コンビニバイト店員ですが、実は特殊公安警察やってます(『僕らの目に見えている世界のこと』より改題)

竹内は表情なくつぶやく。

「隊長はもう、飯塚さんの元へ向かっている。捕まるのは、時間の問題だ」

「お前は飯塚さんを助けたくないのかよ!」

俺の手は、竹内の胸ぐらをつかんでいた。

強く引き寄せたはずのそれを、竹内は静かに押しのける。

「ふざけんな。児童養護施設で育った孤児を、見つけ出したのは隊長で、育てたのは飯塚さんだ。お前なんかと一緒にするな」

彼は表情のないまま、自作の掃除ロボをひっくり返した。

表面を繊維くずの出ない特殊な紙で拭き取る。

いづみの作動させたスプリンクラーで、全体がしっとりと濡れている。

司令台のある地下1階は、床にまで水は来ていなかった。

「分かったら、お前もさっさと片付けを始めろ。イチイチ指示がないと動けないとか、子供みたいなこと言ってんじゃねーぞ」

「……飯塚さんを、探しに行こう」

「うるせぇ、言われたことをやっとけ」

ここは地下室だ。

窓は何一つなく、空気は排気ダクトを通じて入れ替わる。

籠もってしまったこの湿度は、どこへたどりつくのだろう。

ふいに巨大ディスプレイが点灯する。

それは国営放送からのテレビ中継に切り替わった。

ニュース始まりの、よく見る緑と街の風景を映し出す。

静かな音楽が流れ始めたかと思うと、画面が切り替わる。

どこかの公園の、何でもない噴水が映し出された。

文書読み上げ機能から発せられた声が響く。

「易姓革命、禅譲放伐の世において、天の命ずるを性と謂い、性に率うを道と謂うなれば、我、道を修むるを問う」

ドンッ! という衝撃で、画像が揺れる。

カメラから見切れるほど吹き出した圧倒的水量に、すぐに映像は途切れた。

「あぁ……飯塚さん。あなたは本当に、もうここへは戻ってこないつもりなんですね……」

竹内はガクリと肩を落とす。

警報が鳴り響く。

襟元のマイクから、隊長の指示を出す声が聞こえる。

俺は、地下から抜け出した。
閑静な住宅街を、俺は全速力で駆け抜ける。

先ほどのテレビ中継は録画されている。

噴水を撮影していたカメラは、破壊の衝撃で揺れていた。

つまりそれは、部隊の衛星画像を使用しているのではない、ということだ。

あの人は近くにいる。

俺が昨夜からつい数時間前まで見ていたのは、水道局の管理システムだ。

噴水のある公園は限られている。

そしてこの噴水への攻撃は、一ヶ所だけのことではない。

この管理システム下に置かれたすべの噴水に、攻撃が行われたはずだ。

このコンビニの近くにも、マークされた公園はある。

入り口の門を駆け抜ける。

マップは頭に入っていた。

流水音が聞こえる。

しまった。

図面だけではなく、航空写真でも実物を確認してから来ればよかった。

自然の石を積み上げて作られたそのビオトープ型の児童公園は、先ほどの映像で破壊された噴水とは、似ても似つかないものだった。

滝を模した岩の間から、ちょろちょろと水が流れている。

ぐっと俺の肩をつかんだのは、隊長の手だった。

「なぜ急に移動した。ここに何がある!」

「……多分、何もありません」

「多分とは何だ。答えろ」

竹内まで追いかけて来た。

「重人、お前なにやってんだよ!」

「……飯塚さんが破壊したのが、ここの噴水かと思ったんだ」

竹内はため息をつく。

すぐにポケットから端末を取り出した。

「お前、さっきまで何を見ていたんだよ。確かに急に流水量が増えたのはうちのコンビニ前の水道局が破壊されたからだ。だからって、同じ管轄の噴水が壊されたと、どうして断言出来る?」

ごつごつと細いくせに骨張った指は、その太さにもかかわらず正確に画面をタップしていく。

それを俺に向けた。

「一体、一日で何件の水道管破裂事故が起こってると思ってんだよ。そんな珍しいもんじゃない」

「違う。そうじゃなかった」

俺の見た画面とは、違う。
「何がだよ」

竹内は飯塚さんの破壊した噴水の画像を切り出すと、それを画像ごと検索にかける。

「ほら、公園が特定できたぞ。それでどうするんだ?」

「……行ってみよう」

竹内からの返事はない。

頭上でカラスが鳴いた。

隊長は俺たちに背を向ける。

「バカ。さっき隊長からなんて言われた。俺たちに与えられた任務は、今は『片付け』だ」

俺は竹内の目をのぞき込む。

彼は表情を殺したまま、うつむいた。

「そしてその指示を受けたのは俺だ。お前は俺の指示に従わなくちゃいけない。戻るぞ。支部をきれいに片付けてから、次の指示を待つんだ」

竹内まで背を向ける。

俺は、このままでは終われない。

「隊長!」

振り向いたその鋭い眼光を、精一杯見上げた。

「行かせてください。俺は、俺はどうしても飯塚さんを助けたいんです!」

「俺がお前をここに追いかけて来た理由が分かるか?」

「飯塚さんがいると思ったからじゃないですか?」

自分でも、無駄に食ってかかっているということは、分かっている。

「あぁ、そうだ。お前が03の仲間で、そこに連れて行ってくれると思ったからだ」

隊長の端末が振動している。

それを取り出すと、画面を操作し始めた。

「だがお前みたいな間抜けは、さすがのあいつにもその選択肢には入らなかったらしい。05の言うことが聞こえなかったか。さっさと指示に従え」

隊長は立ち去る。

俺は竹内を振り返った。

「『イチイチ指示がないと動けないとか、子供みたいなこと言ってんじゃねーぞ』って、さっきまで言ってたのは誰だよ」

「指示じゃない、あれは『命令』だ」

竹内は歩き出した。

この俺のことを、ゴツゴツの指で指す。

「行くぞ。コンビニ営業も再開させないといけないんだ。本部からの手助けも当分頼れないとなると、マジで2人でやらないといけないんだからな!」

拳を握りしめる。

手のひらに食い込んだ爪で、血がにじんできそうだ。

それでもなお、俺は自分が竹内以上には、何も出来ないことを知っている。

動かしたくはない足を、動きたくもない方向に向かって、動かし始める。
竹内の言葉通り、飯塚さんの追跡に本部はかかりきりになってしまった。

換気ダクトの出力を最大値に設定して、籠もった湿気を外に出す。

サーバーは入れ替えることが決定した。

それだけでも大きな損害を出している。

コンビニは営業停止の張り紙をして、店舗用アンドロイドをお掃除片付けロボに書き換えた。

時間はもう、夜9時をまわっている。

ここにはもういない、飯塚さんといづみの人形も動いていた。

「飯塚さん!」

俺はそれに向かって、大声を上げる。

「はい。なんでしょうか」

『飯塚』と名札のついているアンドロイドは、搭載されたAIで返事を返す。

「いつからこんなことを!」

「つい先ほどです。片付けを優先するようにしています」

「何を考えてんだよ」

「すみません、申し訳ございません」

「……本当に、何考えてんだよ……」

俺はそのロボットの肩に手をかけた。

触れた感触も、人の肩と変わらない。

「申し訳ございません。私にはそれに対する答えを、持ち合わせておりません」

鼻水をすする。

なんだよその答え……。

「答えなんかないさ。あるとしたら、さっさと片付けを終わらせることだ。重人、ちょっとこっち来い」

竹内は支部のメインディスプレイを操作した。

「飯塚さんの電波ジャックは全国放送だった。あの破壊された噴水はすでに民間レベルで特定されている」

ネットは騒然としていた。

破壊された噴水の残骸画像が、世界中にあふれる。

「これ、横浜方面の公園だ」

横浜といっても、ずいぶんと田舎の山奥だ。

人気もなかったのだろう。

特定されるまでに、しばらく時間がかかっている。
「ちょ、待て。飯塚さんは、全国を敵に回したのか?」

「人的被害はゼロだからな。まだ分からん」

だけどこの騒ぎだ。

飯塚さんの残した言葉が、一人歩きを始めている。

儒教、四書のうちの1つ「中庸」の冒頭をもじった言葉だ。

「アリストテレスの西洋哲学では『中庸』をバランスのとれた最適解とするらしい」

じゃあこれが今の飯塚さんにとって、最善の選択だとでもいうのか?

「だけどそれが、選び出したたった1つの答えが、完全なる正解ってわけでもないだろ」

最適化とは、与えられた条件の下で、最大または最小となる答えを出すこと。

「これは数学、微積の問題だ!」

俺の得意分野じゃないか。

ネットの記事が更新される。

とたんにタイムラインの流れは急変した。

『え、噴水壊れてないけど』

『どっこも壊れてませーん!』

破壊される前の、無傷の画像が並ぶ。

「どういうこと?」

竹内はネットのニュースをたどった。

『噴水爆破映像は放送事故』の文字を見つける。

さらなる検索からたどり着いたニュース記事を、もう一度確認した。

『本日○時ちょうどに全国放送された映像は、フェイク動画であったと確認されました。現在、詳細を確認中です』

竹内はその国営放送にチャンネルを合わせる。

公共電波画面でも、真面目な顔をしたアナウンサーははっきりと放送事故だと伝えた。
「このデジタル放送時代に?」

「自主制作の編集された動画が、放送時に紛れ込んだと説明している」

ネットニュースは更新を続ける。

局のスタッフが仲間と作っていた自主制作映画の動画が、誤って放送コードにのってしまったと言っている。

「あれは電波ジャックだったろ!」

俺は支部のPCで天命を検索する。

飯塚さんはその機能を使って、正規の放送枠に割り込んだんだ。

「隊長だよ。隊長の仕業だ」

竹内の声は震えていた。

「飯塚さんの宣戦布告に、隊長は応えた。これで『放送事故』と世間はごまかせても、全国の隊員と飯塚さんには、確実に伝わったはずだ。隊長の意志が。全面対決の始まりだよ」

飯塚さんのアカウント使用許可を取り消しても、イタチごっこだ。

天命を止めるわけにはいかない。

他の業務だってある。

てゆーかこんな対決したところで、そもそも飯塚さんの方が圧倒的に不利だろ。

勝ち目なんて、ない。

「なぁ、竹内。やっぱりこの噴水のところに行かないか。俺は、この目で実際に確かめたい。遠隔操作で爆破していたとしたら、この報道で飯塚さん自身も、本当に爆破出来ていたのか、確かめにくるんじゃないか」

床や壁の拭き取りは終わっていても、細かな実験器具や電子機器の動作確認は終わっていない。

だけど俺は、このままあの人がボロボロに捕まってしまうのを、見たくはない。

「お前が動けないっていうんなら、俺だけでも行くことを許可してくれないか。あっ、それか、今日はもうお終いってことにして、俺はこれからプライベートで勝手に公園に……」

「俺も行くよ」

竹内は盛大なため息をつくと、立ち上がった。

「言っただろ。お前なんかより、どっちが焦ってるかって。あの人をほっとけないのは、お前以上だ」

目が合う。

ニッと笑ったら、竹内はフンと鼻で吹き飛ばしてうつむいた。
深夜の幹線道路を、竹内の運転する車で飛ばす。

現場は山裾をそのまま囲って公園にした森林公園だ。

ほとんど外灯のない暗闇の中を、竹内は迷うことなく歩いて行く。

その後ろを歩く俺は、彼の眼鏡のレンズが実に様々なものを映し出していることを知った。

ただの黒縁眼鏡なんかじゃない。

これが竹内専用の端末モニターだ。

「ここだ」

それは竹内の目には鮮明に見えているのだろうが、俺にはさっぱり見えない。

暗闇に白い何かがあるのだけは分かる。

この公園が造設されたのは、昭和の時代まで遡る。

いま目の前にある立派な噴水は、その当時からあったものなのか、それともこの数時間のうちに入れ替えられたものなのだろうか。

石の年代測定や成分分析をしてもよかった。

だけど破壊前の石の試料がない限り、そんなことをしても意味はない。

破壊前の噴水の資料を調べたが、全体の形は残っていても、その詳細な記録までは分からない。

「この噴水、『本当に』壊されたと思う?」

みかげと言われる白色花崗岩。

どこにでも使われている、よくある石材だ。

「残念だが、今こうしてここに『ある』ということは、『なかった』ことにはならない」

竹内はじっとそれを見つめている。

「今、『ある』のならば、『ある』んだ。それは、壊されたりなんかしていない」

「竹内、お前まで飯塚さんのやったことを、なかったことにしてしまうのか?」

どうやって作り直した? こんな短時間で? 

これは本当のことなのか? 

闇に慣れてきた視界に、白い噴水は浮かび上がる。

飯塚さんが壊したということが、たとえ「嘘」だったとしても、今ここで俺がまたそれを破壊すれば、やっぱりそれは「あった」ことになるんじゃないのか?

部隊支給のタバコを咥える。

本当のタバコなんて、吸ったことはない。

だけど、このタバコが『本当の』タバコであったのならば、爆発なんてしないはずだ。

マニュアルで確認する。

タバコの種類は、フィルターの微妙な色の違いで見分けるらしい。

飯塚さんがあの時にやったのと同じように、火をつけたそれを手にとった。
「重人!」

竹内は叫ぶ。

あたりにはうっそうとした青黒い草がひしめく。

遠い外灯の明かりに、ぼんやりと白く浮かび上がる噴水とその枯れたプールをめがけて、手元の火は赤く揺れた。

「ここは火気厳禁ですよ」

その火を握り潰したのは、隊長だった。

腕に自治会役員の腕章を巻いている。

「なんだか騒ぎになっているようだし、念のために見回りに来てよかった」

隊長はすました顔で微笑む。

握りつぶされた炎は、簡単に崩れ落ちた。

「夜も遅い。野次馬みたいなことしてないで、早く帰りなさい」

「どうやって噴水を元に戻したんですか!」

「はは、何を言っているんだい。ネットの噂なんて、簡単に信じちゃいけないよ」

他人行儀な物言いに、隊長は手袋を外しそれをポケットに突っ込んだ。

簡単に俺に背を向けると、竹内を見下ろす。

「おい。片付けは終わったのか? だったら連絡くらいしろ。明日でもいいと思ったか」

俺に背を向けたまま、深いため息をつく。

「お前までがっかりさせないでくれ」

「隊長、お願いがあります。俺たちにも、飯塚さんを探させてください!」

竹内は声を振り絞る。

じっと見上げる隊長は、静かにそれを見下ろしていた。
「片付けが終わったという報告がまだだ。さっさと自分の仕事を済ませろ」

沈黙がその場を支配する。

襟元のマイクだけが、常に何かを伝えていた。

隊長の細く鋭い眼光が、慎重にあたりを警戒している。

竹内はふいに頭を下げた。

「報告を怠り、すみませんでした」

「違います! 俺が勝手にわがままを……」

駆け寄って一緒に謝ろうとした俺を、彼は静かに、だけど力強く押しのける。

「お願いします。俺が探したいんです。どうして俺を置いていったのか、それが聞きたいんです」

「ダメだ。お前の居場所は、あのコンビニだ」

隊長は腕の自治会腕章を外した。

歩き出す。

口元が動いているのは、次の現場への指示を出しているからだろう。

竹内は動けなくなってしまった。

「待ってください! 隊長が見張りに来てるってことは、やっぱりこの噴水は再建されたってことじゃないんですか? 宣戦布告として破壊され、そのまま放置しているのであれば、こんなところに興味はないはずです」

地面から這い出してきたばかりの虫が鳴いている。

そう言った俺を、隊長はじっと見下ろした。

やがて、ふと視線をそらす。

「いいだろう。お前たちにも手伝わせてやる。正直、人手はいくらあっても足りない」

隊長は竹内を振り返った。

「ただし、他の部隊の手をわずらわせるな。03の一番近くにいた奴らに、何とも思わないのがいないわけではない」

「ありがとうございます」

俺が頭を下げると、竹内も一緒に頭を下げた。

「05、お前の悪いくせだ」

今度こそ本当に、隊長は歩き出した。

残された闇の中で、その姿を静かに見送る。

帰り道、深夜の幹線道路をぶっ飛ばした。

竹内は一言も口を利かなかった。

コンビニバイト店員ですが、実は特殊公安警察やってます(『僕らの目に見えている世界のこと』より改題)

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