おしぼりと水のグラスを運んでいくと、加奈子が「どうも」と上品に会釈(えしゃく)をした。控えめに一口飲み、カウンター越しにマスターを見上げる。
「あなたみたいなマスターが相手だと、ちょっと緊張するわね。人生の最後の最後にこんな容姿(ようし)端麗(たんれい)な若者と話せるなんて、想像もしていなかったわ」
「光栄です。でも、どうかリラックスしてくださいね」
「さっそく、お話ししてもいいのかしら?」
「どうぞ。人生の心残り、とおっしゃっていましたよね」
「さっき呼び出そうとした、小山内砂羽っていう親友のことなんだけどね。もう二十年近く経つのに、いつまでも後悔が尽きないのよ」
話し始めて早々、加奈子の声が震え始めた。
「私さえいなければ、彼女は今も元気に生きていたはずなのに、って。時代を切り開き、世界を股にかける、立派なキャリアウーマンになっていただろうに、って……」
過去を振り返るのは気が進まない、という先ほどの彼女の言葉を思い出す。
ゆっくりでいいですよ、とマスターが優しく声をかけると、加奈子はまた水で喉を潤し、一呼吸おいて話を再開した。
「砂羽はね、高校時代からの大親友だったの。彼女は、幼い頃からバイオリンを習っていて。クラシック曲を楽譜に忠実に弾くのも、流行りの曲を大胆にアレンジして演奏するのも、とても上手で。『よかったら、私のピアノとセッションしてくれない?』って、私のほうから勇気を出して誘ったのをきっかけに、唯一(ゆいいつ)無二(むに)の音楽仲間になった」
「素敵なご関係ですね。町井さまも、幼い頃からピアノを?」
「一応ね。砂羽のバイオリンほどじゃないけど、そこそこ弾けるほうだったとは思うわ。彼女と二人でセッションしたときに、ちゃんと形になるくらいにはね」
どちらかというと控えめで大人しかった加奈子とは反対に、アクティブで、何事にも一生懸命で、高校のクラスでの人望も厚かった、小山内砂羽。
加奈子は、そんな彼女と音楽を通じて友達になれたことで、十分満足していた。
けれど、砂羽の情熱は、加奈子の予想を超えていった。
「昼休みや放課後に音楽室でセッションするだけじゃもったいないって、砂羽が突然言い出したのよ。せっかくなら駅前でストリートライブをして、オリジナル曲も作って、ポスターや衣装を用意して、ついでにCDも売っちゃおう、って」
「行動力のあるご友人ですね」
「最初は断ったのよ。美人で堂々としてる砂羽と違って、私は人前に出るのが苦手だったから。でも、何度も説得されるうちに押し切られちゃって、気がついたら駅前で、大勢の観客を集めるようになって……」
「ファンがついたということですか?」
「わっ、すごいですね!」
マスターの隣で見ているだけのつもりだったのに、思わず感嘆の声を上げてしまう。すると、加奈子は初めて笑みを見せた。
「ただの女子高生二人組がそんなふうに注目を集めるなんて、なかなかないことでしょう? それなのに、『砂羽のおかげね』って感謝したら、『え? 音楽やってる人って、みんなこんなもんじゃないの?』なんてけろっとしていたりして。とにかくパワーにあふれている子だったわ、砂羽は」
「なんだか、未桜さんみたいですねぇ」
コーヒーカップを棚に片づけていたアサくんが、唐突に話しかけてきた。「へ? どこが?」と返すと、彼は少年らしい快活(かいかつ)な笑みを浮かべた。
「うーん、だいたい全部です」
「私、バイオリンなんて弾けないけど?」
「性格面ですよ! 具体的に言うなら……猪突(ちょとつ)猛進(もうしん)の巻き込み型で、押しが強くて、天然なところでしょうか」
「何それぇ」
両手を腰に当て、アサくんを軽く睨(にら)む。アサくんは「怖いんだからぁ」とケラケラと笑い、作業に戻っていった。可愛いから憎めない。
「あなたみたいなマスターが相手だと、ちょっと緊張するわね。人生の最後の最後にこんな容姿(ようし)端麗(たんれい)な若者と話せるなんて、想像もしていなかったわ」
「光栄です。でも、どうかリラックスしてくださいね」
「さっそく、お話ししてもいいのかしら?」
「どうぞ。人生の心残り、とおっしゃっていましたよね」
「さっき呼び出そうとした、小山内砂羽っていう親友のことなんだけどね。もう二十年近く経つのに、いつまでも後悔が尽きないのよ」
話し始めて早々、加奈子の声が震え始めた。
「私さえいなければ、彼女は今も元気に生きていたはずなのに、って。時代を切り開き、世界を股にかける、立派なキャリアウーマンになっていただろうに、って……」
過去を振り返るのは気が進まない、という先ほどの彼女の言葉を思い出す。
ゆっくりでいいですよ、とマスターが優しく声をかけると、加奈子はまた水で喉を潤し、一呼吸おいて話を再開した。
「砂羽はね、高校時代からの大親友だったの。彼女は、幼い頃からバイオリンを習っていて。クラシック曲を楽譜に忠実に弾くのも、流行りの曲を大胆にアレンジして演奏するのも、とても上手で。『よかったら、私のピアノとセッションしてくれない?』って、私のほうから勇気を出して誘ったのをきっかけに、唯一(ゆいいつ)無二(むに)の音楽仲間になった」
「素敵なご関係ですね。町井さまも、幼い頃からピアノを?」
「一応ね。砂羽のバイオリンほどじゃないけど、そこそこ弾けるほうだったとは思うわ。彼女と二人でセッションしたときに、ちゃんと形になるくらいにはね」
どちらかというと控えめで大人しかった加奈子とは反対に、アクティブで、何事にも一生懸命で、高校のクラスでの人望も厚かった、小山内砂羽。
加奈子は、そんな彼女と音楽を通じて友達になれたことで、十分満足していた。
けれど、砂羽の情熱は、加奈子の予想を超えていった。
「昼休みや放課後に音楽室でセッションするだけじゃもったいないって、砂羽が突然言い出したのよ。せっかくなら駅前でストリートライブをして、オリジナル曲も作って、ポスターや衣装を用意して、ついでにCDも売っちゃおう、って」
「行動力のあるご友人ですね」
「最初は断ったのよ。美人で堂々としてる砂羽と違って、私は人前に出るのが苦手だったから。でも、何度も説得されるうちに押し切られちゃって、気がついたら駅前で、大勢の観客を集めるようになって……」
「ファンがついたということですか?」
「わっ、すごいですね!」
マスターの隣で見ているだけのつもりだったのに、思わず感嘆の声を上げてしまう。すると、加奈子は初めて笑みを見せた。
「ただの女子高生二人組がそんなふうに注目を集めるなんて、なかなかないことでしょう? それなのに、『砂羽のおかげね』って感謝したら、『え? 音楽やってる人って、みんなこんなもんじゃないの?』なんてけろっとしていたりして。とにかくパワーにあふれている子だったわ、砂羽は」
「なんだか、未桜さんみたいですねぇ」
コーヒーカップを棚に片づけていたアサくんが、唐突に話しかけてきた。「へ? どこが?」と返すと、彼は少年らしい快活(かいかつ)な笑みを浮かべた。
「うーん、だいたい全部です」
「私、バイオリンなんて弾けないけど?」
「性格面ですよ! 具体的に言うなら……猪突(ちょとつ)猛進(もうしん)の巻き込み型で、押しが強くて、天然なところでしょうか」
「何それぇ」
両手を腰に当て、アサくんを軽く睨(にら)む。アサくんは「怖いんだからぁ」とケラケラと笑い、作業に戻っていった。可愛いから憎めない。