「片付けが終わったという報告がまだだ。さっさと自分の仕事を済ませろ」
沈黙がその場を支配する。
襟元のマイクだけが、常に何かを伝えていた。
隊長の細く鋭い眼光が、慎重にあたりを警戒している。
竹内はふいに頭を下げた。
「報告を怠り、すみませんでした」
「違います! 俺が勝手にわがままを……」
駆け寄って一緒に謝ろうとした俺を、彼は静かに、だけど力強く押しのける。
「お願いします。俺が探したいんです。どうして俺を置いていったのか、それが聞きたいんです」
「ダメだ。お前の居場所は、あのコンビニだ」
隊長は腕の自治会腕章を外した。
歩き出す。
口元が動いているのは、次の現場への指示を出しているからだろう。
竹内は動けなくなってしまった。
「待ってください! 隊長が見張りに来てるってことは、やっぱりこの噴水は再建されたってことじゃないんですか? 宣戦布告として破壊され、そのまま放置しているのであれば、こんなところに興味はないはずです」
地面から這い出してきたばかりの虫が鳴いている。
そう言った俺を、隊長はじっと見下ろした。
やがて、ふと視線をそらす。
「いいだろう。お前たちにも手伝わせてやる。正直、人手はいくらあっても足りない」
隊長は竹内を振り返った。
「ただし、他の部隊の手をわずらわせるな。03の一番近くにいた奴らに、何とも思わないのがいないわけではない」
「ありがとうございます」
俺が頭を下げると、竹内も一緒に頭を下げた。
「05、お前の悪いくせだ」
今度こそ本当に、隊長は歩き出した。
残された闇の中で、その姿を静かに見送る。
帰り道、深夜の幹線道路をぶっ飛ばした。
竹内は一言も口を利かなかった。
翌朝、俺がコンビニに出勤してきた時には、竹内はすでに仕事の鬼と化していた。
小型の壁面走行ロボットが無数に地下室を這い回っている。
天井も壁も自由自在だ。
彼らはその吸引能力によって壁に吸い付く。
それを改造したお掃除ロボットが、地下基地の内部をすっかりきれいにしていた。
実験道具類も全てドラフトチャンバーに放り込まれ、照射滅菌されている。
細かな実験器具の清掃用に開発されたロボット2台が、超純水装置で精製されたH2Oを順番に注ぎ、乾燥機に収納していた。
「全部、一晩でコード変更したのか?」
竹内はその指をキーボードに踊らせたまま答えた。
「まぁ、ちょこっと書き換えるくらいだから……」
ようやくこちらに顔を向ける。
その顔は元々やつれたような顔をしているので、本当にそうなのかどうかは、俺には分からない。
「そんなことより、頼みたいことがあるんだ」
竹内は俺を、司令台メインコンピュータの自分の隣に座らせる。
「これが、俺がとりあえず特定してみた飯塚さんのものと思われるログだ。この足跡を追ってほしい」
「そんなこと、本部でもやってるんじゃないのか?」
「もちろんそうだと思う。だけどな、世界にはあの飯塚さんの映像は、やっぱり国営放送のメインに潜り込み、デジタル動画そのものを無理矢理書き換えて変換したということに、気づいてる奴らがいる。今そこで巻き起こっているのは、動画そのものを差し込んだのか、動画のフレーム一枚一枚を書き換えたのかということだ」
「リアルに撮影されたか、フェイク動画かってことか。そんなもの、ファイル変換されていたら同質になってしまうのに、意味はないんじゃないか?」
「そうなんだけど、これを見てくれ」
ディスプレイに映し出されたのは、いわゆる匿名交流サイトの書き込みだった。
「本部が追っているのは、あくまで天命に乗り込んできた足跡だ。民間のログまでは追っていない。追っている余裕がない」
「これを追いかけていけば、リアルな居場所が分かるかもしれないってことか」
「そうだ。IPアドレスから実際の居所が分かる。天命の性能をつかって、俺たちは本部の逆サイドからログを追うんだ」
竹内と目が合う。
「手伝ってくれないか」
それは狩りをするような気分だった。
狩猟採集生活。
何もないデジタルの荒野を彷徨い、その痕跡を地道に追いかける。
見つけたと思ったら見当違いだったり、気がつけば全く違う所にたどり着いたりしていた。
日は沈み、また登ることを繰り返す。
本部は繰り返される天命への不正アクセス防衛に手一杯だった。
普段からそんなことはやり慣れてはいたが、今はハッカーサイドに飯塚さんがいる。
特定の許可制ネットサロンに、その手口を全て漏らしていた。
「飯塚さんは、世界中のハッカーたちをランダムに自分の仲間にしたっていうことか」
「そうだ。技術力もバラバラ、組織化もされていない世界中のハッカーたちが、今や好き勝手に天命を攻撃している」
IF03。
「もしさん」と呼ばれるそのアカウントを特定することは、不可能に等しかった。
それでも書き込みの内容から推測して、飯塚さんであることは疑いようはない。
俺はコンビニに泊まり込むようになり、竹内の顔ははっきりとやつれ始めた。
二人の打ち込むキーボードの音だけが地下に響く。
「ん? どうした、何が起こった?」
そのキーボードが、突然無効化された。
入力したはずの文字が画面に反映されない。
「どういうこと? CPU? 濡れた基板?」
俺と竹内は、パッと手をそこから離す。
「基板は全て取り替えた。問題はない」
竹内がそう言い終わるか終わらないうちに、メインサーバーは動き出した。
どろりと鈍くなった動き方で、画面が切り替わる。
「ちょ、どういうこと?」
突然巨大ディスプレイに、防犯カメラからの地下基地内部が映し出された。
俺たちは画面の中の自分と遭遇する。
その様子は全世界にネット配信されていた。
俺は電源ボタンに手を伸ばす。
だけどそれは俺の触れるよりも早く、プツンと途切れた。
竹内の端末は瞬時に鳴り響く。
「今のでお前たちの姿もその支部も、全て知れ渡ったと思え。もはや安全は保証できない」
隊長の声が、脳に直接響く。
「警視庁サイバー攻撃特別捜査対応専門機動部隊久谷支部は、ただいまをもって無期限停止処分とする。以上」
支部のメインコンピュータは、静かにその機能を停止した。
コントロールを失った壁面走行ロボットは、ゴトリと床に転げ落ちた。
いつの間にか世界は、夕方と呼ばれる時間帯になっていた。
暮れかけた太陽に、朱くそまった空を見上げる。
帰る道すがら全ての赤信号に引っかかったことが、余計に俺をイライラさせていた。
「あら重人、今日はもう帰ってきたの? 早かったわねー」
「もしかしてバイト首になったぁ~?」
帰宅した俺にちょっかいを出してくる母と姉の言葉を全て無視して、二階に上がる。
スペックは段違いに劣るが、支部を閉鎖されてもなお個人アカウントとして天命にアクセスできる家のパソコンは、もはや唯一の武器だ。
飯塚さんがこのシステムのどこかに侵入し、利用していることは間違いない。
あの人を探すなら、やはり本部もとっているこの方法しかありえない。
そう思って起ち上げたのに、数日ぶりに起動したそれは、更新画面に移りぐるぐると渦をまいている。
俺はあきらめてその場に寝転がった。
スチールラックの上に、黒い人形は姿勢良く正しく座っている。
その青い目を見上げた。
この人形は、飯塚さんとの通信機器だった。
コンビニの地下基地を水没させてから、すでに14日が経過している。
隊長の手によりフェイク動画として片付けられた事件を、語る人間はもう世界にはいない。
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
こんな本当のような嘘の情報で、簡単に飯塚さんの存在は消されてしまうのか?
隊長の執拗な追撃から逃れるため、飯塚さんは完全に姿を消した。
街にあふれる監視カメラ、軍事衛星、あらゆる支払いにおける電子決済の記録、AIによる自動監視システムに加え、優秀な頭脳と経験を持つ本部所属の隊員たちが総力をあげて探そうとしても、その痕跡すら見つけられない。
IF03。
このアカウントが飯塚さんであると、隊長は絶対に気づいている。
俺と竹内はもう何度もこのアカウントに接触を試みては、失敗していた。
どうすればあの人を救えるのだろう。
「もしさん……か」
黒いレースの人形の目が、ぐるりと動いたような気がした。
入隊試験のパスワードを解いた瞬間、部隊から直接送られて来たものだ。
この人形は、いつも飯塚さん側から発信した電波をキャッチしていて、俺からかけてみたことはない。
もちろんそのやり方は知っているけれども……。
再起動したばかりのパソコンを操作する。
回線は、ふいにつながった。
「飯塚さん!」
「やぁ重人、元気にしてたか?」
何度も何度も打診しては切られていたアクセスが、ようやくつながった。
飯塚さんの生の声が、久しぶりに鼓膜をくすぐる。
俺は人形に向かって話しかけた。
「なにやってるんですか、帰ってきてくださいよ!」
「はは、俺に直接連絡しようなんて、相変わらずお前らしいな」
その声は、何一つ変わっていないのに……。
「みんな待っています。心配しています。飯塚さんのいない久谷支部だなんて、コンビニとしても役に立ちません」
「そうやって言ってくれるのは、重人、お前くらいだよ」
音声が乱れる。
通信は傍受されている。
そんな危険は、お互いに百も承知だ。
「待ってください!」
このままでは通話は途切れてしまう。
言いたいことも聞きたいことも、山ほどあった。
「飯塚さん。さっき支部PCの……」
「常識を疑え。あらゆる可能性を想定しろ。世界は想像を以上に不思議なことであふれている」
息が詰まる。
今はそんな話で、貴重な時間を無駄にしたくはない。
「自分の目で見たものだけを信じるんだ」
「飯塚さんは、そこに幸福な世界は見えていますか?」
「……その質問には、答えようがないな」
通信は途切れた。
部隊に伝わる、新人に送る伝統の言葉だ。
『君の見るこれからの世界が、幸福であることを祈る』と続く。
タブレット端末の呼び出しが鳴った。
隊長だ。
「なぜ切れた」
「俺じゃありません。飯塚さんの方から……」
「ログを追う。お前は手を出すな」
自分の声が湿っている。
そのことに自分では気づいても、あの隊長にはバレなかっただろうか。
滲みだした鼻水をティッシュでかんだ。
隊長の指示が出た瞬間、再起動して生まれ変わったばかりのパソコンは、機械らしく機械的に役割を変えた。
自分で組み立てたはずの機器なのに、この子はもう俺のものではない。
部隊によって遠隔操作されているのは百も承知だが、あっさりと裏切るようなその行為を、簡単に飲み込むことは出来ない。
カタカタと元気よく動き始めたその姿は、全く違う別の生き物のようだ。
その逆心的な行為に耐えられず、俺はふらりと外へ抜け出した。
ひんやりと肌寒い夜の中を歩く。
夜が優しいと感じるのは、嫌なものを少しだけ見えにくくしてくれているせいだ。
ポケットの端末は、コンビニ支部の紐付けから個人PCに切り替えた。
処理速度と能力は落ちても、まだ俺のためだけに動こうとしてくれている。
交通規制課のシステムに侵入し、再設定したアプリに自分の位置情報を入れれば、もう信号機に引っかかることもない。
目の前の信号はタイミングよく青に変わった。
そんなやり方を教えてくれたのも、飯塚さんだった。
俺はそれ以来一度も、歩行中の赤信号にひっかかったことはない。
電子の魔術師と呼ばれた最高の上官だ。
計算しやすい歩く速度も教えてくれた。
体に染みこんだその歩幅で、コンビニ通りへ出る。
その一定の速度を保ったまま、四辻の交差点を渡った。
「いらっしゃいませ」
俺の知らない誰かの顔を模したアンドロイドが働いている。
いづみの置き土産のそれは、無人の店内でもプログラムされた作業を淡々とこなしていた。
コンビニ業務用の補助システムは残してくれてあるということか。
レジ裏のバックヤードから地下の基地へ下りる。
竹内は背を向けたまま、じっとキーボードに指を踊らせていた。
「無防備に入ってくんなよ」
「コンビニとその周辺に客がいないことは、監視カメラで把握している」
「飯塚さんのことはどうすんだよ」
俺は竹内の横に腰を下ろした。
「どうせ何をしたって本部には筒抜けなんだ。問題ない」
舌打ちが聞こえる。
このタイミングで淹れたてのコーヒーが自走式台車ロボで運ばれてくるってことは、お前だって俺が来ることを知っていたくせに。
「天命のシステムは?」
「堂々とは使えねーよ」
「じゃあどうやって」
「支部は閉鎖されても、隊員資格が停止されているわけじゃない。お前と同じやり方だよ」
熱すぎるコーヒーに、舌はやけどしそうだ。
「隊長の様子はどうだ」
「お前ホント、そんな態度だといつか殺されるぞ」
隊長は飯塚さんを追っている。
どれだけ俺たちがあがいたところで、隊長にはかなわない。
「なぁ、飯塚さんを直接追うより、飯塚さんを追いかけている隊長を追う方が、確実なんじゃないのか」
振り返った竹内の眉根は、思いっきり寄っている。
「そうすれば、ほぼ同じタイミングであの人を見つけられるし……、逆手にとられて、失敗することもない」
さっきの飯塚さんの接触には、きっと何かの仕掛けがあるんだ。
そんなことにぼんやりと俺は、ようやく気づいた気がする。
バカなことをした。
竹内は俺から視線を戻すと、コーヒーをすすった。
「あの通信な、つながった瞬間、隊長ブチ切れてたぞ。お前から行っただろ」
隊長の位置情報は、隊長自身がそのアクセスを拒否しない限りいつでも確認できた。
街の大通りを北西の方角に向かっている。
移動速度42.8km/h。車かバイクか。
「山? 山の方だな」
俺が初めての任務に関わった場所に近い。
移動する自販機が電線に絡みつき、辺り一帯を停電させた。
あの時はすぐこの後ろに、あの人がいたのに……。
竹内は首をかしげる。
「電波の届かないところ? だけど、今時そんなところなんて……」
「妨害電波を出しても、人がいなければ周囲に気づかれることもない。人気のないところを選んでいる可能性はある」
突然、隊長の位置を示す表示がマップから消えた。
「ん? これは自分で消した? それとも消された?」
竹内はシステム上での捜索を始めようとしている。
本部では特に騒いでいる様子もない。
隊長自身の特殊任務を考えると、こんな端くれの一般隊員から情報を秘匿することなんて、別に珍しいことでもなんでもないのだろう。
「待って。これは緊急事態だよ、使えるじゃないか」
突然そう言い放った俺を、竹内は不思議そうに見上げる。
「隊長が行方不明となった。我々は至急、救出作戦を実行する」
俺たちは飯塚さんを追うんじゃない、隊長を救出しに行くんだ。
それならば隊員行動規範にだって違反しない。
竹内は呆れたように頭を横に振った。
「そんないいわけ、通用するとは思えないけどな」
「どうせ俺たちは不出来なバカなんだから、バカでいいんだよ」
竹内はため息をついた。
ガタガタと立ち上がり、骨張った細い体で眼鏡ごしににらみつける。
「で、どうするつもりだ」
「……どうしよう」
竹内は空になったカップを洗い始めた。
その隣にカップを置くと、黙って一緒に洗ってくれる。
「お前お得意のノープラン作戦?」
「……ダメ、かな?」
「無理だろ。やめだ、やめ。もう少しちゃんと考えてから動こう。また失敗を繰り返したくはないだろ」
洗い終わったカップを水切り棚に並べる。
俺たちは同時にため息をついた。