来店予定者リストを取ってきて、次のお客さんの情報を確認した。来店予定時刻が三分後に迫っていることに、アサくんと二人して驚く。
手作りケーキの味に魅了されているうちに、時間の感覚をすっかり失っていたようだ。反省しながら、お出迎えのポジションに陣取る。
遠慮がちに、入り口の扉が開いた。
チリンチリン、という爽やかな鈴の音色に乗せて、「いらっしゃいませ!」と頭を下げる。
扉の隙間から現れたのは、ふくよかな中年女性だった。
──あれ? 意外。
彼女は、なんというか、すっきりしない顔をしていた。
家族に見守られて最後の時を迎えた社長夫人、というリストの事前情報からして、てっきり幸せに人生を終えたのだと思い込んでいたのだけれど。
もちろん、四十七歳という年齢は若すぎる。ただ、死因となった卵巣癌は二年前に判明していたようだし、すべての心残りを解消する時間は十分にあったのではないかと、そう考えたのだ。
その予想は、どうやら外れたらしい。
不安そうに眉根を寄せ、唇を引き結んでいる。その迷いだらけの表情は、ゆったりとした高級そうな黒いワンピースや、両手にいくつも輝いているダイヤモンドの指輪と、どこかちぐはぐに見えた。
こちらから声をかけるより先に、彼女がアサくんに気づき、口を開いた。
「あなた……このあいだ私に、黄色いチケットをくれた……」
「あ、はい! そうです。あんな一瞬だったのに、覚えていてくださって光栄です!」
「不思議ね。死んだ瞬間に、ふと思い出したのよ。病室にあなたが来たことや、寿命が尽きる日付を教えられたこと。それで、チケットの記載のとおりに、ここにやってきたんだけど」
「来世喫茶店、日本三十号店へようこそ。お待ちしておりましたよ、町井さま」
アサくんが天使のような笑顔を作る。未桜も負けじととびきりの笑みを浮かべ、「カウンターでもテーブルでも、お好きな席にどうぞ」と案内の言葉を続けた。
彼女は迷った挙句、カウンターに近づき、一番近くにあった椅子を後ろに引いた。座ろうとして、しばし動きを止め、ゆっくりとアサくんを振り返る。
「あなたがチケットを渡しにきてくれたとき、私、『来世喫茶店ってどういう場所?』って聞いたわよね。そしたら、あなた、こう言ったでしょう。『人生を振り返り、次に繋げる場所です』って」
「はい。確か、そう答えましたね」
「私、あまり気が進まないのよ。人生というか、過去を振り返るのは……」
彼女が緊張したように口元をこわばらせているのが気になり、未桜は思わず「それって」と口を挟んだ。
「町井さまが、過去を振り返らない性格だからですか? それとも、人生に心残りがあるからですか?」
「……後者よ」
短い答えが返ってくる。
その言い方からは、彼女が自分の過去と向き合うため、相当な覚悟を決めてここに来たことが読み取れた。
「あのっ、差し支えなければ、私が──」
「未桜さん、未桜さん! まずはご本人確認からですよっ!」
カウンターに手をついて身を乗り出した途端、アサくんが慌てた様子で制止してきた。例のごとく先走ってしまったことを反省し、「失礼いたしました」とマニュアルどおりの接客に戻る。
「改めまして、町井さま──来世喫茶店にはるばるお越しいただき、誠にありがとうございます。お手数ですが、まずはプロフィールの確認をさせてください。町井加奈子さま、一九七一年十月二十九日生まれ、享年四十七歳。お間違いないでしょうか?」
「ええ」
アルバイトを始めてから丸二日が経ち、さすがに案内の台詞はすらすら言えるようになっていた。ベテラン店員のアサくんに再三指導されたこともあり、「恐れ入りますが」「よろしければ」「お手数ですが」「差し支えなければ」といったクッション言葉までも、しっかり身につき始めている。
「短い間ではありますが、町井さまが安心して来世に“向かう”ことができるよう、一生懸命お手伝いさせていただきますね! まずはそのための、ドリンクメニューのご説明から」
メニュー表を開き、カウンターの上に置く。
一つ一つのドリンク名を指し示しながら、それを飲むことで得られる体験と、“来世の条件”を決める方法について、丁寧に説明していった。
人生で最も大切な思い出を再体験できる、『メモリーブレンド』。
もう一度会いたい人を呼び出すことができる、『相席カフェラテ』。
そして、来世に反映される“要素”の配分をマスターにお任せで決めてもらえる、『マスターのカウンセリングティー』。
「こちらをご注文される場合、まずはマスターによる町井さまのカウンセリングを行わせていただきます。今までの人生についてお聞かせいただき、それに関する町井さまのご感想や来世に関するご意向などを伺った上で、オリジナルのブレンドティーをご提供します」
コーヒー豆と同様、マスターが揃えている茶葉には、無数の種類がある。その組み合わせ方や蒸らし時間の長さで、『健康』『恋愛』『お金』『仕事』『家族』『平穏』『人間関係』といった人生における重要な要素が、どのくらい来世に“強く”反映されるかが決まるのだという。
どれか一つの要素を濃く出す場合もあるし、いくつかをブレンドする場合もある。
その配分をどうするかは、マスターに一任することとなる。
「何もかもが完璧な人生というものは、存在しません。お茶は一杯しか飲めませんから、必然的に、その中でのバランスを考えていくことになります。例えば、『健康』だけを望めば、特に大きな病気もなく長寿を全うすることができますが、人間関係でものすごく苦労する人生になるかもしれません。かといって、『健康』『家族』『恋愛』『お金』とたくさんの要素を詰め込もうとすれば、一つ一つの充実度は薄まっていきます。なかなか難しいですが、細かい調整はマスターがしてくれますから、どうぞご安心を」
そして最後に──と、未桜はメニュー表の隣のページを指した。
「『本日のスイーツ』は、抹茶のスイートポテトです。こちらはサービスですので、よろしければぜひ、お飲み物とご一緒にどうぞ」
町井加奈子は、小さく頷きながら、未桜の説明に耳を傾けていた。
来世喫茶店を訪れるお客さんたちにとって、どのドリンクを頼むかというのは、とても大事な選択だ。
説明を終えた時点でお客さんが迷っている場合は、「お決まりの頃にお伺いします」と声をかけ、いったんカウンター内に下がることになっている。今回もそうしようと未桜が口を開きかけたとき、加奈子が考え考えといった様子で尋ねてきた。
「相席カフェラテっていうのは……故人にも会えるのよね?」
「はい、大丈夫ですよ!」
「それなら、これにするわ。二十年近く前に亡くなった親友に会いたいの。オサナイサワ、っていう名前なんだけど」
加奈子に一つ一つの漢字を訊きながら、未桜は伝票に注文内容を書いていった。
小(お)山(さ)内(ない)砂(さ)羽(わ)、というフルネームを再確認してから、加奈子に向かって一礼し、カウンター内にいるマスターのところへと向かう。
手作りケーキの味に魅了されているうちに、時間の感覚をすっかり失っていたようだ。反省しながら、お出迎えのポジションに陣取る。
遠慮がちに、入り口の扉が開いた。
チリンチリン、という爽やかな鈴の音色に乗せて、「いらっしゃいませ!」と頭を下げる。
扉の隙間から現れたのは、ふくよかな中年女性だった。
──あれ? 意外。
彼女は、なんというか、すっきりしない顔をしていた。
家族に見守られて最後の時を迎えた社長夫人、というリストの事前情報からして、てっきり幸せに人生を終えたのだと思い込んでいたのだけれど。
もちろん、四十七歳という年齢は若すぎる。ただ、死因となった卵巣癌は二年前に判明していたようだし、すべての心残りを解消する時間は十分にあったのではないかと、そう考えたのだ。
その予想は、どうやら外れたらしい。
不安そうに眉根を寄せ、唇を引き結んでいる。その迷いだらけの表情は、ゆったりとした高級そうな黒いワンピースや、両手にいくつも輝いているダイヤモンドの指輪と、どこかちぐはぐに見えた。
こちらから声をかけるより先に、彼女がアサくんに気づき、口を開いた。
「あなた……このあいだ私に、黄色いチケットをくれた……」
「あ、はい! そうです。あんな一瞬だったのに、覚えていてくださって光栄です!」
「不思議ね。死んだ瞬間に、ふと思い出したのよ。病室にあなたが来たことや、寿命が尽きる日付を教えられたこと。それで、チケットの記載のとおりに、ここにやってきたんだけど」
「来世喫茶店、日本三十号店へようこそ。お待ちしておりましたよ、町井さま」
アサくんが天使のような笑顔を作る。未桜も負けじととびきりの笑みを浮かべ、「カウンターでもテーブルでも、お好きな席にどうぞ」と案内の言葉を続けた。
彼女は迷った挙句、カウンターに近づき、一番近くにあった椅子を後ろに引いた。座ろうとして、しばし動きを止め、ゆっくりとアサくんを振り返る。
「あなたがチケットを渡しにきてくれたとき、私、『来世喫茶店ってどういう場所?』って聞いたわよね。そしたら、あなた、こう言ったでしょう。『人生を振り返り、次に繋げる場所です』って」
「はい。確か、そう答えましたね」
「私、あまり気が進まないのよ。人生というか、過去を振り返るのは……」
彼女が緊張したように口元をこわばらせているのが気になり、未桜は思わず「それって」と口を挟んだ。
「町井さまが、過去を振り返らない性格だからですか? それとも、人生に心残りがあるからですか?」
「……後者よ」
短い答えが返ってくる。
その言い方からは、彼女が自分の過去と向き合うため、相当な覚悟を決めてここに来たことが読み取れた。
「あのっ、差し支えなければ、私が──」
「未桜さん、未桜さん! まずはご本人確認からですよっ!」
カウンターに手をついて身を乗り出した途端、アサくんが慌てた様子で制止してきた。例のごとく先走ってしまったことを反省し、「失礼いたしました」とマニュアルどおりの接客に戻る。
「改めまして、町井さま──来世喫茶店にはるばるお越しいただき、誠にありがとうございます。お手数ですが、まずはプロフィールの確認をさせてください。町井加奈子さま、一九七一年十月二十九日生まれ、享年四十七歳。お間違いないでしょうか?」
「ええ」
アルバイトを始めてから丸二日が経ち、さすがに案内の台詞はすらすら言えるようになっていた。ベテラン店員のアサくんに再三指導されたこともあり、「恐れ入りますが」「よろしければ」「お手数ですが」「差し支えなければ」といったクッション言葉までも、しっかり身につき始めている。
「短い間ではありますが、町井さまが安心して来世に“向かう”ことができるよう、一生懸命お手伝いさせていただきますね! まずはそのための、ドリンクメニューのご説明から」
メニュー表を開き、カウンターの上に置く。
一つ一つのドリンク名を指し示しながら、それを飲むことで得られる体験と、“来世の条件”を決める方法について、丁寧に説明していった。
人生で最も大切な思い出を再体験できる、『メモリーブレンド』。
もう一度会いたい人を呼び出すことができる、『相席カフェラテ』。
そして、来世に反映される“要素”の配分をマスターにお任せで決めてもらえる、『マスターのカウンセリングティー』。
「こちらをご注文される場合、まずはマスターによる町井さまのカウンセリングを行わせていただきます。今までの人生についてお聞かせいただき、それに関する町井さまのご感想や来世に関するご意向などを伺った上で、オリジナルのブレンドティーをご提供します」
コーヒー豆と同様、マスターが揃えている茶葉には、無数の種類がある。その組み合わせ方や蒸らし時間の長さで、『健康』『恋愛』『お金』『仕事』『家族』『平穏』『人間関係』といった人生における重要な要素が、どのくらい来世に“強く”反映されるかが決まるのだという。
どれか一つの要素を濃く出す場合もあるし、いくつかをブレンドする場合もある。
その配分をどうするかは、マスターに一任することとなる。
「何もかもが完璧な人生というものは、存在しません。お茶は一杯しか飲めませんから、必然的に、その中でのバランスを考えていくことになります。例えば、『健康』だけを望めば、特に大きな病気もなく長寿を全うすることができますが、人間関係でものすごく苦労する人生になるかもしれません。かといって、『健康』『家族』『恋愛』『お金』とたくさんの要素を詰め込もうとすれば、一つ一つの充実度は薄まっていきます。なかなか難しいですが、細かい調整はマスターがしてくれますから、どうぞご安心を」
そして最後に──と、未桜はメニュー表の隣のページを指した。
「『本日のスイーツ』は、抹茶のスイートポテトです。こちらはサービスですので、よろしければぜひ、お飲み物とご一緒にどうぞ」
町井加奈子は、小さく頷きながら、未桜の説明に耳を傾けていた。
来世喫茶店を訪れるお客さんたちにとって、どのドリンクを頼むかというのは、とても大事な選択だ。
説明を終えた時点でお客さんが迷っている場合は、「お決まりの頃にお伺いします」と声をかけ、いったんカウンター内に下がることになっている。今回もそうしようと未桜が口を開きかけたとき、加奈子が考え考えといった様子で尋ねてきた。
「相席カフェラテっていうのは……故人にも会えるのよね?」
「はい、大丈夫ですよ!」
「それなら、これにするわ。二十年近く前に亡くなった親友に会いたいの。オサナイサワ、っていう名前なんだけど」
加奈子に一つ一つの漢字を訊きながら、未桜は伝票に注文内容を書いていった。
小(お)山(さ)内(ない)砂(さ)羽(わ)、というフルネームを再確認してから、加奈子に向かって一礼し、カウンター内にいるマスターのところへと向かう。