コンビニバイト店員ですが、実は特殊公安警察やってます(『僕らの目に見えている世界のこと』より改題)

「いらっしゃいませ」

俺の知らない誰かの顔を模したアンドロイドが働いている。

いづみの置き土産のそれは、無人の店内でもプログラムされた作業を淡々とこなしていた。

コンビニ業務用の補助システムは残してくれてあるということか。

レジ裏のバックヤードから地下の基地へ下りる。

竹内は背を向けたまま、じっとキーボードに指を踊らせていた。

「無防備に入ってくんなよ」

「コンビニとその周辺に客がいないことは、監視カメラで把握している」

「飯塚さんのことはどうすんだよ」

俺は竹内の横に腰を下ろした。

「どうせ何をしたって本部には筒抜けなんだ。問題ない」

舌打ちが聞こえる。

このタイミングで淹れたてのコーヒーが自走式台車ロボで運ばれてくるってことは、お前だって俺が来ることを知っていたくせに。

「天命のシステムは?」

「堂々とは使えねーよ」

「じゃあどうやって」

「支部は閉鎖されても、隊員資格が停止されているわけじゃない。お前と同じやり方だよ」

熱すぎるコーヒーに、舌はやけどしそうだ。

「隊長の様子はどうだ」

「お前ホント、そんな態度だといつか殺されるぞ」

隊長は飯塚さんを追っている。

どれだけ俺たちがあがいたところで、隊長にはかなわない。

「なぁ、飯塚さんを直接追うより、飯塚さんを追いかけている隊長を追う方が、確実なんじゃないのか」

振り返った竹内の眉根は、思いっきり寄っている。

「そうすれば、ほぼ同じタイミングであの人を見つけられるし……、逆手にとられて、失敗することもない」

さっきの飯塚さんの接触には、きっと何かの仕掛けがあるんだ。

そんなことにぼんやりと俺は、ようやく気づいた気がする。

バカなことをした。

竹内は俺から視線を戻すと、コーヒーをすすった。

「あの通信な、つながった瞬間、隊長ブチ切れてたぞ。お前から行っただろ」

隊長の位置情報は、隊長自身がそのアクセスを拒否しない限りいつでも確認できた。

街の大通りを北西の方角に向かっている。

移動速度42.8km/h。車かバイクか。
「山? 山の方だな」

俺が初めての任務に関わった場所に近い。

移動する自販機が電線に絡みつき、辺り一帯を停電させた。

あの時はすぐこの後ろに、あの人がいたのに……。

竹内は首をかしげる。

「電波の届かないところ? だけど、今時そんなところなんて……」

「妨害電波を出しても、人がいなければ周囲に気づかれることもない。人気のないところを選んでいる可能性はある」

突然、隊長の位置を示す表示がマップから消えた。

「ん? これは自分で消した? それとも消された?」

竹内はシステム上での捜索を始めようとしている。

本部では特に騒いでいる様子もない。

隊長自身の特殊任務を考えると、こんな端くれの一般隊員から情報を秘匿することなんて、別に珍しいことでもなんでもないのだろう。

「待って。これは緊急事態だよ、使えるじゃないか」

突然そう言い放った俺を、竹内は不思議そうに見上げる。

「隊長が行方不明となった。我々は至急、救出作戦を実行する」

俺たちは飯塚さんを追うんじゃない、隊長を救出しに行くんだ。

それならば隊員行動規範にだって違反しない。

竹内は呆れたように頭を横に振った。

「そんないいわけ、通用するとは思えないけどな」

「どうせ俺たちは不出来なバカなんだから、バカでいいんだよ」

竹内はため息をついた。

ガタガタと立ち上がり、骨張った細い体で眼鏡ごしににらみつける。

「で、どうするつもりだ」

「……どうしよう」

竹内は空になったカップを洗い始めた。

その隣にカップを置くと、黙って一緒に洗ってくれる。

「お前お得意のノープラン作戦?」

「……ダメ、かな?」

「無理だろ。やめだ、やめ。もう少しちゃんと考えてから動こう。また失敗を繰り返したくはないだろ」

洗い終わったカップを水切り棚に並べる。

俺たちは同時にため息をついた。
散々話合いをするも結局結論はでず、明け方を十分に過ぎてからようやく帰宅した。

とっくに俺への関心を失った父は仕事に出かけ、都庁勤めのよく出来た姉は、ピシッと決めたスーツに身を包んでいる。

「重人はまた昼夜逆転生活してんの? コンビニのバイトはいつまで続ける気なのよ」

ヘアスプレーの匂いがプンプンする。

ガーガーうるさいドライヤー越しに文句を言われても、無視してていいのは助かる。

「朝ご飯、食べる?」

遠慮がちな母の声に、俺はなんとなくちゃぶ台の前に座った。

「ふん。お金かけて大学院まで行っても、ニートしてりゃあ意味ないわよね!」

行ってきますという捨て台詞を残して、姉は出て行った。

成績優秀でスポーツ万能、姉と同様に自慢の息子だったはずの俺は、この家ではもはや腫れ物でしかない。

「午後からちょっとお客さんが来るから、あんたは二階にいなさいね」

そう言って母も座った。

朝のワイドショーは、平和な世界の象徴のようで、都庁改修工事にまつわる裏金と献金問題について語っている。

「母さんはこれからパートに行くから、食べ終わったら食洗機に入れておいてね」

姉の初任給で買った食洗機のスタートボタンを押すこと。

それだけがこの家で俺に与えられた、唯一の仕事だった。

家族みんなで食事をというのは、俺を二階から下ろすための母の言い訳でしかない。

いつも皆が食べ終わった後に飯を食い、その後始末をしている。

本当の職業は、家族にすら秘密にされていた。

仕方無いとは思うけど、さみしくはないかと聞かれれば、少しさみしい。

卵焼きにわかめと豆腐の味噌汁という、我が家の朝の定番を流し込んだ。
飯塚さんの潜伏先を想定しようにも、何も思いつかなかった。

過去の行動記録から予測するなんてことは、とっくに本部のAIがやっているだろう。

それでも見つけられないとなると、もう手の打ちようがない。

いそいそと出かける母も見送って、ようやく家の中は静かになった。

食洗機のスタートボタンを押して二階に上がると、パソコン前で寝転がる。

昨夜、夜通し竹内と話し合い、出てきた答えはなにもない。

確かに人間の声であるのに、無機質に読み上げられた声明文がまだ耳に残る。

どうしてこんな反乱を起こそうとしたのか。

あの人の孤独と悲しみは、どこにあったのだろう。

4畳半PCルームのかび臭さまで、そのまま俺に染みこんでくるようだ。

いつの間にかうとうととして、ふと階下から聞こえる声に目を覚ました。

母の声と共に、聞き慣れない男女の声が聞こえる。

気がつけば時計は15時を回っていた。

来客があると言っていたのは、このことか。

上半身を起こして、凝り固まった体をほぐす。

ふいに窓の外に、黒い影が横切った。

その影はひさしの上にぴょんととまって、跳びはねる。

「……R38?」

俺は慎重にガラス窓を開けた。

背中に小さなボックスを背負った、一羽のカラスがとまっている。

俺に個体の区別はつかない。

もしこれが本当にR38なら……。

「おいで」

そう言いながらも、慎重にマウスを操作した。

R38はいづみに訓練された特別なカラスだ。

人語を解し、翻訳機を通して意志疎通出来る。

その研究を行っていたいづみは、飯塚さんと姿を消した。

間違いなく行動を共にしている。

R38への行動指示は、いづみだけの特権事項ではない。

俺にだってやろうと思えば、黒い羽根はなくてもあのボックスを介して出来る仕組みだ。
カチッというマウスの立てた音に、R38は首を傾ける。

まさかパソコン画面に映るコードまで理解出来るとは思えないが、背中のボックスにはカメラが搭載されていた。

もしそれでいづみか飯塚さんがこちらを見ているとしたら……。

俺は操作していた画面を閉じる。

「いい子だね、おいで」

そっと手を伸ばす。

カラスはひさしから、ぴょんと窓際の3Dプリンターに跳び移った。

「なぁ、お前に聞きたいことがあるんだ。俺のことは分かるよな。……ね、どっから来た? 今は、どこにいるの?」

R38と思われるカラスは、もう一度首を傾けた。

手を伸ばしそっと近づける。

このまま捕まえられるとは思はないが、どうしたらその背に負ったボックスをこちらに渡してもらえるだろうか。

そこには行動記録や録音録画データ、発信器等々、貴重な情報が詰まっている。

彼は近づいてくる俺の手に警戒している。

それをゆっくりと引っ込めると、黒い眼は今度はそれを追いかけた。

「怖くないよ。大丈夫だから、こっちへおいで」

かぎ爪はプラスチックの機器に当たって、カチカチと音を立てる。

R38と目が合う。

「いい子だ……」

カラスの首が傾いた。

バチン! 

その瞬間、部屋の電源は落ちる。

「うわぁっ!」

真っ黒になった画面に飛びついた。

カラスは驚き逃げ去る。

だが今はそれどころじゃない。

慌てて窓から周囲を確認してみても、変わった様子は見られない。

俺は配電盤まで駆け下りた。
玄関には、孫の手を持った母が立っていた。

50代と思われる女性がその母に寄り添い、そのすぐ側にいる30代な感じの男とも目が合う。

「電源をわざと落としたのか!」

「私の指示で、お母さまがあなたのお部屋のブレーカーを落としました」

「はぁ? ふざけんなよ!」

女に代わって男がにじり寄る。

「あなたのお母さまが、本当にこんなことをやりたくて、やっていると思いますか?」

間髪入れず、母はしくしくと泣き出した。

「ご、ごめんね重人。すぐに元に戻すからね」

母から孫の手を受け取った女は、ブレーカーを元に戻した。

得意げかつ毅然とした態度で俺を振り返る。

「余計なことするなって! 俺の心配は無用だ!」

「確かに。あまりいい手段だと私も思ってはいませんが、お母さまと相談した上で決めました」

その身勝手な軽率さに、俺は盛大なため息をつく。

このパソコンが今の俺にとって、唯一の武器であり手段なのに!

「だって、重人はずっと家に引きこもってパソコンばかり……」

「仕事だって言ってるだろ!」

「なんの仕事よ!」

「……自宅、警備……」

「あなたに守ってもらわなくても、ちゃんとお巡りさんがいます!」

俺もその警視庁の一員なんですけど! とは、口が裂けても言えない。

俺は今、こんなところで足を引っ張られている場合じゃないのに!

「重人くん、君には価値がある。人生の物差しは一つではないのよ」

男の手が肩にのり、女はさらにたたみかける。

「家に引きこもってばかりいないで、生きる本当の意味を見つけて。ね?」

この二人は、精神保健福祉センターから派遣された家庭問題専門のカウンセラーらしい。
「君にはまだまだ、沢山の夢や希望、可能性があふれているんだ」

「何でもいいのよ、出来る事からの一歩を、まずは始めましょ」

「重人、お願い!」

がっくりと力が抜ける。

物語の覆面工作員はみんなヒーローだなんて、絶対にウソだ。

戦意を完全に失った俺は、結局そのまま説教なのか説得なのかよく分からない話を延々と聞かされる。

じっと正座して話を聞くことに慣れていないので、足が痛い。

2、3時間はしゃべり続けて、母はようやく満足したらしい。

我が家に侵入することを許してしまった恐るべきエージェントたちは、きっちりと仕事をこなし、それを見届けてから姿を消した。

仕方なく母に付き合って家事を手伝い、よく分からない連続ドラマの続きを一緒に見る。

姉と母がごちゃごちゃ言っているのを、後ろで黙って父とみていた。

グラスに入ったビールが差し出される。

そう言えば酒を飲むのも、久しぶりのような気がするな。

父自身は、缶から直接飲んでるくせに。

片付けと風呂まで済ませ、ようやく二階に戻れた時には、22時を回っていた。

開け放したままの窓から侵入した夜の空気は、すっかり部屋を侵食している。

パソコンを強制終了から立ち上げるには時間がかかる。

泣きたくなるような気分を押し殺し、電源を入れようとして、やめた。

「やってられるかよ、今からトラブルシューティングなんて……」

これで俺のPCと端末はしばらく使えない。

こんなところに伏兵がいただなんて、だれが想像する? 

静まりかえった機器たちを残し、俺は久しぶりに隣の部屋のベッドに入って、ぐっすりと眠った。
ふてくされた気分のままふらふらとコンビニに入り、竹内と二人だけになってしまった地下の基地に潜る。

店の営業はフルオートメーション化されているし、コンビニ業務用アンドロイドも稼働しているので問題ない。

現在動いているのは、全て本部から支給され、竹内がコードを書き換えた機体だけだ。

いづみの作成したアンドロイドは、全て回収されてしまった。

なにが仕込まれているのか分からない。

情報漏洩を避けるためには必要な措置だった。

「全く、たまんねーよ」

俺は悪態をついたまま、唯一の生体となった竹内の隣に座る。

「あぁそうだな。電源を落とすなんて最低だ」

彼は険しい顔つきのまま、パソコン操作を続けている。

竹内はなんだかんだで、まだ過去ログから飯塚さんを追っていた。

同時に隊長の動きもマークしているんだから、そのスペックの高さには感心する。

天命の中もすでに自由自在だ。

「無期限停止」とは、本当に無期限な時間のことだったらしい。

「このニートとかフリーターって身分、なんとかならねーのかな」

「仕方ないだろ。俺らはいわゆる、公儀隠密なんだから」

竹内は一人でこの基地の二階に住み、サーバーも共有しているんだ。

そもそもの技術的基礎能力値が、俺のとは全く違う。

だから当たり前なのか。

コイツだけ許されているのも。

うちみたいな、あんなバカな邪魔もはいらないだろうし……。

「この仕事に就けば、誰もが通る道だ」

竹内はキーボードの隅を骨張った指でコツコツと叩く。

パソコンを前にすれば、この指先だけは別の生き物のようにいつも跳ね回っているのに、今はそれが華麗に踊らない。

様子がおかしい。
「どうかしたのか?」

「いや、……何でもない。多分気のせいだ」

再びキーボードに指がのった。

動き出そうとした瞬間、彼はガタリと立ち上がる。

「マズい! フリーズする!」

メインディスプレイは暴走を始める。

やがてそれは、静かにシャットダウンしていく。

竹内は両拳をドンと叩きつけた。

「くそっ、システムダウンだ!」

真っ青になった竹内の額から、ねっとりとした汗が流れ落ちた。

「天命のセキュリティが破られるなんてことは、絶対にあり得ないんだよ! トラブル? ハッキング? あの気の狂った精鋭部隊がか!」

「はは、お前のアカウントが停止させられただけじゃないのか? 絶対不可侵、唯我独尊、超ドSなオレ様仕様だから『天命』って名前なんじゃないの?」

「その天命が緊急強制終了したんだ! 機能停止だ!」

竹内は親指をぐっとかみしめる。

その指はイライラとドズ黒く変色してゆく。

「やっぱり気のせいなんてありえなかった。そんなものはこの世に存在しないんだ。あの違和感を見過ごしてはダメなんだ」

ブツブツと続ける竹内の端末が鳴った。

民間システムを経由しての隊長からの連絡に、俺たちの心臓は止まる。

それがどれだけの非常事態だということを示しているか。

どこで傍受されているか分からないそれに、竹内は細心の注意を払う。

「エリアマネージャー」

俺たちはコンビニ店員だ。

「調子はどうだ」

「発注システムがダウンしたんですか?」

「メンテナンスは入った。すぐに復旧する」

それは『復旧する』という事実ではなく、『させる』という隊長の意地だ。

「お前らは通常勤務を続けろ」

 通信は切れた。

竹内は今までにないほど動揺している。