「やはり家が一番落ち着くね」

 強制転移に叔父の思考が読めず、呆然と突っ立っている俺をよそに、叔父は優雅にソファに腰をかけた。

「ヴィリー叔父さん、説明!」
「説明いる?」

 俺の要求に答えることをせず、叔父は首をかしげる。
 そんな叔父の態度に、俺は切れた。

「いるに決まってます! 突然、転移させられて、移動先がヴィリー叔父さんの屋敷だったからよかったものの、もし知らない場所なら、不安が募りますよ。それに何の説明もなく突然転移されれば、残された側も多いに困惑します。それに、それに、ぼくは、行方不明先から帰宅したばかりです。ハクやスラ、ディアやエマと、ほんの僅かしか言葉を交わしていません」

 俺は肩で息をしながら、怒りを隠さずに主張した。
 そんな俺を見て、叔父は、少し困ったように微笑む。

「ジーク、少し落ち着こうか」
「落ち着いています!」
「困ったなぁ。もうすぐ理由がわかると思うんだけどね」
「どういう意味ですか?」

 叔父の不可解ともいえる言動に、興奮した気持ちが下がる。
 俺が困惑していると、突然、シルビアが現れた。

「なっ、何故、転移するのじゃ?」
「シルビア!?」

 俺の目の前には、部屋で寛いでいた思われるシルビアが、口の周りにお菓子の屑をつけながら、呆けた様子で、突っ立っていた。
 あまりにお粗末なその姿に、さすがにかわいそうだと思う。

「やはりね。君、ジークと契約を交わしたね」

 叔父の冷淡な声が部屋に響く。

「半魔だからと油断したよ。君の魔力の波動が、ジークと同調している。視える者には視えるんだよ。油断したね。無意識なのかい? それとも意図的にかい?」
「妾は、知らんのじゃ」

 叔父の言葉攻めに、シルビアは異を唱えるも、すぐに俺のうしろに隠れ、マントを引っ張る。
 俺はシルビアを背に隠しながら、うつむいた。
 叔父は、すべてを把握している。
 この人に、下手な隠蔽をしたのがそもそも間違いなのだ。
 強制転移の理由は、俺とシルビアの魔契約の確証を得るため。俺たちも知らなかった俺とシルビアが一定距離離れると強制的にシルビアが転移することも、予測していた。
 ん? ちょっと待て。
 叔父は、シルビアがまだ半魔であると思っている。
 なにか、ヒントになったからくりがある。
 魔力の波動、同調、そこから魔契約と転移が結びつくのか?
 だとしたら、シルビアの正体が判明したわけではない。
 ああ、そうだった。
 叔父のそばには『真実の眼』を持つフラウがいる。
 これは腹を括るしかないようだ。
 
「ふーん、まぁいいよ。今は許してあげるよ」

 俺が顔を上げると、叔父が意外そうに目を見開き、そう言った。
 本当に、この人には敵わない。
 俺は一度、瞳を閉じると覚悟を決め、叔父を呼んだ。

「ヴィリー叔父さん」
「なんだいジーク?」

 優しさの中にも厳しさが混じったその視線を受けながら、俺は告げる。

「シルビアに魔契約を隠すよう命令したのは、ぼくです」
「ジークは内容を承知で、契約したんだね」
「はい」

 俺は叔父から視線を外さず、うなずいた。
 今さらだが、誠意と覚悟をみせる必要があった。
 この行為にどこまでの効力、意味があるかわからないけど、視線を外してはいけない。

「なるほど。では、半魔としての記憶は残っているのだね」
「いいえ。シルビアには、半魔としての記憶はありません。そもそもシルビアは、半魔ですらありません。シルビアには、多くの枷があります」
「半魔ですらない? 多くの枷?」

 俺の言葉に困惑する叔父。
 叔父の想像を越えたようだ。
 すると頭の中で、必死に訴える声が聞こえる。
 今までシャットダウンしていたが、説明は必要だ。

「少し待ってくれませんか。話す内容を相談(・・)させてください」
()だね。わかった。待つよ」
「ありがとうございます」

 俺の突拍子もない申し出に、叔父はなにも聞かず、すぐ理解してくれた。
 感謝を伝える俺に、叔父の対面のソファに座るように促す。
 その気遣いにうなずき、静かに腰をかけた。
 シルビアも俺の横に隙間なく座ると、俺の腕を両手でギュッと掴む。
 シルビアと目線を合わしうなずく。 
 頭に響く『ご主人様、お待ちください』を連呼して、必死に訴えている声の主に相談と言う名の説得をはじめる。

 ヘルプ機能、待たせてごめんね。

 ***********************

 ご主人様!
 ヴィリバルトに、駄犬の正体を明かすのは、時期尚早かと存じます。

 ***********************

 ヘルプ機能の言い分は、もっともだと思うよ。

 ***********************

 では、考え直して頂けるのですね。
 半魔ですらないとの発言は、取消しができませんので、魔族であることに致しましょう。

 ***********************

 ヘルプ機能、たぶん、ヴィリー叔父さんは『超越者』だよ。
 シルビアが、俺のマントを離さなかった理由って、ヴィリー叔父さんでしょ。
 本能で敵わない相手だと感じ取ったんじゃないかな。
 だから今も、恐いのか、俺のそばを離れないんだよ。

 ***********************

 お待ちください。
 記録を調べたところ、ヴィリバルトは『強者』です。
 それがこの八年で『超越者』の領域に入ったと、ご主人様はお考えなのですか。
 ありえません。凡人枠である人間が、クラスアップを自らするとは、聞いたことがございません。
 しかしながら、ヴィリバルトの当時のスキル取得を考えれば、否定できないことも事実です。

 ***********************

 凡人枠?

 ***********************

 この世界の『生命の理』の一つです。
 種族により、ある一定の枠組みがございます。
 例えば、人間は、凡人枠です。魔族は、異才枠と、種族により枠がございます。
 枠組は、スキル取得や称号、レベルの上限など一定の決まりがございます。
 例えば、スラは『分離』をスキルとして取得できますが、人間は取得することができません。
 称号『超越者』は、主に魔族やハイエルフなどといった異才枠などの枠組みの中で取得が可能です。
 ただし、クラスアップができれば、凡人枠である人間も『超越者』を取得することは可能です。
 クラスアップは、この世界では、神族の中でも一定の力を持つものだけが、使える能力であると聞いております。
 おそらくですが、駄犬の元の主は、それを使える者です。
 しかしながら、神族以外が、それを行使したとは文献でも見当たりません。
 ご主人様のように、種族は一応人間ですが、裏設定で、スーパーウルトラ超特別枠に属しているのなら納得がいきます。

 ***********************

 いま、サラッと爆弾入りましたよね。
 枠組みの概要をなぜ詳細にヘルプ機能が知っているのかとか、多くの疑問はあるんだけど、何より、俺が、スーパーウルトラ超特別枠だっけ、ほぼ同じ意味の単語を並べて、すごいように見せているとしか思えない枠に、裏設定で入っているのは、どうしてなのかな?
 しかも、それをなぜヘルプ機能は知っているのかな?

 ***********************

 うっ、それは、申し訳ございません。
 誓約があり、今の(・・)ご主人様には、お答えができません。
 私が、ご主人様のヘルプ機能である理由でもございます。
 時がきましたら、私がご主人様の前に、本当の姿(・・・・)で立つことができれば、必ずお答え致します。お約束します。
 それまで、お待ちください。

 ***********************

 誓約ね。
 今まで、回答できなかったのは、単純に俺の魔力が不足していただけかと思っていたけど、そうではないってことだね。

 ***********************

 ご主人様の魔力が増加することにより、私の制限が徐々に解除されます。
 最終形態は、ご主人様の前に人型として現れ、許されることにより、全ての制限が解除され、誓約がなくなります。

 ***********************

 精霊の森に行きたいのは、その制限を解除するために必要ってことだね。

 ***********************

 はい。
 詳細をお伝えすることはできませんが、その通りです。

 ***********************

 なるほど。わかった。待つよ。
 ヘルプ機能には、お世話になっているし、仲間だしね。
 だけど、精霊の森は、待ってね。
 あそこに行くと、付随して何かがついてきそうだからね。

 ***********************

 ありがとうございます。
 精霊の森は、もう急かしません。
 当初は、制限解除のために、行って頂ければと思っておりましたが、すでに、私の制限は半分ほど解除されておりますので、急かす必要がございません。

 ***********************

 そうか。よかったよ。
 成人してから考えるよ。

 ***********************

 できれば、もう少し早く行動して頂ければ、有難いです。

 ***********************

 冗談だよ。
 ただ、子供の俺では対応できないから、あと五年は待って欲しい。

 ***********************

 承知致しました。
 余談となりますが、数日前、駄犬に会う直前、ご主人様の頭に『超越者』との言葉が出てきたかと存じます。
 長寿である種族の可能性が高いので、会えるかも知れないとも思われましたよね。
 その通りです。
『超越者』を取得すれば、寿命も延びますので、会えるかと存じます。
 その時にお伝えできればよかったのですが、神族の圧が強く、お声かけができませんでした。

 ***********************

 あぁ、あの時の神殿のことだね。
 普段なら、ヘルプ機能が補佐してくれるのに、おかしいとは思ったんだよ。
 情報がないのかとも思ったんだけど、神族からの圧力がかかっていたんだね。
 へぇー。
 シルビアの元の飼い主って、相当すごい人物なんだろうね。
 まぁ、俺とシルビアに自身の加護を与えるぐらいだから、神様の類いなんだろうけどね。
 どちらにしろ、今はいいや。
 答えはでないし。
 さて、本題に戻ろうか。
 叔父が、どのようにしてクラスアップをしたのかは不明だけど、俺の直感は叔父が『超越者』であると言っている。
 お互い現在のステータスを把握していない。
 鑑定眼で見ていないので、わからないけど、ヴィリー叔父さんのステータスは、俺たちの想像以上だと思うよ。
 それにヘルプ機能、フラウのこと忘れてない?
 精霊は『真実の眼』を所持しているよね。
 シルビアが半魔でないことなんて、すぐにばれるよ。
 たとえ、フラウを説得できても、ダダ漏れだよ。
 ハクが聖獣であることも、叔父は知っている。
 その口止めのために、エスタニア王国の迷宮に行くんだからね。

 ***********************

 私としたことが、クソ精霊の存在を忘れておりました。
 記録から抹消できなくとも、不良在庫として別保存していたことが仇となりました。
 くっ、不覚。

 ***********************

 ヘルプ機能って、フラウのこと相当嫌っているよね。

 ***********************

 嫌っているのでは、ございません。
 そもそも嫌いという感情自体もございません。

 ***********************

 あっ、そうなんだ。
 うん。この件は、聞かなかったことにして、シルビアが半魔である嘘は、表向きには必要だよ。
 ただ、ヴィリー叔父さんには、隠す必要がないって思うんだ。
 ヘルプ機能は、神格化を懸念しているようだけど、ヴィリー叔父さんは、そこも考えてくれるよ。
 あとついでに、俺の秘密を全て話すよ。

 ***********************

 ご主人様、ついでに話す内容ではないかと存じます。
 ご主人様の秘密を全て話すということは、それは、ご主人様のステータス、能力、前世の記憶、前世の黒歴史、前世の女性遍歴、食べ物の好みや現在の女性の好みなどといった全てでございますか。

 ***********************

 おいおい、ヘルプ機能さん。
 いまサラッと、中間ぐらいに挟みましたけど、前世の黒歴史や女性遍歴って、俺の何を知っているのですか?

 ***********************

 全てでございます。
 ご主人様のことで、私が知らないことはございません。

 ***********************

 えっ、こわっ!
 言動が、プチどころか、正真正銘のストーカーじゃん。
 ヘルプ機能は、記録も備わっているので、仕方ないけど。
 でもなぜ、俺の前世の情報もあるんだ。
 あっ、俺が前世の記憶持ちだからか!

 ***********************

 何か問題がございますか?

 ***********************

 問題ばかりじゃないか!
 ヘルプ機能、今後一切、その俺個人の情報を開示することは禁止する。

 ***********************

 承知致しました。
 私だけが、ご主人様の情報を所持できるのですね。

 ***********************

 えっ? そうなるのか。
 ヘルプ機能は、俺の能力の一つでもあるが、自我がある時点で、個人ではないか。
 ただ俺の能力内にいるので、切り離すことはできない。
 あぁー。もうヘルプ機能以外の他者に俺の情報、主に前世関連の黒歴史が流れなければそれでいいや。
 なんだか、本筋と違うところで、どっと疲れがでてきた。
 とりあえず、ヴィリー叔父さんには、俺が異世界の前世の記憶持ちであり、チート能力を授かって生まれてきたことを話すことにする。
 いずれは、話す予定だったのだ。それが早まっただけだ。
 それに、シルビアが神獣であり、エスタニア王国の真実をなぜ知り得たかの理由も偽ることなく話せる。
 うん。これで解決だ。
 いいね。ヘルプ機能。

 ***********************

 承知致しました。
 ご主人様が、お決めになったことです。
 私は、全力でサポート致します。
 補足となりますが、スラを介して念話で、私とヴィリバルトが話すことも可能です。
 しかしながら、それはお薦め致しません。
 ヴィリバルトは、追究者です。性格上、私とコンタクトが可能であると判明すれば、ご主人様の負担になるのは、目に見えております。
 ここは黙っていることが、宜しいかと存じます。

 ***********************

 ヘルプ機能、その補足いらないよ。
 後半は聞かなかったことにするよ。
 では、戦場と言う名の場所に戻りますかね。

 ***********************

 ご武運をお祈り申し上げます。

 ***********************



「──ということです。他言無用でお願いします」

 叔父にすべてを打ち明けた。
 俺の前世が異世界人で、その記憶を所持したまま、この世界へ転生したこと。その経緯である前世の不運値が四十倍で生じた不運な出来事も。ハクが聖獣で隠蔽した経緯やシルビアが神獣であることも、俺の能力も含めて包み隠さず伝えた。
 その間、叔父は一言も口を挟まず、ただ黙って耳を傾けてくれた。
 肩の荷が下りるとは、こういうことを言うのだ。
 胸の奥につかえていた負荷が消え、気持ちが軽くなった。
 とても清々しく、いい気分だ。
 自己満足に浸って、暢気に隣にいるシルビアを見ると、彼女の顔がこわばっていた。
 はっと、沈黙している叔父に目を向ける。

 叔父の纏う空気が尋常じゃないことに気づき、緊張が走る。
 今の今まで、叔父を欺いていた事実は消えないのだ。
 俺ができる誠心誠意の謝罪はしたが、それを叔父が許すかは別だ。
 培った信用が底辺となったかもしれない。
 当然のように受け入れてくれると、甘く考えていた。
 得体の知れない者だと、切り捨てられる可能性もあるかもしれない。
 俺の思考が、ネガティブに染まりはじめた頃、沈黙していた叔父が、絞り出すように声を発した。

「ああ、やっと長年の謎が解けたよ。義姉さんが、ジークを産んだ奇跡が……なにもかも、ひとつに繋がったよ」

 普段の叔父からは、想像できない動揺した声だった。

「義姉さん、貴方が言ったことは、正しかった……。ジークベルト。アーベル家に、兄さんと義姉さんの子供として、生まれてきてくれたことに感謝する。ありがとう」

 赤い瞳から、一筋の涙が零れた。
 叔父が泣いている。
 はじめて見る叔父の涙に、俺は動揺して言葉がでない。
 叔父自身も、自分が涙したことに気づいたようで、驚きの表情とともに、素早く片手で瞳を覆った。
 その手は、震えている。
 冗談で感情を表したり、怒りで空気を揺らしたこともあるが、いつも飄々として掴めない叔父が、これほどまでに感情を乱す姿が衝撃であった。
 突然の事態に、なにがどうなのかわからない。
 確かなことは、俺の秘密が、母上のなにかと関係があるということだ。

「母上……」

 俺の今世の記憶は、母上の腕の中からはじまった。
 もう戻れない、あの幸せな世界。
 やばいな……。
 母上の事を思い出すと、どうしても感傷的になってしまう。
 未だに俺の記憶を侵食する色濃い後悔の念。
 払拭できないでいる母上の死。
 あの時の行動を何度も夢に見る。
 もう戻れないと理解しながらも、心はあの日に置いたままだ。
 母上が言った『前を向きなさいジーク』だけで、俺は前を見続けている。
 母上に会いたい。
 もう一度、あの腕に抱きしめられたい。

「……っ、母上」

 感情が爆発しそうになり、込み上げてくる涙を唇を噛み締めてぐっと我慢する。
 刹那、温かくて大きな腕が、俺を包み込んだ。
 ああ、この優しさに俺はどれだけ救われたのだろう。
 しばらくして、俺が叔父の肩から顔を上げると、端正な顔がひどく憔悴していた。

「ヴィリー叔父さん」

 俺の気遣わしげな声に、叔父が膝をついたまま答える。

「大丈夫かい?」
「取り乱しました。すみません」

 俺の声にシルビアが反応して、俺の腕を強く掴んだ。
 はっと、シルビアに顔を向けると、泣きそうな表情で俺の胸に顔を埋めた。
 シルビアの行動を叔父は黙認すると、俺の隣に座り、俺の頭をなでる。
 えっと……。
 叔父の沈黙に感謝しつつ、シルビアを落ち着かせる。
 彼女には悪いことをした。
 シルビアは、俺の近くに居れば居るほど、俺の強い感情を共感できるのだ。
 きっと負担となったにちがいない。
 今の俺の感情は、決してきれいなものではない。
 ごめんね。だけど、ありがとう。
 感情を共感してくれる人がそばにいる。それだけでなんて心強いんだ。
 謝罪と感謝の意を込めて、優しく何度もシルビアの頭をなでた。

 しばらくして、俺の腕の中で「スーッ、スーッ、ズッ」と、鼻水まじりの寝息が聞こえた。
 ここで寝れる神経の図太さに、ヘルプ機能から駄犬と言われるのだと思う。
 とても幸せそうな寝顔に、なぜかすごく癇に障った。
 なので、鼻を摘まんでみた。

「んむぅ。むっ」

 シルビアの眉間に皺が寄る。
 その顔を見て、俺の頬が緩む。
 俺がシルビアで遊んでいると、頭上からの視線に気づいた。

「仲が良いようで、なによりだよ」
「そう見えますか?」

 俺はシルビアの鼻を摘みながら、叔父に聞く。

「とても仲が良く見えるよ。ジークが、意地悪をする姿は、貴重だね。心を許しているんだね」
「それは心外です」

「そうなのかい」と、肩を上げる叔父の表情は普段と変わりなかい。
 その態度の変化から、あの話題はもう叔父の中で終わったのだと悟った。
 だけど……、聞くべきか、判断に迷う。
 きっと、答えてはくれない。
 でも、なにもなかったことにする選択肢は、俺にはなかった。

「……ヴィリー叔父さん。あの、ぼくの出生に、なにがあったのですか?」

 俺の質問に、叔父は一度、視線を上にあげる。
 そして、とても気まずそうな顔した。

「すまないね。ジーク。歳を重ねると、涙脆くなるようだ。感情が高ぶって失言をしてしまったね」

 叔父が「まいったな」と、片手で顔を覆う。
 深く息を吐いてうなずくと、赤い瞳が俺を捕えた。

「私の口からは話せない。ジークが真実を知るその時がきたら、兄さんから話をする。それまで待って欲しい。大人の勝手な言い分で申し訳ないね」
「わかりました。待ちます。一つだけ、一つだけ、答えて下さい」
「なんだい?」

 俺は怯える心を落ち着かせ、長年の疑問を口にする。 

「母上の死は、ぼくと関係がありますか?」
「ない。それだけは、はっきりと言えるよ」

 叔父の断言が、俺の心を震わす。
 だけど……『お前さえいなければっ』、憎悪のこもった茶色の瞳が、俺の脳裏をかすめた。

「そうですか……」
「ジーク、まさか、ゲルトの言葉をずっと気にしていたのかい」

 叔父が驚いた様子で、俺に問いかける。

「いえ、そうでは……。いや、気にしていなかったと言えば、嘘になります。ぼくは、生まれながらにして、人並み外れた能力がありました。それを母上の治療に使えたのではないかと、ずっと、そう思っていたんです。あの時、父上たちに伝えておけば、母上は助かったかもしれない。そう思って……」

 言葉が繋げられない。
 ポタポタと、溢れ落ちる涙。俺の涙腺が崩壊した。
 あれれっ。これとまんないっ。
 やばいなっ……。
 俺の異変に気づき、飛び起きたシルビアが、懸命に両手で涙を拭ってくれるが、追いつかない。
 まるで俺の後悔を表すように、涙が服に染みを作っていく。
 自分で思っていたよりも、俺の心は悲鳴をあげていたのだ。
 叔父の眉も下がり、痛々しげな表情で俺を見る。
 そんな顔をさせたいわけではないのに、涙は止まらない。

「ジークベルト。はっきりと断言するよ。あの時、君の能力を最大限に生かしても、義姉さんは助からなかった。世界でもトップクラスの魔術師『赤の魔術師』と呼ばれる私が断言しよう。だから君が背負うことは、何もないんだよ」
「ヴィリー叔父さんっ……」
「今まで気づかずに、すまなかったね」

 叔父が、シルビアごと俺を抱きしめた。
 ああ、やっと母上の死から解放されたのだと思った。
 胸の中にストンッと、叔父の言葉が落ちた。
 俺よりも格上の叔父が、断言してくれた。
 だから、俺は納得ができる。
 本当の意味で前を向けるよ、母上。



 俺の涙がとまり、落ち着きを取り戻すと、俺を包んでいた大きな存在が消える。

「このままずっと抱きしめて甘やかしたいけど、それは彼女に譲って、私は我慢するよ」

 そう言って叔父は自席に戻ると、人の悪そうな顔する。

「それにしても彼女が、神獣とは驚きだね。是非とも私の研究に協力して欲しいね」
「本人がいいのなら、ぼくは構いませんよ」

 いつものやりとりに、俺も乗る。
 すると、シルビアが腕を強く引張り、口をハクハクさせながら、顔を激しく横に振る。
 あっ、忘れていた。
 ヘルプ機能に指示されて『遠吠え禁止』をしていたのだと思いだした。
 叔父との会話に、よけいな邪魔が入るとかえって話しが複雑になる。
 ヘルプ機能のそんな提案を、シルビアが抵抗することもなくすんなりと受け入れた。
 しかも、シルビアは、俺と叔父の会話中、自身の気配を消し、俺たちに配慮していた。
 やればできる狼だった。シルビアの評価を見直し、『遠吠え禁止』を解除した。 

「妾は嫌じゃ! そやつに協力などできん! 底知れぬ闇を持っておる。近づけばスパッじゃ!」
「あっははは。私も嫌われたものだね」

 シルビアの物言いに、俺が注意すると、ひどく驚いたような顔する。

「シルビア、いくらなんでも言い過ぎだよ」
「なっ、なっ、おぬしは、わからんのかえ!」

 俺に真剣な表情で必死に訴えるシルビアと、なにかがツボに入ったのだろう、腹を抱えて笑っている叔父が対照的だ。

「あっははっ……久々に笑ったよ。それならジークと一緒の時にでもお願いするよ」
「はい」
「うっ、仕方ないのじゃ。おぬしと一緒なら、付き合うのじゃ」

 俺が戸惑うことなく返事をすると、シルビアは、あきらめたように了承した。
 その様子に叔父が満足そうにうなずく。

「ジークが、全属性持ちで、前世の記憶があるとはね」
「信じてもらえるのですか?」

 その問いかけに、叔父が不本意そうに眉を上げる。

「信じるもなにも、ジークが言ったことを疑うなんてしないよ。それとも嘘なのかい?」
「いいえ」

 俺へ全幅の信頼を寄せる叔父に、なんだかくすぐったくなる。

「前から不思議だったんだよ。ジークの知識量の多さもだけど、ジーク発案の料理や品物は凄すぎる。兄さんは『天使が天才だった』って褒めてたけどね」
「父上……」

 その情景が思い浮かび、俺は苦笑いする。

「地球の日本だったね、一度は訪れてみたいね」

 叔父の冗談が、なぜか気になる。
 叔父なら不可能を可能にするのではないかと、思ってしまう。

「ジークの秘密は、私だけの胸にしまっておこうと思う。兄さんにも話しをするべきだが、今は時期が悪すぎるんだ。ごめんね」
「いいえ、わかりました。ただ、父上には、ぼくから話をしたいです」
「それがいいね。その時は、私も同席しよう」
「はい。ありがとうございます」

 叔父との会話中、シルビアが俺の腕を引っ張る。

「どうした、シルビア?」

 シルビアが、ハクハクと口を動かす。
 あっ、さっき、つい、シルビアとの会話が終わったので『遠吠え禁止』を発動したんだった。

「妾の扱いが雑するぎるぞ! 仮主として、もう少し丁重に扱えぬのか!」
「ごめん。つい癖で……」
「妾は、神獣なのじゃぞ。そもそも、ぐふぅ」
「で、なに?」

 話しが長くなりそうだったので、物理的にシルビアの言葉をとめる。
 涙目で俺を見上げるシルビアに、笑顔で圧をかける。
 要件を簡潔にね。

「おぬしは前世の記憶があり、前世は地球という異世界にいた人物なのか?」
「そうだよ。あれ? 説明していなかった?」

 シルビアの質問に俺は首をかしげる。
 俺の反応を見たシルビアは、とても不服そうな顔する。

「説明されておらん! しかも、話を聞く限り、天界管理者と接触しているではないか」
「天界管理者?」

 聞きなれない言葉に、該当しそうな人物を想定する。

「あー、生死案内人のこと。転生する直前に説明を受けただけだよ」
「先ほどの話では、生身の姿でも、接触したのではなかったかえ?」
「前世で死ぬ直前に会ってるけど、それが何?」

 俺が肯定すると、シルビアの表情が、パーッとひときわ明るくなる。

「おぬし、凄いのじゃ! 神界の者でも、天界管理者に会うことはできん!」
「そんなに興奮すること?」
「なっ、何故、その凄さがわからんのじゃ!?」
「そう言われてもな。それに姿なら迷宮で確認できるよ」
「なぬぅ!」

 俺たちが生死案内人について語っているそばで、叔父が難しそうな顔で、その話を聞いていたことに俺は気づかなかった。


 ***


「精霊ごときが妾に何をするのじゃ!」
「なによ。偉そうに! 今のあなたは枷しかない。ただのお荷物じゃない!」
「なっ、レベルがリセットされただけじゃ。レベルが上がれば、妾も役には立つのじゃ!」
「あら。お荷物だってことは認めるのね。うふふ」
「むぅ。現状は致し方ない。じゃが、本来の妾の力は、精霊よりも遙かに上じゃ!」
「ふん。ただの負け惜しみね」
「なんじゃとーー!」

 お互い額と両手をくっつけながら、いがみ合っている。
 外野がうるさすぎて、叔父との話が中々進まない。
 シルビアにだけ『遠吠え禁止』を使用しても、フラウの攻撃はとまらないだろう。
 そんなふたりをよそに、俺は叔父と視線を合わせる。
 叔父の合図で、俺は空間魔法を使い、俺と叔父だけの『異空間』を部屋に作った。
 外野がその状況に気づいた時には遅く、慌てて空間内に立ち入ろうとするが、弾かれる。
 この空間は、俺たちふたり以外は、中に入れない仕組みとなっており、外野の声も中の声も聞こえない仕様だ。
 叔父が気を利かせて結界も張っており、さらに強固となっている。
 叔父との息もぴったりだ。

 あの後、テオ兄さんから救援要請の『報告』が入り、あの場はお開きとなった。
 そのため、朝から叔父の屋敷を訪ねたのだ。
 シルビアは、強制転移されるので、仕方なく連れてきた。
 ハクたちは、かわいそうだけれど、まいた。
 ごめん、ニコライ。後は任せた。
 テオ兄さんの救援要請は、ハクたちのことだった。
 昨日、屋敷に帰宅した俺は、それはもう大変だった。
 ハクやスラにも、俺の強い心の動揺が伝わっていたようで、心配も度を超すと、発狂することがわかった。
 ハクたちを宥めるのが、本当に大変だった。
 苦い記憶として、心の奥底に締まっておく。

「ふたりには、いい薬となるね。少し反省してもらおう」
「そうだといいんですが……」

 俺たちとシルビアたちの間には、半透明ガラスのような壁があり、お互い見ることはできる。
 ふたりは壁を叩いていたが、早々にあきらめて、コソコソとなにかよからぬ相談をしている。
 さきほどのいがみ合いは、どこにいったのか。
 その様子を見た叔父が「あまり時間はなさそうだね」と、苦笑いした。
 俺もその考えに一票だ。

「さて昨日は、色々とあったけれど、落ち着いたかい」
「はい。ご迷惑をおかけしました」

 叔父の言葉に重みを感じる。
 ハクたちの発狂に責任を感じているようだ。

「本題に入ろうか。エスタニア王国の真実をジークは、知っているんだね。それは神獣である彼女が、ジークと契約したことにも関係があるのかな?」
「結論から言いますと、シルビアとの契約は関係ありません。契約には了承しましたが、あの場ではそれしか選択肢はありませんでした。ほぼ強制的に決まったものです。厄介払いもいいところですよ」

 あの状況を思い出し、苦笑いしながら俺が肩をすくめると、叔父がつぶやく。

(えにし)も人の運命(さだめ)だ」
「?」
「彼女がジークと契約したことは、何らかの理由があるよ」
「どういう理由ですか?」
「それは、私にもわからない」

 どういう意味だ?
 叔父の意味不明な回答に戸惑うが、考える時間もなく、叔父が話題を変えた。

「次に行こう。ディアーナ様に王家の真実を話すかを迷っているんだったね」
「はい。ディアに話せば、彼女は内戦を止めるためだけに動きます」
「内戦を止めるだけの真実があり、ディアーナ様が動くと確信があるんだね」
「はい」

 俺の肯定に、叔父の目が妖しく光る。

「ではその真実、聞こう」
「ぼくが知り得た真実は──」

 叔父に、ヘルプ機能で調べ上げたエスタニア王国の真実を暴露した。
 その真実に叔父の顔つきが変わる。

「なるほど。先祖返りはそこがルーツか」
「はい」
「となると──」

 ガッシャーン!
 結界と空間が壊れた派手な音がした。
 振り返るとそこには、ご機嫌斜めなフラウとシルビアの姿があった。
 話に集中しすぎて、ふたりの存在を忘れていた。

「うふふ。最上級の風魔法使っちゃったわ」
「スキルがなくても、魔法は使用できるのじゃな。おぬしの魔力、ちと使わせてもらったのじゃ」

 ふたりの目が据わっている。
 放置した時間が長すぎて、完全に切れている。
 あとの始末どうするよ。
 あっ、ヴィリー叔父さん、どこにいった!? 素早い! ひとりで逃げたなっ!
 俺も逃げ……。逃げられない。
 ふたりに肩を強く掴まれ、逃げる隙がなくなってしまった。
 万事休すとは、このことを言う。



「ヴィリバルト、大丈夫?」

 フラウが心配気にソファに座るヴィリバルトの周囲を回る。

「感情がとても揺らいでいるわ」
「少し動揺してしまってね」

 瞑想していたヴィリバルトが、静かにそうつぶやく。

 ジークベルトをエスタニア王国のバルシュミーデ伯爵家へ送り帰し、発狂したハクとスラの対処に追われた。
 ヴィリバルトは全てが解決した後、アーベル家の自室に戻っていた。
 今夜は、ジークベルトのそばにいることができないと、判断したからだ。
 大きく息を吐き、乱れる心を落ち着かせ、ジークベルトを想う。

 ジークベルトは、後悔していた。
 義姉さんの死に、深く傷ついていた。
 優しい義姉さん、仮主となるのは私だった。
 私が拒否したため、いらぬ神の呪い(・・・・)を受けた。

「責められるのは、私だ」

 ヴィリバルトはぐっと拳を握り、顔を歪める。

「リアは後悔していないわ!」

 即座にフラウが否定する。
 フラウは、ヴィリバルトが悔やむ原因を知っている。
 その度に、己の未熟さを恨む。

「ヴィリバルトの代わりに至宝となったことを、リアは、ヴィリバルトの心を守れたと誇りに思っているのよ! それをヴィリバルトが否定したらだめよっ」

 フラウは涙を浮かべ、ヴィリバルトに訴える。
 ヴィリバルトの澄んだ心を曇らせたあいつ(・・・)がそもそもの原因なのだ。

「元はと言えば、あいつ(・・・)が悪いのよ! ヴィリバルトの()に気づいて目を覚ましたと思ったら、ふらふらと出てきて、無防備にヴィリバルトに接触したからっ!」

 フラウの体から魔力が漏れていく。
 その魔力が部屋全体に渦巻きはじめ、緑の瞳が徐々に光を失っていく。

あいつ(・・・)許せないわ! なにがちがうよ! ヴィリバルトは、ヴィリバルトなのにっ!」
「フラウ」

 ヴィリバルトが、フラウの頬を優しくなでる。
 自我を忘れ、暴走しそうになったフラウは、恥ずかしそうにうつむく。

「ちょっとヴィリバルトが嫌がったからって、拗ねちゃって、あいつ(・・・)が油断したのが悪いのよ! 本当に嫌になっちゃう! 神の呪い(・・・・)で、私がリアに近寄れなくなったのも、あいつの心が弱い(・・・・・・・・)からよ!」

 プクーと、頬を膨らませ、フラウはヴィリバルトの肩に乗る。

 神の呪い(・・・・)
 帝国がアーベル家の至宝を狙い義姉さんを呪ったことまでは、わかっている。
 人が神の呪いを操ることは不可能に近い。
 しかし、それができたこと。
 私とあいつ(・・・)の接触で起きた弊害。

「大丈夫よ! 私が守ってあげる!」
「それは心強いね」

 無邪気に宣言する友人にヴィリバルトは微笑む。

 仮主を拒否した瞬間、神界の影響を受けない体となった。
 血の滲む努力と研究で、種族の壁を越えた。
 その瞬間、覚えのない知識と経験が、ヴィリバルトを襲った。
 人知を超える力を持ったとしても、全てを見通すことはできない。

「私は今世(・・)でも君を友とは呼ばないよ」

 古い薄れた記憶が、ヴィリバルトの脳裏によぎった。

 ヴィリバルトは、運命を外れた者。
 ジークベルトは、運命を導く者。



『うわあぁーーーーーーーー!!』

 大歓声が会場を包み、勝者の名が上がる度、観客たちの熱気は徐々に上がっていく。
 出場選手も、その空気に触発され、実力以上の力を発揮していた。
 三年に一度の武道大会は、予選トーナメント中盤を迎え、盛り上げを見せていた。

「次は、アルベルト様の組ですね」
「順当にいけば、アル兄さんが勝ち残るよ。だけど、勝負事は何が起こるか分からないから、緊張するねっ」
「くっくっくっ。おぬしが、緊張してもなにも変わりはせんぞ。それよりもアルベルトの組は手堅いのぉ。賭けの倍率がほぼないではないかっ。うむ。小遣いが増えんではないか!」

 右隣のシルビアが、大会の予想紙と提示板の倍率をながめ項垂れていた。
 娯楽が少ないこの世界では、武道大会の賭博も大イベントだ。
 賭博場はあるにはあるが、利用するのは、貴族や商家といった富裕層であり、掛け金も高く敷居も高い。平民が気軽に遊べる施設ではない。
 しかし、武道大会の賭博は誰でも参加できるよう賭け金が銅貨一枚からとなっていて、ホスト国が胴元のため、不正などの心配もなく、その安心から、はめを外す者が多いほどだ。
 その売上は小国の国家予算をはるかに上回り、武道大会の大きな収入源である。
 まぁそれだけのお金が動くのだから、破産する者もチラホラいる。
 ある上級クラスの冒険者が、武道大会の賭博で大負けし、多額の借金をかかえ、奴隷落ちしたのは有名な話だ。
 何事もほどほどが一番ということだ。
 俺たちも、楽しむ程度に参加している。
 招待国のため、一度は賭けないとだめなのだ。
 ぶっちゃけるとこの賭博は『胴元が損失を出すことがない』と言えばわかるだろうか。
 世の中うまく回っているのだ。
 シルビアが、アル兄さんの組と同時に行われる組の勝者を予想し終わり、従者に言づける。俺もアル兄さんに金貨十枚を賭ける。

「なんじゃ、アルベルトの組にしか賭けないのかえ。つまらんのぉ」
「危険な橋は渡らないよ」
「むぅ。おぬしは、もう少し主旨を理解して賭けるべきじゃ。侯爵家の子息が、ケチケチしてどうするのじゃ。のぉ、エマ」
「えっ、えっ、私ですか? 私はアルベルト様にしか賭けていませんが、銀貨五枚では少な過ぎましたか。でも私、これでも頑張ったんですが……」

 急に話しを振られたエマは、焦った表情で弁明して、最後は涙目になっていた。
 銀貨五枚は、平民のエマにとっては、大金だ。
 頑張ったと涙目で話す姿は、庇護欲をそそる。
 可愛いなぁと、慰めるために手を伸ばすが、物理的に手が届かず、左隣のディアーナの肩付近で手が止まる。
 結果、無意識にディアーナの肩を抱き寄せていた。
 あれ? 俺、何しているの!?
 俺が自身の行動に混乱している中、頬を赤く染めたディアーナが、隣のエマを落ち着かせるように話す。

「エマ、大丈夫ですよ。賭博は一度参加すればいいのです。シルビア様のように、毎回毎回賭けるなど必要ありません」
「姫様」
「むぅ。小娘、ジークベルトに肩を抱き寄せられたからと、調子に乗るのではないぞ」
「まぁ、シルビア様。嫉妬ですか?」

 ディアーナがシルビアを煽るように笑う。

「なっ、妾は、嫉妬などっ! 妾は、同衾しておるのに、むぐぅ」

 俺は慌ててシルビアの口を塞ぐが、時すでに遅し。
 左隣から、禍々しいオーラが漂ってくる。
 俺の肩に乗っていたスラが、足元にいるハクの背中に避難する。

「ジークベルト様、どういうことでしょう」
「あははは、なんのことだろう?」

 俺は笑って誤魔化すことにした。
 ヴィリー叔父さんのお願いで、神獣の姿から戻れなくなったシルビアを数日部屋に匿った。
 たしかに一緒の布団で寝たが、あれを同衾と言うならば、ハクやスラも同じである。
 ハクが俺の足元からエマの足元へ移動していた。

「シルビア様と同衾されたのですか?」
「同衾というか」
「小娘、嫉妬は見苦しいぞ」

 俺の言葉を遮ってシルビアが、ディアーナを挑発するように煽る。
 それが合図となり、堰を切ったように、ふたりの口喧嘩がはじまる。

 またはじまったよ。
 きっかけはどうあれ、このふたり顔を合わせると必ず口喧嘩となる。
 反りが合わないのか、ディアーナが、シルビアに突っかかる感じだ。
 これ案外長く続くんだよな……。
 次から次へと豊富な言葉で攻め続けるディアーナの語彙力にも圧倒されるが、それに応戦しつつ巧みにかわすシルビアも、なかなかのものだ。
 満足いくまで、永遠にふたりで続ければいいけどさ、いつもいつも俺を挟んで口喧嘩するのは本当にやめてほしい。
 非常に迷惑です。
 俺が現実逃避する一歩前に、テオ兄さんがパンパンと手を叩き、仲裁にはいった。

「はいはい。ふたりとも口喧嘩するほど仲が良いのは喜ばしいね。だけど今日は、ユリウス殿下もいらっしゃる。くれぐれも、アーベル家の醜聞になる行動はしないようにお願いするよ」
「テオバルト様、私たちは、口喧嘩などしておりませんわ。アーベル家の醜聞になる行動など決して致しませんわ」
「そうじゃ、そうじゃ!」
「はいはい」

 ふたりの言い分を適当に流したテオ兄さんは、底知れぬ笑顔で「わかっているよね」と、釘を刺してから、観戦席の後ろに戻っていた。
 その圧に、ふたりは黙り込み、ディアーナの隣にいたエマが、かわいそうに流れ弾にあたり青い顔をしながら震えていた。
 最近のテオ兄さんは、纏うオーラが、常人と異なることが度々ある。
 称号『日陰人』が良い仕事をしていて、周囲にはそれを気づかせないが、末恐ろしい才能が開花されつつあると、内心ビクビクしている。
 これからもテオ兄さんとは、良好な関係を築いていくんだ。

 武道大会の観覧席は、一般席とは別に出場各国の団体席が用意されており、非公式な外交の場でもある。
 多くの国が集まる機会に、外交官が忙しなく動いている。
 ホスト国のエスタニア王国はもちろんだが、大国である帝国、マンジェスタ王国には、次々と来賓が挨拶にきている状況だ。
 俺たちの真後ろの席にユリウス殿下がいるので、来賓たちがものめずらしそうに俺たちの様子を窺っていたが、全て無視をした。
 噂の王女とその婚約者を確認したかったのだろう。
 ユリウス殿下の横では、叔父が、選手の総評と言う名の酷評をしていた。

「アルの組は、実力差が出ているね。余裕でアルが、決勝トーナメントに進むね。それにしても、魔術団一押しの新人くんは、苦戦しているようだ」
「オリヴァー殿ですね。平民出身ですが、魔属性を三個所持していた異端児ですよ。確か……、とある貴族の落胤との噂もありましたね」

 席に戻ったテオ兄さんが、叔父の説明に補足を加える。
 武道大会でのマンジェスタ王国の代表は、騎士団所属のアル兄さんと、魔術団所属のオリヴァー殿だ。
 オリヴァー殿は、俺たちにも分け隔てなく話しかけてくれ、気さくな近所のお兄さんって印象を持った。
 すぐそばにいた上官は、オリヴァー殿の態度に大変萎縮していたが、まあ上官のこの態度が普通で、いまの俺たちの立場なのだ。
 そのオリヴァー殿が、帝国の少年(・・・・・)にかなりの劣勢を強いられていた。

「テオ、詳しいね」
「三学年上の先輩ですし、学園では有名な存在でしたからね」
「有名ね。私からすれば、アルやテオのほうが、有能だがね」
「叔父様、それは身内贔屓ですよ。それにしても、オリヴァー殿を抑えている彼、帝国にあのような人材がいたとは、驚きです」
「彼ねぇ……。魔力の波動が、あまりよくないね」
「ヴィリバルト、脅威になりそうか?」
「いいえ、殿下。脅威にすらならないでしょう。それにもう長くはない。帝国の人体実験の噂は事実のようです。発展途上の幼子に、投薬を入れた結果ですね」
「そうか……。それは残念だ」

 人体実験?
 叔父たちの興味深い話に耳を傾けている間に、アル兄さんは、あっけなく勝ち抜けをしていた。
 攻撃魔法を使わず、純粋に剣技だけで勝利する戦闘力の高さには、度肝を抜かれた。
 稽古を見学していたが、ここまでとは……。
 父上の優勝発言も、現実味がでてきた。
 アル兄さんの実力を疑ってはいないが、普段の異常なブラコン姿が頭から離れないのだ。
 ごめんね。アル兄さん。

『ユリアーナ殿下だ。お美しい』
『公の場にお姿を現すとは、よくトビアス殿下がお許しになられたな』
『大国の妃にとの申し出があるそうだ』
『やはり、あの話は本当なのか』

 会場がひとりの人物の登場に色めき立っている。
 マティアス殿下のそばにより、臣下の礼をする茶髪のご令嬢。
 気品溢れる優雅なたたずまいに、遠くの席に座る俺たちでも高貴な人物だと確認できる。
 その姿にディアーナの腰が浮く。

「ユリアーナお姉様、お元気そうで、よかった」
「前に話してくれた二番目のお姉さん?」
「はい」

 たしか、エレオノーラ側妃の二番目の子供で、トビアスの姉のひとりだ。
 ディアーナとの仲も良く、国民からは『博愛の第二王女』と呼ばれ、慕われている人物だ。
 その人気に嫉妬したトビアスが、幽閉に近い束縛をしていると聞いていたが、自由に行動ができるようだ。
 マティアス殿下とも談笑している様子から、解放されたと考えるべきか。

「妃としてではなく、臣下への降嫁が決まったのかもしれません」

 そうつぶやくと、ディアーナの表情が曇る。
 ユリアーナ王女の嫁入り話しは、何度か不自然に消滅している。
 その中には、小国の王太子妃や側妃などの話しも浮上したが、トビアスが難癖をつけ断ったようだ。
 国外より、自身の派閥に降嫁する方が利があると考えたようだ。
 この人もまた政局争いに巻き込まれた人だ。

「政略結婚も王族の務めです。政局の緩和、民のため、降嫁を望まれれば従うしかありません」

 ディアーナの発言に、その場が重苦しい雰囲気に包まれようとする中、俺の前をシルビアの手が伸びていき、ディアーナの頬を引っ張った。

「つっ、シルビア様、なにをするのです」
「ふむぅ。小娘は難しく考えすぎではないかえ」

 ディアーナの声が乱れ、シルビアの手をはたく。
 シルビアは、はたかれた手を痛々しそうになでながら、疑問を口にする。

「降嫁するのが不幸だと誰が決めたのじゃ? それに小娘は不幸なのかえ?」
「それはっ! 私の場合は運がよかったのです」

 はっとした顔して、気まずそうに小声で反論するディアーナに、シルビアの口角が上がり意地悪そうな顔した。

「先日会った小娘のもうひとりの姉は、伯爵家に降嫁したようじゃが、幸せそうだったのぅ」
「ルリアーナお姉様は、エリーアスお兄様の派閥であるベンケン伯爵家に嫁がれたから」
「中立派閥に降嫁したから、政局に関係ないと考えておるのかえ。小娘もまだまだじゃ」
「なにも知らないくせに」

 シルビアが鼻で笑うと、ディアーナの顔が歪む。

「小娘も、なにも知らないのではないかえ」
「なっ」
「嫁いだ小娘の姉も政略結婚に間違いないのじゃ。そのあとのことは、誰にもわかんのじゃ。たしかといえるのは、今の夫婦の形は、ふたりの絆があるからこそじゃ」

 シルビアのもっともな指摘にディアーナは、言葉を失う。
 その通り、先日会ったベンケン伯爵夫人は、大切されているのだと肌で感じた。
 今の政局で、ディアーナに対面を申し入れたことも、バルシュミーデ伯爵家でのお茶会の参加を許したベンケン伯爵の懐の深さに感服した。
 それに、わざわざベンケン伯爵が迎えにきて、夫婦のラブラブぶりを披露していた。
 たぶん本人たちは、意図せず無意識だったのだと思う。自然とでた動作に夫婦それぞれが、互いを尊重しているのだと感じたのだ。
 あれが演技されたものであったのなら、俺は世の夫婦すべてを疑うよ。
 そろそろ介入するとしよう。

「シルビアの言う通りだよ。ユリアーナ王女が降嫁しても、不幸になると決まったわけではないよ。ベンケン伯爵夫人のようにとても大切にされるかもしれないしね」

 ディアーナはうつむきながら「そうですね」と言った。
 ディアーナの心情もわかる。
 男尊女卑思想が根強い国で生まれ育ち、その傾向が高い派閥の長がトビアスなのだ。
 その派閥に降嫁する王女の扱いは、きっとひどいものだと想像できる。
 ユリアーナ王女の夫となる人が、人格者であれば別の話しなのだが、まだ決まってもいない降嫁の話しで一喜一憂するには、情報が少な過ぎる。

「ふむぅ。あの娘からは、強い意志を感じる。じゃが、妾は好かん」

 エスタニア王国の王族席に目を向けながら、シルビアが、ディアーナに配慮してか聞こえない程度の声量で、そう言った。



 競技場の廊下で、俺は足を止めた。
 並んで歩いていたハクがそれに気づき、声をかける。

〈どうしたの?〉
「本当に喜ぶのかなってね」
〈アルベルトは、すごく喜ぶ!〉
「そうだよね」

 ブラコンである兄が、大喜びする姿を簡単に想像でき、俺は再び足を進める。
 ただ、胸騒ぎともよべるなにかが、俺の中で騒いでいた。
 選手控え室に近づくにつれ、それが一段と大きくなる。
 気持ち悪いな。
 なんだろう。この感覚。

〈ジークベルト!〉

 ハクの切迫した声で、その存在に気づいた。
 選手控え室の途中の廊下に、ひっそりと彼はいた。
 壁に寄りかかり、顔は青白く、息も絶え絶えで、今にも気を失いそう……。
 いや、すでに生気は失せ、死にかけていた。

「医療班は、なにをしているんだ!」

 このような目立つ場所で、一刻を争う事態の選手を放置しているなんて、信じられない!
 しかし、彼に近づこうとするも、なにかに阻まれた。

「魔道具?」

 即座にヘルプ機能へ指示し、魔道具の調査をしてもらう。
 その時間が、とても長く感じる。
 すぐそばで苦しんでいる彼に、なにもできないでいる自分。
 焦燥感を抑えながら、ヘルプ機能の調査結果を待った。

 俺たちと彼を阻む壁は、多様な魔法が施された高度な魔道具から造られた守りの壁であることがわかった。
 現在その魔道具は、『隠蔽』と『守り』、『癒し』が発動している。
 しかし、『癒し』の効果が、ほぼ彼に効いていないことが判明した。
 彼自身が受けた傷が、魔導具作成者の『癒し』より深いのだ。
 その上、高度な『隠蔽』と『守り』が、彼の体を覆っているため、常人には発見されないし、守りの壁で近づくこともできない。
 さらに彼自身が、魔道具を身に着けて使用しているため、本人の意志のもと解除する必要があった。
 厄介な状況に、俺は一度深く目を閉じた。

「君、大丈夫かい?」
「……っ」

 俺の呼びかけに、若干意識があった彼は目を見開く。
 俺の姿を凝視して、口を開こうとしたが、途中でやめてしまう。
 彼のその姿に、俺は決断する。

「魔道具を自力で解除するのは、難しそうだね。一刻の猶予もないし、命に関わることなので、大目にみてね」

 彼の返事はないが、一応許可は取ったと思うことにする。
 心配気に俺の行動を見ていたハクのそばで、魔力循環を高めていく。
 彼の胸にある『ひし形のペンダント』が魔道具だ。
 あれを壊す。
 魔道具を壊すのは簡単だが、問題は目の前の『守り』の強度がどれぐらいかだ。
 見誤ればペンダントどころか、彼ごと壊すことになる。
 嫌な汗が、ジワジワと額からわき出てくる。緊張で喉が渇く。
 魔力制御をもっと上げておけばよかったと、後悔した。
 帰国したら基礎を鍛え直そうと心に決める。

 ――数十分後。
 彼を囲んでいた『守り』が、音もなく消える。
 パッキン。
 ペンダントが粉々に割れた。
 俺がゼェゼェと、荒い息を整える間に、ハクが彼のそばに駆け寄る。
 彼のなにかが、ハクの琴線に触れたようだ。
 じっと、目で俺に訴える。
 俺は静かにうなずき、「大丈夫だよ」とハクの頭をなでた。
 その意味を読み取ったハクが、嬉しそうに尻尾を上げ、俺の手に頭を擦りつける。

 俺も、このまま医療班に任せるのは、難しいと感じていたのだ。
 躊躇なく聖魔法の『癒し』を無詠唱で施す。
 無詠唱であれば、魔力の痕跡がほぼ残らないらしい。特に癒し系の魔法は、当事者同士でしかわからないようだ。
 もちろん叔父クラスの魔術師であれば、無詠唱でもその場の魔力で、使用した魔法がわかるようだが、叔父クラスの魔術師がそうそういるとは、思えない。

「……!?」

 彼が、驚いた表情で、身体を確認する。
 俺の聖魔法は、レベルは低いが、効果は高いはずだ。
 さきほどまで、呼吸もままならなかったのだ。
 劇的な変化に驚くのもうなずける。

「他言無用でよろしく! ハク行くよ!」
「ガゥ!〈よかったな!〉」

 これ以上そばにいて、追究されたら厄介だと、すぐさま彼の前から立ち去る。
 彼が、何か言葉を発していたが、俺たちに届くことはなかった。


 ***


「ジーク、遅かったね」

 ギクッと、わかりやすいぐらいに肩を動かし、声のした方へ身体を動かす。

「アルたちは、もう帰ったよ。ジークの感想を聞けなかっと、アルが、ひどく落ち込んでいたけどね。それで、今日は何をしたのかな?」

 妖艶に微笑む貴公子な叔父に『あれ? これ? 結構お怒り?』と、内心冷や汗をかく。
 別に悪いことをしたわけではない。命を助けただけだと、伝えればいいのだ。
 だけど『いまは誤魔化すんだ』と、頭の中で警報が鳴り響く。

 俺たちは、彼を助けたあと、選手控え室へ急いだが、すでにアル兄さんの姿はなく、人の姿もまばらで、本日の最終試合も終了していた。
 これはやばい! と、焦った俺は、慌てて観戦席に戻ったが、あれだけ熱狂していた人々の姿も声もなくなっていた。
 魔道具の破壊に時間がかかり過ぎたのだ。
 唖然と突っ立ている俺に声をかけたのが、叔父だった。

 素直に話した方がいい。叔父に隠し事なんてできないんだから……。
 だけど、俺の直感は『いまは話すな、誤魔化せ』と、言っている。
 俺が、どうしようと悩んでいるそばで「ガウッ〈ヴィリバルト〉」と、隣にいたハクが、叔父に訴えだした。
 その内容は『ハクの我儘に付き合っていたら、アルベルトを迎えに行くのが遅れた』という、バレバレの嘘をついた。
 ハクの説明に叔父が「へぇー。ふーん」と、相槌を打ちながら、答えていた。
 我儘の部分で、叔父の片方の眉毛が上がったのを、俺は見逃さなかった。

「ハクの説明はわかった。我儘を言ったとの認識があるのなら、罰は受けないといけないね」
「ヴィリー叔父さん!」
「ジークは、黙っていなさい。これは私とハクの問題だ」
「ガウッ〈そうだ〉」

 叔父を肯定するようにハクが俺を見上げる。
 その瞳からハクの強い意志を感じた。
 ハクの頭に手を置き『ありがとう』と声にださない感謝をこめる。

「ですが、ぼくはハクの飼い主です」
「……。では、ジーク。当分の間、バルシュミーデ伯爵家で、謹慎をしなさい。もちろんハクも一緒にだ」
「謹慎?」
「そうだよ。当分とは言わず、期限を切ろう。この武道大会の予選が終わるまでの間にしよう」
「なぜですか?」
「遊びに来たのではないんだよ? マンジェスタ王国の副団長として、規律を乱す者は、厳しく対応しないとね」

 叔父のもっともらしい言葉に、俺を遠ざけたいなにかがあるのだと勘づくが「わかりました」と、ここは素直に返事をした。
 ハクの不安気な瞳が俺を見上げる。
 これでいいんだよと、ハクの頭をなで、俺たちは競技場をあとにした。



「ジークはまだかなぁ」

 予選を颯爽と制したアルベルトが、鼻歌まじりのご機嫌な様子で末の弟を待っていた。

「叔父上もわかっているよな。ジークを迎えに寄こしてくれるなんて粋なこと、最高だ!」

 ぐっと拳を握り、誰もいない空間に向けてガッツポーズをする。
 はたから見れば、予選の勝利を噛み締めているような動きだが、その顔はだらしなく緩んでいた。

「アル兄さん、カッコイイなんて言われるかな。えっへへ」

 奇妙な笑い声と妄想で鼻の下を伸ばしきったアルベルトの姿に、健闘を称えようとした他の選手たちが一線を引いた。
 選手控え室が、なんとも居心地の悪い場所となった瞬間だった。
 そんな空気が漂う中、本日の予選で一番の激戦だった組の敗者、帝国の少年に敗れたオリヴァーが、アルベルトに声をかける。

「アルベルト殿、我々は殿下の元に戻ります」
「えへ。んっほん。殿下には、あとで合流すると伝えてくれ」
「はい」

 緩んだ顔を引き締め、凛とした表情で答えるアルベルトに、オリヴァーの頬が引きつった。
 彼を迎えにきた魔術団の面々もその変わり様に、なんとも言えない表情となる。
 誰の本音か『これが我が国の代表騎士だなんて……』とのつぶやきが、さらなる微妙な空気へと覆う。
 アルベルトの意外な一面に、魔術団員の心が少し折れた。

「ん? どうした? まさかお前たち、俺とジークの逢瀬を邪魔しようとしているのか!」

 さすがのアルベルトもこの微妙な空気を察したようではあったが、その見当違いな発言に『誰が邪魔をするか! このブラコンめ!』と、魔術団員たちの心が一致した。
 並々ならぬ殺気を飛ばすアルベルトに「では、我々はこれで」と、オリヴァーが冷静に告げると、魔術団員たちも複雑な表情であとに続く。
 その様子を見たアルベルトが「変なやつらだな」とつぶやくと、魔術団員たちが一斉に顔をアルベルトに向け『お前がなっ!』と、心で突っ込む。
 彼らの不躾な視線をアルベルトは気にすることもなく、選手控え室の入口まで見送る。

「同じ魔術団員でも、叔父上の部下とは違い、にぎやかな奴らだ。ん?」

 魔術団員たちを総評して踵を返そうとしたアルベルトの視界に、柱の陰から選手控え室をうかがう気配を消した人物を捕えた。
 瞬時にアルベルトの纏う雰囲気が変わり、毅然とした態度で不審人物を注視する。

『陰の者にしては、隠蔽に隙が……』

 アルベルトが思考を巡らしているそばで、不審人物が動きだした。
 周囲を警戒しながら、徐々にアルベルトに近づいてくる。

『俺に用が?』

 隠蔽を解除することもせず、不自然な動きを見せる不審人物に、アルベルトの眉間に皺が寄る。
 その動きから『手練れではなさそうだ』と、アルベルトは結論づけ、不審人物の全容を把握する。
 全身を包むマント。それ自体が魔道具のようだ。

「なるほど」

 アルベルトの声が聞こえたのか、マントの人物の肩が僅かに揺れ、その歩みを速めた。
『隠蔽』を看破できる他国の人物との接触が目的のようだ。
 テオバルトたちの極秘任務と関連がありそうだと、アルベルト自身もマントの人物に歩みよろうと体の向きを変えた。
 すると、なぜかマントの人物が後ずさり、焦った様子で逃げだした。
 人は突然逃げられると追いたくなる。アルベルトも然り、マントの人物を追った。

「見失ったか……」

 競技場内の奥、入り組んだ場所でアルベルトは足を止めた。
 常であれば身体強化の魔法を使用して相手を捕獲するが、他国で強行するには無理がある。
 状況証拠と証言だけでは足元を見られる。それを逆手に同様のことを他国にされても言い訳ができない。
 アルベルトはひとつ息を吐き、外遊の責任者であるヴィリバルトにだけ報告することとした。
 来た道を引き返していると、令嬢と魔術師の奇妙な組合せを目撃する。

『こんなところで、逢引きか?』

 アルベルトの位置からは、彼らの表情は見えない。
 しかし遠目からでも令嬢が高貴な身分であることがわかる。
 彼女が着用しているドレスは、下級貴族では手が出せない逸品であった。
 魔術師もそのロープから、高位の役職、または貴族であると見受けられた。
 お忍びの逢引きにしては目立つその衣装に、アルベルトは頭を傾げる。
 アルベルトがふたりに注視していると、魔術師の手元から禍々しい魔道具が現れた。

「なにをしている!」

 危険を感じて思わず駆け寄るアルベルトを目にした魔術師は、令嬢を置き去りにして『移動魔法』で転移した。
 その技量と判断力に、アルベルトは、彼を手慣れの間者あるいは暗殺者だと予想する。
 残された令嬢は真っ青な顔で震えてはいるが、姿勢を正した状態で上品にカーテシーをする。

「危ないところをありがとうございました。私は」

 アルベルトの手が令嬢の前に伸びその言葉を遮る。

「正式な挨拶は、お互いの立場がありますので」

 アルベルトは、詮索をするつもりがないことを暗に伝えた。

「お気遣いありがとうございます」

 令嬢が凛とした佇まいで、頭を軽く下げる。
 未だ恐怖心が残っていることは、その顔色から見受けられた。

『さすが王族。ディアーナ嬢にはあまり似ていないが、瞳の色は同じだな』

 アルベルトが弟の婚約者を思い浮かべ、前にいる令嬢と重ねていると、彼女が儚く微笑んだ。

「私はユリアーナと申します」
「アルベルトです」

 突然の名乗りに、アルベルトは動揺するもユリアーナにそれを悟られることなく無難に返した。
 アルベルトの装いから、マンジェスタ王国の騎士で出場選手であるとの予測をユリアーナはできただろう。
 詮索ができる隙をユリアーナ自らアルベルトに与えている。
 なぜ王女が護衛もつけず、この場にいたのか。
 逃げた魔術師とはどのような関係なのか。
 疑問はあるが、他国の事柄に関与する時間も労力もアルベルトにはない。
 彼女は家名を名乗っていない。
 あえて逃げ道を作り、アルベルトの動向を見ている。

「ユリアーナ嬢、ご家族が心配なさるのでは?」

 アルベルトの問いかけに、ユリアーナの長いまつ毛が影を落とす。

「そうですね……」
「私が、近くまでお送りしましょう」
「はい。あの、アルベルト様……」

 すがるような視線を向けたユリアーナに、すっと腕を差し出し無表情に前を向くアルベルト。
 無言の圧がその場を支配する。
 しばらくして、ユリアーナはあきらめた表情でアルベルトの腕をとった。

『陰がどこに潜んでいるかわからない』

 ユリアーナは咄嗟にアルベルトの顔を見上げた。
 彼は難しい顔して口を閉じ、ユリアーナをエスコートしている。
 アルベルトの口は動いていないが、彼の声がユリアーナには聞こえる。
 高性能な魔道具の存在にめを見張るユリアーナを尻目に、アルベルトは厄介事に首を突っ込んだと自責する。
 だがしかし、ブラコン愛の強いアルベルトは、彼女のSOSを無視するこはできなかった。
 彼女がジークベルト(・・・・・・)の婚約者の姉であるという一点だけで行動したのだ。

『事情はあとで』

 ユリアーナの金色の瞳が揺らいだ。


 一方その頃、アルベルトが見失った不審者マントの人物は、ならず者と騎士が入り混じったいびつな集団に囲われ、退路を断たれていた。

「おらっ、死ねよ」
「ぐっ、なぜっ」

 集団の中でもひときわ体格のいい、左目の上から右頬にかけて大きな傷がある男が、マントの人物に一方的な攻撃をしていた。
 マントの人物は、その攻撃を耐え忍んでいたが、傷の男の拳が数度みぞおちに入り、苦しげな声をマントの中からもらすと、とうとう地面に片膝をついた。

「なぜってか、冥土の土産に教えてやるよっ。おらっ」
「ぐっ」

 傷の男がマントの人物の顔面に容赦なく蹴りを喰らわせると、マントが宙を舞い、砂埃とともに体が地面を跳ね上がった。
 傷の男がマントに手をかけ、フードを掴む。
 その顔を近づけると、ニタッと馬鹿にしたような表情で告げる。

「中途半端な『隠蔽』と『願望』が仇と成したなあ。『願望』に正と導くを込めたのになあ」
「なぜ、それを、うっ」
「なぜだろうなぁ、おらっ」
「ぐっ」

 傷の男は、フードから手を離すと、地面に横たわったマントの人物の腹を蹴り続ける。
 止まらない攻撃。それでもマントの人物は、足掻くように立ち上がろうとする。
 その姿に傷の男の口角が上がる。

「しぶといねぇ」
「おい、いい加減にしろ」

 これからという時に、ひとりの騎士が水を差し、傷の男の肩を引く。
 傷の男が、イラついた表情で騎士の手を振り払った。

「うっせぇんだよ。てめぇ、俺に指図するきか」
「お前たちと違い、我々は弱っている者をいたぶる趣味はない。さっさと処分しろ」
「けっ、よく言うぜ。お偉い騎士様は自分の手を汚したくねぇだけだろう。そうだ、お前。こっちにこいよ」

 傷の男が、水を差した騎士のうしろにいる若い騎士に声をかける。

「ぼっ、ぼくですか」
「そうだ。お前だよ。せっかくだから、手柄を譲ってやるよ」
「えっ」

 新人と思われる若い騎士に、傷の男は自身の短剣を差し出す。
 若い騎士は、躊躇しながらも短剣を受け取ると、マントの人物の前に立たされた。

「おらっ、殺せよ」
「殺せ、殺せ」

 ならず者たちが、若い騎士を煽る。
 異様な空気が包む中、他の騎士たちは、ならず者たちの野次を止めることもなく静観している。
 若い騎士の短剣を持つ手が震え、身動きができないでいると、地面から真っ白な煙が湧き出て、一瞬で辺りを覆った。
 白い煙が、彼らの視界を隠し、傷の男の怒号が響く。

「ちっ、やつはどこだ!」
 
 男たちの混乱は白い煙が消えるまで、しばらく続いたのだった。


 ***


 男が目を開けると、見慣れない天井が広がっていた。
 男の記憶は白い煙で途切れてはいたが、助かったのだと自覚する。
 残虐性の高い傷の男が、このような小奇麗な場所に自身を確保するはずはない。
 死を覚悟した傷も手当てされ、手厚い看護を受けている状況を把握した男は安堵したのか、ほっと息を吐く。

「おいっ、大丈夫か?」

 男の目覚めに気づいた金髪の青年が、心配げな表情で男を見ていた。
 それに応えようと男が体を起こそうとすると、体の痛みを感じたのか顔を顰める。

「ここは? くっ」
「動かないほうがいいよ。僕の『聖水』は、折れた骨を完治できるほどの精度はないからね」

 別の方向から物腰の柔らかい赤い髪の青年が、男に声をかけた。
 男は青年たちを見つめ、一呼吸置く。

「貴方がたは?」
「名乗ったほうがいいかい」

 赤い青年の問いかけに、その意図に気づいた男は口を噤むと、視線が中空を漂う。
 沈黙が部屋を支配する中、男の視線が、椅子の上にあるマントに止まった。
 驚いた表情でマントを見た男は、すぐに自身の体を見て、再びマントに目をやる。
 そして、期待と不安が入り交じった目を向け、青年たちに頭を下げた。

「命を助けて頂きありがとうございます。私はエリーアス殿下にお仕えするルートヴィヒ・フォン・ベンケンと申します。ルイスとお呼び下さい」

 ルイスはそう名乗ると、懐からエスタニア王家の家紋が入った懐中時計を見せ、その身分を示した。
 その覚悟を前に、赤い青年が口を開いた。

「私は、テオバルト・フォン・アーベル。彼は護衛のニコライだ」
「アーベル家の方! 私はなんて運がいい」

 ルイスは目に涙を浮かべ、口元を手で覆った。
 そんな彼の様子に、テオバルトとニコライは視線を交え、厄介事に首を突っ込んだと苦笑いした。


 ***


「『願望』とは面白い魔法だね」
「無属性の魔法です。術者の魔力と熟練度で効力は変わります」

 ルイスの事情と説明を受けたテオバルトたちは、ルイスがすぐに身元を示した理由に納得をする。
 いまルイスの手元にあるマントは魔道具で、『隠蔽』と『願望』が施されている。
 ルイス曰く、マントの『願望』に一致した人物には『隠蔽』が効かない。
 またマントを羽織っている本人、もしくは『願望』と一致した人物でしか、マントを脱がすことができないのだという。
 すなわち、テオバルトたちは、ルイスたちのお眼鏡に叶った人物となる。

「すげぇ魔道具だな。あれだけ争ってもフードがとれないわけだ」
「エリーアス殿下、渾身の魔道具ですから」

 ニコライの感想に、ルイスが誇らしげな顔をして、嬉しそうに答える。

「そうだとしたら、なぜ彼らにルイス殿の正体がバレたのかな」
「おそらく『隠蔽』を看破する魔道具を所持していたのだと」
「そりゃすげぇな。末端の騎士に与える代物じゃねぇぞ。どうするテオ」
「そうだね。僕たちだけでは大事過ぎる。叔父様に相談しよう」

 ふたりの気兼ねないやりとりを見たルイスが、羨望の眼差しをニコライに向ける。

「ニコライ殿は主に対して、随分と大柄な態度ですね」
「ルイスは真面目だな。俺とテオは昔馴染みで気安い仲だから許されてるんだ」
「そうなのですか。私はエリーアス殿下の幼少期からお側にいますが、一度たりともそのような砕けた会話をしたことがございません」
「おいおい。俺とお前では仕える主の身分が違うだろうよ」
「そうなのですが、おふたりの関係が私にはとても眩しく見えます」

 ルイスの素直な言葉に、テオバルトとニコライはお互いの顔を見合わせる。

「だそうですよ。テオバルト様?」
「冗談がきついよニコライ。それに気持ちが悪いよ」
「ひっでえ、言いようだな」

 テオバルトが、とても不愉快そうに表情を歪めると、ニコライが笑いながらその肩を叩いていた。
 その様子に、ルイスだけが戸惑っていた。



「──ということです」
「はあー、君たち兄弟は、本当に面倒ごとを拾ってくる」

 アルベルトの報告を聞いたヴィリバルトが、額に手をあてながら顔を横に振った。
 愚痴に近い内容でも、アルベルトはすぐさま反応した。

「ジークかテオに、なにかあったのですか!」
「ないよない。まだない」

 ヴィリバルトが呆れた顔で手を横に振って否定するが、興奮したアルベルトはそれを無視して詰め寄った。

「まだとは、それは、近い将来危険があるということですか!」

 鬼気迫った顔をするアルベルトに、ヴィリバルトが窘める。

「アル、危険があるのは承知のうえで、同行を許したのだろう」
「それは、そうですか」

 指摘を受けたアルベルトは、勢いを失くしたかのように身を縮めていく。
 その姿が主人にかまってもらえない忠犬に見え、ヴィルバルトの頬が緩む。
 アルベルトがヴィリバルトのかわいい甥であることに変わりはない。
 昔のように頭をなでて慰めようと手を伸ばそうとした時、アルベルトが突如顔を上げ、瞳に強い意志を宿して言った。

「弟たちに危険が迫っていると聞いて、はいそうですか。で、終われません!」
「はあー、本当に君はブラコンだね」

 やれやれといった表情で、アルベルトとの距離をとるヴィリバルト。
 なにを勘違いしたのか、アルベルトが満面の笑みでヴィルバルトを見た。

「ありがとうございます」
「褒めてないよ」

 ヴィリバルトが一刀両断した。
 それでも笑顔を絶やさないアルベルト。

「アルベルト、ひとつ質問がしたい」
「はい」

 アルベルトは、背筋を伸ばす。
 ヴィリバルトが愛称で呼ばない時は、怒っているか、呆れ果てた時だけだ。

「かの令嬢を助けようとしたのは、単純にジークベルトかな」

 その問いかけに、アルベルトの眉間に皺が寄る。

『叔父上は、俺を試しているのか』

 アルベルトにとっては、至極当然のこと。それを質問されれば困惑もする。
 考えれば考えるほど、ヴィリバルトの考えが読めない。裏を読むにも、考えが至らない。
 アルベルトの困惑している姿を見て、ヴィリバルトは『また余計なことを考えている』と推測した。

「もう、わかったからいいよ」

 大きなため息のあと、ヴィリバルトが手で制すると、アルベルトに退出を指示する。
 その指示に、アルベルトが反論する。

「叔父上、まだ危険が迫っている話しがまだです」
「しつこいね。わかったよ。迫りそうになったら連絡するよ」

 ヴィリバルトの譲歩に、アルベルトは渋々ながらうなずいた。
 そして、部屋の扉が閉ざされた。


 ***


 ひとりになったヴィリバルトは、ソファに深く腰をかけると瞑想をはじめた。
 一時間ほどして、精神世界から戻ったヴィリバルトは、友人に念話を送った。

『フラウ聞こえるかい?』
『なに? ヴィリバルト?』
『少しお願いがあるんだよ』
『ヴィリバルトが、私にお願い! もちろんよ!』
『実は──お願いできるかい』
『むぅ。あの子に頼るのは、嫌だけど、ヴィリバルトのお願いだから、聞いてあげるわ。だけど、あの子が嫌だと言ったら、ダメよ』
『ありがとう。助かるよ。できれば早めにお願いするよ』
『わかったわ。大急ぎで、あの子を捕まえてみせるわ!』

 威勢の良い声で、フラウが念話を切った。
 フラウのやる気満々の姿が目に浮かび、なぜかヴィリバルトは不安になった。
 やる気が空回りして交渉に失敗し、ヴィリバルトに泣きつくフラウが想像できたからだ。
 ヴィリバルトは、思う。
 人選を見誤ったかもしれないと。