『至宝がいた。だから、なんだ?』

 エスタニア王国の近衛の鎧をきた女は、額に大粒の汗を掻き弁明を述べる。
 その顔には色濃い疲れと焦りがまじっており、緊迫した空気を打開する策がもう彼女にはなかった。

『もういい。この役立たずが──』
『お願いします。マティアス様にお目通りを!』
『この女をあそこへ連れて行け。少しは役に立つだろう』
『いや、それだけは、どうか──。マティアス様、助けて!』


 ***


 昨日、エスタニア王国入りした俺たちは、バルシュミーデ伯爵家の王都の屋敷に滞在することになった。
 高級宿屋一軒を丸ごと借りる予定だったが、伯爵家の現当主であるエトムント殿より申し出があり、厚意に甘えることにした。
 王城に滞在すれば、暗殺や陰謀に巻き込まれる可能性があり、警備を考えるとありがたい申し出であった。
 エトムント殿は、バルシュミーデ伯爵の息子で、現バルシュミーデ伯爵である。
 先日の反乱で、伯爵家の家督は、エトムント殿へ移ったのだ。
 ただし、マンジェスタ王国の力添えで、ディアーナと前伯爵が、反乱へ関与した事実はないと発表され、名誉は回復したが、前伯爵は、混乱を招いた責任を取り、王都より離れた片田舎で監視の下、隠居したことになっている。
 本人は俺の真正面で、のんきにお茶を飲んでいるけどね。
 ディアーナの護衛の冒険者パルとして、伯爵家に滞在している設定になっている。
 護衛が伯爵家の客間で寛いでいるけどね。

「トビアス殿下は、相変わらずですな。王の器にあらず。なぜビーガー侯がうしろ盾するのか、傀儡にするとしても個が強すぎる。見当がつかん」
「父上、不敬ですよ」
「エトムント、お前は心配しすぎだ。伯爵家に間者がいない限り、ここでの会話は漏れん。わしも謁見に付き添えばよかった。姫様から借りたこれがどこまで通用するのか、調べる絶好の機会だったな。惜しいことをした」

 パルは羽織っている『隠蔽マント』を触り、心底残念そうな顔をした。
 ツルピカの強面おっさんが落胆しても、まったくもって心に響かない。
 それに軽率な行動は控えてほしい。
 片田舎で隠居中のパルが、王都にいるとバレたら大変なことになる。
 それこそ内乱の引き金になりかねない。
 トビアス殿下、二度と会いたくない人物を思い浮かべ、俺は苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
 俺には到底理解できないエスタニア王国の思想を、昨日痛いぐらい味わった。
 昨日の耐え忍んだ謁見を思い出した──。


 ***


 多くの思惑を含んだ王城での謁見は、エスタニア王国入りしたその日に行われた。
 旅の疲れ? そんなものはないよ。
 叔父の『移動』魔法で入国したのだから、疲れるはずは……。
 そう。アーベル家の屋敷を出る時の方が、とても大変だった。
 例の如く、マリー姉様が大暴走をはじめて、前日から俺は雁字搦めで……愛ゆえの行動だから耐えたけど。
 なにか? 疲れなんてないよ……。
 エスタニア王国側には事前に書簡を送り、武道大会の一週間前にエスタニア王国入りする旨を伝えていた。
 しかし、マンジェスタ王国一行は、貴賓室の中で長く待たされた。
 国賓である我が国への軽視ともとれる対応に、マンジェスタ王国一行は憤り、エスタニア王国への不信感を募らせていった。
 そして、やっと通された謁見の間の玉座は空であった
 空の玉座を前に、マンジェスタ王国一行に動揺が走る。
 他国の王族に挨拶もできないとは──。
 それは、エスタニア王の病が深刻であることを物語っていた。
 動揺が走る中、王の代わりに対応したのは、マティアス王太子殿下とトビアス殿下だった。
 殿下たちは、玉座の下に直立し、マンジェスタ王国一行を迎え入れた。
 マンジェスタ王国の代表として、ユリウス王太子殿下が、訪問の挨拶のため一歩前に出る。
 慣例に従い口上を述べようと口を開いた瞬間、トビアス殿下の声が謁見の間に響いた。

「ディアーナ、よくもおめおめと戻ってきたものだ。恥を知れ! しかも他国の侯爵家と婚約だと、貴様の嫁ぎ先は決まっている。お前は見目はいいからな、俺が有効に活用してやる。婚約はすぐに破談にしろ!」

 その言葉に一同唖然とする。
 こいつ正気か? 国賓である他国の王太子殿下の言葉を遮り、発した内容がひどすぎる。
 ディアーナから男尊女卑思想が根強く、特に高位の貴族はその傾向が著しいので、嫌な思いをするかもしれないと恐縮していた。
 たしかにディアーナに対する臣下たちの態度には憤りを感じた。
 その場はこらえたけど、これは我慢できない。
 俺はユリウス王太子殿下に発言の許可を得ようと動く。
 それを察した叔父が、素早く俺の腕を掴んで阻止した。

『ヴィリー叔父さん、なぜ止めるのですか』
『今はダメだ。殿下を信じるんだ』
『なにか策があるのですか』
『まぁ、見ていればわかるよ』

 俺と叔父は視線を交え、声を出さずに会話をした。
 心情的に納得はいかないが、公式の場で我儘を通すより、後の影響を考えればここは耐えるしかない。
 俺はぐっと手を強く握り、感情に蓋をした。
 すると、ユリウス王太子殿下が「あははっは──」と、声を出して盛大に笑った。
 その姿に「殿下!?」と、マンジェスタ王国側の臣下たちが大慌てだ。
 騒ぐ臣下の中で、叔父の黒い笑みが光り、王太子殿下の専属護衛兼大会出場者のアル兄さんは微動だにせず、その場を静観していた。
 これは想定内の行動のようだ。
 だけど、こんなわかりやすい挑発に、王族が乗るとは思えない。

「貴様! なにがおかしい、無礼だぞ!」

 トビアス殿下が激昂して前に出るが、それを近衛兵たちが抑えた。
 うわぁー。挑発に乗ったよ。まじか……。
 しかも、他国の王太子殿下を正式な場で貴様呼び。不敬どころか、国家間で大きな溝をつくったこと理解できているのか。
 一応、王子だよね……?。

「……っ、失礼。あまりにも滑稽で」
「貴様!」
「トビアス兄上、落ち着いてください。兄上は疲れているようだ。休憩室へお連れして」

 マティアス王太子殿下が、近衛兵に指示する。
 近衛兵たちは、今にも飛びかかりそうなトビアス殿下を囲うと、謁見の間から退場させる。
「マティアス、貴様!」と、叫びながら、その場を後にするトビアス殿下に、一時でも王太子教育を受けた人なのだろうかと、疑問に思う。
 王族としての品位がなさすぎる。
 言動もそうだが、成人していない弟に尻拭いされる大人ってどうなんだ。
 それにこの問題児が、国の代表として各国の使者に会っている事実に、排除できないエスタニア王国の権力闘争が垣間見える。
 これは一波乱も二波乱もありそうだ。
 関わりたくない。けど、俺、この国の第三王女の婚約者なんだよね。
 あの相談もあるし……詰んだ。確実に詰んだよね、これ。
 武道大会を純粋に楽しみたいだけなのにぃー。
 俺が悶々と心の中で嘆いている間に、トビアス殿下の姿が、謁見の間から消える。
 沈黙と緊張が走る中、その空気を払拭するように優雅に気品あふれる所作で、マティアス王太子殿下が、深々と頭を下げた。

「ユリウス殿下、大変失礼をいたしました。エスタニア王国の王太子として非礼をお詫び申し上げます」
「マティアス殿下、頭を上げてください。今回の件は、双方に非があるので不問としましょう。ただ今後、彼とお会いすることはないでしょう。またディアーナ殿下とアーベル家の四男ジークベルトとの婚約は、両国合意の上での婚約であったと認識しておりましたが、いささか情報に誤りがあったようですね。早急に対応をお願いします」
「はい」
「あぁ、そうだ、忘れるところでした。ディアーナ殿下は、我が国の庇護下であることも、臣下の方々にくれぐれもお忘れなくお伝えください」
「えぇ、もちろんです」

 マティアス王太子殿下は、ユリウス王太子殿下の言葉を肯定しつつ、苦笑いした。
 そりゃー王族でも表情にでちゃうよね。
 ふたりの会話を要約するに、公式、非公式にかかわらず、マンジェスタ王国は、トビアス殿下とは二度と会わない。
 交渉の場に姿を現したら、その瞬間に決裂する。
 事実上の絶縁宣言だ。
 俺たちの婚約は、国同士が合意した上での婚約なので、異議があるなら、それ相応の覚悟があるととるよ。
 それが嫌なら二度と同じことがないよう徹底してね。次はないからね。ということだ。
 そして、ユリウス王太子殿下は、臣下たちのディアーナへの態度にも言及した。
 マンジェスタ王国の庇護下であると公式の場で宣言することで、ディアーナの立場が明確となり、今までと同じ対応ができなくなった。
 殿下の気遣いに、胸のつかえが下りる。
 両国は、改めて正式な訪問の挨拶を交わし、お互いの国の情報を交換、次回の会談を約束する。

「エスタニア国王に代わり、今回の訪問歓迎いたします。我が国は、マンジェスタ王国一行を歓迎いたします」

 マティアス王太子殿下がそう宣言して、その場を締める。
 こうして、両国の挨拶は終了した。
 退出するマンジェスタ王国一行に、マティアス王太子殿下が声をかける。

「ユリウス殿下、妹ディアーナとジークベルト殿と個人的に話がしたいのですが、よろしいですか」
「すでに挨拶は終了しました。あとは個人の自由です。私どもが関与することはありません」
「感謝します」

 要するに、非公式に会うのはいいよ。だけどマンジェスタ王国はいっさい関わらないからそのつもりでね。とのことのようだ。
 王族の言葉って、本当に面倒だよね。