「なん、だ、とぉ!?」

 駄犬の一噛みをかわす猫の如く、三回転した少女は敵の背後に手足を使って着地する。地を揺らさず、ひらりと四肢を用いる様は、フォンにとってもう疑いようがない。
 男達は動揺しつつも、振り返りもう一度殴ろうとしたが、今度は相手も黙っていない。
 白い鞄から枯草の入った小瓶を取り出した少女は、蓋を開き、瓶口に鋭く尖った手の指を差し込む。そうして少し緑色に染まった指を翳し、彼女は瓶を鞄に仕舞うのと同時に拳を振り上げた男達に向けて、凪ぐようにして爪を掠らせた。

「もっと痛い仕置きが必要みたいでござるな――火遁『火柱の術』!」

 それぞれ三人の腹、右腕、胸元。
 僅かに掠らせただけだと言うのに、何と爪が当たった部位から、火が噴き出したのだ。

「う、が、あぢいいいいぃぃぃッ!?」

 いきなり肌や服を火で舐められた男達は、熱さと恐怖でパニックに陥る。ばたばたと転がり火を消そうとするが、枯草に特殊な加工を施してあったのか、鎮火する様子がない。
 周囲の見物人すら一歩退くほど奇怪な発火現象だが、フォンには絡繰が見えていた。

(火遁の術、しかも上位忍術! あれだけの術を使えるなら、間違いない!)

 少女が使ったのは、忍者が使う、通称『枯火草』(かれびそう)。乾燥させると中に熱を溜め込み、ほんの少しの擦れで炎を起こす。彼女の場合は、鋭い爪で火花を起こしたのだ。
 ますます疑問を確信へと寄せるフォンの前で、少女はやや焦げた爪をちらつかせながら、火を消そうと必死になる敵を戒めるように言った。

「特殊な薬草を混ぜ合わせた発火剤でござる、触れるだけで燃え上がるでござるよ! さあ、子供達に詫びる気になったでござるか!」

 彼女としては恩情を与えたつもりだろうが、状況が悪すぎる。

「ぎゃあああ!」
「だれが、みず、みずうう!」

 彼らは火を消すのに必死で、話などちっとも聞いていない。
 これでは説教も何も、まるで意味がないのは明白だったが、少女は彼らが反省していないと捉えてしまったらしく、小さくため息をついて、鞄から別の小瓶を取り出した。

「返事なし……やはり、悪党の説得など無駄でござるな!」
(……油、まさか!)

 瓶の中で揺れるのは、狐色の液体。フォンは油だと分かったが、群衆はわいわいと騒ぎ、不安がるばかりで、気付いてもいないらしい。こんな状況で油を取り出し、どうするか、道は一つに決まっている。
 彼女は文字通り、悪漢を焼き尽くす気だ。

「火遁『釜揚げの術』、骨も残さず燃え尽きるがいいでござる!」

 油を使えば、炎は想定外に燃え上がる危険がある。人が集まっていれば、猶更だ。

(いくら火遁に精通してても、油を使えば周りの人まで……仕方ないッ!)

 群衆に被害を及ぼさせない為にも、フォンはとうとう意を決した。影に潜む忍者でありながら、野次馬の中から飛び出して、瞬時に戦いに割って入ったのである。
 恐らく、少女ですら彼が接近していると察せたのは、瞬時に彼女と男達の間に入り込み、低く屈んだ姿勢で右足を大きく地面に擦らせていた時だろう。
 双方が声を上げるよりも早く、フォンは靴の底を滑らせるように、凄まじい勢いで石畳を削り取った。僅かに、ほんの僅かに削られた石畳の隙間にあった砂が爆裂的に舞い上がり、男達に降りかかる。

「――ッ!?」

 当然、これは攻撃手段ではない。さっきまでどうしたって消えなかった、体に纏わりつく火が、風と砂によって吹き飛ばされて消えたのだ。

「ひ、ひが、ぎえだ……!?」

 火傷を残してはいるものの、困惑しながらも暴れるのをやめた男達。

「……忍法・風遁『砂嵐』……砂が少ない石畳だけど、上手くいったみたいだね」

 彼らの前で一安心した様子のフォンは立ち上がると、油の入った瓶を持ったまま、こちらを憤怒の形相で睨みつける少女と向き合った。

(鍛えられた身のこなし、目つき、火を容易く操るあの術。間違いない、彼女は――)
(しなやかな動き、凄まじい風を巻き起こすあの術。間違いないでござる、彼は――)

 フォンも、少女も分かっていた。目の前にいる者、奇怪な術を操る者の正体を。

(――忍者だ)

 互いに、忍ぶもの――忍者であると。
 双方の腹の内を探るような短い沈黙を破ったのは、少女からだった。

「お主、何者でござるか! 名を名乗れ!」

 この質問を投げかけられた時点で、フォンは面食らった。
 忍者の常識では、お互いが忍者である場合は自分から名乗るのが礼儀だ。急ぎの用でもなければ、ぺこりと一礼して名乗るのがマナー。それくらい、挨拶とは大事なのだ。
 なのに、彼女は礼もせず、フォンに名を聞いた。もしかすると、と思い、フォンは試すように、少女に問いを突き返した。

「……忍者の掟、第一項目、()の四十二。名を知る時は、先ず己から名乗るべし……忍者の礼儀であり、初歩中の初歩だよ。知らないわけはないだろう?」
「ふむ、それもそうでござるな! 拙者はカレン、十二代目カレンでござる!」

 少女はさも当然であるかのように、納得して自身の名を告げた。