでもいいって、マスターが言ってくれてます」
「えっと……あ、そうだ、お皿洗いもまだ残ってるし……」
「それは僕がやっておきますっ!」
「で、でも……カウンセリングで私の悩みが解決したところで、めでたしめでたしって現世に帰れるわけじゃないんでしょ? せめて、アサくんに黄色いチケットを見せられた記憶を消す方法が、ちゃんと見つかってからじゃないと……だから今はまだ……ですよねっ?」
 思いつくままに言い訳しながら、恐る恐る、マスターの顔を見上げる。
 すると彼は、「うーん」と唸り、ためらうように睫毛の長い目を伏せた。
「実は、そっちの問題は、解決しようと思えばどうにかなるんだけどね」
「えっ⁉ 私の記憶を消す方法、見つかったんですか⁉」
「まあね」
 マスターは意外なほどあっさりと言い、隣のアサくんへと目を向けた。
「ただ、それを試すのは、カウンセリングを終えてからにしようかと。未桜さんの抱えている悩み事について、アサくんがどうしても気になるみたいだから」
「僕だけのせいにしないでくださいよ。マスターだって、すごく心配してたじゃないですか!」
「それはもちろん。未桜さんは、僕にとって……とても大切な存在だし」
 予想もしていなかった言葉に、不意を突かれる。
驚いて目を瞬くと、マスターがこちらを見つめ返してきた。冗談か、もしくは社交辞令かと思ったけれど、彼の漆黒の瞳には真剣な光が宿っていた。
「あれぇマスター、それって、『店員として』ですか? それとも──」
「どっちでもいいじゃないか」
 アサくんのからかうような台詞を、マスターが照れ隠しをするような口調で遮る。
 どっちでもよくないよ──と、未桜は密かに、心の中で叫んだ。