始業式しかない今日は、このホームルームが終われば学校は終了だ。ふじやんは「朔田」と僕の名前を呼ぶと、あとで職員室に来るようにと言って教室を出ていった。

「ふじやんに呼び出しとか、何したの?」

 ジャージ姿に着替えながら、ボウがそう聞く。
 面倒くさがりなふじやんは、新しい教室では自由席を推進していた。そのため、ボウは僕の隣の席に座っていて、後ろには倉田と咲果がいる。

「進路希望アンケートのことだと思う。まだ出してないから」
「えっ!? それって春休み前に提出するやつじゃん!」

 ボウは県内の私立大学、倉田と咲果は都内の大学に狙いを定めているらしい。僕だけがまだ、はっきりとした進路希望を決められずにいたのだ。

「ふじやん語り出すと長いからねぇ」

 咲果がリュックのファスナーを締めると、キーホルダーの鈴がちりんと音を鳴らす。

 見た目は本当にそっくりだというのに、僕は一度も咲果に杏果の姿を透かして見ることがなかった。自分でも不思議だけど、もしももう一度杏果に会えるとしたら、ふたりが並んでいても一瞬で見抜く自信がある。そんな奇跡は、もちろん起こりはしないのだけど。

 奇跡というのは、何度も起きるものじゃない。一度しか起きないから、奇跡なんだろう。

 僕は机に置いた鞄の影で用紙にペンを走らせると、くしゃりとそれを鞄に押し込む。前も同じようにして、アンケート用紙を家で落として父親に怒られたっけ。そんなことを思い出した僕は、小さく苦笑いするとその用紙をふたつに折りたたんで鞄のポケットに入れ直した。

「じゃあな」

 片手を上げた僕は、三人に見送られながら教室を後にする。心なしか、足元が軽く感じる。

 僕の決断を見たら、ふじやんはどんな顔をするだろう。一周回って笑い出したりして。まだ誰にも打ち明けていない、僕の第一目標。両親は唖然とするだろうし、もしかしたら反対するかもしれない。咲果やボウや倉田がぽかんと口を開ける表情だって想像できる。それでもきっと、応援してくれるだろう。
 色々な選択肢の中で自分なりに考えて、ベストな道を選ぶことにした。正直それは、僕が思っているよりもずっとずっと険しいもので、もしかしたら挫折してしまいそうなくらい大変な道になるだろう。
 辞めてしまいたい理由はこの先いくつも浮かぶだろうし、すべてを壊したくなる瞬間だって、十や百、千回では足りないのかもしれない。
それでもきっと、僕が走るのをやめることはない。僕はきっと、ひとりじゃない。いつだって支えてくれて、応援してくれて、見守ってくれる光がある。

 やっと見つけた、自分の光。僕の人生は、僕のものだ。

 ノックをして職員室のドアを開ける。ふじやんの席はドアのすぐそばで、僕はドアを大きく明け放したまま、すうっと大きく息を吸い込んだ。

「三年一組朔田樹、第一志望を春山(はるやま)音楽大学に決めました!」

 春という季節を迎えた職員室に、びぃんと響く僕の大きな目標宣言。
 音楽大学合格は、超がつくほど難攻不落な狭き門。ピアノを習いにも行かなきゃならないし、この一年、専門的なことから一般科目まで必死に勉強しなきゃいけないだろう。周りはきっと「無理だ」「諦めろ」って言うかもしれない。だけど僕はこの道を進むと決めたんだ。大事に思える音楽と、より深く理解し合えるようにって。

 ───ねえきっと、きみは笑ってくれるよね。そしてきっと、誰より信じてくれるよね。