《四月八日 来店予定者リスト》
・名前:町(まち)井(い)加(か)奈(な)子(こ)
・性別:女
・生年月日:一九七一年十月二十九日(享年四十七歳)
・職業:社長夫人
・経緯:二年前より卵巣(らんそう)癌(がん)を患う。入院中の病院にて、夫に見守られながら亡くなる。
・来店予定時刻:十時五十八分
「お誕生日おめでとう、未桜さん」
「おめでとうございますっ!」
朝から何組か入っていたお客さんを全員送り出し、ほっと一息ついた瞬間だった。
後ろを振り返り、目を丸くする。お店の中央には、美味しそうなイチゴのショートケーキの載った大皿を持っているマスターと、パチパチと拍手をしているアサくんが、並んで立っていた。
「えっ、これ、私に?」
「このとおり」
マスターがケーキの上部を指し示す。イチゴとホイップクリームの間に、『HAPPY 19th BIRTHDAY 未桜さん』と流麗な文字で書かれたチョコレートプレートが置かれていた。
──そうか、私。
今日から十九歳なんだ、と気づく。
昨夜からお客さんがなかなか途切れず、日付が変わった後もずっと忙しくしていたから、すっかり忘れていた。来世喫茶店にいると、ついつい時間の流れに疎くなる。
「ま、マスター……ホールケーキなんて、いつの間に焼いたんですか⁉」
「あれぇ、未桜さん、気づいてなかったんですか? 朝からいい匂いがプンプンしてたのに!」
「だって、あれは『本日のスイーツ』の追加分なのかと!」
「スイートポテトとスポンジケーキの焼ける匂いって、そんなに似てますぅ?」
アサくんが唇を突き出し、わざとらしく首を傾げる。「もう!」と拳を振り上げると、「わ、暴力反対!」と彼がぴょこりと首をすくめた。
「この三日間で、すっかり仲良くなったみたいだね。傍(はた)から見ると、まるで歳の離れた姉弟(きょうだい)だ」
マスターがテーブルに大皿を置き、「──って、さっきお客様に言われてたよ」とケーキを切り分け始める。「ええっ、私、お姉さんなんて柄じゃないですよ!」「僕だって生前は一人っ子です!」と二人して反論すると、マスターはいよいよ苦笑した。
次のお客様が来る前に急いで食べてしまおう、というマスターの提案に従い、取り分けてもらったお皿を引き寄せる。小ぶりのホールケーキは、三人で無理なく食べきれるくらいの、ちょうどいいサイズだった。
「ケーキ用のろうそくを切らしててごめんね。 “生ける人”の誕生日をお祝いするなんていうイベントは、来世喫茶店では滅多に起こらなくてさ」
フォークを口に運びながら、マスターが申し訳なさそうに言う。けれど、そんなことはまったく気にならないくらい、未桜の口の中はすでに幸せで満たされていた。
牛乳の香りがするクリームが、舌の上でとろける。スポンジはふわふわで、口当たりがとても優しい。そしてイチゴの甘酸っぱさは、今の未桜の心の中を表しているようだった。
マスターが、自分のためだけに、焼いてくれたケーキ──。
思わず顔がにやけそうになる。それを隠そうと、慌ててフォークをケーキに突き刺し、口に放り込んだ。
すくった欠片が予想外に大きくて、目を白黒させながら、懸命に口を動かす。すると、向かいに座っているマスターが不意に破顔した。
その理由が分からずきょとんとしていると、マスターがテーブルに置いてあった紙ナプキンを手に取り、未桜の顔に手を伸ばしてきた。
あっという間に唇の端を拭(ぬぐ)われる。未桜が赤くなってぱっと口元に手をやると、マスターはナプキンを丁寧に畳みながら微笑んだ。
「クリームがついてた。気づいてなさそうだったから」
「わ、恥ずかしい……」
「そんなにいっぺんに食べて、何を急いでいるのやら?」
「えっ、いやあの、何でもないです!」
未桜はぶんぶんと首を横に振った。そんな甘いやりとりにまったく気づいていない様子のアサくんが、「でも未桜さん」と思案顔で話しかけてくる。
「貴重な十九歳の誕生日を、こっちの世界で迎えてしまって大丈夫ですか? こうやって一緒にお祝いできるのは嬉しいですけど……本当にいいんでしょうか」
「だっ、大丈夫! べ、別に、今、彼氏がいるわけでもないし……というかいたことないし……」
「そうじゃなくて! そろそろ現世に戻らないと、ご家族がかわいそうじゃないですか、ってことです。『八重樫未桜』として迎える誕生日は、今日を含めてあと三回しか残っていないんですよ? それなのに、未桜さんの身体はもう丸二日間も、意識不明のまま病院のベッドに横たわっているわけで……」
こちらを見つめるアサくんは、至って真剣な顔をしていた。
憧れのマスターに誕生日ケーキを作ってもらえてラッキー、などと軽く考えていた自分が恥ずかしくなる。
どう答えるか迷いつつ、隣のテーブルに座るマスターの横顔に、何気なく目をやった。
その途端、未桜の心臓は、二十センチほど跳ねた。
テーブルに目を落とすマスターが、ひどく悲しそうに見えたのだ。
気のせいかと思い、もう一度チラ見したけれど、やはり見間違いではなかった。先ほどまで、手作りのケーキを前に朗らかな笑みを浮かべていたはずのマスターは今、どこか気落ちした表情をしている。
──もしかして……私に現世に戻ってほしくないって、思ってくれてるのかな?
未桜がマスターに恋をしているように、マスターも自分のことを──という虹色の想像がむくむくとわき上がってきた直後、その考えを振り払った。
──都合がよすぎる、よね。
大人の男性であるマスターが、十歳近く年下の未桜を、自分と同じように意識してくれているかもしれないなんて……あまりにも。
そもそも、二日前の夜に、アサくんから聞いたばかりではないか。マスターはもう二度と恋をするつもりがない、と。
彼は単に、同情してくれているのだろう。丸二年後に二十一歳で急死するという、未桜の避けようのない運命に。
もしくは、彼が実際に未桜との別れを惜しんでくれているという可能性も、あるにはある。けれどそれは、せっかく仕事を教えた店員が一人減るという意味で、だ。
・名前:町(まち)井(い)加(か)奈(な)子(こ)
・性別:女
・生年月日:一九七一年十月二十九日(享年四十七歳)
・職業:社長夫人
・経緯:二年前より卵巣(らんそう)癌(がん)を患う。入院中の病院にて、夫に見守られながら亡くなる。
・来店予定時刻:十時五十八分
「お誕生日おめでとう、未桜さん」
「おめでとうございますっ!」
朝から何組か入っていたお客さんを全員送り出し、ほっと一息ついた瞬間だった。
後ろを振り返り、目を丸くする。お店の中央には、美味しそうなイチゴのショートケーキの載った大皿を持っているマスターと、パチパチと拍手をしているアサくんが、並んで立っていた。
「えっ、これ、私に?」
「このとおり」
マスターがケーキの上部を指し示す。イチゴとホイップクリームの間に、『HAPPY 19th BIRTHDAY 未桜さん』と流麗な文字で書かれたチョコレートプレートが置かれていた。
──そうか、私。
今日から十九歳なんだ、と気づく。
昨夜からお客さんがなかなか途切れず、日付が変わった後もずっと忙しくしていたから、すっかり忘れていた。来世喫茶店にいると、ついつい時間の流れに疎くなる。
「ま、マスター……ホールケーキなんて、いつの間に焼いたんですか⁉」
「あれぇ、未桜さん、気づいてなかったんですか? 朝からいい匂いがプンプンしてたのに!」
「だって、あれは『本日のスイーツ』の追加分なのかと!」
「スイートポテトとスポンジケーキの焼ける匂いって、そんなに似てますぅ?」
アサくんが唇を突き出し、わざとらしく首を傾げる。「もう!」と拳を振り上げると、「わ、暴力反対!」と彼がぴょこりと首をすくめた。
「この三日間で、すっかり仲良くなったみたいだね。傍(はた)から見ると、まるで歳の離れた姉弟(きょうだい)だ」
マスターがテーブルに大皿を置き、「──って、さっきお客様に言われてたよ」とケーキを切り分け始める。「ええっ、私、お姉さんなんて柄じゃないですよ!」「僕だって生前は一人っ子です!」と二人して反論すると、マスターはいよいよ苦笑した。
次のお客様が来る前に急いで食べてしまおう、というマスターの提案に従い、取り分けてもらったお皿を引き寄せる。小ぶりのホールケーキは、三人で無理なく食べきれるくらいの、ちょうどいいサイズだった。
「ケーキ用のろうそくを切らしててごめんね。 “生ける人”の誕生日をお祝いするなんていうイベントは、来世喫茶店では滅多に起こらなくてさ」
フォークを口に運びながら、マスターが申し訳なさそうに言う。けれど、そんなことはまったく気にならないくらい、未桜の口の中はすでに幸せで満たされていた。
牛乳の香りがするクリームが、舌の上でとろける。スポンジはふわふわで、口当たりがとても優しい。そしてイチゴの甘酸っぱさは、今の未桜の心の中を表しているようだった。
マスターが、自分のためだけに、焼いてくれたケーキ──。
思わず顔がにやけそうになる。それを隠そうと、慌ててフォークをケーキに突き刺し、口に放り込んだ。
すくった欠片が予想外に大きくて、目を白黒させながら、懸命に口を動かす。すると、向かいに座っているマスターが不意に破顔した。
その理由が分からずきょとんとしていると、マスターがテーブルに置いてあった紙ナプキンを手に取り、未桜の顔に手を伸ばしてきた。
あっという間に唇の端を拭(ぬぐ)われる。未桜が赤くなってぱっと口元に手をやると、マスターはナプキンを丁寧に畳みながら微笑んだ。
「クリームがついてた。気づいてなさそうだったから」
「わ、恥ずかしい……」
「そんなにいっぺんに食べて、何を急いでいるのやら?」
「えっ、いやあの、何でもないです!」
未桜はぶんぶんと首を横に振った。そんな甘いやりとりにまったく気づいていない様子のアサくんが、「でも未桜さん」と思案顔で話しかけてくる。
「貴重な十九歳の誕生日を、こっちの世界で迎えてしまって大丈夫ですか? こうやって一緒にお祝いできるのは嬉しいですけど……本当にいいんでしょうか」
「だっ、大丈夫! べ、別に、今、彼氏がいるわけでもないし……というかいたことないし……」
「そうじゃなくて! そろそろ現世に戻らないと、ご家族がかわいそうじゃないですか、ってことです。『八重樫未桜』として迎える誕生日は、今日を含めてあと三回しか残っていないんですよ? それなのに、未桜さんの身体はもう丸二日間も、意識不明のまま病院のベッドに横たわっているわけで……」
こちらを見つめるアサくんは、至って真剣な顔をしていた。
憧れのマスターに誕生日ケーキを作ってもらえてラッキー、などと軽く考えていた自分が恥ずかしくなる。
どう答えるか迷いつつ、隣のテーブルに座るマスターの横顔に、何気なく目をやった。
その途端、未桜の心臓は、二十センチほど跳ねた。
テーブルに目を落とすマスターが、ひどく悲しそうに見えたのだ。
気のせいかと思い、もう一度チラ見したけれど、やはり見間違いではなかった。先ほどまで、手作りのケーキを前に朗らかな笑みを浮かべていたはずのマスターは今、どこか気落ちした表情をしている。
──もしかして……私に現世に戻ってほしくないって、思ってくれてるのかな?
未桜がマスターに恋をしているように、マスターも自分のことを──という虹色の想像がむくむくとわき上がってきた直後、その考えを振り払った。
──都合がよすぎる、よね。
大人の男性であるマスターが、十歳近く年下の未桜を、自分と同じように意識してくれているかもしれないなんて……あまりにも。
そもそも、二日前の夜に、アサくんから聞いたばかりではないか。マスターはもう二度と恋をするつもりがない、と。
彼は単に、同情してくれているのだろう。丸二年後に二十一歳で急死するという、未桜の避けようのない運命に。
もしくは、彼が実際に未桜との別れを惜しんでくれているという可能性も、あるにはある。けれどそれは、せっかく仕事を教えた店員が一人減るという意味で、だ。