裏迷宮の階層スポットから転移すると、ディアーナが俺に抱きついていた。

「ご無事のご帰還、なによりです」

 えっ? なに、このかわいい子。
 ディアーナの突然の行動に、俺があたふたしていると、ニコライがからかってくる。

「チビ、盛大な歓迎だな。うらやましいぜ」
「あっ、すみません。わたくし、はしたないことを……」

 その言葉を聞いて、正気に戻ったディアーナが、恥ずかしそうに俺から離れる。
 とても残念だ。

「お帰りなさいませ」

 エマが一足遅れて俺たちに合流する。 
 ん? 気のせいか。
 エマの様子が少しちがうように感じる。
 とても落ち着いて見えるのだ。
 ディアーナに優しい眼差しをして、まるで年上のお姉さんのようだ。
 年上のお姉さんで間違いないんだけどね。
 普段とちがう雰囲気に気をとられていると、テオ兄さんが転移先を『報告』で調査してくれていた。

「ここは当初の目的地の迷宮十二階層の隠し部屋だね」
「安全面も問題なそうだな。あの宝箱は裏迷宮の報酬か」

 ふたりが宝箱に近づいていくので、俺もあとを追う。
 ディアーナたちは、ここで待機するようだ。ハクたちと戯れている。
 ハクたちを置いて、宝箱に近づく。
 裏迷宮を脱出して気になる点がひとつ、宝箱以外に階段があったことだ。
 裏迷宮に入る前までは、この部屋に階段はなかったはずだ。裏迷宮を脱出したことで現れたのか。
 この階段は魔力で作られている。


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 ご主人様の仰る通りです。
 裏迷宮の脱出に合わせて現れたようで、この階段は一時的なものです。
 階段の先は最下層十五階につながっています。

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 この階段の先って最下層なの?
 ならちょうどよかった。
 全員が疲労困憊なので、エマの短剣スキルはあきらめて、アン・フェンガーの迷宮を後にしようと提案するつもりだったのだ。
 到達ボーナスが貰えなくて残念だけど、欲張ってはいけない。


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 ご主人様、到達ボーナスは貰えます。
 裏迷宮を踏破したので、十三階、十四階は免除となります。

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 何それ!? 迷宮もなかなかやりおる。
 もしかして、到達ボーナスも豪華な物が貰えるのかな。


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 到達ボーナスの中身は、私では分かりかねます。
 お役に立てず申し訳ございません。

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 ヘルプ機能は、充分役に立っているよ。
 今回の裏迷宮の件だって、ヘルプ機能が作動していなければ、大変なことになっていたしね。
 本当に毎回、頭が上がりません。

「テオ兄さん、ニコライ様、安全確認ありがとうございます」
「ジーク、ここは裏迷宮の脱出用に用意された部屋のようだね。四方を壁に囲まれた出入り口がない部屋。あるのは魔力を帯びた階段だね」
「はい。僕が隠し部屋を発見した時は階段はありませんでした。調べた所、直通で最下層につながっているようです」
「やはりそうか」
「チビ、この宝箱の仕掛けはなんだ」

 ニコライの質問に答えるため、俺は宝箱へ近づき『鑑定』をした。


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 毒矢の宝箱
 説明:宝箱を開けると毒矢が連射される。
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「毒矢が仕組まれているようです」
「そうか。数は? 数本か?」
「連射されるとのことです」
「ちっ、厄介だな。うしろから開けるか。毒矢の連射が終わるまで待つしかないな。安全のため、姫さんたちを宝箱のうしろに移動させるか」

 迷宮内の宝箱は、仕掛けがあるのがあたり前で、ダンジョンは半々の確率だそうだ。
 コアンの下級ダンジョンでは、宝箱と遭遇する機会がなかった。『地図』に反応はあったけど、踏破を最優先としたからね。

「ニコライ、前に飛ぶとは限らないんじゃないかい」
「そうかっ。上に飛ばせば全範囲射程圏内だな」
「うんそうだね。裏迷宮を脱出した先にある宝箱だから、単純な連射ではないと思うよ。用心するに越したことはない。ジーク『守り』を最大限に強化できるかい」
「はい。できます」
「部屋の隅に全員集めて、僕とジークの『守り』を二重に展開しよう。宝箱は魔法で開けるよ。僕の魔法で開けられる距離だ」

 テオ兄さんの指示に、全員が宝箱の後方に移動し、部屋の隅に集まる。
 まずテオ兄さんが『守り』を展開する。その上から俺の『守り』を施す。
 最大限の強化をするため、魔力循環に集中した。
 渾身の『守り』ができたと自負する。毒矢の防衛は準備万端だ。

「いいね、宝箱を開けるよ『解錠』」

 テオ兄さんの魔法で、宝箱が開くと、次々と矢が連射されるその数、数百は下らない。しかも放たれている矢の大きさは、槍に匹敵する物もある。
 予想通り、全方位に矢が飛び交い、俺たちの周りには粉々に折れた矢が複数散らばっていた。『守り』が実にいい仕事をする。
 強度を今できる最高クラスにしたからね。

「こりゃーすげぇなぁ」
「想像以上だね」

 矢の数の多さに、あきれとも感嘆ともつかぬ声が響く。
 俺の横では、口が少し開いたまま動かないディアーナと、「ひぃえーー」と絶叫して腰を抜かし、ハクに支えられているエマがいる。
 スラは、誰が与えたのか、マイペースにオークの肉を食していた。
 時間にして数分の出来事だが、何十分と思えるほど濃い内容だった。
 矢の連射が終わり、辺り一面に砂埃が舞っている。
 砂埃が収まると、ニコライが「これは期待できるなっ。お宝はなんだ」と、ウキウキと宝箱へ近づいていった。
 そのうしろ姿は、普段とは違い滑稽で浮足立っている様子がわかる。
 しかし宝箱の中を見たニコライが、驚愕した声をあげる。

「なっ!? 空じゃねぇか。どうなってんだ!」
「空なのかい?」
「おいっ、チビ!」
「はい。いま調べています」


 ***********************

 ご主人様、矢の残骸を確認ください。
 全て、オリハルコンです。

 ***********************


 えっ? まじっすか?
 オリハルコンの毒矢だったのか?
『守り』の魔法を最大強化してよかった。


 ***********************

 いえ、放たれている時は、強度の高いSランクの矢でした。
 連射が終了した瞬間に、オリハルコンへ変化しました

 ***********************

 えっ? どういうことだ?
 オリハルコンって、稀少鉱物だよな。
 そもそも矢がオリハルコンに変わるのは、変だぞ。


 ***********************

 迷宮のドロップ品です。
 オリハルコンは、毒矢のドロップ品と考えてください

 ***********************

 はぁーー? ますます理解できない。
 毒矢のドロップ品? 毒矢は魔物扱いなのか。

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 この部屋のみの特徴のようです。
 あまり深く考えないほうがよろしいかと思います

 ***********************


 はぁーー? なんだそれ?
 やっと裏迷宮から脱出して安心したと思ったら、毒矢の連射。しかも宝箱の中身がないとくる。
 毒矢がドロップ品に変化したと気づかなければ、骨折り損じゃないか。
 精神的にくるぞこれ。仕掛けた奴、性格ゆがんでるな。

「ニコライ様、テオ兄さん、毒矢がすべてオリハルコンに変わっています」
「はぁ? なに言ってるんだチビ! そんなはず……」
「本当だね、ジーク。これはどういうことだい」
「僕にもわかりません。ただ、この部屋の仕様のようです」
「オリハルコン……。まさか俺が手にすることになるとは……」
「ニコライ、感動しているところ悪いが、そうそうにこの部屋から出るよ。ジーク、魔法で回収できるかい」
「はい。できますが」
「テオ、どうした?」
「この部屋は、あまり長居するべきじゃない」
「お前の勘か。わかった。チビ、さっさと回収しろ。姫さんたち先に階段を下りるぞ」


 テオ兄さんの突然の指示に戸惑っている俺を後目に、ニコライがすぐに反応し行動する。
 ディアーナたちを促して、スラを肩に乗せ、先に階段を下りて行く。
 テオ兄さんの直感が、なにかを察したのだろうと俺も判断し、気を取り戻して、俺も『浮遊』『微風』『収納』を同時展開し、部屋全体に散らばっているオリハルコンだけを宙に浮かせ、一か所に集めて回収する。
 粉々になった毒矢そのものが、オリハルコンのため、精査するのに相当の魔力制御が必要となった。
 稀少鉱物なので、一グラムも無駄にしたくない。
 すべてのオリハルコンの回収を終えたところ、ドドドッと大きな地響きが鳴ると共に、部屋の隅から床が抜け落ちていく。

「嘘だろ!?」 
「ガウッ!〈ジーク、走る!〉 」
「ジーク! ハク! 階段に急ぐんだ!」

『倍速』を自分とハクにかけ、階段前にいるテオ兄さんと合流し、慌てて階段を駆け下りる。
 先にいるニコライたちには『報告』で知らせる。
 ドドドッとの崩壊音が迫る。後方の階段が徐々に崩れていく。

「階段も崩れるのかっ。ギリギリだな。うわっ」
「大丈夫かい、ジーク」
「ありがとうございます」

 後方に注意をとられ過ぎてしまい、前方の階段が崩れているのに気づかず、足が嵌ってしまう。
 テオ兄さんが、素早く補助してくれるが、この時間ロスで、すぐそばまで崩壊が近づいていた。
 ここはあれしかない!

「テオ兄さん、『飛行』の魔法を使います!」
「飛行? えっ? うわっ!」

 俺の『飛行』に、珍しくテオ兄さんが、慌てている。
 そりゃーそうだ。
 人間急に身体が浮いたら慌てて当然だ。
 ドドドッと、先ほどまで足を着けていた階段は崩れ落ち、視界が暗闇にとらわれる。
 崩れ落ちた場所から底が見えない。ブルッと身震いする。
 間一髪のところで、崩壊に巻き込まれずにはすんだ。

「ジーク、悪いけど手を引いてくれないかい。飛ぶなんて初めてで、不安定なんだ」
「すみません。気づかなくて。ハクは大丈夫だよね」
「ガウッ!〈ハクは大丈夫!〉」

 どこか不安そうなテオ兄さんの手を取り、先行する。
 俺も最初は、空間のバランスがなかなか掴めず、かなり難儀したのだ。
 ハクは何度か『飛行』を経験しているので、崩壊した階段の上をスムーズに飛んでいる。

「これはなかなかの経験だね。まさか『飛行』を経験できるなんて思ってもいなかったよ。ジークはもう風魔法Lv8を取得しているんだね」

「いいえ、僕の風魔法Lv3です。魔力値が高いので『飛行』の使用が可能なんです」
「なるほど。ということは、これは守秘だね」
「はい。その方向でお願いします」
「ほかにもありそうだね。例えば『地図』スキルとかね」
「あははは。『地図』スキルは所持してますよ。あとは許してください」

 ここは笑ってごまかす。
 そもそも『地図』スキルは、隠さず使用していたので、テオ兄さんたちには所持がバレて当然だ。
 あえてそれにテオ兄さんが触れなかったのは、ただ単に俺だからだとの結論に至ったのだと思う。
 テオ兄さんは、ほかにも多数の能力が俺にあると認識していると思う。
 信頼しているが、全ての能力を曝け出すことは、今はできない。
 許して欲しいと思う。
 空中でのバランス感覚をテオ兄さんが掴み始めた頃、暗闇の先の小さな明かりが徐々に大きくなり、長身の影が見えた。
 長身の影がチラつくその様子に、安堵する。
 無事だとの『報告』を受けていたが、それを目にするまで安心はできなかった。
 俺のすぐ隣でも、安堵のため息がこぼれた。



 んーー。と伸びをして、馴れ親しんだ布団の感触に屋敷へ帰って来たのだと実感する。
 足元で丸くなって寝ているハクと、枕元にいるスラを起こさないよう、そーっと、ベットから降りる。
 部屋内が暗い。外は明るいので起床時間はとうに過ぎているはずだが、カーテンが閉まっている。
 侍女たちの配慮に感謝しつつ、ソファに腰を掛ける。テーブルの上に用意された冷えた水をコップに移し、ゴクゴクと喉の渇きをいやすと、思わずため息が出た。
 昨日は、精神的にも肉体的にも疲れて、倒れるようにベットに身を沈めた。
 その原因を再確認するため「ステータス表示」と唱える。
 表示された内容を見て、夢ではなかったと、項垂れた。

 称号、小さな詐欺師。
 体は子供、中身は大人? 容姿は美少女! なのに性別男。
 生まれた性別間違えているぞ!
 小さな詐欺師……なんちゃって。

 説明文も含めて、突っ込みどころ満載すぎる。
『なんちゃって』とか、説明文にいるの?
 この称号は、隠し部屋の階下の先で取得したのだ。
 そこには、俺の身長の三倍以上はある巨大な生死案内人像があり、全員で協力してガラポンを回した結果、各々に不名誉な称号がついたのだ。

 小さな詐欺師
 隠れブラコン
 金髪の筋肉馬鹿
 究極のドジっ子
 偽りの王女
 最強モフモフ
 食い意地の塊

 誰がどの称号を付与されたのか、だいたいの見当はつくと思う。
 称号名はあれだが、すべての称号に多少なりとも効果が付与されていた。
 だけど、一部を除けば、人には知られたくない称号ではある。

 小さな詐欺師の効果は、能力などで見た目と大きく違いがあっても、疑問を持たれないそうだ。
 裏迷宮の主って、ほんと性格悪いけど、この称号は今の俺にピッタリだ。
 子供の間だけの限定称号なのかどうかは、ヘルプ機能でもわからないそうだ。
 ハクとスラもそれぞれ称号をえた。
 ハクは『最強モフモフ』、スラは『食い意地の塊』だ。
 ハクの『最強モフモフ』は、触れ合うことで、ハクの好感度が少し上がり、癒されるそうだ。
 スラの『食い意地の塊』は、味覚が少し上がる効果があるようだ。
 絶妙なネーミングセンスだと思う。
 個体を認識して、称号名つけいる。
 手の込んだ悪戯だけど、効果も悪いものではないんだよね。微妙なんだけどね。
 ただこれは、裏迷宮の到達ボーナスではなかった。
 ヘルプ機能の調査で、いろいろあったが本物の到達ボーナスを俺たちは取得できた。
 俺とハクは『獲得経験値倍増Lv-のスキル玉』を獲得した。
 スラは『守護のアミュレット』を獲得したが、俺に譲渡してくれた。
 食べ物、オークの肉以外は、興味がないようで、かなり雑な扱いだった。
 その性能はとてもいいものなんだけどね。

 **********************
 守護のアミュレット
 効果:呪を10%の確率で回避
 説明:呪魔法の状態異常を10%の確率で回避する。
 **********************

 代わりにスラには、オークの肉塩胡椒味を献上したよ。
 もちろん、ハクにもあげたよ。

 ニコライは『魔法腕輪』、テオ兄さんは『隠密のスキル玉』を獲得した。
『隠蔽マント』を獲得したディアーナが、めずらしく戸惑った表情を見せた。
 隠蔽マントをじっと見つめ、なにかを呟いていたが、その声は俺には聞こえなかった。
 なにかあれば、ディアーナから話してくれるだろう。
 そしてエマは期待を裏切らない。
『黄金のタワシ』を獲得した。
 エマは、黄金のタワシを持って、飛び跳ねて喜んでいた。
 またタワシで落ち込むかとも思ったが、思いの外、本人が喜んでいた。
 全てが金なので相当な価値があるのだ。
 一般人から考えれば、かなりの収入だ。これほど喜んでもおかしくない。
 はて、お給金少ないのだろうか……と、余計な心配をすると『滅相もございません。アーベル家の給金は、他家と比べても格段に高いです』と、ここにはいないはずのアンナの声が聞こえた気がした。
 裏迷宮の到達ボーナスは、満足いく品だったが、それまでの経緯がさんざんだった。
 プラマイゼロ? いや精神的苦痛に加え、肉体的苦痛も考えれば、マイナス?
 裏迷宮踏破するたびに、不名誉な称号を獲得することも考えれば、ダブルでのマイナスだった。
 裏迷宮の踏破に喜ぶどころか、心に打撃を残し『アン・フェンガーの迷宮』をあとにしたのだった。



「ここにもない……」

 分厚い本を前に、フゥーと思わずため息をつく。
 アン・フェンガーの迷宮より帰宅してから、アーベル家の書庫に足しげく通っているが、ディアーナが求めている情報はなかった。
 迷宮で獲得した称号『偽りの王女』。
 その説明は、偽った姿で国民の前にいる王女だった。
 ディアーナは、無意識のうちに胸もとにあるペンダントを掴む。
 たしかに私は、国民の前で先祖返りであるこの姿を隠している。
 我が国は、亜人への差別が色濃い。
 私が生まれた時、陛下が出産に関わった者、全員に箝口令を敷いたと聞いている。
 バルシュミーデ伯爵であるパルは、陛下からの勅命で、護衛騎士としてその場に立ち会っていた。
 彼もまた王家の隠し事を知っている秘密の共有者のひとりだ。
 王家の秘密、ひとつは先祖返りをした者が王位継承権第一位となることだ。
 しかし、私の先祖返りは、陛下が公表をしないと決断されたため、ないものとなった。私は正妃の第二子のため、王女ながら王位継承権があるだけなのだ。
 そして最大の秘密は、王家に亜人の血が流れていることである。
 私の先祖返りは、まだ亜人への差別がなかった数十代前の後宮にいた獣族の妃の血である。
 現在は禁止されている近親婚があった時代であり、王家の系図でもその血筋が流れていることがわかる。
 私が王家の秘密である『先祖返りをした者が王位継承権第一位』を知ったのは、トビアスお兄様が誰かと話をしていたのを偶然耳にしたからだ。
 トビアスお兄様は、私の先祖返りをご存じではない。
 私のお母様と第一側室エレオノーラ様は、当時から犬猿の仲だった。
 それを危惧した陛下が、出産までの間、エレオノーラ様をご実家へ帰郷させていた。
 お兄様たちも共に帰郷したため、私の秘密を共有した者は、ごくわずかであり、いずれも陛下への忠誠心が高い者だった。
 この情報が漏れ、トビアスお兄様の耳に入るものなら、私は、きっとここにはいない。
 トビアス兄様が、亜人を毛嫌いしていたことは、とても有名な話だ。
 あの時のトビアスお兄様の激昂は、思い出すだけでも身震いするほど、常識を逸脱していた。
 ご自身の中に亜人の血が流れている事実と、嫌悪の狭間での心の葛藤が、表に出た嘆きの叫びだったのかもしれない。
 隠蔽マントを取り出し、なぜ裏迷宮の到達ボーナスがこれだったのか考える。
 偽りの王女もそうだが、隠蔽マントも意図されたような気がする。
 わからない。だけど、調べるきっかけにはなった。
 先祖返りした者がなぜ、王位継承権第一位となるのか。
 今まで疑問に持たなかったのが不思議だった。その事実をそうなのだと素直に受け入れていた。

「こちらにいましたか」
「アルベルト様、いかがなさいましたか?」

 突然の呼びかけに体がビクッと反応するが、身に染みた所作で、動揺を見せないように対応する。

「えぇ……歴史書ですか?」

 用件を言いかけたアルベルトが、ディアーナが手にしていた分厚い歴史書を見て問いかけた。

「はい。エスタニア王国の歴史について調べておりました。お恥ずかしい話、本国の歴史をあまり存じません。少し興味を惹かれることがありまして、調べております」

 ディアーナの説明に、アルベルトの顔がほんの一瞬動いた。

 アーベル家の屋敷に賓客として招いてからの王女は、アーベル家の教育に加え、ジークの婚約者としての対応。お茶会や魔法修練の日々だったはず。
 アン・フェンガーの迷宮から帰宅後、書庫へ通っているとの報告を受けていたが、迷宮の刺激から、魔法書で知識を深めているとばかり思っていた。
 まさか、ご自身が本来、王位継承権第一位であるとご存じなのか。
 いや、バルシュミーデ伯爵の話では、王女はそれを知らされていない。
 先祖返りはなかったとの王のご意向を暗黙の了解で認識されており、慎ましやかに第三王女として活動されていたと伺っている。
 ここ数日の報告をアルベルトは頭の中で目まぐるしく回転するが、興味を惹かれるような行動はなかった。
 考え過ぎか……。
 王女と歴史書があまりにも不釣り合いに見えたが、王族や上位貴族は、自国や他国の歴史を徹底的に教育される。王女は七歳、既に教育が始まっているはずだが、ご本人が無知であると申されている。
 我が国で過ごされている間に、自国の歴史に触れる何かを感じとられたのか。
 本当に?
 いや下手な詮索はしないでおこう。
 聡明な王女だ。こちらが詮索することで、疑問を持ち行動に移されたらまずい。
 だが、心には留めておこう。

「そうですね。他国の歴史などの本はこちらの棚ですね。我が家の書庫は、近隣諸国の歴史書は多くありますが、エスタニア王国の歴史が記載されている本は少ないですね」
「ありがとうございます。実は我が国にも古い迷宮があります。今回の裏迷宮の件で思うことがありまして、歴史を調べておりました」
「あぁ、なるほど」

 ディアーナの返答に、やはり聡いなとアルベルトは感じる。
 この短時間で、アルベルトの思考を読み取り、疑問を払拭するために、調べている内容を故意に伝えたのだ。
 その言葉を鵜呑みにはしない。
 幼いながらも彼女は、王族だ。 彼が常々、腹の探り合いは、王族としての嗜みだと語っていたことを思いだす。
 日頃の行動を考えれば迷惑極まりない馬鹿な友人だが、役には立つ。
 今は素直に引き下がろう。
 王女周辺を警戒するよう指示を出すと決め、本来の目的を告げる。

「じつは──」

 ディアーナは話を聞きながら、失敗したわと、アルベルトの対応を見て悟る。
 嘘は伝えていない。
 我が国に古い迷宮があるのも事実であるし、裏迷宮で先祖返りについて思うことがあり、王家の秘密の手がかりが歴史にないかを調べていたのだ。
 アルベルト様を甘く見ていたわ。
 彼の近くにこの国の王太子が、そばにいたことを思い出す。
 これで私の周辺は警戒される。どちらにしても私が求めている情報は、ここにはないようね。
 これはもうジークベルト様にご相談するべきね。私には手にあまる内容だったようだわ。
 私自身のことなのに皮肉なものね。
 ディアーナは自嘲気味に微笑みながら、アルベルトの話に集中した。



『至宝がいた。だから、なんだ?』

 エスタニア王国の近衛の鎧をきた女は、額に大粒の汗を掻き弁明を述べる。
 その顔には色濃い疲れと焦りがまじっており、緊迫した空気を打開する策がもう彼女にはなかった。

『もういい。この役立たずが──』
『お願いします。マティアス様にお目通りを!』
『この女をあそこへ連れて行け。少しは役に立つだろう』
『いや、それだけは、どうか──。マティアス様、助けて!』


 ***


 昨日、エスタニア王国入りした俺たちは、バルシュミーデ伯爵家の王都の屋敷に滞在することになった。
 高級宿屋一軒を丸ごと借りる予定だったが、伯爵家の現当主であるエトムント殿より申し出があり、厚意に甘えることにした。
 王城に滞在すれば、暗殺や陰謀に巻き込まれる可能性があり、警備を考えるとありがたい申し出であった。
 エトムント殿は、バルシュミーデ伯爵の息子で、現バルシュミーデ伯爵である。
 先日の反乱で、伯爵家の家督は、エトムント殿へ移ったのだ。
 ただし、マンジェスタ王国の力添えで、ディアーナと前伯爵が、反乱へ関与した事実はないと発表され、名誉は回復したが、前伯爵は、混乱を招いた責任を取り、王都より離れた片田舎で監視の下、隠居したことになっている。
 本人は俺の真正面で、のんきにお茶を飲んでいるけどね。
 ディアーナの護衛の冒険者パルとして、伯爵家に滞在している設定になっている。
 護衛が伯爵家の客間で寛いでいるけどね。

「トビアス殿下は、相変わらずですな。王の器にあらず。なぜビーガー侯がうしろ盾するのか、傀儡にするとしても個が強すぎる。見当がつかん」
「父上、不敬ですよ」
「エトムント、お前は心配しすぎだ。伯爵家に間者がいない限り、ここでの会話は漏れん。わしも謁見に付き添えばよかった。姫様から借りたこれがどこまで通用するのか、調べる絶好の機会だったな。惜しいことをした」

 パルは羽織っている『隠蔽マント』を触り、心底残念そうな顔をした。
 ツルピカの強面おっさんが落胆しても、まったくもって心に響かない。
 それに軽率な行動は控えてほしい。
 片田舎で隠居中のパルが、王都にいるとバレたら大変なことになる。
 それこそ内乱の引き金になりかねない。
 トビアス殿下、二度と会いたくない人物を思い浮かべ、俺は苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
 俺には到底理解できないエスタニア王国の思想を、昨日痛いぐらい味わった。
 昨日の耐え忍んだ謁見を思い出した──。


 ***


 多くの思惑を含んだ王城での謁見は、エスタニア王国入りしたその日に行われた。
 旅の疲れ? そんなものはないよ。
 叔父の『移動』魔法で入国したのだから、疲れるはずは……。
 そう。アーベル家の屋敷を出る時の方が、とても大変だった。
 例の如く、マリー姉様が大暴走をはじめて、前日から俺は雁字搦めで……愛ゆえの行動だから耐えたけど。
 なにか? 疲れなんてないよ……。
 エスタニア王国側には事前に書簡を送り、武道大会の一週間前にエスタニア王国入りする旨を伝えていた。
 しかし、マンジェスタ王国一行は、貴賓室の中で長く待たされた。
 国賓である我が国への軽視ともとれる対応に、マンジェスタ王国一行は憤り、エスタニア王国への不信感を募らせていった。
 そして、やっと通された謁見の間の玉座は空であった
 空の玉座を前に、マンジェスタ王国一行に動揺が走る。
 他国の王族に挨拶もできないとは──。
 それは、エスタニア王の病が深刻であることを物語っていた。
 動揺が走る中、王の代わりに対応したのは、マティアス王太子殿下とトビアス殿下だった。
 殿下たちは、玉座の下に直立し、マンジェスタ王国一行を迎え入れた。
 マンジェスタ王国の代表として、ユリウス王太子殿下が、訪問の挨拶のため一歩前に出る。
 慣例に従い口上を述べようと口を開いた瞬間、トビアス殿下の声が謁見の間に響いた。

「ディアーナ、よくもおめおめと戻ってきたものだ。恥を知れ! しかも他国の侯爵家と婚約だと、貴様の嫁ぎ先は決まっている。お前は見目はいいからな、俺が有効に活用してやる。婚約はすぐに破談にしろ!」

 その言葉に一同唖然とする。
 こいつ正気か? 国賓である他国の王太子殿下の言葉を遮り、発した内容がひどすぎる。
 ディアーナから男尊女卑思想が根強く、特に高位の貴族はその傾向が著しいので、嫌な思いをするかもしれないと恐縮していた。
 たしかにディアーナに対する臣下たちの態度には憤りを感じた。
 その場はこらえたけど、これは我慢できない。
 俺はユリウス王太子殿下に発言の許可を得ようと動く。
 それを察した叔父が、素早く俺の腕を掴んで阻止した。

『ヴィリー叔父さん、なぜ止めるのですか』
『今はダメだ。殿下を信じるんだ』
『なにか策があるのですか』
『まぁ、見ていればわかるよ』

 俺と叔父は視線を交え、声を出さずに会話をした。
 心情的に納得はいかないが、公式の場で我儘を通すより、後の影響を考えればここは耐えるしかない。
 俺はぐっと手を強く握り、感情に蓋をした。
 すると、ユリウス王太子殿下が「あははっは──」と、声を出して盛大に笑った。
 その姿に「殿下!?」と、マンジェスタ王国側の臣下たちが大慌てだ。
 騒ぐ臣下の中で、叔父の黒い笑みが光り、王太子殿下の専属護衛兼大会出場者のアル兄さんは微動だにせず、その場を静観していた。
 これは想定内の行動のようだ。
 だけど、こんなわかりやすい挑発に、王族が乗るとは思えない。

「貴様! なにがおかしい、無礼だぞ!」

 トビアス殿下が激昂して前に出るが、それを近衛兵たちが抑えた。
 うわぁー。挑発に乗ったよ。まじか……。
 しかも、他国の王太子殿下を正式な場で貴様呼び。不敬どころか、国家間で大きな溝をつくったこと理解できているのか。
 一応、王子だよね……?。

「……っ、失礼。あまりにも滑稽で」
「貴様!」
「トビアス兄上、落ち着いてください。兄上は疲れているようだ。休憩室へお連れして」

 マティアス王太子殿下が、近衛兵に指示する。
 近衛兵たちは、今にも飛びかかりそうなトビアス殿下を囲うと、謁見の間から退場させる。
「マティアス、貴様!」と、叫びながら、その場を後にするトビアス殿下に、一時でも王太子教育を受けた人なのだろうかと、疑問に思う。
 王族としての品位がなさすぎる。
 言動もそうだが、成人していない弟に尻拭いされる大人ってどうなんだ。
 それにこの問題児が、国の代表として各国の使者に会っている事実に、排除できないエスタニア王国の権力闘争が垣間見える。
 これは一波乱も二波乱もありそうだ。
 関わりたくない。けど、俺、この国の第三王女の婚約者なんだよね。
 あの相談もあるし……詰んだ。確実に詰んだよね、これ。
 武道大会を純粋に楽しみたいだけなのにぃー。
 俺が悶々と心の中で嘆いている間に、トビアス殿下の姿が、謁見の間から消える。
 沈黙と緊張が走る中、その空気を払拭するように優雅に気品あふれる所作で、マティアス王太子殿下が、深々と頭を下げた。

「ユリウス殿下、大変失礼をいたしました。エスタニア王国の王太子として非礼をお詫び申し上げます」
「マティアス殿下、頭を上げてください。今回の件は、双方に非があるので不問としましょう。ただ今後、彼とお会いすることはないでしょう。またディアーナ殿下とアーベル家の四男ジークベルトとの婚約は、両国合意の上での婚約であったと認識しておりましたが、いささか情報に誤りがあったようですね。早急に対応をお願いします」
「はい」
「あぁ、そうだ、忘れるところでした。ディアーナ殿下は、我が国の庇護下であることも、臣下の方々にくれぐれもお忘れなくお伝えください」
「えぇ、もちろんです」

 マティアス王太子殿下は、ユリウス王太子殿下の言葉を肯定しつつ、苦笑いした。
 そりゃー王族でも表情にでちゃうよね。
 ふたりの会話を要約するに、公式、非公式にかかわらず、マンジェスタ王国は、トビアス殿下とは二度と会わない。
 交渉の場に姿を現したら、その瞬間に決裂する。
 事実上の絶縁宣言だ。
 俺たちの婚約は、国同士が合意した上での婚約なので、異議があるなら、それ相応の覚悟があるととるよ。
 それが嫌なら二度と同じことがないよう徹底してね。次はないからね。ということだ。
 そして、ユリウス王太子殿下は、臣下たちのディアーナへの態度にも言及した。
 マンジェスタ王国の庇護下であると公式の場で宣言することで、ディアーナの立場が明確となり、今までと同じ対応ができなくなった。
 殿下の気遣いに、胸のつかえが下りる。
 両国は、改めて正式な訪問の挨拶を交わし、お互いの国の情報を交換、次回の会談を約束する。

「エスタニア国王に代わり、今回の訪問歓迎いたします。我が国は、マンジェスタ王国一行を歓迎いたします」

 マティアス王太子殿下がそう宣言して、その場を締める。
 こうして、両国の挨拶は終了した。
 退出するマンジェスタ王国一行に、マティアス王太子殿下が声をかける。

「ユリウス殿下、妹ディアーナとジークベルト殿と個人的に話がしたいのですが、よろしいですか」
「すでに挨拶は終了しました。あとは個人の自由です。私どもが関与することはありません」
「感謝します」

 要するに、非公式に会うのはいいよ。だけどマンジェスタ王国はいっさい関わらないからそのつもりでね。とのことのようだ。
 王族の言葉って、本当に面倒だよね。



 俺とディアーナは、一行から離れ、王城の奥にあるこぢんまりした部屋へ案内された。
 その部屋は、内側に魔法陣が張り巡らされ、おびただしい魔力が充満していた。
 しかも、外側から魔力感知されない仕様となっている。
 これはすごい。
 術者の技術もさることながら、この部屋自体になにかありそうだ。
 俺が感心して部屋の中を見ていると、扉が開く音がした。
 颯爽と現れた殿下は、脇目も振らずディアーナを抱擁し、頬に口づけを落とした。
 その行動を目撃した俺は、殿下からアル兄さんと同じ匂いを感じた。

「待たせたね」
「マティアスお兄様、お久し振りです」
「ディ、元気にしてたかい? 母上も会いたがっていたが、許可が下りなくてね。すまないね」
「いえ、わかっております。一時でも反乱の汚名がかかった者が、王妃に会うことはできません。お母様には、わたくしは元気に楽しく過ごしておりますと、お伝えください」
「元気に楽しくか……。ディ、今幸せかい?」
「はい。ジークベルト様の婚約者となり、わたくしは幸せです。お兄様、わたくしの婚約にご尽力いただき、ありがとうございます」
「かわいい妹のお願いだったからね。それにディを守るには婚約しかなかった。なんの力もない兄で申し訳ないね」
「いいえ、いいえ、お兄様……」

 その謝罪に、ディアーナは首を何度も横に振り、殿下の服をギュッと握った。
 殿下は、彼女を強く抱きしめなおすと、その頭を優しくなで、そっと放した。
 そして、ジークベルトのほうへ体を向けて、一歩距離を詰めた。
 俺は、予想よりもはるかに早い殿下の行動に、大きく目を開く。
 あれ? もういいの? あっさりすぎない?
 アル兄さんなら、抱擁したまま数十分は放してくれないよ。
 その間にじっくり部屋を観察する予定だったのに……。
 俺が読み違えるとは……。
 はっ! うわぁー。俺、過保護兄姉に染まりつつある。
 そんなはずは……ないと信じたい。
 自己嫌悪に陥って落胆している俺に、殿下は訝しげな表情を見せるがすぐに改めると、俺に向かって手を差し出してきた。

「挨拶が遅れてすまない。ディアーナの兄のマティアスだ」
「ジークベルト・フォン・アーベルです」

 殿下にならい簡易的な挨拶をした俺はその手に自分の手を重ねる。
 非公式であっても本来なら最上級の敬意で挨拶をするのが礼儀だが、殿下の気持ちをくみ取った。
 俺の対応に、殿下は満足そうにうなずいた。

「ジークベルト殿、どうか妹を頼む」

 殿下はそう言ったあと俺の返答を聞く間もなく、緊迫した雰囲気を醸しだし、真顔で俺を見る。

「ジークベルト殿、もう察しがついていると思うが、近々この国は荒れる」
「お兄様!」
「ディ、心配するな。この部屋の防犯は、陛下の寝室並だ。事前に信を置いている者に手配し強化もしてある。盗聴の恐れはない。だから心配無用だ。あまり時間がない。ジークベルト殿に頼みがある」

 殿下の力強く真剣な眼差しを受けて、俺は緊張からゴクリと喉を鳴らす。
 目を閉じ、気持ちを落ち着かせてから、彼の目を見る。

「はい。なんでしょう」
「この国を捨て置いてほしい」
「っ、私にはそのような権限はありません」
「貴殿は『アーベル家の至宝』だ。貴殿が望めば、アーベル家が動く。世界もそれに準ずる」
「殿下のおっしゃっている意味がわかりません」
「今はそれでいい。貴殿がエスタニア王国を捨て置きさえすれば、この国は自然と滅亡へ進んでいくだろう。私はこの国の王太子だが、成人していない。後見人筆頭であったバルシュミーデ伯爵は、こたびの反乱で責を取らされた」

 彼は一旦言葉を切ると覚悟を決めた顔で告げる。

「陛下が逝去すれば、兄上たちと王位を争うことになる。今は宰相が、トビアス兄上を抑えてはいるが、時間の問題だ。背後のビーガー侯爵も動きだしている。ディアーナは、婚約はしたが、降嫁したわけではない。王位継承権がまだある。反乱の首謀者は、いまだ不明だ。ディアーナを旗にする者も出てくるだろう。君たちを巻き込みたくはない。武道大会終了後、すぐに自国へ戻ってほしい」

 一方的な言い分に、俺は唖然としてうまい言葉が出てこない。
 すると、それまで静観していたディアーナが、怒りに体を震わせ、殿下に詰め寄った。

「お兄様……民を、民をお捨てになるのですか!」
「ディアーナ、私はこの国の膿を出しきる。王家の腐敗は、もう手遅れだ。重鎮たちもほぼ染まっている。民を捨てるつもりはない。だが、新しい国として生まれ変わるには、多少の犠牲はやむをえない。私には今力がない。兄上に王位が移っても、他国の支援がなければ長くはない。長い戦いとなるがその覚悟はある」

 殿下はディアーナの怒りを表面上受け入れながら、なだめるように話すが、その方針は変わらないと暗に伝える。
 その話に『それは偽善だ』と、俺は心で叫ぶが、彼に伝えることはしなかった。
 殿下はまだ代々王にのみ引き継がれる古の契約、『王家の真実』を知らないのだ。
 これは困ったことになった。
 陛下の状態は、思っている以上にとても悪いのだろう。
 古の契約が破棄されることはない。ただ宿い主を間違えれば、国が消えてしまう。
 あぁ、本当に厄介なことになったかもしれない。
 俺は純粋に武道大会を楽しみたいだけだったのにぃ……。
 俺が苦渋に思案している中でも、殿下の話は続いていた。

「ディアーナ、トビアス兄上もそうだが、エリーアス兄上には、くれぐれも注意するんだ。エリーアス兄上は、表には出てこないが、着実に支持者を集めている。有力者がうしろ盾についたとの情報もある」
「お兄様……」
「ディ、そのように訴えてもダメだ。私の意志は変わらない。ジークベルト殿、ディアーナを頼みましたよ」

 殿下はそう言って一方的に会話を終了すると、足早に部屋から出ていった。
 俺とふたり、去る背中を無言で見つめる。
 ディアーナは、その手のひらに爪が食い込むほど強く、拳を握っていた。
 その手を労わるように、俺が拳に手を重ねると、彼女が泣きそうな顔して、俺を見上げた。
 金の瞳が、さまようように揺れている。

 性質は違うが、殿下とトビアスは兄弟だ。
 ある意味、同じ帝王学を学んだのだとわかる。
 王位継承権のあるディアーナが、臣下たちに軽視されている理由は、彼ら兄弟が原因であることがわかる。
 いくら男尊女卑思想が根強くても、彼女の意見も聞かないで、一方的に話を決めるなんて横暴すぎる。
 普段から彼女が意見を述べる機会はなかったのだろうと確信した。
 殿下は、無意識の己の行いが、妹を苦しめているなんて思ってもいないだろう。
 あぁー、一番面倒なタイプだ。
 いっときでもアル兄さんと同じだと思った自分が情けない。
 アル兄さんは、極度のブラコンだけど、俺を精神的に追いつめたりはしない。
 適度な距離を保ちつつも、常に俺の最善を考えて行動してくれる。
 超絶に甘いのだ。
 たまーに、暴走するけどね。
 ディアーナは何度も口を開こうとするが、そのたびに言葉をのみ込んでいる。
 その仕草に彼女の心の葛藤が見える。
 俺はただ彼女の答えを待った。

「……ジークベルト様、ここでのお話、マティアス王太子殿下との会話は忘れてください」
「わかった」

 俺の返事に、つないだ手が震えた。
 うつむきながら耐える姿はとても悲壮で、思わず手を貸したくなるが思いとどまった。
 ディアーナは殿下を兄とは呼ばず、王太子殿下と呼んだことで、彼女が国の方針を受け入れたことがわかった。
 だけど……きっと、俺の答えにかすかな希望を見ていたのだと思う。
 ごめん。
 俺は君の求める答えは返せない。
 俺にその覚悟はない。
 しばらくして、ディアーナがうつむいた顔を上げ、痛々しげに笑った。
 理不尽な痛みに耐え、笑ったその顔を生涯忘れないと、心に刻んだ。
 今俺にできるのは、屈託のないディアーナの笑顔を守ることだけだ。

「ディア、俺は、どんなことがあっても、君のそばにいる」

 その頬に手をあて、浮かべた涙をすくい取る。
「ジークベルト様っ」と、胸に飛び込んできた彼女を抱きとめた。
 本当は『助けて』と、叫びたいだろう。
 それを彼女が口にすることは決してない。
 この小さな体は、どれほどの重圧をかかえ、苦しんでいるのか。
 想像に難くない。
 痛みを分け合うように、俺たちは強く抱きしめ合った。


 ***


 翌日。俺は今後のエスタニア王国について考えていた。
 内戦の回避は難しい。だけど最小限の被害に抑えることはできるかもしれない。
 だいぶ曖昧な答えだが、今はこうとしか言えない。
 たくさんの人の命がかかっている以上、慎重にことを進める必要があるし、失敗はできない。
 俺の受け皿は小さいが、目の前の大切な人の愁いを少しでも晴らすように努力はできる。
 まずは、事前準備と協力者の確保が必須だ。
 この短期間でエスタニア王国の協力者を見極めること、最難関ではある。
 協力者が見つからなければ、この話は頓挫する。
 協力者として最適だった伯爵は、権力の中枢から離れてしまった。
 エトムント殿も、その影響で下手に動けないだろう。
 そうなると、外部の人間となる。まだ会えぬ人なのか、もう会った人のなのか。これは俺の幸運にかけるしかない。
 あと……。これとは別件で、ディアーナに伝えることもある。
 俺は彼女の知りたい答えを持っている。今それを伝えれば、彼女は必ず行動に移すだろう。
 内乱を止めるために、矢面に立つ彼女が想像できる。
 時期尚早。冷静に考えれば、浅はかな行動だと気づくが、今の彼女にその余裕はない。
 ディアーナには、王の器がある。
 生まれながらにして所持しているそれに、彼女も誰も気づいてはいない。
 そもそも『覚醒』していないから、ステータスに表示されない状況ではある。
 現状、俺の『鑑定眼』だけが、見える内容だ。
 うーん……。話すタイミング逃したよなぁ。



『──伯の倅に渡しました』
『そのまま次の作戦を遂行しろ』
『御意』

 マントを目深に被った男は、深く敬礼してその場から消える。
 残された者のその手には、真黒く濁った石が握られていた。


 ***


 談話室では、昨日の王城の謁見話から、話に花が咲いていた。
 いつの間に途中参加したのか、ヴィリー叔父さんの姿もあった。

「閣下」
「アーベル伯、私は姫様の護衛を依頼されたただの冒険者パルです」
「あっ、そういった設定ですか。ではパル殿。そのマントは、なかなかのものですね」

 叔父はあっさりその設定をのみ込むと、パルの羽織っているマントに注目した。
 えー、ヴィリー叔父さん。そこは突っ込もうよ。
 護衛が姫様呼びは馴れ馴れしいのではとか、他にも色々あるでしょ。
 話を膨らます気が、そもそも興味がないんですね。

「これは姫様からお借りしているもので、裏迷宮の到達ボーナスでしたかな」
「えぇ、そうです。ジークベルト様たちと踏破したアン・フェンガーの迷宮の裏迷宮の到達ボーナスです」

 パルの問いかけに、ディアーナがうなずき、補足すると、叔父が興味深そうに目を見開く。

「へぇー。裏迷宮の到達ボーナスですか。これはまた興味を引く品ですね。認識阻害と解除。両方を持ち合わせているのは、素晴らしい。ますますエスタニア王国の迷宮に行くのが楽しみですね」
「我が国の迷宮に行かれるのか。はてあそこは、古い迷宮ではありますが、冒険者が寄りつかない、実りがほぼない迷宮と聞いてますがな」
「えぇ、表ではなく裏へね、行く予定なんですよ。ねぇ、ジーク」

 話題を振られ「はい」と、渋々答える。
 エスタニア王国入りする前に、俺は叔父とある約束を交わしたのだ。
 テオ兄さんから裏迷宮の報告を受けた叔父は、すぐにでも迷宮に潜ろうとした。
 しかし周りがそれを許さなかった。
 目前に迫ったエスタニア王国入りには、どうしても叔父の『移動魔法』が必要だったからだ。
 そこで打開策として提案されたのが、エスタニア王国の迷宮だった。
 アル兄さんがどこからか調べてきたのか『我が国の迷宮はいつでも潜れますが、他国の迷宮に潜る機会はそうそうないのでは? エスタニア王国の迷宮はとても古いとのことですし、調べるには古い迷宮のほうが、なにかヒントがあるかもしれませんよ』と、説得し、叔父はそれを条件付きで受け入れた。
 その条件が、俺の同行だ。
 初めは関わりたくなくて、拒否した。
 しかし叔父が俺の耳もとで『聖獣』と、ささやいたことに戦慄を覚えた。
 あのおしゃべり精霊め!
 あれほど内緒だと言ったのに!
 当分プリンはなしだ!
 叔父と取引をした結果、俺たちの秘密を漏らさない代わりに、泣く泣く同行を受け入れたのだった。

「ほぉー。それはぜひとも参加したいですな」
「残念ですが、パル殿は、ディアーナ様の護衛。ディアーナ様は、今回の迷宮には、参加しません」
「むぅ。そうなのですか……。それは残念ですな」

 パルはそう言って、何度もディアーナを窺い見るが、ディアーナはその度に頭を横に振る。
 諦め悪いよパル。
 ディアーナは、裏迷宮の話が出た際に、同行を拒否している。なにか思うところがあるようだ。
 それに加えて、昨日の殿下の警告もあるし、そうそうに国を出ると思う。
 隣に座るディアーナを見ると、困ったような表情を浮かべていた。
 やはり元気がないようだが、昨日の空元気よりは幾分ましだ。

「姫さまからはなれろ! ジークベルト!」

 突然、頭上から幼い声が聞こえると、ソファの上に小さな体が落ちてくる。
 やんちゃなこの少年は、エトムント殿の息子ヨハン君、四歳だ。
 俺とディアーナの間に収まったヨハンは、グイグイと俺を押す。少しでもディアーナから俺を遠ざけたいようだ。
 ふっ、無駄なあがきである。

「ヨハン! お行儀が悪い。姫様、ジークベルト殿、申し訳ございません」
「とうさまっ……」

 エトムント殿が、ヨハンを叱咤して、その行動に頭を下げる。そんな父親の姿を見たヨハンが悲壮感漂う顔で、こんなはずではなかったと体を縮めた。
 微妙な空気が流れる。
 それを変えるように叔父が、笑いながら話題を振った。

「元気があっていいね。アルの昔を見ているようだ」
「ほぉ、あのアルベルト殿がですか、今の姿では考えられませんな。では、ヨハンも大物になる可能性はあるということですな。はははっ」
「そうですね。将来が楽しみですね。パル殿」
「父上、ヨハンの行動を正す発言はやめてください。アーベル伯も父上に乗らないでください」

 エトムント殿に、怒られた大人たちは、肩をすくめながらも反省はしていない。
 とても生真面目な人だ。
 本当にパルの息子?
 パルの行動に一番気苦労しているのは、この人なんだろうなと思い、心の中で合掌する。
 大人たちの会話を聞いて、縮こまった体が息を吹き返す。ヨハンが、俺を睨みながら本来の目的を遂行する。

「ぼくは、お前が姫さまの婚約者だなんて認めないぞ。姫さまは、ぼくがお嫁さんにもらうんだ」
「ほお、ヨハンは姫様を嫁にもらう気だったのか。それは愉快だな」
「おじいさまは、姫さまの騎士でしょ。なぜこんな奴を婚約者にしたのですか」

 ピシッと指をさされ、俺は苦笑いをする。
 初対面から俺をライバルと認識したヨハンは、お客様扱いではなく、対等だと思ったようだ。顔を合わすたびに「認めないぞ」と、突っかかってくる。
 本人は至って本気なのだが、はたから見ると、かわいいだけなんだよね。
 ヨハンの態度に、エトムント殿が注意しようと動くが、それをパルが遮る。

「それは強者だからだな」
「こんな女みたいな奴が、強いはずがない。おじいさまはだまされているんだ」
「残念だがヨハン。姫様も、わしも、ジークベルト殿に命を救ってもらった。それにジークベルト殿は、エトムントより強いぞ」
「うっ、うそだ! とうさまより、強いはずがない! おじいさま、うそはダメなんだぞ」

 ヨハンは、衝撃を受けた様子で動揺する。
 そんなヨハンを見てパルがおもしろそうに笑い、エトムント殿に同意を求めた。

「嘘ではないぞ。なぁエトムント」
「父上、ヨハンで遊ぶのは、控えてください。後々大変なんですから……」
「とうさま! とうさまがジークベルトより弱いなんてないよね! ねっ!」
「ヨハン。父上の戦闘能力の評価に嘘はない。総合的に考えてジークベルト殿のほうが、戦闘能力が上なのだろう。だが私も武人だ。自分で力量を把握していない相手より下だと評価されれば、納得いかない」

 エトムント殿、温和に見えて実は熱血さんでしたか。やはり血は争えませんね。
 はっはは。雲行きが大変怪しくなってきた。
 逃げ道を探ろうと考えていると、エトムント殿と目が合った。
 あっ、やばい!

「ジークベルト殿、よければ軽く一戦交えませんか」
「バルシュミーデ伯、ありがたい申し──」
「よし! そうとなれば早速裏庭にまいりましょう!」

 どんだけ短気!? 俺の言葉を途中で遮って、勝手に了承を得たと思ってるし、いや断る予定なんですが……。
 えっ、もう部屋を出ている。
 あっ、いつの間にかヨハン君もいない。
 常識人だと思っていたけど、素早い動きに開いた口が塞がらない。

「ジーク、おもしろいことになったね」
「ヴィリー叔父さん、代わりに一戦してください」
「それは無理な話だよ。ねぇパル殿」
「そうですぞ。ジークベルト殿、あぁなったエトムントは、わしでも止められません」
「パル、わざと煽りましたね」
「ん? なんのことですかな?」

 俺のジト目にパルは顔を横に傾ける。
 ツルピカの強面おっさんがとぼけても、まったくもってかわいくない。気色悪いだけだから!
 まじでありえない……。
 心の中で悪態をついていると、隣から笑い声が漏れる。

「うふふ。ジークベルト様、エトは、あぁ見えて、一度言い出したら、納得するまであきらめないんです。お付き合いしてあげてください」
「ディアの頼みなら、しかたないなぁ」

 ディアーナが自然と笑っていた。
 その笑顔に、俺は重い腰を上げるのだった。



 裏庭に全員が集まると、ヴィリー叔父さんが発言する。

「ジーク、この一戦での攻撃魔法はなしだ。バルシュミーデ伯もいいですね」
「いえ、攻撃魔法ありの全力でお願いしたい」
「エトムント、アーベル伯の提案を受け入れろ」
「父上しかし──」

 エトムント殿の反論する声を遮って、パルが真顔で言い放つ。

「瞬殺だぞ。ジークベルト殿に攻撃魔法を使用されてみろ、それこそ剣を合わせる前に終了だ」
「……そこまでなのですか」
「お前、ヨハンにわしの戦闘能力の評価は間違いないと言ったな。ここで断言してやろう。総合力だけで言えば、この場で一番の強者は、アーベル伯、次点でジークベルト殿だ。わしやお前など、足もとにも及ばんわ」
「……っ」
「おっ、おじいさま?」

 その言葉に絶句するエトムント殿。ヨハンは、信じられないものを見る目で、祖父を凝視している。
 そのふたりの表情を見て、パルがニヤリと笑う。

「だが、攻撃魔法なしで、補助魔法のみであれば、お前にも勝機はある」

 うわぁー。息子を煽ってるよ。この親父。
 それに俺の評価、高すぎるでしょ。
 プレッシャー半端ないんですが……、期待された分はかえさないと。
 たしかに、攻撃魔法を中心に戦えば、負けない自信はある。
 純粋に剣だけの手合せなら、体格差や経験値、熟練度を考えると、エトムント殿が圧勝するだろう。
 だけど、身体能力を上げる補助魔法を使用すれば、互角、いや俺が勝てる可能性が高い。
 パルは存外に、補助魔法のみでも勝てないが、隙をつくれば勝てると言っているのだ。
 それにしても、息子に発破をかける親って、どうなのだろう。
 この場合、有効なのか?
 はて?
 ん? 俺相当やばくない?
 しばらくして、エトムント殿の俺を見る顔つきが変わる。
 鋭く俺を見据えると「攻撃魔法はなしの全力で、お願いしたい」と、頭を下げる。
 その思ってもいない行動に、俺が慌てた。

「バルシュミーデ伯、頭を上げてください。軽く一戦を交えるだけですよね」
「軽くではなく、攻撃魔法なしのジークベルト殿の本気をお願いしたい」

 エトムント殿は、そう言って再び頭を下げる。
 その様子に、ヨハンが「とうさま」と、困惑を隠せないでいた。
 ヨハン、その気持ちわかるぞ。俺もだよ。
 エトムント殿もわざわざ頭を下げる必要ないでしょ。
 生真面目すぎるんですよ。
 そこは、お互い攻撃魔法なしで、最善を尽くしましょう。とか、言いようがあるでしょうよ。
 この微妙な空気どうするの。
 俺が対応に困っていると、叔父から助け舟が入る。

「バルシュミーデ伯、ジークが困っているので、頭を上げてください」
「しかし、私は、ジークベルト殿のことを侮っていました。誠意を見せるのは、あたり前のことです」
「大丈夫ですよ。そのあたりジークは、きちんとわきまえていますので、安心してください。さぁ親善試合を始めましょう」
「親善試合ですか」
「えぇ、親善試合です。ジークベルトもいいね」
「はい」

 軽く一戦が、非公式での国の親善試合になったよ。
 今回の叔父の肩書は、マンジェスタ王国の副代表だ。
 叔父の発言には、効力がある。
 たぶん、エトムント殿を納得させるための発言なので、気にはしない。
 もともと本気で戦うつもりだったし、手加減なんて大それた考えは毛頭ない。
 なにより剣を交えれば、相手が加減しているかどうかなどすぐにわかるのだ。
 なんだかんだ言って、俺も環境に染まってしまった。
 剣を交えるのを楽しみにしている自分に笑ってしまう。

「ではこれより、ジークベルトとバルシュミーデ伯の親善試合を行う。ルールは簡単。攻撃魔法なしの一本勝負。どちらかが降参、戦意喪失をした時点で、勝敗は決する。ただし、私が危険だと判断すれば、途中で試合を止める。両者いいね」
「「はい」」
「それでは、始め!」

 叔父の号令と同時に、俺は『倍速』『守り』『強化』を展開する。
 素早くエトムント殿との距離を縮め、まずは小手試しのひと振り。キンッと、小高い金属音が響く。
 くっ、さすが、剣が重い。
 ……まっ、まずい……つっ。
 エトムント殿が、すかさず身長差を生かし、剣を合わせたまま体重をかけてくる。
 圧がハンパない。
 くっ、このままだと、押し負ける。
 どうする。いったん引いて、体勢を立てなおすしかないが、この優位な状況でエトムント殿が、やすやすと引いてくれるはずはない。
 だが、剣を押しつつ、うしろに引くしかない。
 そうだ!

『沈下』
「!」

 ふー。焦った。
 危ない、危ない。
 序盤だからと油断した。

 状況を説明すると、エトムント殿の足もとにある土を沈め、慌てたエトムント殿が、剣を引き後退した。
 これは攻撃魔法ではないから、ルール上、問題はない。
 んー。フィールドを変更してみるか。
『沈下』『隆起』を使い、数十秒で裏庭を高低差のあるフィールドへ変える。
 俺のこの奇妙な行動に、エトムント殿は動けないでいた。
 魔法能力の高さと、一刀目で把握した剣の技量を踏まえ、警戒している。だが、勝機が見えていたはずだ。
 先ほど剣を合わせた結果、このまま戦えば、ジリ貧で俺の負けが確定してしまうからだ。
 魔法で『強化』したにもかかわらず、五分どころか押し負けていた。パッシブスキルの身体強化も効いているのにだ。
 過信していた。
 魔法で強化できても、もとが発展途上の子供の体なのだ。
 強化にも限度があるのだ。
 そこで思いついたのが、速さと身を隠せるフィルードだ。
 小さな体を生かし、奇襲をかける。体力は消耗するが、エトムント殿の精神負荷は、相当なものだ。
 もちろん気配察知されないよう、うまく『隠蔽』を使用する。
 これでどこから攻撃されるかわからない状況だ。
 なかなかの作戦だと思う。
 何度目かの奇襲で、相手の懐に入る隙が生まれた。だが、あと数センチのところでかわされる。
 俺はザッーと、うしろに下がり、エトムント殿の動向をうかがう。

「なかなかやりますね。気配が掴めない。これでは私がもたない」
「負けを認めますか」
「まさか! このような機会はそうそうない! 己を高める絶好のチャンスだ! これで私もまた成長できる!」

 あっ、変なスイッチ押したかも……。
 エトムント殿の目が大きく見開かれ、口から「フフフフフ……」との声が漏れる。
 精神が削られる現状をあきらかに喜んでいる。
 うわぁー。エトムント殿って、マゾか。この表情、教育的にもヨハンに見せていい表情なのか。
 いやダメなやつだと思う……。
 ハッと、ヨハンたちの位置を確認して、安堵する。
 ヨハンたちからは、エトムント殿の背中しか見えない。
 高低差のあるフィールドへ変更した際、叔父が気を利かして観覧席をフィールドよりも高くしたため、全体が見渡せるのだ。
 この表情を子供に特に父親を尊敬しているヨハンに見せないでよかったと油断していると、すぐ横から剣圧が飛んできた。
「あぶなっ」と、ギリギリのところで回避する。
 いらぬ心配をした隙に、攻撃を受けた。
 俺の代わりに剣圧を受けた土壁は、斜め横に切断され、ズッズッズと、上が落ちた。
 えっ、あれ、まともに受けたら死にますが……。
 ぶるっと身震いし、攻撃したエトムント殿を確認するが、そこにはいない。
「しまった! 上かっ」と、声をあげた時には、剣が俺の頭上めがけて振り下ろされていた。
 間一髪、『倍速』で避ける。
 ドスンと、先ほどまで俺がいた場所は、直径一メートルほどの穴があいていた。
 えっ、あれ、デジャブ?
 死ぬよ俺!
 これ親善試合だよね。

「これも避けるか……フフフ。なかなかしぶとい。さていつまで避けれるか」

 その宣言から始まった剣圧の嵐。
 せっかくつくった高低差のフィールドが跡形もない。怒濤の攻撃で、ふたりとも、息が荒い。
 ただやはり武人。攻撃力が回を増すごとに上がっている。
 そろそろ決着をつけないと、俺自身の身が危ない。
『守り』を展開しているので、攻撃は死守できているが、なんだかそれも、エトムント殿に突破されそうなのだ。
 ここで仕掛けないと、負ける。
 俺の直感がそう言っている。
 顔の横を剣圧が飛ぶ。
 考えている間にも攻撃の手はやまない。
 俺も慣れたもので、剣圧の動きに体が自然と反応し、軽々と避けるようになった。
 それに気づいたエトムント殿は、剣圧の速さと攻撃力を高めていく。それを俺が軽々と避ける。
 さらに──と、もう悪循環だ。もちろん俺が避けた先は、土壁だったものの残骸だ。
 俺が、あぁなった可能性はある。
 決着をつけよう。
 俺は魔力循環に集中する。
 黒い剣に、おびただしい量の魔力を注ぐ。
 まだいける。まだだ。
 黒い剣が、赤黒く光りだす。まだだ。まだお前の限界はそこじゃない。
 エトムント殿の息をのむ声が聞こえた。

「バルシュミーデ伯、決着をつけましょう」

 そう言った俺の手には、俺の全魔力を注いだ赤黒く光る黒い剣が、不気味に光っている。
「えぇ」と、エトムント殿は、受けの姿勢で構える。
 俺はひとつうなずき、今できる最大限で、エトムント殿に向かい剣を振る。
 それを全身で受けとめようと剣で支えるが、真っぷたつに剣が折れ、防御魔法の障壁も割れ、黒い剣がエトムント殿の体につく寸前で止めた。だが、勢いのついた剣圧は、エトムント殿の体を切り裂く……直前で、二重いや三重の『守り』が展開されていた。
 叔父の『守り』だ。

「そこまで! 勝者ジークベルト!!」

 叔父の声が響き渡る。
 終わった。
 勝てた。勝利を噛みしめる。

「最後の一刀は、手出しできない。完敗だ。ジークベルト殿は強い」
「いえ、今回はたまたまです。一時はどうなるかと……」

 健闘をたたえ合いながら、お互いに握手を交わす。
 そこに叔父たちが、近づいてくる。

「ジーク、最後の一刀はすさまじかったね。剣を折った上に、防御魔法を三枚壊した威力はすごいね」
「ヴィリー叔父さん『守り』ありがとうございました」
「親善試合で、怪我人が出る事態になれば、私の責任だからね。でも保険をかけておいてよかったよ。判断を誤れば取り返しのつかないことになったからね。で、あれは、剣にジークの魔力を注いだだけなんだね」
「はい。魔法剣は、攻撃魔法と判断しました。序盤で、バルシュミーデ伯との力量差がわかり、精神攻撃へ戦略を変えたのですが、あの通りの結果となったので、どうしたものかと考えていた時に思いついたんです。剣に魔力を注げば、体と同じく攻撃力が増すのではないかと」
「普通の剣なら、魔力に耐えきれず折れるだろうけど、その剣は特別だからね」

 俺の説明に叔父は納得したかのようにうなずく。
 横にいたパルも「試合中に思いつくとは、さすがジークベルト殿ですな」と称賛する。
 だけど、ヴィリー叔父さん、パル、俺は忘れませんからね。
 試合中、エトムント殿の殺気を間近で察した俺は、ふたりへ必死に合図していた。
 それにもかかわらず、無視しましたね。
 危険と判断したら止めるって言いましたよね。
 覚えていろよ。狸親父ども。

「お、おれは、みとめない! こんなの……。お前、ずるしたんだ!」

 ヨハンの叫び声が、裏庭に響く。
 ヨハンはひどく動揺しているようで、普段の呼称に変わり、その場で地団駄を踏むと、ブルブルと肩を震わせ、涙を浮かべて癇癪を起している姿が目に入る。
 尊敬する父親の負けを認めたくないのだろう。
 その姿に妙に納得する俺がいた。
 そうだよな。四歳児の反応ってこれがあたり前だよな。
 俺の周りは、ほぼ大人であり、子供であるはずのディアーナも、精神年齢が高い。
 俺はもともとアドバンテージがあるので除外だが、そうなると見た目と精神が合致するヨハンが、新鮮に見えるのはしかたがないことだ。
 俺がその様子を傍観していると、ヨハンから魔力があふれ出している。
 これは感情の起伏に、魔力が反応しているようだ。
 魔力制御が上手にできない子供には、たびたび起こる現象だ。
 それといって珍しいことではない。
 ヨハンは、ひと通り暴れるとらちが明かないと悟ったのか、荒くれた感情のまま屋敷に向かい走りだした。
『今彼をひとりにしてはまずい』と、頭の中で警戒音が鳴り響いた。俺は慌ててヨハンを追いかける。
 俺が追っていることに気づいたヨハンは立ち止まり、俺に指をさして警告する。

「ついてくるな! とうさまに勝てたのは、たまたまなんだからな。おれだって、大きくなれば、お前なんか倒せるんだっ!」

 その手には『移動石』が、握られていた。
 なぜここに、それが! まずい!
 ヨハンは感情が制御できず、魔力が暴走している。このままだと『移動石』が、発動されてしまう。

「ヨッ、ヨハン君、落ち着こう。うん、今回はたまたま俺が、勝ったんだ」
「うるさい! うるさいぞっ!! あたり前だ。とうさまが、お前なんかに負けるはずないんだ!」

 火に油を注ぐとは、こういった場面のことを表すのだろう。
 ヨハンは、さらに魔力を暴走させた。
『移動石』が発動する魔力の限界を超え、辺り一面、光に包まれた。



『状況は?』
『はっ。バルシュミーデ伯爵家から膨大な魔力を感知しました』
『『移動石』がうまく働いたようだな。やつらはしばらく動けないだろう。次の作戦に移行する』
『はっ』

 マントの男が指示を出すと、周囲から人の気配が消える。
 ひとり残った男が妖しく微笑む。

『はやく会いたいよ『赤の魔術師』』

 狂気じみたその声は暗闇の中に消えた。


 ***


 目を開けると、深い森の中にいた。
 夢だったとかのオチではない。また巻き込まれたようだ。
『苦労人』仕事しすぎじゃないか。まぁ今回は、巻き込まれてよかったと思う。
 ヨハンひとりでは、この森からの脱出は難しいだろう。
 現在地を確認するため、『地図』を起動し、ここが『はじまりの森』であること、エスタニアの王都からだいぶ離れた場所であることを把握する。
 そして、予め登録していたヨハンの位置情報が近くにあり安堵した。
 前回の転移事件とは違い、体の接触がない状況での強制移動だったため、俺とヨハンの座標がずれたようだ。
 これで全然違う場所に飛ばされていたらしゃれにならない。
 一歩間違えれば、死につながる世界なのだ。
 ほんと近くでよかったよ。
 魔物の気配がないため、のほほんと構えていると、「うわぁーー」と、ヨハンの叫び声が聞こえた。
 瞬時に『倍速』で、ヨハンの場所まで移動すると、ヨハンは紫の煙に包まれていた。
 これは、あまりよろしくない展開だ。
 少し油断してしまった。反省。
『微風』で、ヨハンの周囲を包んでいる紫の煙を一掃する。
 そのままヨハンを引っ張り、紫の煙のもとから遠ざけた。
 この紫の煙は、感覚器官を麻痺させる作用がある。だいぶ煙を吸い込んだ様子のヨハンに『正常』をかけ、声をかけた。

「大丈夫かい?」
「うっ……うーん」

 まだ混沌としているようだ。
 ステータス異常は見受けられないので、あとは本人の意識がはっきりするのを待つとしよう。
 その間に、紫の煙のもとを確認する。
 いまだ紫の煙を周囲にまいているそれは有毒植物に分類され、別名『幻影死草』と呼ばれる。
 木々に寄生する幻影死草は、獲物を捕獲するまではその姿を現さない。
 だが今回は、ヨハンを捕獲するために本体が出ていた。幹の間から紫色の触手のような物が伸びており、その本体はラフレシアの形に似ていた。
 これ植物なのか?
 クネクネと動く触手に、不気味さが増す。
 捕まえた獲物の感覚器官を麻痺して咀嚼する肉食なのだ。
 知能も高いが、魔物に分類されない。
 ヘルプ機能いわく、有毒植物は、魔石がないので魔物ではないとのこと。
 魔物や魔獣は、体内に魔石があるそうだ。
 なぜ伝聞なのか。
 その事実を今さっき俺が知ったからだ。
 普段から魔物の解体は全部、テオ兄さんたちが処理してくれた。
 俺個人がレベルアップのために仕留めた魔物は『収納』にほぼ放置している。
 いやだってさ、今の年齢で売りに行けば目立つし、テオ兄さんたちに頼むと、抜け出しているのがばれるだろう。
 まぁバレてはいるけどさ。
 見て見ぬふりをしてくれているのに、そこで仕留めた魔物をお願いするのは、筋違いだろう。
 それに俺の『収納』は、時間停止機能があるので、仕留めた魔物をそのまま維持できる。
 冒険者になってから売る予定なのだ。
 ちなみにダンジョンや迷宮では、魔物はドロップ品に変わるため、魔石は出ない。
 まさに異世界ファンタジー。
 話がかなり脱線している間に、触手が増え、ウニョウニョと活発に動いていた。
 うわぁー気持ち悪い。近づきたくない。
 おそらく獲物であるヨハンが射程圏内からはずれ、逃げたことで辺りを警戒しているのだろう。
 視覚はなく嗅覚で動いているとしてもすごいな。
 さて本体も確認できたし、排除しますか。
 寄生している木を燃やさないよう制御して『灯火』を使うと、それは跡形もなく消えた。
 任務完了!
 あとは『地図』で、有毒植物の分布を確認する。この森全体に点在しているようだ。
 ヨハンもいるし、面倒だけど接触しないで動くとするか。
 今日の寝床候補も確認して『地図』に印をつける。そのまま視界の隅に『地図』を配置して、意識がはっきりした様子のヨハンのもとへ戻る。

「ヨハン君、気づいたんだね」
「ジーク、ベルト……なんで?」
「これ何本に見える?」

 有無を言わせずヨハンの前に指を突き立てる。

「えっ、二本」
「じゃ、これは?」
「四本」
「うん。後遺症はないようだね。よかった」
「助けてくれたのか、ありがとう。ジークベルト」

 モジモジと頬を赤くさせ、うつむきながらも感謝するヨハンに『これがデレか! ツンはどこだ!? そもそもツンデレとはなんだーー』と、心で絶叫する俺がいた。
 ヨハンの純粋な感謝にテンションが上がり『デレだ。デレがきた!』と思ったが、実はツンデレが、よくわからない。だが、この状態はデレのはずだと、俺ルールを決めた。
 ディアーナに憧れて、俺に突っかかってきた時も、かわいかったが、このモジモジ加減もいい!
 やはり小さい子は、かわいいな。
 俺が心の中で、世間的に誤解を招く表現をガッツリしていると、ヨハンは、赤かった頬を徐々に青くさせ、心なしか震えた声で俺に問うた。

「それで、どうしておれたちは森にいるんだ。とうさまは… …? おじいさまは…… ?」
「僕たちは、『はじまりの森』に転移したようなんだ」
「『はじまりの森』? どうして? てんいするんだ?」

 ヨハンは、なぜここに転移したのか理由が思いつかないようで、至極困惑した様子で俺に投げかける。
 不安なのか、しっかりと俺のマントを握っている。

「ヨハン君が握っていた石。あれは『移動石』だったんだ」
「いどうせき? えっ? だってあれは、お守りだって……」
「誰にいつもらったのかな?」
「……っ」

 ヨハンの言葉が詰まる。
 これは、聞かれたくない理由があるようだ。
 誰かをかばっているのか?
 いや違うな。おそらくもらった状況を言いたくないのだ。
 察するに移動石は、屋敷の外でもらったのだろう。
 しかも無断で抜け出していたのだろう。
 抜け出していた事実が判明すれば、今後の抜け出しは容易ではない。
 だがこれは重要な情報なため、ごまかしを見逃すわけにはいかない。
 ごめん、ヨハン。
 心の中で謝罪しつつ、諭すようなゆっくりとした口調で、だけど拒否させない断定した言い方をする。

「ヨハン君、とても大事なことなんだ。今回の転移は、たまたま俺が巻き込まれたので難を逃れたけど、もしひとりで転移したら幻影死草の餌食になっていたんだ。とても危険なことだとわかっているね。あの石はどこで誰にいつもらったんだい?」
「ゲンエイシソウ……。きょう、ダンたちと、遊んでいた、時に、おじさんが、くれったんだ……」
「おじさん? 知っている人かい?」
「しらないおじさんっ、おれっ、たちが、遊んでたら、いいもの、あげるって……。おっ、おれ、あぶないものだとは、おもわなかった。きっ、きれいだし、キラキラしてて、お守りだって……」

 ヨハンは唇を噛みしめながらうつむいた。
 危険な物を安易にもらってしまった後悔があるのだろう。
『移動石』の実物を見たことがなければ、綺麗なガラス玉だもんな。
 お守りだと言われれば納得してしまうサイズでもある。
 だけど、ヨハンは貴族だ。
 外敵から身を守る手段を習っているはずだ……。
 あれ? もしかして、まだ習う年齢ではないのか? 
 俺は三歳の時に他者から物をもらう時の断り方を習っている。
 貴族は命を狙われることもあるので、屋敷外での直接の受け取りは原則しない。
 それを知らない民などからの品はいったん侍女が預かり、安全性を確認した後、手もとに届くのだ。
 もちろん侍女たちが近くにいない場合は、相手を傷つけないように遠回しなお断りをするか、屋敷へ持っていくよう言葉巧みにお願いする。
 なによりも贈答品は直接触らない。
 これ鉄則です。
 俺がアンナ監修の教育を思い出していると──。

 ***********************

 ご主人様、一般的な貴族は、五歳から教育が始まります。

 ***********************

 ヘルプ機能から遠慮がちに報告が入る。
 うん。そんなことだろうとわかっていたさ……。

「ほかの子も、もらったのかい?」
「うん……ジークベルト、どうしようっ!」

 小さな声でうなずくと、なにかを察したヨハンが涙を浮かべ俺を見上げながら訴える。

「ダンたちも、森の中にとぶのか? 助けないとっ! あのけむりをすうと、なにも見えなくて、音も聞こえなくて、からだも動かなくなった。だから、助けないと!」
「ダンたちは、平民なのかな?」
「ダンたちは、平民だけど、いい奴なんだ! 守るのは、おれたちきぞくのやくめだから、助けて、ジークベルト!」
「あっ、言葉のチョイスを間違えた。ごめん、ヨハン君。ダンたちが、平民なら、移動石を発動させるほどの魔力はないはずだから、大丈夫だよ」
「だいじょうぶなのか。よかった」

 ヨハンの頬から一筋の涙が流れた。
 純粋できれいな涙だ。
 ヨハンがその涙に気づき、ゴシゴシと手で目をこする。
 あー、そんなにこすると、後で赤くなるぞ。
 いらぬ心配をする俺。
 もう心情は、お兄さん状態である。
 現世では末っ子だけど、前世ではお兄さんだったからね。
 さてと、これで叔父さんに報告する内容は、集まったな。まずは石を確認してもらおう。
 おそらく、ヨハン以外の子供たちの石は、ただの石の可能性が高いが、万が一ってこともある。
 で、問題は、誰を狙っての行動だったかだ。
 ディアーナが、バルシュミーデ伯爵の屋敷に滞在していることは、周知の事実だ。
 ただ、ディアーナを狙うにしても、ひと目で『移動石』だとわかる石をヨハンに渡したところで、警戒されることは目に見えている。
 まさか……、ヨハンの魔力暴走も計画の内だった?
 だとすれば、予知スキルがあるのか!?
 ヘルプ機能、調べてほしい。

 ***********************

 固有スキルの中に、予知スキルなるものがあります。
 所持者の多くが、教会で修行した高位な僧や尼ですね

 ***********************

 うわぁー。ここにきて、宗教が絡んできたよ。
 宗教は、否定しないが、絡みだすとファンタジーでは、だいたいよくない展開になるんだよね。
 なにもなければいいけどさ……。
 あぁー。すごく嫌な予感がビシバシとする。
 とりあえず『報告』だ。
 すべての内容が届く距離ではないので、緊急事態である旨と念話で状況を説明することを伝える。
『報告』は距離や魔力によって伝えられる文字数に制限がかかる。
 近距離では、長文を伝えることができるが、長距離になると途端に文字数が少なくなる。
 あまり魔力も使いたくないので、現状を伝え、彼らに伝言役となってもらおう。
『報告』が終わり、夜に念話することで話がついた。
 それまでに、今夜の野営地への移動と、彼らへの説明も必要だ。
 二度目の失踪だけど、今回は『報告』『移動』などの魔法が使用できる状況なので、そう大事にはならないだろうと、思っている。
 前回は、情報がなく屋敷内が騒然として大変だったと聞いた。
 ほんと、愛されてるよね。
 今回は、他国での失踪だが、背景が背景なだけに、本国には連絡が入らないはず。
 ユリウス王太子殿下は、そのへんの判断ができる人だ。あの殿下とは違うのだ。
 さてと、まずは移動かな。
 涙が止まったヨハンを促し、『地図』に登録した寝床候補へ俺たちは足を進めた。



 湖の畔にある野営地に着いた俺たちは『魔テント』の中で、今後の行動についてヨハンに説明をした。

「早くて、二、三日……」

 今にも泣きそうなヨハンに俺が慌てて説明を補足する。

「ここは王都からだいぶ離れた場所なんだ。ヴィリー叔父さんの『移動魔法』を使用しても、早くて二、三日かな。遅くても武道大会が始まる前には迎えに来るよ。ここに生息する魔物であれば、僕が倒せるから、安心していいし、食料も十分ある。野外キャンプだと思って楽しもうね!」
「うん……わかった。おれ、がんばる!」

 空元気なのはわかっているが、ほんの少しヨハンの声に張りがでてきた。
 これは大丈夫そうだと安心する。
 ヨハンぐらいの年であれば、家に帰れない不安で、情緒不安定に陥り、意思疎通や行動ができない状態になってもおかしくはないだけに、空元気でも安心はする。
 まぁ不安はあるだろうけどね。
 そうヨハンに説明したが、すぐに助けがくるわけではない。
『移動魔法』は、術者が行った場所しか転移ができないという欠点がある。
 どの術者も最初は移動石で転移し、実績をつくるのだ。
 ヴィリー叔父さんも、エスタニア王国への訪問は初めてだったため、先に移動石で転移している。
 そこにきての『はじまりの森』だ。
 訪れたことがないことはわかる。
 今日の夜、念話で詳しく話し合いをするが、『はじまりの森』の近隣で、移動石の登録がある町を探すことから始まるだろう。
 移動石は、稀少でほぼ流通していない。
 ヨハンが『移動石』を『お守り』と勘違いしたのもうなずけるのだ。
 また移動石に登録のある町は、ほぼ主要都市である。
 ここから一番近い町、村の移動石を手に入れることは、困難だろう。
 そうなれば、ここから近く大きな都市が候補となる。 移動距離も考えれば、到着まで二、三日となる計算だ。
 まぁ俺が『移動魔法』を使用すれば、すぐに戻れる話なのだが、秘密にしているため、助けを待つしかない。
 いざとなれば使用するけどね。危険が迫っているわけでもないので、ここは待つの一択だ。

「ジークベルトは、いろんな魔道具をもっているんだな」
「うん?」
「これなんて、冷たくておいしい!」

 ヨハンが口にしているのは、冷えた果実のジュースだ。
 もちろん『魔冷機』が魔テントの中に備え付けてある。
 魔冷機は、魔コンロとは違い、ほぼ一般に流通していない代物だ。
 はっきり言えば、需要がないからだ。
 これには、この世界の食事情が大いに関係している。
 単調すぎる料理方法が原因なのだが、賽はすでに投げている。
 我が家の料理人たちが頑張るだろう。
 ふふふ。今後、魔冷機の需要は増えるはずだ。

「それに魔法袋も──」

 よほど嬉しかったのだろう。
 両手で大事そうに魔法袋を扱い、キラキラした目をするヨハンの姿に、俺のお兄ちゃんモードが発動する。
 あぁー。かわいい。
 いいな、弟ほしいな。
 滞在中は、俺がヨハンの兄にならないかな。
 なんでも世話するんだ。

「なぁ、ジークベルト」
「ん?」
「さっき約束した、その魔法袋から、俺が出していいか?」
「もちろん。使用者特定をしていないから、ヨハン君でも取り出せるよ。少し早いからクレープでも出してみる?」
「クレープ? わかった。出してみる!」

 ヨハンが嬉しそうに魔法袋に手を突っ込む。
 その光景を見ながら、世間一般では、魔法袋は大変貴重なものだったということを思い出していた。
 空間魔法の取得者が少なく、魔道具作製スキルもいるため、流通している物はごくわずか。
 貴族でも所持している人が少なく、容量も少ない。
 俺の周囲は、所持者が多いので忘れていた。
 ついつい俺基準で考えてしまった。
 そう俺は恵まれた環境にいるので、魔道具なども手に入れやすい。
 しかも前回転移されたコアンの町で、魔導職人のボフールを父上に紹介してもらった。
 今目の前にある魔テントは、ボフール作のものだ。
 オリジナル注文をしたので値は張ったが、巻き込まれた際の賠償金が入ったため、痛くもかゆくもなかった。
 賠償金。俺がその事実を知ったのは、注文した後だった。
 ボフールから値段を提示され、お金のことを考えていなかった俺は慌てふためいたが、『心配せんでも、ジークベルト殿の専用口座から引き落としておきますがな』と、肩をパンパン叩かれた。
『専用口座?』と、首をかしげた俺に『聞いてませんがな。ギルベルト殿の話では、大金貨五十枚までなら余裕があると聞きましたがな』とのボフールの言葉に、開いた口が塞がらなかった。
 あまりにも金額が大きすぎて、現実味がなかった。
 五千万だよ。子供に五千万、お小遣いで渡すなんて異常な話……あるはずはなかった。
 口座の中身は、ほぼ巻き込まれた際の賠償金、迷惑料だった。
 ヴィリー叔父さんが、相当な金額を提示したようで、謝罪に来た魔術省のお偉いさんが憔悴しきって項垂れていた裏には、そのような背景があったようだ。
 だけど叔父さん、あなたは、被害者でもあるが加害者でもあるんだよと思ったのは、俺だけではないはずだ。
 しかし叔父に抜け目はない。
 あたり前だが、賠償金は出ない。その代わりに長期の休暇をもぎ取ったと聞いた。
 さすが叔父である。
 叔父のおかげで多額の資金が手もとにあるため、ボフールには、魔テント以外の魔道具も数点依頼した。
 それを差し引いても賠償金には、まだまだ余裕がある。
 父上がそのまま渡してくれたのだ。
 賠償額は大金貨七十枚。
 魔術省内で儲けた資金の一部から支払われる。
 なぜ魔術省が賠償金を支払うのか、実験に提供された移動石が、魔術省から納品されたものだったからだ。
 魔術省は、国の機関だが、一部独立機関がある。
 その独立機関が、魔道具の販売や管理などの営利的な運用をしている。
 叔父いわく、運用利益のほぼ半分が、不透明な流れのため、遠慮する必要はないということだった。
 大人の話なので、これ以上の情報、首は突っ込まない。
 父上には、ボフールに魔道具を依頼したことを報告している。もちろん感謝も伝えた。

「──ジークベルト! 聞こえてないのか」
「あぁ、ごめん」
「クレープはこれでいいのか?」
「うん。そうだよ」

 ヨハンはそう言って、俺にクレープを渡してくる。
 不思議そうにクレープを見るヨハンに俺は見本をみせるように一口クレープを食した。
 見よう見まねでヨハンがクレープにかぶりつくと、口元に生クリームをつけて目を見開く。
 すごい勢いで食すヨハンに『あっ、そうとう歩いたからお腹が減っていたのか』と、気がきかない自分に少し落ち込む。

「ジークベルト、これおいしいな」
「それはよかったよ」
「?」

 満面の笑みで俺に告げるヨハンに少々気まずくなる。
 そんな様子の俺に、ヨハンが魔テントを見渡して興奮した様子で話し出した。

「この魔テントの中はすごいな! たくさんの魔道具があるし、魔テントがこんなに広いなんて知らなかったぞ!」
「あっ、ヨハン君。この魔テントは特別製で、普通の魔テントはベッドひとつ分ぐらいの大きさだよ。ここにある魔道具も特別に備えつけてもらったんだ。一般に流通しているものとは、仕様も少し違うんだ」

 なんていい子なんだ。
 そんなヨハンに現実を突きつける俺。

「そうなのか? おれも、とうさまたちのような騎士になれば、買えるか?」
「そっ、そうだね。騎士の給金がどれくらいか、わからないけど、たぶん、買えるかな」
「そうか! おれ、がんばるぞ!」

 勢い込むヨハンに、視線をそっとはずす。
 お金に物を言わせて作った我儘仕様の魔テントと魔道具だ。
 お値段もなんと大金貨十二枚。ちょっとした家が買える値段だ。
 魔テントの広さは、俺の空間魔法をガラス石に収納し作ってもらった特別製で、いわゆる俺専用で一般流通はできない。
 贅沢品だが、後悔はない。
 ほぼ家なのだ。その間取りは、1LDK、バス・トイレ別だ。
 特にこだわったのは、風呂だ。
 元日本人。やはり風呂にはうるさい。
 そのこだわりように、ボフールもあきれて物も言えない状態だったが、そこは一流の職人、要望通りの風呂をつくってくれた。

「ヨハン君、風呂に入ってしまおうか」
「ふろ?」
「森を歩いて泥だらけだしね。綺麗にさっぱりしよう」

 気分を上げるため、自慢の風呂へヨハンを誘導する。
 実は魔テントに入ってから、風呂に入りたくてしかたなかったのだ。
 魔テント内の風呂に入るのは、今日で二度目。
 魔テントが納品された時以来なのだ。
 鼻歌交じりで服を脱ぎ、魔洗機へ衣類を投げ込む。
 俺のまねをして、ヨハンも衣類を魔洗機へ投げ込むが、おそらく用途はわかっていないだろう。
 魔洗機の蓋を閉め、衣類乾燥まで設定して、動かす。

「ジークベルト、なんだこれ? すげぇー、服が回っているぞ!」

 突然、動きだした魔洗機にヨハンは驚き興奮しているが、簡単に用途を説明して、風呂の扉を開ける。
 ごめんヨハン。なによりも風呂だ。風呂なんだよ。
 開いた先には、俺たちを待ち構えていたかのように、風呂ができあがっていた。
 あたり前だ。かけ流し風呂なので、二十四時間いつでも入浴でき、自動お掃除機能付き、カビ対策もばっちりだ。

「おぉー。ひろーい!」
「あっ、ヨハン君。先に体を洗ってからだ。マナーだよ」
「うん。これなんだ?」
「それは体を洗う用の石鹸だよ」
「せっけん? せっけんはこんな物じゃないぞ。白くてかたいんだ」
「えっと、それは固い石鹸を液体にしたものだよ。そしてこれは頭を洗う石鹸だよ」
「えきたい?」
「まずは使ってみて、このタオルに石鹸をつけて、泡立てると……ほら!」
「おぉー。おれもする」

 ヨハンが一生懸命、泡立ているそれは、俺特製のボディーソープとリンスインシャンプーだ。
 アンナたち侍女と結束して、作製したそれは、アーベル家の事業のひとつとなっている。
 ご婦人たちには、とても好評で、種類を増やす方向だ。
 入浴剤、化粧水、乳液、美容液など、美容関連の知識も、前世の妹に付き合わされた関係上、一般男性よりはあるので、時間があれば着手する予定だ。
 その事業の利益の一部も、俺専用口座に毎月入金されている。
『発案者の権利だ』と、父上は言っていたが、もらいすぎのような気もする。
 まぁもらえるものはもらうけどね。

「この石鹸、すっげーいい匂いがするな! それにあわが簡単にできる! 楽しいぞ!」
「だろう。自慢の品なんだ。まだまだ改善の余地はあるけどね」
「かいぜん? ジークベルトは、難しいことばかり言うな。おれもジークベルトのとしになれば、そうなるのか?」
「うん? これは職業病というか、性格の問題だから、ヨハン君は、僕みたいにはならないと思うよ」
「そうか、よかった」

 ザッ、ザーー。
 体についた泡を流し、楽しそうにヨハンは浴槽へ向かっていく。
 あれ? なんだろう?
 この妙に傷ついた感じは……。
 いや、いいんだけどね。
 ヨハンの後に続き、体を洗い終えた俺は、お待ちかねの入浴タイムへ。
 はぁー。気持ちいい。
 やっぱ檜風呂はいい!
 かけ流しという点もいい!
 先に浴槽に浸かっていたヨハンは、頬を真っ赤にして、檜に頭をのせ、気持ちよさそうに浮いている。
 ヨハン、わかってるね。
 だけどこの風呂は、それだけではないんだ。
 ほれ、ポチッとな。
 ヴィ、ヴィヴィーーン。

「なっ、なんだ!?」

 ヨハンが慌てて立ち上がる。
 風呂が動きだし、檜風呂からジャグジー付きの風呂へと変わる。
 ふふふ、これこそ男のロマンを詰め込んだ。
 変形風呂だ。
 これぞ異世界ファンタジー。

「ジークベルト、この風呂すごいぞ! すげぇ、木の風呂から泡の風呂に変わったぞ! すげぇ、すげぇぞっ!」
「だろう。それだけではないんだよ。浴室もこんな感じに変化できるんだ」

 俺が再びボタンを押すと、浴室全体が暗くなり満点の星とこの世界の朱月、蒼月が、映し出される。
 露天風呂疑似体験だ。
 ほかにも何パターンか、用意してある。
 リアリティが大事なので、映し出されている映像は、生映像ではないが、実際にあった過去のものだ。
 もちろん、生映像も可能だ。

「きれいだな。外で風呂なんて、ぜいたくだな! 風呂が好きになるな!」
「わかってるね、ヨハン君!」

 ふたりで、風呂を満喫した。
 途中でヨハンがのぼせるハプニングもあったが、とても満足した時間だった。
 風呂に浮かれすぎていて、俺は、すっかり忘れていた。