二十二時ちょうどにバイトを終え、夜勤の人に挨拶をし、店を出た。
雨は朝から降り続いている。
安物の赤い傘をぱっと開いて、水溜まりだらけの道に一歩踏み出す。
時間も遅いしこの天気だ。
それでも金曜ということもあってか、街はまだ明るく賑やかだった。
大通りの交差点で信号待ちをしながら、雨を避ける傘の中で、お母さんに【今から帰る】とメッセージを送った。
わたしの送った内容はすぐに既読マークが付き、お母さんから【気をつけて帰っておいでね】と返事が届いた。
「……」
パートのおばちゃんは、わたしがお母さんの力になっている、だなんて言っていたけれど。そんなの本当だろうか。
わたしは本当に、お母さんのためになれているのだろうか。
お母さんは、わたしの前で弱音を吐いたことがない。
いつだって元気に笑っていて、わたしのしたいことはなんでもさせてくれたし、欲しい物も買ってくれた。
わたしにはお父さんがいなかったけれど、お母さんがいたから、お父さんが欲しいと思ったことは一度もなかった。
でも、お母さんは本当に、弱音を吐きたいときがなかったのだろうか。
小学生のときに、たまたま夜中に目が覚めて、まだ明かりの点いていたリビングをこっそり覗いたことがある。
そのときに、お母さんが疲れた顔をしてぼんやりとしているのを見てしまった。
わたしは、お母さんもこんな顔をするんだとはっとした。
そして、今までもきっと何度もこうしていたはずなのに、その姿を決してわたしには見せていなかったんだということに気づいた。
中学生のときには、お母さんの知り合いから、お母さんが職場の同僚に申し込まれた交際を断っていたことも聞いた。今は子どものことを第一に考えたいからって理由だったのだと。
知り合いの人は、お母さんがわたしをどれだけ大事に思っているかを伝えたくてその話をしてくれたみたいだった。
でもわたしは、嬉しさよりも、別の思いを強く抱いてしまった。
もしかしたら、わたしがお母さんの重荷になっているんじゃないかって。
わたしがいなければ、お母さんはもっと自由な人生を送っていたのかもしれないって。
そう思うと申し訳なくて、早く大人にならなければいけないと考えるようになった。
だから自分なりに自立できるよう頑張ってきたのだ。
できるだけ、お母さんの負担にならないようにしようと。
「わたしがいるから頑張れる、かあ」
別に、いなくなりたいなんて思っているわけではない。
お母さんのことは好きだし、大事にされている自覚だってある。
でも、もしもお母さんの人生にわたしがいなかったらとは、たまに考えてしまう。
もしもわたしがお母さんの前からいなくなったら、お母さんは、どんな顔をするのだろう。
「……難しいな」
周囲に聞こえないよう小さくひとりごとを呟いた。
信号はまだ変わらない。
車道には車がたくさん走り、歩道では仕事終わりのサラリーマンや居酒屋を渡り歩く大学生たちが一緒に青信号を待っている。
傘に降り落ちる雨の音が絶えず鳴っていた。雨の日の独特の匂いが、足元から強く濃くのぼってくる。
手に持ったままのスマートフォンをちらりと見た。
お母さんを一番上にしたトーク履歴の五番目に、幼馴染みの名前があった。
……恭弥にも、おばちゃんと似たようなことを言われたっけ。
いちいちうるさいといつも邪険にしてしまうけれど、本当は、恭弥がわたしを思って言ってくれているんだってことくらいわかっている。
むきになるのは図星だから。恭弥に見透かされているのが悔しくて、つい意地を張ってしまうのだ。
小さい頃はなんでも言い合えたし、相手の思いやりも素直に受け止められたのに、いつからそんな簡単なことすらできなくなったのだろう。
自分のことは自分でできるって大人ぶってみたところで、それこそ子どもみたいで、かっこ悪くて情けない。
「……」
さすがに反省の心が芽生え、恭弥とのトーク画面を開いた。
けれど、わざわざメッセージを送ってまで言うことでもないかと、何も打たずに閉じた。次に学校で会ったときにでも声をかければいい。
スマートフォンを鞄にしまう。目の前の信号はまだ赤だ。横の歩行者信号が点滅し始めたから、あと少しで青に変わる。
後ろから賑やかな声が聞こえていた。
お酒の入った大学生が随分盛り上がっているようだった。
ひと際背後が騒がしくなったとき、「あ」という声とともに、背中にどんと何かがぶつかった。
咄嗟に足を踏み出す。
けれどどうしてか力が入らず、支えきれなかった体がふらりとよろけた。
バランスを崩したわたしは、二歩三歩とふらつき、立ち止まった。
立ち止まった場所は、太い白線の上――まだ赤信号のままの、横断歩道の上だった。
これは、まずい。
そう思ったときには目の前に大きなヘッドライトが見えていた。
傘が風に流される。
雨の線が光を受けて、描いたみたいにはっきりと浮かんだ。
甲高いブレーキ音と、誰かの悲鳴が聞こえた。
世界が、やけに鮮明だった。
雨は朝から降り続いている。
安物の赤い傘をぱっと開いて、水溜まりだらけの道に一歩踏み出す。
時間も遅いしこの天気だ。
それでも金曜ということもあってか、街はまだ明るく賑やかだった。
大通りの交差点で信号待ちをしながら、雨を避ける傘の中で、お母さんに【今から帰る】とメッセージを送った。
わたしの送った内容はすぐに既読マークが付き、お母さんから【気をつけて帰っておいでね】と返事が届いた。
「……」
パートのおばちゃんは、わたしがお母さんの力になっている、だなんて言っていたけれど。そんなの本当だろうか。
わたしは本当に、お母さんのためになれているのだろうか。
お母さんは、わたしの前で弱音を吐いたことがない。
いつだって元気に笑っていて、わたしのしたいことはなんでもさせてくれたし、欲しい物も買ってくれた。
わたしにはお父さんがいなかったけれど、お母さんがいたから、お父さんが欲しいと思ったことは一度もなかった。
でも、お母さんは本当に、弱音を吐きたいときがなかったのだろうか。
小学生のときに、たまたま夜中に目が覚めて、まだ明かりの点いていたリビングをこっそり覗いたことがある。
そのときに、お母さんが疲れた顔をしてぼんやりとしているのを見てしまった。
わたしは、お母さんもこんな顔をするんだとはっとした。
そして、今までもきっと何度もこうしていたはずなのに、その姿を決してわたしには見せていなかったんだということに気づいた。
中学生のときには、お母さんの知り合いから、お母さんが職場の同僚に申し込まれた交際を断っていたことも聞いた。今は子どものことを第一に考えたいからって理由だったのだと。
知り合いの人は、お母さんがわたしをどれだけ大事に思っているかを伝えたくてその話をしてくれたみたいだった。
でもわたしは、嬉しさよりも、別の思いを強く抱いてしまった。
もしかしたら、わたしがお母さんの重荷になっているんじゃないかって。
わたしがいなければ、お母さんはもっと自由な人生を送っていたのかもしれないって。
そう思うと申し訳なくて、早く大人にならなければいけないと考えるようになった。
だから自分なりに自立できるよう頑張ってきたのだ。
できるだけ、お母さんの負担にならないようにしようと。
「わたしがいるから頑張れる、かあ」
別に、いなくなりたいなんて思っているわけではない。
お母さんのことは好きだし、大事にされている自覚だってある。
でも、もしもお母さんの人生にわたしがいなかったらとは、たまに考えてしまう。
もしもわたしがお母さんの前からいなくなったら、お母さんは、どんな顔をするのだろう。
「……難しいな」
周囲に聞こえないよう小さくひとりごとを呟いた。
信号はまだ変わらない。
車道には車がたくさん走り、歩道では仕事終わりのサラリーマンや居酒屋を渡り歩く大学生たちが一緒に青信号を待っている。
傘に降り落ちる雨の音が絶えず鳴っていた。雨の日の独特の匂いが、足元から強く濃くのぼってくる。
手に持ったままのスマートフォンをちらりと見た。
お母さんを一番上にしたトーク履歴の五番目に、幼馴染みの名前があった。
……恭弥にも、おばちゃんと似たようなことを言われたっけ。
いちいちうるさいといつも邪険にしてしまうけれど、本当は、恭弥がわたしを思って言ってくれているんだってことくらいわかっている。
むきになるのは図星だから。恭弥に見透かされているのが悔しくて、つい意地を張ってしまうのだ。
小さい頃はなんでも言い合えたし、相手の思いやりも素直に受け止められたのに、いつからそんな簡単なことすらできなくなったのだろう。
自分のことは自分でできるって大人ぶってみたところで、それこそ子どもみたいで、かっこ悪くて情けない。
「……」
さすがに反省の心が芽生え、恭弥とのトーク画面を開いた。
けれど、わざわざメッセージを送ってまで言うことでもないかと、何も打たずに閉じた。次に学校で会ったときにでも声をかければいい。
スマートフォンを鞄にしまう。目の前の信号はまだ赤だ。横の歩行者信号が点滅し始めたから、あと少しで青に変わる。
後ろから賑やかな声が聞こえていた。
お酒の入った大学生が随分盛り上がっているようだった。
ひと際背後が騒がしくなったとき、「あ」という声とともに、背中にどんと何かがぶつかった。
咄嗟に足を踏み出す。
けれどどうしてか力が入らず、支えきれなかった体がふらりとよろけた。
バランスを崩したわたしは、二歩三歩とふらつき、立ち止まった。
立ち止まった場所は、太い白線の上――まだ赤信号のままの、横断歩道の上だった。
これは、まずい。
そう思ったときには目の前に大きなヘッドライトが見えていた。
傘が風に流される。
雨の線が光を受けて、描いたみたいにはっきりと浮かんだ。
甲高いブレーキ音と、誰かの悲鳴が聞こえた。
世界が、やけに鮮明だった。