加奈子が手の中で転がしたグラスから、カランコロンと氷がぶつかる音がした。
私が殺したようなものよね──と、自嘲気味に笑う。
未桜はふと我に返り、たった今聞いたばかりの話を、頭の中で反芻(はんすう)した。
それは、二人の女性の、あまりに悲しい物語だった。
──あたしが九歳の頃に、テレビでニュースを見たの。二階建てのお屋敷で、アロマキャンドルの火をつけたまま寝てしまったせいで火事が起きて、その部屋で寝ていた二十代の女性が亡くなったっていう。
二日前にお店を訪れた長篠梨沙が、キャンドルを眺めながらそんな話をしていたことを思い出す。
お屋敷というのは、ホテル事業を営む町井加奈子の夫が建てた新築の家。そして亡くなった二十代の女性というのが、小山内砂羽のことだったのではないか。
もしかすると、梨沙が見たのは、千葉のローカルニュースだったのかもしれない。
やはり、思いがけないところで、この世界は繋がっている。
「あれからずっと、後悔だらけの人生を過ごしてきたわ。本当は子どもがほしいと思っていたのに、何年もあの火事から立ち直れないでいるうちに、いつの間にか妊娠のハードルが高い年齢になっていて。主人には申し訳ないけれど、やりきれなさをお金で解消しようと、浪費やギャンブルに走った時期もあったわ。ただ……罪悪感は、いつまでも消えなかった。心の中に、ぽっかりと大きな穴が開いたままなのよ」
加奈子はふくよかな胸に手を当てた。開いた穴を埋めようとするかのように、彼女の指先がワンピースの生地を引っかく。
「こんなこと言ったら、同じ病気の方々に失礼かもしれないけど……私、こんなに若くして癌で死んだのは、罰だったと思ってるの」
「……罰、ですか?」
「ええ。私は自分の命をもって、砂羽に償いをしたというわけ」
「それは違いますよ、町井さま」
マスターが珍しく、はっきりとした口調で言った。
「死期というのは、複雑な要因により決まるものです。“器”の耐久性、現世で身を置いた環境、それと運。誰かに対する償いや、罪に対する罰といった理由で寿命が短くなることは、一切ありません」
それまで聞き役に徹していたマスターに否定されたことが意外だったのか、加奈子は数回まばたきをした。それから表情を和ませ、「……ありがとう」と呟いた。
──カウンセリングって、こういうことなんだ。
お客さんの話に耳を傾け、すべてを受け入れる。
でも、それだけじゃない。違うものは違う、ダメなものはダメと伝えることも、時には必要なのだ。
そのバランスを見極め、お客さんの笑顔と安堵感を引き出した先に、理想の来世への道筋が見えてくる。
未桜が恋するマスターには、そんな特別な力が備わっている──。
「ついつい長くなっちゃったわねえ。でも安心して、これで終わりよ」
加奈子が水のグラスを引き寄せ、中身を一気に飲み干した。
「社長と結婚し、親友と新築の家を火事で同時に失い、夫の稼いだお金でストレス解消に走り、最後は病気で早死に。こんな波乱万丈な人生、なかなかないわよね? だから、来世では、とにかく平穏に生きたいの。そんな私におあつらえ向きの茶葉はあるかしら?」
──もちろんですよ、町井さま。マスターなら、ぴったりのブレンドを、たちまち用意してくれます!
心の中で高らかに言い、横に立つマスターに熱い視線を送る。その瞬間、あれ、と未桜は首を傾げた。
マスターは、じっと目を伏せ、何やら考え込んでいた。
気になることでもあるのだろうか。
そんなマスターを、加奈子も怪訝そうな顔で見上げている。
「……未桜さん」
突然柔らかい声で名前を呼ばれ、「は、はいぃ?」と間抜けな声で返事をする。顔を赤らめる間もなく、「ちょっと、一緒に来てもらえる?」と促された。
加奈子に断り、マスターとともにバックヤードへと向かう。アサくんが興味津々の視線を向けてきたけれど、その様子にも気づかないくらい、マスターは思いつめた顔をしていた。
私が殺したようなものよね──と、自嘲気味に笑う。
未桜はふと我に返り、たった今聞いたばかりの話を、頭の中で反芻(はんすう)した。
それは、二人の女性の、あまりに悲しい物語だった。
──あたしが九歳の頃に、テレビでニュースを見たの。二階建てのお屋敷で、アロマキャンドルの火をつけたまま寝てしまったせいで火事が起きて、その部屋で寝ていた二十代の女性が亡くなったっていう。
二日前にお店を訪れた長篠梨沙が、キャンドルを眺めながらそんな話をしていたことを思い出す。
お屋敷というのは、ホテル事業を営む町井加奈子の夫が建てた新築の家。そして亡くなった二十代の女性というのが、小山内砂羽のことだったのではないか。
もしかすると、梨沙が見たのは、千葉のローカルニュースだったのかもしれない。
やはり、思いがけないところで、この世界は繋がっている。
「あれからずっと、後悔だらけの人生を過ごしてきたわ。本当は子どもがほしいと思っていたのに、何年もあの火事から立ち直れないでいるうちに、いつの間にか妊娠のハードルが高い年齢になっていて。主人には申し訳ないけれど、やりきれなさをお金で解消しようと、浪費やギャンブルに走った時期もあったわ。ただ……罪悪感は、いつまでも消えなかった。心の中に、ぽっかりと大きな穴が開いたままなのよ」
加奈子はふくよかな胸に手を当てた。開いた穴を埋めようとするかのように、彼女の指先がワンピースの生地を引っかく。
「こんなこと言ったら、同じ病気の方々に失礼かもしれないけど……私、こんなに若くして癌で死んだのは、罰だったと思ってるの」
「……罰、ですか?」
「ええ。私は自分の命をもって、砂羽に償いをしたというわけ」
「それは違いますよ、町井さま」
マスターが珍しく、はっきりとした口調で言った。
「死期というのは、複雑な要因により決まるものです。“器”の耐久性、現世で身を置いた環境、それと運。誰かに対する償いや、罪に対する罰といった理由で寿命が短くなることは、一切ありません」
それまで聞き役に徹していたマスターに否定されたことが意外だったのか、加奈子は数回まばたきをした。それから表情を和ませ、「……ありがとう」と呟いた。
──カウンセリングって、こういうことなんだ。
お客さんの話に耳を傾け、すべてを受け入れる。
でも、それだけじゃない。違うものは違う、ダメなものはダメと伝えることも、時には必要なのだ。
そのバランスを見極め、お客さんの笑顔と安堵感を引き出した先に、理想の来世への道筋が見えてくる。
未桜が恋するマスターには、そんな特別な力が備わっている──。
「ついつい長くなっちゃったわねえ。でも安心して、これで終わりよ」
加奈子が水のグラスを引き寄せ、中身を一気に飲み干した。
「社長と結婚し、親友と新築の家を火事で同時に失い、夫の稼いだお金でストレス解消に走り、最後は病気で早死に。こんな波乱万丈な人生、なかなかないわよね? だから、来世では、とにかく平穏に生きたいの。そんな私におあつらえ向きの茶葉はあるかしら?」
──もちろんですよ、町井さま。マスターなら、ぴったりのブレンドを、たちまち用意してくれます!
心の中で高らかに言い、横に立つマスターに熱い視線を送る。その瞬間、あれ、と未桜は首を傾げた。
マスターは、じっと目を伏せ、何やら考え込んでいた。
気になることでもあるのだろうか。
そんなマスターを、加奈子も怪訝そうな顔で見上げている。
「……未桜さん」
突然柔らかい声で名前を呼ばれ、「は、はいぃ?」と間抜けな声で返事をする。顔を赤らめる間もなく、「ちょっと、一緒に来てもらえる?」と促された。
加奈子に断り、マスターとともにバックヤードへと向かう。アサくんが興味津々の視線を向けてきたけれど、その様子にも気づかないくらい、マスターは思いつめた顔をしていた。