コンビニバイト店員ですが、実は特殊公安警察やってます(『僕らの目に見えている世界のこと』より改題)

「あ、そうだ!」

ふいに飯塚さんは、ポンと手を叩いた。

「重人は、線路脇のフェンスを跳び越えられなかったんだって? ダメだよそんなんじゃ!」

飯塚さんは、にっこりと笑みを浮かべた。

「最近サボってたし、走り込みと筋トレを再開しよう。頭ばかり使っているのも、心身によろしくない」

その言葉に、竹内といづみは物陰に隠れようとしたが、肩をつかまれる方が早かった。

「よーし。そうと決まったら、早速ランニングだ!」

なぜかコンビニロゴの入った陸上部ジャージに着替えさせられる。

俺たちは夕日の映える河川敷に放り出された。

200m7本と100m3本。40秒間走3回。

背の低いフレキハードルを使って足の回転矯正までやるって、本気でどこの陸上部だ。

槍投げしたり、でっかいボール抱えて走ったり、そんなの聞いてない。

「こんなこと、いつもやってたんですか?」

にこにこと笑顔でハードメニューをこなす飯塚さんは、まさに鬼監督そのものだった。

「昔はね、ほぼ毎日」

平然とそう言った飯塚さんの横顔を見上げる。

いづみの顔はいつも以上に怒っていて、竹内もバテ気味だ。

俺はもうとっくにリタイアしている。

元気なのは飯塚さんだけだった。

体力にも頭の回転速度にもそれなりに自信はあったけど、ここではそんな俺の自尊心は簡単に吹き飛ぶ。

今までの俺の知っていた世界は、何だったんだろうかと思える。

「信じられない」

「ジムもあるだろ。今は忙しくて、なかなか僕は出来ないけど」

そう言った飯塚さんの隣で、俺は夕日に照らされる川面を見つめた。

鉄橋を渡る列車の走行音が響く。
「こういうの、いいよね。世界は本当は平和なんだって思える」

飯塚さんのテーブルに置いてある、PC画面を見てしまった。

見ようと思って見たわけじゃない。

そのまま立ち上げてあった画面が、自然と視界に入っただけだ。

それが何かは分からなかったけど、とてつもない作業量を要するものだということだけは分かる。

「『常識を疑え。あらゆる可能性を想定しろ。世界は想像を以上に不思議なことであふれている』でしたっけ」

飯塚さんは俺を振り返った。

「『自分の見たものだけを信じるんだ』って」

「仕事に感情は持っていないよ。反応があるだけだ。そこに勝手な感情を読み取ろうとするのは、人間の性なのかもしれないけどね」

最後は河川敷の橋と橋を渡る1周約10kmのラン。

最初の1周は軽く流して、2周目の最後の橋を渡ってからは全力ダッシュが課せられた。

完全にバテてしまった俺たちの横で、ハシボソガラスのR38はぴょんぴょんと跳びはねる。

まだまだ余裕の飯塚さんの頭にR38はとまろうとして、横の地面に下りた。

彼は座っていたいづみの肩に飛び乗る。

「だっる! 俺もうマジで地上勤務とか逃れたい。どうやったら出動しなくていいようになりますかね」

そう言って地面に転がった竹内の背中に、今度は跳び移った。

背中に頭をこすりつけ、励ましているようにも見える。
「……。俺、まだR38になつかれてないんですよね」

動物は正直だ。

好きな人には寄っていくけど、警戒する相手には近寄らない。

「そのうちなつくわよ」

いづみはそう言ったけど、そう簡単にはいかないのだ。

誰も見ていない隙に、こっそりハムとか彼のお気に入りのおもちゃで誘ってみても、絶対に俺には近寄らない。

「これで慣らせばいい」

飯塚さんはふいに、大きな黒い羽根を取り出した。

「これを振れば、扱えるように訓練されている」

飯塚さんは羽根を左右に振る。

その羽根の先を腕にちょんとつけると、カラスはその腕に飛び乗った。

「やってごらん」

受け取ったはいいものの、どうしていいのか分からない。

飯塚さんの腕にいるR38は、じっとこっちを見ている。

俺はさっきの飯塚さんのマネをして、それを振ってみた。

「ギャー!」

R38は叫び声をあげ、俺の頭をつつく。

そこに乗ろうとしているのか、つつきたいだけなのかが分からない。

「はは、仲良しじゃないか」

「コレ、俺が襲われてません?」

いづみは羽根を奪い取ると、それを大きく振った。

彼は大空へと飛び立つ。

「重人は、この仕事はやっていけそうかい?」

夕焼けの河川敷、鉄橋の上にカラスが舞う。

「やれるだけのことは、やってみるつもりです」

「そっか。楽しみだな」

その返事に、飯塚さんはにっこりと微笑んだ。
俺は今日も、朝早くからコンビニへ向かう。

何度か出動も経験したし、端末の使い方もそこそこ覚えた。

出動要請以外にも、各自研究開発を担当していたり、支部としてのルーチンワークもある。

警視庁サイバー攻撃特別捜査対応専門機動部隊、久谷支部の日々は続く。

「だから、上手くやる必要はないんだって! ただちょっと動かせればいいんだ。実際の操縦を長時間しかもアクロバティックにやる必要はない。そんなのは専門に任せりゃいい。俺たちは何かの時に、ある程度動かせるくらいの知識があればいいんだ!」

戦闘機の飛行訓練はまだ続いていた。

潜水艦と戦車の操縦も習ったが、どうしてもまだこれだけは納得がいかない。

「こんなところに時間かけてどうする。もっと他のことやれよ。俺たちの仕事の範囲外だ!」

「ねぇ、磯部くんのアバター作ったの。録音音声ほしいから、声ちょうだい」

いづみが割り込んできた。

最近の俺たちは、ぶつかってばかりだ。

竹内は「もう知らん!」と捨て台詞を残し立ち去る。

俺としては、一つ一つに納得がいかないと先に進めないタイプなのだから、仕方がない。

「別に付き合ってほしいなんて、頼んでないし」

「頼まれてるのは隊長からよ。あんたからじゃない」

河川敷での夕日に照らされた、飯塚さんの横顔が浮かぶ。

「俺、まだ隊長とろくにしゃべったことないんだけど」

いづみはマイクを向けた。

「じゃなきゃこんな面倒くさいこと、私だってやらないわ」

「それも隊長と飯塚さんからの指示?」

「そう」

いづみは今、俺のアンドロイドを制作している。

彼女の作業台の上に転がされているそれは、気持ち悪いほどそっくりだ。

完全にマニュアル化された「おはようございます」「いらっしゃいませ」「温めますか?」等々の台詞を順番に録音していく。

本当にコンビニとは、便利な存在だ。
「本物がいるなら合成より録音する方が早いでしょ。完成したら2体目も作るけど、もうちょっと待っててよね。次は、あいうえお。順番によろしく」

俺はデモ機を抜け出し、コンビニ店舗へと向かった。

イラついたらここに来るに限る。

商品補充とレジ打ちに心癒やされる日がくるだなんて、思いもしなかった。

午後からは飯塚さんに、水道局のシステム管理について教えてもらう予定だ。

メインサーバーへのアクセス方法はもう分かっている。

その飯塚さんは、今日も出勤していなかった。

きっといつものように、午後から顔を出すのだろう。

極秘任務とは聞いているが、その行動履歴は天命からも追えないだなんて、どんなことをしているんだろう。

以前みかけた詳細な図面とコードが頭をよぎる。

天命の行動履歴照会画面には『SECRET』の文字がラベルされていた。

天命でつながっているとはいっても、個々の部隊も個人の行動も、全てがリンクしているわけじゃない。

賞味期限の近づいた商品がはじき出された。

俺は気になったものがあると、そこから拾い上げて昼飯の代わりにしている。

竹内は自分の取り分が減ると、それも気に入らないらしい。

無駄に廃棄処分品を出さないことは、オートメーション化の功績だ。

俺は再びコンビニの地下に潜り込むと、そこから水道局システムに侵入した。

予習はしてきたが、せっかくの直接指導を受けられるチャンスを無駄にしたくはない。

昨夜、家で水道局のシステムをながめていた時にも、飯塚さんからゴスロリ人形通信があった。

その時には詳しい仕事の話は何もなくて、嫌なことはないかとか、困っていないかとか、それ以外のどうでもいいような俺の話も聞いてくれる。

「お前はよく勉強するね」

「ありがとうございます」

衛星通信時代におけるステルス性能の意義について、熱く語り合った。

おかげで水道局システムへの理解は遅れたけど、それはそれで楽しかった。
「飯塚さんは、どうしてこの部隊に入ったんですか?」

「重人と一緒だよ。この世界と、その未来と希望を……って、なんか、言ってるこっちも、自分で恥ずかしくなってきたな」

「いえ、そんなことないです」

「何気ない日常を、大切に出来ればそれでいいんだ。たとえそこが、どんな場所であろうともね」

飯塚さんの言葉は、いつも物静かで穏やかだ。

上からもらってきた菓子パンをかじる。

多めに注文をかけても、発注システムが過去の販売実績からエラーを出してしまうのが厄介なところだ。

竹内は新商品のチョコラテを飲んでいる。

俺も目をつけていた最後のメーカー試供品を、一人で勝手に飲みやがった。

「おい」

「何だよ」

竹内は飲み終わったカップをゴミ箱に投げ捨てる。

「何で最後の一個を黙って一人で飲んでんだよ」

「テメーの分はもうすでに飲んだだろ。一人一個ずつは飲んだはずだ」

「だからさ、そういう問題じゃなくね?」

「クソが。何が言いたい」

ふいに警報が鳴り響いた。

地下基地の監視モニターは、コンビニ前の路上から水が噴水のようにあふれ出す様子を映している。

すぐに飛び出してきたのは、アンドロイドのいずみだ。

地下にいた本物のいずみは、すぐにリモートコントロールに切り替える。

「竹内くんは元栓を閉めて。私は水道局へ連絡を」

地下のいずみは電話をかけ、地上のいずみは立ち入り禁止の柵を立てる。
「磯部くんがいま見ているのは、ちょうどそのシステムね」

画面が切り替わる。

水漏れを示すような警告は、水道局画面では表示されていなかった。

「なんか、おかしくないですか?」

「あのね、実際には、普通に分からないものなのよ」

電話がつながった。

モニターにうつる水道局の事務室に、呼び出し音が鳴り響く。

閑散とした事務所で、受話器を取る職員の背中が映し出された。

ドンッ! 突然の衝撃が地下を揺らす。

いづみと目があった。

「下だ!」

この秘密基地に隠された、もう一つの地下へ向かう。

不吉な音が、俺の鼓膜を刺激した。

「水漏れだ……」

整然と並べられた量子コンピューターのサーバー保管室に、どこからか流水音が聞こえる。

竹内も駆け下りてきた。

「俺はちゃんとゆっくりバルブを閉めたぞ!」

「どっから水漏れが……」

場所を特定しようにも、あっという間に水深が3センチを超えてきている。

「もう遅い。データは本部と共有されている。すぐに上の資材を運び出そう」

「運び出すって、どこに?」

この上の階にはトレーニングジムと戦闘機や潜水艦のデモ機が並んでいる。

さらに上の司令部はどうなる? 

テーブル回りのどれもこれもが、特殊な機械や実験装置だ。

竹内が駆け上がるのに続いて、俺も駆け上がった。

いづみはスプリンクラーを作動させる。

「ごめんなさいね。あなたのアンドロイド、最後まで作ってあげられなくて」

警報の鳴り響くなか、部隊のPCに容赦なく水が降り注ぐ。

「ガス消火設備に変えたんじゃなかったのか!」

大型設備搬送用のエレベーター口が開いた。

貴重な成果物を詰め込んだトラックの荷台が閉じられる。

運転席にいるのは、いづみ? それとも、そのアンドロイド?

「私、ここのこと結構好きだったのよ」

助手席に、もう一人のいづみが乗り込んだ。

「さようなら」

短く切りそろえた髪が、大きく開いた搬送口からの風に揺れる。

それが走り去るのを、俺と竹内はただ見送るしか出来ない。

「い、飯塚さんに連絡を……」

「……無駄だろうな」

竹内はため息をつき、力なく首を横に振る。

「多分、あの二人はグルだ」

『災害時保護モードにより、終了します』

司令部の巨大ディスプレイはそう言い残し、自ら黒く暗転した。
コンビニ出入り口のガラスに「閉鎖中」の文字を貼り、目の前で吹き出し続ける水をながめながら、俺たちは為す術もなくぼんやりと座っていた。

地下で浴びたスプリンクラーの霧をたっぷりと吸い込んだ制服は、もたれたタイルの冷たさで余計にひんやりとする。

誰が通報したのか、水道局の作業車が一台、駐車場に停車した。

「先に元栓を閉めさせてもらってもよろしいでしょうか」

「あぁ、どうぞ」

そう言った作業員は、制服の帽子のつばを持ち上げた。

背の高い、細身だががっちりとした体格に焼けた肌。

少し骨張った長い頬に、鋭い眼光が光る。

「隊長!」

竹内は慌てて起立した。

「ナンバー05、状況説明を」

この声には、確かに聞き覚えがある。

カーブミラーの中にいた人物だ。

竹内の報告に一つうなずくと、隊長はまだ座り込んでいる俺を見下ろした。

「で、お前たちは何をしていた。すでに水は抜いたのか」

「いえ、まだです」

竹内は答える。

ここにいる水道局員たちは、みな部隊本部の人間なのか? 

テキパキと作業を進め、あっという間に道路からの噴水は姿を消した。

「08、何をやっている。お前も動け」

「動けと言われても、何をしていいのか分かりません」

「動くなと言われても動いたお前が、動けと言われて動けないとは滑稽だな」

長身が目の前を横切る。

隊長は俺には目もくれず、地下へと下りた。

慌てて後を追いかける。

止水と水抜き、機材の搬送が進む地下で、竹内はモニターを立ち上げた。

「相手は飯塚さんです。そう簡単には……」

「そんなことは分かっている。だから警戒していた」

隊長は制服の襟元に向かって、何かをささやいた。

次の瞬間、画面に飯塚さんの運転するトラックと、その横に座るいづみの姿が写る。

「こちらでも発信器を用意しておいた。それが生きている限り、望みはある」

「目的はなんですか? それが分からないことには、対策のしようが……」

そう言った俺を、隊長は鼻息一つで見下ろす。

「お前と話すのは、時間の無駄のようだ」

隊長は背を向け、水道局員の作業服を脱いだ。

その下から大手運送会社配達員の制服が現れる。
「ナンバー05、ここの片付けを任せる。その新人も早く何とかしておけ」

圧倒的威圧感。

これがこの部隊全体を率いる隊長か。

地下基地を眼球の動きだけで観察し、地上へと出て行く。

その背中を敬礼で見送って、竹内はようやく一息ついた。

「あ~ぁ、本当に隊長が出てきちゃったよ」

壁際のスイッチを押す。

モーターの駆動音がして、ゆっくりと水が引き始めた。

「さぁ、片付けようか」

「片付けようかじゃねぇだろ!」

俺と竹内は同い年だ。

竹内の方が遙かに所属歴の長い先輩だとか、そんなことは今は関係ない。

「なんで飯塚さんはいきなりこんなこと始めたんだ。意味が分かんねぇだろ」

「それを俺に聞いて答えられると思うか。隊長が言ってるのは、そういうことだ」

地下3階のサーバー保管室に下りる。

さっと辺りを確認してから、竹内は口を開いた。

「データに関しては問題ないと思う。ここはメインサーバーではないし、あくまでクラウドの中継基地の1つだ。全サーバーを同時攻撃されない限り、中のデータは失われないし、機能ダウンすることもない。つまり、どうしたって天命の完全消失なんて、不可能なんだよ」

「そんなこと、あの飯塚さんが分からないわけがないじゃないか」

「そうだよ。だから『意味が分からない』んだ」

緊急停止されたまま、足元を水につけた巨大ハードの群れを見下ろす。

「もうここはダメだな」

司令台のある地下1階に戻って、ぐしゃぐしゃにぬれた部屋を見渡した。

「物理的な攻撃を、どうクリアするかが問題なんだ。次は何でくるだろう」

「隊長より先に飯塚さんと接触しよう。そうすれば助けられるかもしれない」

「電力に関しては本部も敏感だからな。自家発電もあるし……」

「おいっ!」

何かを考え込んでいた竹内は、ようやく顔を上げた。

「飯塚さんを探しに行こう」

「は? どうやって?」