第6話 素敵な事
土曜日だ。待たせてはいけないだろうと思ってちょっと早めに出たら早すぎた。遅いよりはいいか。
今日は休日だが、一応年上の人と会うんでTシャツって訳にもいかんから、ざっくりしたコットンの白いシャツにジーンズで来たけど、まあ、あの人ならどんな恰好で会っても失礼にはならんだろうな。
なんて思っていたら「やーくも君!」と後ろから呼ぶ声がする。振り返るまでもなく、その声の持ち主は判っている訳で。まだ二十分も前なのにアイさんもこんなに早く来たのか?
「アイさん、早かったですね」
「早く八雲君に会いたくて急いで来ちゃったのに、八雲君の方が早かったね。あたしに早く会いたかったの?」
「いえ、そういう訳じゃあ……」
「そういう時は『そうだよ』って言えばいいの!」
「あ、はい」
いきなり振り回されてないか、俺。
「あのね、ゆっくりできるパスタ屋さんがあるの。そこドリンクバーがあって飲み放題なの。そこでいいでしょ?」
と聞いている割には俺の答えを待たずに「じゃ、行こっ!」といきなり俺の腕を取って歩き出す。何故ナチュラルに腕に絡みつくかな。この人、パーソナルスペースってもんを持っていないのか? とは言え、この手を振り払うのも失礼だし、そうする必要も今のタイミングでは見つけられないんで、そのまま引っ張られて行く訳なんだが。
すっかりライズか高島屋辺りに引きずり込まれるものだと思っていたが、思いがけず高島屋を通り抜けて細い小路にどんどん入って行く。ブティックや外国語教室の入ったビルのエレベータに引きずり込まれ、ニコニコと楽し気な彼女と一緒に三階まで上がると、隠れ家的にそのパスタ屋さんは出現した。
「ここ」
へぇ……女の人ってこういうのよく知ってるよなぁ。なんて感心している俺をよそに、彼女は窓際の席にしてくれなんてお店の人に交渉してる。積極的というかなんというか。
結局窓際の席をゲットして、さっさとパスタを注文すると、彼女は「ちょっと待ってて」と言って当たり前のようにコーヒーを二つ持って戻って来る。
「お待たせ。ミルクと砂糖は?」
「あ、ブラックで」
「あそ」
彼女はスティックシュガー一本とポーションミルク二個を自分のコーヒーに入れながら、それはそれは嬉しそうに切り出した。
「すっごい久しぶりだね。何年も会ってなかったみたい。会いたかったよ」
「え、たったの四日ですよ?」
「あたしには昨日の晩から今までが二年くらいだったの!」
「はぁ……」
なんだろうな、このノリは。
「それで、昨日言ってた素敵な事ってのは何ですか?」
「もう。いきなり本題? もうちょっと再会の感動を分かち合おうよ」
「いや、まあ、そうですけど。早く聞きたくて」
「コラボしよ」
「は?」
ああ、また本日の「は?」のカウントが始まったか。
「あのね、あたしいつも独りよがりの日記みたいなエッセイしか書いたことが無かったから、ちゃんとした小説を書いてみたくなったの」
コーヒーをスプーンでクルクルとかき混ぜながら、ちょっと照れくさそうに言うその姿はとても可愛らしいのだが、そんなに悩むほどの事でもないんじゃないか?
「いいじゃないですか。新しい事をするのは勇気が要りますけど、何事もやってみないと判りませんから」
「やっぱりそう思う?」
「はい」
「じゃ、コラボしよ」
は? 二回目。
「いや、それ、意味が判らないんですけど」
「あのね。恋愛小説を書きたいの」
「いいですね」
「それでね、女性視点と男性視点で書きたいのね」
「ああ、ありがちですね、途中で視点が変わる素人臭いの。あれやる気ですか? 下手くそな人ほど、やたらと目線を変えたがるじゃないですか。読んでる方は地の文の一人称がちょくちょく変わって読みにくいったらありゃしない」
「違うの。ずっと一人の目線で描くの」
「だって、女性視点と男性視点で……」
「だからコラボ。全く同じストーリーを、あたしが女性視点、八雲君が男性視点で書くの。それで同時にアップしていくの」
「は?」 三回目。
「あたしの方だけ読んでも一つのストーリー、八雲君の方だけ読んでも一つのストーリー。それですれ違いがいっぱいあると、両方読んでた方が面白いと思うの。ねえ、一緒にやろうよ」
なんてことを思いつくんだ。確かにそれは面白そうだ。だが……。
「いや、確かに凄く面白い企画ですけど、私は小説なんか書いたことありませんから」
「何事もやってみないと判らないんでしょ? さっき八雲君がそう言ったんだよ」
そうだった。言ったな、確かに。
「ねえ、この席いいでしょ? 多摩川がよく見えるの」
「は?」 四回目。
「後でお散歩行こうね」
話が横道逸れたぞ。
「お散歩もいいですけど。実際どうやって進めるんですか?」
「メールでもLINEでも何でもいいよ。今のあたしと八雲君そのままでいいと思わない? 八雲君は八雲君等身大キャラで、君の思ったまんまをキャラに行動させたらいいよ。あたしもあたし等身大キャラをそのまま動かすから」
「それで恋愛ものにできるんですか?」
「だからもうあたし、ちゃんと恋愛モードに入ってるでしょ? この作品の為に疑似恋愛するの、どう?」
「疑似恋愛?」
「そう。こうやって打ち合わせで会う時もデートの気分で。LINEも仲良しモードで」
「私にはそんな疑似恋愛とか無理ですから」
「だから八雲君はそのままでいいの。あたしがラブラブモードで突っ走って、八雲君が困惑する男性キャラでいいじゃない? これ、あたしの方のキャラをもう作ってるから」
作ってるだって? じゃあ、この榊アイは本物の榊アイのキャラじゃないのか。それなら話はわかる。これが榊アイの本物のキャラなら、かなりキテるよ。
「ね、ちょっとやってみて、どうしてもダメっぽかったらその時解散してもいいじゃない? やってみようよ」
「うーん……まあ、そうですね。じゃあ、やってみましょうか。あまり自信は無いですけど」
「やった! じゃ、設定決めよ!」
そこにパスタが運ばれてきて、俺とアイさんはパスタを食べながら詳細設定を練ることになったのだ。
土曜日だ。待たせてはいけないだろうと思ってちょっと早めに出たら早すぎた。遅いよりはいいか。
今日は休日だが、一応年上の人と会うんでTシャツって訳にもいかんから、ざっくりしたコットンの白いシャツにジーンズで来たけど、まあ、あの人ならどんな恰好で会っても失礼にはならんだろうな。
なんて思っていたら「やーくも君!」と後ろから呼ぶ声がする。振り返るまでもなく、その声の持ち主は判っている訳で。まだ二十分も前なのにアイさんもこんなに早く来たのか?
「アイさん、早かったですね」
「早く八雲君に会いたくて急いで来ちゃったのに、八雲君の方が早かったね。あたしに早く会いたかったの?」
「いえ、そういう訳じゃあ……」
「そういう時は『そうだよ』って言えばいいの!」
「あ、はい」
いきなり振り回されてないか、俺。
「あのね、ゆっくりできるパスタ屋さんがあるの。そこドリンクバーがあって飲み放題なの。そこでいいでしょ?」
と聞いている割には俺の答えを待たずに「じゃ、行こっ!」といきなり俺の腕を取って歩き出す。何故ナチュラルに腕に絡みつくかな。この人、パーソナルスペースってもんを持っていないのか? とは言え、この手を振り払うのも失礼だし、そうする必要も今のタイミングでは見つけられないんで、そのまま引っ張られて行く訳なんだが。
すっかりライズか高島屋辺りに引きずり込まれるものだと思っていたが、思いがけず高島屋を通り抜けて細い小路にどんどん入って行く。ブティックや外国語教室の入ったビルのエレベータに引きずり込まれ、ニコニコと楽し気な彼女と一緒に三階まで上がると、隠れ家的にそのパスタ屋さんは出現した。
「ここ」
へぇ……女の人ってこういうのよく知ってるよなぁ。なんて感心している俺をよそに、彼女は窓際の席にしてくれなんてお店の人に交渉してる。積極的というかなんというか。
結局窓際の席をゲットして、さっさとパスタを注文すると、彼女は「ちょっと待ってて」と言って当たり前のようにコーヒーを二つ持って戻って来る。
「お待たせ。ミルクと砂糖は?」
「あ、ブラックで」
「あそ」
彼女はスティックシュガー一本とポーションミルク二個を自分のコーヒーに入れながら、それはそれは嬉しそうに切り出した。
「すっごい久しぶりだね。何年も会ってなかったみたい。会いたかったよ」
「え、たったの四日ですよ?」
「あたしには昨日の晩から今までが二年くらいだったの!」
「はぁ……」
なんだろうな、このノリは。
「それで、昨日言ってた素敵な事ってのは何ですか?」
「もう。いきなり本題? もうちょっと再会の感動を分かち合おうよ」
「いや、まあ、そうですけど。早く聞きたくて」
「コラボしよ」
「は?」
ああ、また本日の「は?」のカウントが始まったか。
「あのね、あたしいつも独りよがりの日記みたいなエッセイしか書いたことが無かったから、ちゃんとした小説を書いてみたくなったの」
コーヒーをスプーンでクルクルとかき混ぜながら、ちょっと照れくさそうに言うその姿はとても可愛らしいのだが、そんなに悩むほどの事でもないんじゃないか?
「いいじゃないですか。新しい事をするのは勇気が要りますけど、何事もやってみないと判りませんから」
「やっぱりそう思う?」
「はい」
「じゃ、コラボしよ」
は? 二回目。
「いや、それ、意味が判らないんですけど」
「あのね。恋愛小説を書きたいの」
「いいですね」
「それでね、女性視点と男性視点で書きたいのね」
「ああ、ありがちですね、途中で視点が変わる素人臭いの。あれやる気ですか? 下手くそな人ほど、やたらと目線を変えたがるじゃないですか。読んでる方は地の文の一人称がちょくちょく変わって読みにくいったらありゃしない」
「違うの。ずっと一人の目線で描くの」
「だって、女性視点と男性視点で……」
「だからコラボ。全く同じストーリーを、あたしが女性視点、八雲君が男性視点で書くの。それで同時にアップしていくの」
「は?」 三回目。
「あたしの方だけ読んでも一つのストーリー、八雲君の方だけ読んでも一つのストーリー。それですれ違いがいっぱいあると、両方読んでた方が面白いと思うの。ねえ、一緒にやろうよ」
なんてことを思いつくんだ。確かにそれは面白そうだ。だが……。
「いや、確かに凄く面白い企画ですけど、私は小説なんか書いたことありませんから」
「何事もやってみないと判らないんでしょ? さっき八雲君がそう言ったんだよ」
そうだった。言ったな、確かに。
「ねえ、この席いいでしょ? 多摩川がよく見えるの」
「は?」 四回目。
「後でお散歩行こうね」
話が横道逸れたぞ。
「お散歩もいいですけど。実際どうやって進めるんですか?」
「メールでもLINEでも何でもいいよ。今のあたしと八雲君そのままでいいと思わない? 八雲君は八雲君等身大キャラで、君の思ったまんまをキャラに行動させたらいいよ。あたしもあたし等身大キャラをそのまま動かすから」
「それで恋愛ものにできるんですか?」
「だからもうあたし、ちゃんと恋愛モードに入ってるでしょ? この作品の為に疑似恋愛するの、どう?」
「疑似恋愛?」
「そう。こうやって打ち合わせで会う時もデートの気分で。LINEも仲良しモードで」
「私にはそんな疑似恋愛とか無理ですから」
「だから八雲君はそのままでいいの。あたしがラブラブモードで突っ走って、八雲君が困惑する男性キャラでいいじゃない? これ、あたしの方のキャラをもう作ってるから」
作ってるだって? じゃあ、この榊アイは本物の榊アイのキャラじゃないのか。それなら話はわかる。これが榊アイの本物のキャラなら、かなりキテるよ。
「ね、ちょっとやってみて、どうしてもダメっぽかったらその時解散してもいいじゃない? やってみようよ」
「うーん……まあ、そうですね。じゃあ、やってみましょうか。あまり自信は無いですけど」
「やった! じゃ、設定決めよ!」
そこにパスタが運ばれてきて、俺とアイさんはパスタを食べながら詳細設定を練ることになったのだ。